【魔力組成】の発現条件は
カスミは目を覚ますと辺りを見回す。豪華な造りの一室に置かれた白く綺麗なベッドに自分は寝ていたようだ。半身を起こし、右手を見る。左手も見る。それから両手で肩を抱いて、そして胸に手を当てる。
心臓は動いてる。
お腹、右足、そして左足と順に手を当てる。どこも痛くはなかったし、不自由なく動く、と思う。
あの男にいろいろな苦痛を与えられた事を思い出す。
何だか、前世に戻ったかのような錯覚を覚える。
「……ここは……? 」
「お早うございます」
いつの間に現れたのか、小柄な(カスミも充分小柄だが)メイド姿の可愛らしい女の子がカスミに声を掛けると水差しを手渡した。
「気分はいかがですか? お水をどうぞ」
「あ、ありがとうございます」
礼を言われて、女の子は可愛らしい笑みを浮かべ、それからカスミを品定めするように頬を寄せて嗅ぎまわる。カスミは水差しを抱えてされるがままだったのだが、最後に首筋をぺろりと舐められて声をあげた。
「ひゃい?! な、な、何を? 」
何をするんだと抗議の眼差しを向けるカスミに対して返事をせず、少女は別の事を言う。
「あなた、人間なのですね。それもオリジナル」
「オ、オリジナルー? 」
「そうですよ、何処もいじられていないって事です」
散々怖い男にいじり散らかされて苦痛を与えられたカスミにとっては、その言いようはどうかと思ったのだが、どうもニュアンスが違うようで。
「つまり~、人間やめてないって話。ほらっ」
そう言って、少女が現出させたのは薄青色の翼であった。背中からいきなり生やすと開いて閉じて動悸させる。
異形ではあったが、その薄青色の翼は、少女の青磁色の腰まである髪の毛に、よく似合っているように見える。
「私の名前はラケシス。あなたは? 」
「私、カスミって言います」
よろしくね、と言いかけて、よろしくも無いもんだと思い、言葉を止めた。
「ここは何処ですか? あの怖い人は私をどうするつもりなんですか? 」
ラケシスは、それを聞くとけらけらと笑い、
「お父様をそんな風に言う人は初めてです! ここはデスパレス深層、……80階層くらいかしら? でも意外です。お父様が人間をお側に置くだなんて……。 あなたは一体、何をしたのですか? しかも卒業スキルを発現させて、お父様の役に立った私にあなたの世話をしろだなんて、まあ、あなたは望外に可愛いですから、仕事としては悪くありませんけど」
「卒業スキル…… 」
「そうですよ、聞いた事が無いですか? あなたの知ってるバンドーさんも持っているでしょう? でもあれは不完全らしいですけど! 」
ほら、立ってください? とラケシスはカスミの手を取ってベッドから誘い出す。そして近くのイスに座らせると、ベッドメイクをし始めた。
「バンドーさんを、知ってるんですか? 」
カスミは、受け取った水差しをくわえて少量の水を飲んだ後、ラケシスに聞き返した。
「そうですね、ここでは有名です。腰抜けバンドー、へたれバンドーって、昔しょっちゅうお父様が言っておられましたから」
「え、えええ? 」
カスミにとっては意外である。意外というか、頼りがいしかないようにみえるバンドーを揶揄されて、カスミの心中は穏やかではない。
「お父様のお仕事はですね、卒業スキルを育てる事なのです。担当エリア内で卒業スキル持ちが生まれると、すぐに判るのですね。バンドーさんは、子供の時からスキルを発現させたので最初は注目してたのですけど、10年もの間、中途半端なままで、それはそれは嘆かわしいと、皆に言ってらしたのです」
カスミに何となく判るのは、どうやら卒業スキルというのはバンドーの魔力分解を指しているのだという事だけ。
「おまけに、女に疎くていろんなチャンスがあったにもかかわらず、ことごとく中途半端でいつまでたっても決めきれない、へたれとは奴の事だと、もう散々な言いようでした! 」
バンドーが聞いていたら、間違いなく口を半開きにした事であろう。
「ああ、判りました! あなた、バンドーさんの恋人なのですね? 」
不意にラケシスが大声を出す。
「ひゃい?! 」
いきなりの奇襲であった。ラケシスはいつのまにかベッドメイクを終え、カスミに向き直ると、右手の人差し指をカスミの眼前に突き付けて、そんな事を言う。
「そうか~、それで……誰が行ったのでしょう? 」
「あの、ラケシス……さん。どうして私が…… 」
「だって、あなたがここに連れてこられた理由が、それしか思いつかないですから。まあ、……いいです。いろいろ教えてあげますね。卒業スキル【魔力組成】の発現条件は、【魔力分解】スキルを持った高魔力保有者が、心から好きな人を殺す事なのです! 」
ラケシスが言っている事の意味は理解できた。だが、どうしてそうなのか?
いや、それよりも
「あ、あたしがバンドーさんの恋人だったら、どうしてここにいなくちゃならないんですか?! 」
ラケシスは魅力的な笑顔を見せた。けれどそれは可愛らしくはない。どちらかというと、悪い顔だ。
「だって、へたれバンドーさんにはあなたを殺せないですよ? だから誰かがあなたになって殺されないと」
「! 」
それはつまり、自分の姿をした誰かがバンドーの側にいて殺されるという事なのか、それともバンドーに殺されるために恋仲になるという事?
「嫌です! 」
ここまでおしゃべりだったラケシスだったが、カスミのその悲鳴のような言葉を聞いても何も言わない。
「私を、地上に、返してください! バンドーさんの元に返して! 」
泣きながら訴えるカスミだったが、ようやく返ってきた言葉は彼女にとって、何の役にも立たぬものだった。
「着替えは、ここに置いてあります、それと、その扉の先は浴室とトイレになってます。身体はちゃんと綺麗にしてくださいね。お父様は、匂いに敏感ですから」
そう言い残した後、彼女は壁に手を触れると新たな扉を創り出す。
「くれぐれも言っておきますけど、お父様の機嫌を損ねては駄目ですよ? 」
あなたがあなたでいたいなら……、
それだけを言い残し、ラケシスは扉の中に消える。彼女が入ると同時に扉は消え、元の壁である。
どうしてこうなったのだろう。
(バンドーさんを誘惑したから、罰が当たったのかな…… )
初めてバンドーと肌を交わした時、彼女が積極的だったのは、実はヘルミットに相談して特殊香を嗅いだせいだった。それから次の日に、うれしくてもっと役に立ちたくて『星屑の光』のメンバーとデスパレスに潜って修行した。そして『銀翼の翼』の結成があって、屋敷が襲われて。
バンドー達がサムニウムの領域に遠征に行ってから、ちょうどその後の事だった。一人で邸内にいる事が多くなったのだが、その時に呼ばれる事が多くなった。何故か、いつの間にかデスパレスにいるのだ。気が付くと身体から糸が出ていて、それが何処に繋がっているのか確認しているうちに意識を失う。何度か、そんな事があった。
「あの糸…… 」
今、思えばあの糸は、以前フィーネがうなされている時に立ち昇った、細い細い銀の糸に似ている気がする。ひょっとしてあの時に糸を触った事が、今回の原因のひとつかもしれない。
「すぐに相談すれば、よかったな…… 」
それからサムニウムに手伝いに飛んだ時に、彼女は漆黒の指輪を拾った。亡くなった少女がしていたらしい、その指輪を手にして、それを嵌めてしまった。何も知らずに……
そして男の声を聞いたのだった。
「何で……」
後悔しきり。
何だか、前世に戻ったかのような錯覚を覚える。さっきも、そう思った。
役立たずで、煙たがられて、駄目な私、痛がりの私、また、我慢しなきゃ。
また