黒曜宮にて
近くにあるように見えて遠いのか。あるいは巨大故に近くにあるように見えるのか。多分、間を這う深い谷に掛かる1本の道が細いせいと、奥底が見えない程の谷のせいでもあるのだろう。
谷に掛かる1本の道のその先に、漆黒の三角錐の建物がある。その頂上には、赤黒い珠が回転しながら明滅していて、時折り深紅の光を発している。
バンドーがその道に沿って谷を越えようと歩き出した時の事だった。やおら距離感が狂う。歩いている筈なのに速度が上がり、見る間に三角錐の建物が近付いてくる。
(引き込まれる?! )
ぶつかるかと思われた瞬間に、彼は既に建物の中にいた。淡い光が充満する一室に。
「来たか、バンドー」
声の主は濃い碧色のショールカラーカーディガンを纏い、黒光りのする皮ズボンを身に付けた青年だった。髪は灰色と黒が混ざり短め、知的な瞳に整った顔立ちではあるが、何処か東洋人を思わせるのは肌の色か。ここがダンジョン奥深くであるにもかかわらず、小麦色の肌をしている。
どう見ても人に見えるその青年が、やがて右腕を胸に当てると軽やかに一礼した。
「私がヴァルケラスス、まあ、人間の慣れの果てだ」
いつの間にか、バンドーの背後にはソファが用意され、目の前には蝋燭の燭台が置かれた丸テーブルがある。
「座りたまえよ」
魔神との距離は4メートルばかりか。丸テーブルは一人用の小さなもので、自己紹介を終えた魔神の前にも同じものが用意されている。彼はバンドーにソファを進めるや否や、自らも用意されたソファに身を沈めた。
「カスミは、ここにいるのか? 」
バンドーは立ったまま、いきなり魔神に問いかける。魔神は応えず、片足を組むと両手も組んで、その上に乗せる。
「いるのなら返してくれ! 」
「残念だが、それはできないな。あれは得難い魂の器…… 」
バンドーは拳を握りしめた。
「私が大事に使わせてもらう」
その言葉を聞くなり、バンドーは一歩前に出た。
「なんだと?! 」
「ならば問うが、私がカスミを返すなら、お前はミリアやアルシャンドラを返すのかね? 」
バンドーにとっては思いもよらぬ返しであった。
「あれらは私の作品だ。返してもらって当然だと思うが? 」
頭に血が上る。いけない、魔神は舌戦を仕掛けているのだろうか。
「あいつらは! あいつらは俺に敵対行動を取った。だから排除した。勝者として、当然の権利を行使したまでだ! 」
その瞬間、部屋中に笑い声が響く。片手で額を抑え、胸を反らして大声で魔神が笑っていた。バンドーは気を削がれ、それを見守り続ける。
「クククク、いや失礼。あのへたれだった君が、そこまで言うようになっていたとは驚いたよ。さて、ならば私としても、勝者として権利を行使すれば、よいのかな? ……と言いたいところではあるが、残念ながら私は君を攻撃する事が出来ない。古き先達との契約があるのでね。卒業スキル持ちには攻撃できないのさ。私の仕事は、イルミタニアに魂を呼び込み、卒業スキル持ちを増やす事、まあそう言う意味では、君やカスミは私の成果物と言えるな。まあ、ミリアやアルシャンドラは元々、君への供物のつもりだ。本気で返してくれと言うつもりはないよ」
こいつは一体何をしゃべっているのだろう? 正直理解できない。魔神がしゃべった言葉の中で、唯一バンドーが拾い上げたのは、『卒業スキル持ちには攻撃できない』という部分のみ。
「何を言っているか判らない、俺はカスミを迎えに来たんだ。カスミは連れて帰る」
魔神が片眼を閉じる。その上の眉が一瞬、動く。
「言っておくが、君は絶対に私に勝てないよ。……ステージが違い過ぎる」
左脚をやや前に出しているバンドーの左肩が緊張する。
レイ教授の話によると、魔神は魔力分解・魔力組成・魔力融合という3つの卒業スキルを持っているという。確かに、圧倒的に不利ではあるだろう。だが、彼は卒業スキル持ちには攻撃できないと言った。わざわざ、そう言ったのだ。一体何を考えているのかは判らないが、そう言われて、ここまで来て戦わないという選択はないだろう。
バンドーは飛足に点火すると横に飛ぶ。すぐ壁に当たるが、関係ない。スキルを行使してぶち破る。抜けた先は調度品が整然と並ぶ一室だったが気にしない。そうしておいて、更に壁を分解して回り込み、元いた部屋に戻るなり、魔神の左後方からゼノ式の中距離技を叩き込む。
「飛足月下、浮舟! 」
側転して弧を描いた両足から、そしてそのまま右回し蹴り左後ろ回し蹴りを放つ。近接はしていない。魔力と気の力を加えた塊が光となって魔神を襲う。
だが魔神は半身を返すなり、片手だけでその攻撃を防いだ。
「ふん、聞いてはいたが本当に魔力分解に目覚めたようだね。私もうれしいよ、卒業スキルの覚醒は、私を地上へと導いてくれる」
「せやっ! 」
バンドーは攻撃の手を緩めてはいない。飛び込みざまの前掃脚、そして後掃脚を中距離でうち、魔神の下半身目がけてゼノ式を解放する。
だが、今度は魔神は受ける姿勢すら見せなかった。バンドーが放ったゼノ式の光は、魔神の放つ銀色の光に飲み込まれる。
(くっ、魔力分解か)
「弱者が弱者なりに工夫した技ではあるが、それだけだ。君にも判る筈だろう? 」
確かにそうだ。恐らくバンドーにも同じ事が出来るだろう。着弾の一瞬さえ理解していれば、魔力分解をもってすれば全て容易く防ぐことができる攻撃。とどのつまり、フェイントや目くらましすら意味を成さないだろう。
選択肢が限られていく。
(……直接攻撃しかねぇ)
それは判っている。
「……くっ! 」
片手で側転を打ち、その弧の回転にありったけの魔力を込めてゼノ式として放つ。白色の光が魔神の視界を遮る。足を付いてすぐさま飛足全開、魔神に突っ込み破邪の掌底を近接で、もちろん魔力分解スキルも乗せる。バンドーの利き腕が銀色に輝き、魔神の胸に吸い込まれる。
「どうだー?! 」
入った、魔神の身体が分解される感触。そのまま続けて肘を鳩尾に、これも気の力と魔力にスキルを込めてねじ込む。手ごたえはある。すかさず身体を半回転させ、腰のベルトに吊るしていた泥団子を足元に転がすと同時に、丸テーブルの燭台に手を伸ばして泥団子に向けて放り投げる。
轟音が響き渡った。
バンドーは燭台から手を離した瞬間、前回り受け身を打ちながら転がって避けている。
「……やってくれるな」
煙が晴れ、そこに相変わらず魔神はいた。だが、半身に致命的に見える傷を受けている、のだが。
残った腕を傷に持っていくなり、平然と修復を始めた。見る間に半身が治っていく。
「あっ……あ? 」
「どうした? 今がチャンスかもしれんぞ? 」
バンドーの頭に血が上る。彼は一声、吠えるとまっしぐらに魔神に向かう。
魔神が笑った。
「『氷獄プリズン』! 」
まだ完全に傷の癒えぬまま、魔神は片手をバンドーに向けると魔法を唱えた。途端、バンドーの四方にクリスタルの壁が現れ、あっという間に正四角推の形となってバンドーを閉じ込める。
「がああああああ! 」
その横で、悠然と魔神は自らの身体の治癒を再開していた。
「面白い魔法だろう? これは昔、無理矢理つくった魔法でね。バーストさせれば攻撃魔法にもなるなかなか便利な代物なんだよ。まあ、君は憶えてないだろうが」
バンドーは正四角推の中で正気を忘れたかのように暴れまわっている。無論、魔力分解も使っている。だが、そのクリスタルは傷一つ付かなかった。
「何故壊れないか、判るかね? それは私が、魔力組成でこれを組み続けているからさ。君がどれだけ分解しようが、私が魔力組成を続ける限り、これは壊れない。所詮君はイルミタニアの肉の身体を持つ身、膨大な魔力を持っていようが限界もある。体力もね。だが私には…… 」
正四角推を殴り続けるバンドーの拳に血がにじんでいる。それを覗き込むようにして魔神は言葉を続けた。
「私は疲労しない。魔力の限界もない。そもそも、サードステージシャンドラには疲労という概念がないのさ。何せ、肉体を捨て去った世界だからね。つまり、ステージが違うというのは、こういうことだ! 」
最期の言葉だけ、魔神は眼を開き、バンドーに言い放った。
「今、私がこの腕を一振りすれば、君を地上に送り返す事すらできるのだけど……」
そう言ったきり、魔神は考え事をするかのように宙をみた。
「それでは、余りにも芸がないよね」
目を落とすと、バンドーが膝を付いて肩で息をしている。魔神はまた少し笑い、正四角推のクリスタルをバンドーごと移動する。
「今夜は休みたまえ、言っておくが、この黒曜宮からは今、私の許可なしに出る事は出来ないから、そのつもりで」
正四角推は床をすべるように移動すると壁に近付き、やがて壁の中に吸い込まれる。
「よろしかったのですか、お父様? 」
いつの間に来たのやら、魔神の側にはラケシスが控えている。
「私が、何故バンドーをカスミに会わせたか判るかい? 」
ラケシスはかぶりを振るう。
「カスミがあれだけ苦痛に耐えれるのは、地上に未練があるからさ。まあ、前世が関係しているのかもしれないけどね。だから…… 」
バンドーに会えば、もっともっと地上に帰る事を欲するようになるだろう。そうすれば更に苦痛に耐えれるようになる筈‥‥‥
「熟成させるのさ、……魂の器をね」




