エナの話
天地が逆に舞う。バンドーは音を立てて転がされた。
「っ、もう一丁! 」
ここは”月下桃華の峰”に数ある道場のひとつ、”愛染堂”。しかし今は、広い道場の中はエナとバンドーしかいない。
「ずりゃぁ!! 」
バンドーは全身に気を巡らせて”飛足”から”ひよどり”を繰り出すが、相手を手前に引き込むこともできず、逆に腕を取られて激しく宙を舞う。
「がっ?! 」
「終わりかのう? ひよっこ。」
エナの言葉にバンドーは素早く立ち上がると、再び気を入れる。
「遅い。」
瞬時にエナがバンドーの間合いに入り、鳩尾に肘を食わせると片足を跳ね上げて、バンドーの身体を腰に乗せて薙ぎ払う。
「・・ぐっ!! 」
「それまでじゃ、湯浴みに行くぞい。」
散々、翻弄された挙句、一糸も報いる事が出来なかった。
「待ちやがれ、じじぃ! 」
「ほっほ、早くせんかい。風呂じゃ。供をせい。」
”月下桃華の峰”にある露天風呂は王国でも有数で、岩で囲い、丸石を敷き詰めて固めた露天風呂の大きさは優に20畳はある。まあ、人里から離れているのでゼノ式の関係者以外は滅多に入りに来ないが。
とにかく湧き出す湯と水が混じり合って、程よい暖かさを保ち、24時間入る事ができる。もちろんバンドーも、今まで何度となく入った事がある。
「落ち着いたかの? 」
「くっそー、納得いかねぇ。」
エナは笑いながら、手ですくった湯を顔に当てる。
「何を言うか、元の調子に戻っておるではないか。」
「・・・・。」
言われて、バンドーも気付いた。マユミと顔を合わせてすさんでいた心が元通りになっている。
「お主にだけは話してやろう。わしはの、実は召喚者なんじゃよ。」
「はぁ?! 」
初耳だった。エナ・アーハイト・ゼノアなどという大層な名前からは、想像もつかない。それを言うと、エナは大声で笑いながら、語りだした。
「エナというのは名字じゃ。お主のバンドーと一緒じゃな。恵那山って知っておるか? 長野と岐阜の県境にある。あれと同じ字じゃな。アーハイトは嫁の実家、ゼノアは語呂合わせじゃ。この世界、名前何て名乗ったもん勝ちじゃからの。のう、バンドー。」
反論できない。バンドーは口を半開きにしながら聞いている。
「昔、いつだったか言ったじゃろ? 実家が寺で坊主になる筈じゃったと。言わんかったかの? 」
「お、覚えてるけど、まさか前世の話だとは思ってなかったぜ。」
そうだ、思い出した。確かその時に、このイルミタニアの成り立ちとか聞いた気がする。
「思い出したぜ、確か前世とイルミタニア合わせて6つの世界があって、前世の下層にも世界があるんだよな? 」
恵那はしばらく答えない。持ち込んだ綿布で顔を拭い、頭を揺らして何やら音を立てている。
「そうさのう、バンドーよ。だからこの世界はネクストステージ・イルミタニアなのじゃ。前世よりもやや精神世界化が進んでおる。意志の力で行使できる魔力が、それよの。この世界の上層にある世界、サードステージ・シャンドラでは、もっと精神化が進むらしいぞい。肉体があやふやになるほどの。」
「なんだ、そりゃ? 」
「まあ、簡単に言うと、ここはあの世で、さらに次の世があるという事じゃの。」
「それって、いや何でそんな事が判るんだ? 前世にいた時だって、あの世の事なんか判らなかっただろ? 」
もっともな質問だった。
「会ったからじゃ。シャンドラから堕ちてきた者との。」
今度はバンドーが答えない。というか、エナの言葉の先が知りたくて先を促すように視線を送る。
「あやつに会うて、わしは死にかけたわい。幸い、問答に答える事が出来て、見逃されたがの。」
ますます判らない。いや、聞いた事があった。エナ様がゼノ式を創始するきっかけとなった迷宮での戦いがあるという。
「上位魔神『ヴァルケラスス』、わしがかつて迷宮デスパレス75階層で出会った化け物よ。あやつが言うには、かつてシャンドラにおって、肉が恋しいて自ら堕天したらしいわい。知っとるか? 上の階層に行くほど、神の支配を逃れて肉欲が薄まるらしいぞ? それが嫌だったんじゃと。」
そう言うなり、エナは高笑いする。わしもまだ、イルミタニアでよいがの! と付け加える。
「いらん事を話してしもうたかの。まあ、お主は間違っても上位魔神なんぞ、相手にせん事じゃ。まあしかし・・・・。」
エナはそこで話を切ると湯から上がり、指に嵌めていた指輪を抜くとバンドーに投げてよこす。
「スキル封じの指輪じゃ。別名、”肥沃の家畜”と言うらしいぞい。任意のスキルを封じる事ができる。じゃから気を付けて使え。それと、ティアをよろしく頼むぞ。」
「・・・・? おい、じじい?! 」
エナの姿が消えた、文字通り。 事実は、バンドーに投げてよこしたスキル封じの指輪で封じていたスキルを行使したのだが、バンドーにはそこまでは判らない。
バンドーは立ち上がり、しばらく辺りをうかがうが、エナの気配を感じ取る事はできなかった。
「はっくしょい! ちっ。」
慌てて湯につかり、手にした指輪をながめる。
(スキル封じ・・。)
もし、それが本当なのだとすれば、『魔力分解』を封じる事ができる。そうすると、どうなるだろう? サムニウム族の時は、ゴルツの鏡で『魔力分解』を封じられると身体から魔力が湧きだした。ゼノ式の威力が数段増したが、その後の事は憶えていない。
「・・まあ、取っとくとするか。」
身体が温まったので湯から出ると、手早く着替えて奥の院に戻る。
「お兄様、遅かったのですね。」
そこにはカササギが来ていて、バンドーを見るなり顔をそむけた。
「何だ、カササギ、迎えに来てくれたのか? 」
「ティア姉さんから頼まれたので来たのです。決してカササギが心配して迎えに来たのでは、あっ? 」
バンドーは華奢なカササギの身体を抱き寄せる。
「お、お兄様、離してください。カササギは、カササギは、ふぇ・・」
抱き寄せた時と同じように、唐突に離す。カササギが涙目になって、ぶるぶる震えてる。
「お兄様! 一体何を?! 」
「母上に会った。やっぱ無理だわ俺。母上と一緒にいられねぇ。お前も、そう成るのかなと、ふと思ってさ。そうしたら、こうぎゅっと。」
バンドーが、またカササギを抱き寄せた。
「はわわわわっ、お兄様?! ・・・・お兄様? 」
バンドーはカササギを抱きしめたまま、何も言わない。
「お兄様? 知っていますか? 」
カササギは、小さな身体でバンドーの背中に手を回し、背中をぽんぽんと叩く。
「カササギは、会いたい二人の仲を取り持つ鳥なのですよ? いつかきっと、うまくいきますから・・。」
そんな二人を上空からみている人がいた。奥の院の真横に建つ5重の塔のてっぺんにエナはいる。
「不器用じゃのう、あやつは。指輪渡したんは失敗じゃったかのう・・」
地上で青白い円環が立つ。カササギがゲートを開いたのだろう。
「まあ、なるように なるかの? 」
やがて青白い光は消え、そこには誰もいない。エナは踵を返し、塔の中に入る。
「ちと、備えをしておくかの? 」




