霙時 4
私は知っていた。
あのアザは殴られでもしないとつかない事、制服やバッグの傷はカッターやハサミなどの鋭利な物でしかつかないものだという事。
彼は、いじめられていた。確実に。初めて会った時のあの作り笑顔は、そう、本を読んでいる時もしている。もう無意識の事なんだ。いじめられてもそれ以上やられないように、笑うのが癖なんだ。「あはは、大丈夫だよ」「ごめんなさい」
そんな言葉をもう唇が象っているんだ。
私は、とても触れられない。傷付きたくなかったんだ。
その傷、どうしたの?
言える筈がない。言える筈がない。だって私は、彼の名前すらも知らない。
溜息をつく。白い息が菫色の空に溶けていく。今日は雲のない夕暮れ。冷たさが頬を撫でた。
彼も、溜息をついた。震える様な、慣れていない溜息。きっと、弱さを人に見せられないんだ。誰にも。
私には、わかる。私もそうだから。でも、この人になら、見せてもいい。そう思える。
でも、見せたその弱さを、どうこうして欲しい訳じゃない。慰めるでも、叱るでもない。ただ、聞いて欲しいだけで、見て欲しいだけで、何も望んでないんだ。そう、彼のいじめみたいに。
触れられるわけない。この私に、その資格は無い。
私は何も言わずに本を読む彼を抱き締めた。
「うわっ」
小さく驚きの声が聞こえるけど、抱き締めたまま。彼は小さくぴくりと揺れて、されるがままにしていた。
人の温もりなんてなくて、制服の切られた感触を確かめる。
二人とも何も出来ないよね。だからこうしていよう。
そんな言葉が喉まで上がってくる。
忘れていたつーんとする喉と鼻。「泣きそうなのだ」と、他人事の様に考える。
ただずっと、そうしていた。
彼もずっと黙って、動かなかった。
「好き」とかそういう事じゃない。そんな俗な事じゃない。
もっと尊い何かなのだ、本当に。
ふっと腕を解く。
「じゃあ」
そう言って少し笑って、私たちは帰り道を歩いた。