得難き魂の器
窓ひとつない部屋である。だが室内は程よく明るい。
天井には豪華なシャンデリア、壁面には魔法の光を放つランプが灯され、立派な鏡を据えた鏡台もある。鏡の縁は、銀色の光を放つ金属が幾何学模様を描き、飾り立てている。
ベッドもある。使用している者に比べれば大きすぎるとも言えるダブルベットで、真っ白なシーツが張られている。そこに掛けられた羽毛布団は白に花柄があしらわれ、一人の少女が静かに眠っていた。
傍らには、その顔をじっと見つめる魔神がいる。
「得難い、魂の器よ……愛おしい 」
魔神は、眠る少女の頬に片手を這わすとそうつぶやいた。
彼、ヴァルケラススにそう言わしめるのに充分な理由があった。最初、この少女が彼の元に連れられてきて、彼女を一目見た時は、何と弱々しく折れそうな花であるかと思った。彼はいつも、そうするように少女に様々な苦痛を与えた。
組成・融合を使い現出させた石の槍を身体に貫通させたり、右手を握り潰してみたり、体内に手を入れて臓器を歪めたりもした。
彼女は予想した通りに悲鳴をあげ、泣き叫び、首を振り続けた。それは魔神にとっては十分な糧であり、弑逆心をそそる、その光景に彼はいつも以上に強く、攻め続けたのだが。
だが意外な事に、彼女の心は折れもせず、魂が壊れもしなかった。いつもなら、この時点で相手の心は折れて奴隷のように従順になり、彼が次に与えるのは苦痛とは真逆の快楽となる。彼から与えられる快楽を身体に覚え込ませ、黒の魔石を埋め込んで僕と化すのが、彼のやり口であった。
そうしておいて、身体を分割して再融合したり、コレクションに加えたりして使うのが彼の享楽であった。
だが、少女の心は折れない。壊した身体を元に戻し、あえて問うと、ただ地上に帰りたいと言うのだ。もう一度、責め苦を受けてもよいのかと聞いても、言葉を覆す事は無かった。
何度か、それを繰り返した挙句、魔神の思いは逆方向へと向かう。これほどの反応を示すにもかかわらず、壊れない魂の器を見た時、心底壊すのを惜しいと思ったのだった。
これほど、壊れない耐えうる器を壊してしまうのはもったいないではないか。
試みに、快楽も与えてみた。その反応こそ飛び切りのものであったが、少女の意志を変える事は出来なかった。
「得難い……! 」
これは得難い魂の器である。痛みにも快楽にも飛び切りの反応を示すにもかかわらず、壊れない。
これは無造作に使ってよいものではない。大切に扱うべき貴種であると、彼に思わせるに充分であった。
魔神ヴァルケラススは、かつては人間であったのだが卒業スキルを3つ得て、イルミタニアを卒業したのであった。魂のステージを上げ、次なるステージであるシャンドラに上がった。だがそこは、彼の想像するような楽園ではなかった。男女の営みもなく、そればかりか肉体的快楽が一切ない世界。そこに住まう人々はひたすら思索に耽り、快楽の代わりに思想創造した思考を魔力を通じてやり取りするのが、もっぱら男女の営みの代わりであった。
「何と、つまらぬ世界だ! 」
彼は咆哮し、ステージを下げた。前々世には劣るものの、イルミタニアにはまだ肉欲が存在する。そこに戻り、好きなだけ自分の欲望を満たすつもりであった。だが……
一旦、ステージを上げた彼の身体は既にシャンドラに適応しており、普通の男女の営みを行えないばかりか快楽を得られる手段も変貌していたのである。しかも、一旦ステージを上げた彼にイルミタニアでの自由は無かった。更に上位のステージに進んでいる古き先達が、イルミタニアの秩序崩壊を防ぐために、彼をデスパレスに繋いだのであった。
「契約を交わすのなら、イルミタニアでの存在を許そう。デスパレス深層での遊興も許す」
その代り、魂を増やせと。
イルミタニアは魂の過疎に陥っていたのであった。人間は肉欲におぼれ、パーシィ世界での転生を繰り返していた。ステージを上げ、神の鎖から解き放たれる者が年々減っていたのである。
神の鎖とは何か、それは本来、魂の揺り籠を創るためにインプットされたものであった。すなわち、地上に満ちよ、である。確かに充分増えたものの、ヒトとして存在を思索する者は一向に増えないでいた。
ステージを上げる事は、本来の肉欲から解き放たれる事であり、イルミタニアでも若干、それは薄まる。
魔神に与えられた仕事は、イルミタニアに魂を召喚する事と、さらなるステージに魂を呼び込む事であったのだ。その代り、ある程度の人間は自由にしてよいと。
「まだ起きぬか、我が姫よ。もうみだりに苦痛は与えぬ。それよりも、お前がどうしてそうなのか、それを我に教えて欲しい…… 」
塵に返すのは余りにも惜しい。作り変えるなど、もっての他。同じ貴種は、二度と手に入らぬかもしれぬ。
「ククッ、これではまるで我が恋心を抱いているようではないか、何と希少な感覚か…… 」
もはや離さぬ、返さぬ。
「だが、それに溺れてもならぬ」
仕事をしなければ、彼の存在も恐らく塵と化す事も理解している。忌々しき古き先達の手によって。
「……そうだな」
戻る事を決意した魔神は世話役を置いておくことを思いつき、両手を振るって魔力を抽出すると記憶の井戸から人の形を生成する。虹色に輝く魔力の塵が渦巻き、徐々に人の形を取っていったかと思うと、瞳を閉じた小柄な可愛らしい少女が現れた。衣服は何も着ていない。
「こうであったな……、ラケシスよ、よくぞ戻った」
青磁色の長い髪の毛とそれと同じ色の瞳をした小柄な少女ではあったが、エルフの長耳は無く、これがラケシス本来の姿であった。
「お父様、また私を使っていただき、ありがとうございます! 」
瞳を開いて、まばたきし跪く彼女に、更に魔力組成と融合を行い、巫女の衣装を着せていく。
「お前に命じた時に復活は約束した、問題ないラケシスよ、私は仕事に戻る故、この娘の世話を命じる」
いまだベットで静かな吐息を立てて眠る少女を指差し、ヴァルケラススはラケシスに言葉を放つ。
「名をカスミという」