第1話
オレはその日、いつものゲームセンターで有り金を全部つぎ込んで格闘ゲームをしていた。自分の選んだ筋骨隆々なキャラクターが、そこそこ大きな画面の中で、だいたい6種類くらいの奇声をあげながら、入力されたコマンド通りに敵に攻撃を仕掛ける。
「あ」
画面の中の偽物のオレは、威勢のいい奇声をあげているにもかかわらず、あっさりと負けた。攻撃を仕掛けていたのは、敵に当たらない空間だ。
「なぜだ…なぜ勝てない!?」
呆然と見つめる画面の色の濃いところに映った人間たちが
「あの人、もう何時間もやってるのに1度も勝ててないよ」
「何時間どころじゃないぜ。昨日もいたし」
クスクス、クスクスなんてバカにしたように笑っている。
しかしオレはそんな事よりも。
金が底を尽きている事の方が嘆かわしい。いちいち両替に席を立つのが面倒で、あらかじめコインカップにありったけの100円玉を入れておいたのに、そのカップもいつのまにか底が丸見えだった。
「金がねぇ」
見ればわかることをあえて口に出してみると、より一層虚しくなる。
オレは空のカップもそのままに、席を立つとそのままゲームセンターを出た。
外はもう暗くなっていて、春といえどもこの時間は寒い。時計など持っていないから、この時間がどの時間かはわからんが。最近は毎日ゲームセンターにいるので、だいたいいつもと同じ時間だ。
が、今日はなんか違う。外に出て初めて気付いたが、さっきからパトカーのサイレンが鳴り響いている。と、言うだけなら日常茶飯事だが、今日はその音がなんとなく多い気がする。
まあそれなりに人口の多い街だから、それなりの事件か事故が起こることもある。
オレは両手をズボンのポケットに突っ込んで家路を急ぐ。急いだところでなにがあるわけでもないが。
そこそこ人通りのあるここは、店のショーウィンドウが連なる夜でも明るい通りで、まだ夜が始まったばかりの、しかも平日のクセに、ところどころで出来上がったサラリーマンが千鳥足で歩いている。という、まあ賑やかな通りなのだ。通りなのだが、オレの後ろを、歩調を合わせて付けてくるやつがいる事に気付いた。
未成年がこんな時間に出歩くんじゃない!とかお節介をやく青少年健全育成などと書いたジャケットを着たオッサンが頭の中に浮かぶ。過去に何度か声をかけられたからだ。しかし、今までの経験上、青少年何某のオッサンは、目についたら速攻で声をかけてくる。
よってこの10分ほどの間、オレのあとを一定の距離を空けてついてきているコイツらは、確実に青少年何某ではないな。
頭の中でいくら推理したところでわからない。ので、オレはそいつらが誰かを見たくなった。
ちょうど少し先に、ショーウィンドウの明かりが途切れた所がある。多分暗い路地だ。
路地の横を通るフリをして、さっとそこに入り込んでやった。予想通り薄暗いそこそこ奥行きのある路地だった。残念なことに袋小路となっているが。
「いたぞ!」
オレが振り返ると同時に、ナゾの追跡者たちが声を上げながら路地に入って来た。
なんてことはない、如何にもなチンピラ5人。いかにもな金髪にいかにもなピアスだらけにいかにもなタトゥー、な5人だった。
「オイオイ、自分から逃げ場の無いトコに入るなんて」
「こっちとしてはありがたいかなあ」
そいつらの目的が大体わかった。と同時に呆れた。
「自分の状況、わかるよなあ?」
「サイフだしてくれる?」
ゲラゲラ笑うチンピラども。オレが動かないでいると、
「にいちゃん、最近毎日ゲーセンにいるよなあ?しかもかなり金持ってるみたいだし」
チンピラ5人が徐々に距離を詰めてくる。けっこう厳ついというか、上背があるというか、チンピラとしての格(笑)が上というかそんな5人がヘッヘッヘと下品に口元を緩めながらオレを囲おうとしている。
かたやオレはというと、高校の制服をネクタイまでしっかり付け、長めの前髪の下から銀縁眼鏡が顔を出すという、いかにもな優等生ぶりだ。しかもチンピラたちより頭1つ分は背が低い。
「お、おおお金なんてもうないですよ!さっき使っちゃったから!」
オレは怯えた口調でそう言って、サイフ(ビニール製の二つ折りだ)をまるで賞状をもらう時のように両手でもって正面のチンピラに差し出した。
「素直なことは良いことだなあ」
そう言って、チンピラ(仮にAとしておく)がサイフを引っ手繰るように奪った。
「オイオイ、マジですっからかんじゃねえか」
さっそく中身を確認したチンピラAが舌打ちして言った。
当たり前だ。有り金全格闘ゲームに突っ込んだんだし。オレは使う分しか持ち歩かない主義だ。
「しゃあねえなあ…じゃ、俺たちとオトモダチになろうぜ?」
節操の無いタトゥーのチンピラBが、急に馴れ馴れしく肩を組んできた。急にのしかかられたオレは、逆の方へフラつく。倒れそうになるオレの片腕を、両耳たぶが千切れそうな大穴が空いたチンピラCが掴んだ。
「毎日毎日スゲエ小遣い貰ってんだろ?」
「俺たち毎日ゲーセンにいるからさあ、知ってんだよねえ」
空のサイフを放り捨てたチンピラAが、ポケットからナイフを取り出した。どこにでもあるような、チンケな安い折りたたみナイフだ。
オレはブルブル震えながら、
「痛いのはやめて!言う事聞くから!」
のしかかられた左肩と掴まれた右腕が痛い。
「よしよし、じゃあメアドでも交換しようか」
ナイフを突きつけながら、チンピラAがオレのブレザーのポケットを探る。スマホが攫われた。
その瞬間、今まで黙っていたチンピラDがオレの腹めがけて爪先を叩き込んだ。身長差があるため、爪先はオレの胸と腹の間にめり込んだ。ヒュッと肺から空気が抜け、口から飛び出した。衝撃で身体を丸めようにも、左右を取られているせいで動けない。続けざまに左頬へ拳が振り抜かれた。眼鏡が飛んでしまった。
「うう、もうやめて!言う通りにしたのに…」
「今後オレらの言うことに従わなきゃどうなるか、今教えてやらないとなあ」
さらにもう一発、左頬に拳が飛んできた。今度は唇が切れて、血液が顎を伝って地面に滴る。
チンピラ5人はゲラゲラ笑いながら、さらに何発かオレを殴ったり蹴ったりした。何発目かに地面に転がされたオレを見て、チンピラたちはさらに笑う。
そろそろいいか。
オレはそれまでの演技をやめた。
「なあ、そろそろ正当防衛でいいよなあ」
突然それまでの弱々しい声ではなく、暗く重い声を聞いたチンピラたちが動きを止めた。
「テメェら無抵抗のオレをこんな目に合わせたこと、後悔させてやるぜ」
ゆっくり立ち上がると、オバケでも見たような顔のチンピラ5人が後ずさった。
「ど、どうなってんだ!?」
と、チンピラA。
「なんだコイツ…?」
「あんだけボコったら動けねえハズ!」
これはチンピラBとC。
「フハハハハッ!!」
オレはあえて大声で笑った。チンピラたちがビクッと肩をすくめる。なかなか面白い光景だ!
「あんな軽いパンチが効くかよ!?まるで猫パンチじゃあねえか!!」
「なっ、何言ってんだ?」
冷静さ(まあ、寄ってたかって1人を痛めつける奴らが冷静かどうかはさておき)をうしないつつあるチンピラどもを、ニヤニヤ笑いながら追い詰める。
「いつも考えるんだが、正当防衛って曖昧だよなあ。オレがどれだけやられれば、やりかえしていいんだ?オレがやられた分を100%として、じゃあ何%やりかえしたらいい?例えば50%やりかえすとして、そっちは5人だから、1人につき50%か?それとも1人10%であわせて50%に換算するのか?」
「何言ってんだ、コイツ…?」
「でも1人10%で合わせて50%という解釈にすると、まだ動けるよなあ?そうなると、またオレが100%やられたと思うまで痛めつけられて、50%やりかえすってのを繰り返す必要がある。オレ、めちゃくちゃ不利じゃね?」
思った事をほぼそのまま口に出してしまうのは、オレの悪い癖だ。自覚しているが治らない。
「おい、コイツやべぇ。逃げるぞ」
チンピラにしては良い判断だと思う。やべぇ奴にあったら、素直に逃げる方が賢明だ。
だが、オレはやべぇ奴ではない。つもりだ。だから、オレをやべぇ奴呼ばわりした奴らは、絶対に逃がさない。
チンピラ5人がサッと路地の出口に反転し、一斉に駆け出した。
オレは地面を軽やかに蹴り、なかなかのスピードでチンピラどもの前に着地した。チンピラどもには、オレが急に目の前に現れたように見えたと思う。
「ヒィイッ!!」
チンピラたちの感情が、戸惑いから明確な恐怖にかわるのが、月明かりに照らされた表情から読み取ることができる。
「な、どこから…!?」
「瞬間移動!?」
チンピラCとEの陳腐な言葉に、オレは思わず顔をしかめた。
「瞬間移動なんてできるか!!オレは忍者じゃねえよ!!」
そろそろ飽きてきたので、本題に入ることにする。
オレがニヤリと笑うと、チンピラどもがこれから先どうなるか悟ったのか、情けない悲鳴をあげた。
「昇◯拳!!」
格闘ゲームの憂さ晴らしに叫んで、最後の1人の下顎を突き上げる。オレの勝ち。現実ではオレが勝つのに、格闘ゲームでは全く勝てやしない。
汚れた制服を手で払って、吹っ飛ばされた眼鏡を探す。
あった。
拾って掛ける。
ん?
なんだか倒れている人数が1人多い気がする。気がするだけじゃない。本当に脚が一対多い。
袋小路の突き当たり。なんのためかわからないコンクリートの壁と、どこかの業務用エアコンのバカでかい室外機の間。
そこにサラリーマン風のくたびれたスーツの男が、壁に寄りかかって座っていた。投げ出された足に力はなく、項垂れる首筋は青白い。
「死んでる」
口に出さなくてもわかることだ。
そして、その死体の死因も、何者の犯行かも、オレにはわかる。
「キミ!!何をしてる!?」
一瞬死体に気を取られてしまった。あれだけ騒いだ(チンピラが)ので、誰かが通報したのだろう。駆けつけたのが警官だとわかっていたので、オレはいつもの言い訳を口にした。
「お巡りさん、助かった。この人達に連れ込まれちゃって…」
「連れ込まれた…?」
ちょっと困った表情をオマケする。完璧。あとはなんとでもなる。護身術の経験があるとかなんとか言っとけばいい。こっちも怪我してるわけだし。
制服警官がオレを見た。そして、まわりで気絶しているチンピラを見回す。
いつもはここで、1人で倒したのか?今何時だと思ってる?高校生が出歩いていい時間じゃない!とかなんとか言って、軽く調書をとられ、親に連絡が行き、オレは帰宅する。
だが、今回は思い通りにならなかった。
もちろんこの死体のせいだ。
オレの方に近付いてきた警官が、怪訝な顔で、オレの前に静かに座り込むサラリーマンを見た。
「あはは、はは、この人、いつからいたんでしょうね。ボク、連れ込まれた時には気付かなかったなあ」
本当に今知ったため、大袈裟な声が出てしまった。多分愛想笑いも引きつっていた。
「ちょっと署まで来てもらおうか」
制服警官はそういうと、腰の無線機を取った。
「こちら〇〇署上木、〇〇町〇〇通りの路地で乱闘騒ぎ。死傷者あり」
死、はオレじゃねえ!と心で突っ込みながら、オレは制服警官に腕を掴まれた、パトカーの後部座席に押し込まれた。