もういいの
イルミダが目覚めたのは、大きな木造りのベッドの上だった。身体の下にはウォーベアの毛皮が敷かれていて温かく、朝の光りが入ってきているその先には、天幕らしきものの隙間が見える。
(なに……これ)
彼女の問いは自分自身に向けられている。半身を起こし、自分自身の両手をみつめ、そしていくつか確認を行う。自分自身に鑑定スキルを行使する事から始め、身体の魔力の通りを良くし、そして視線を天井に向ける。
(そっか、そういう事か)
昨日、バンドーから指輪をもらって、それを嵌めたところまでは憶えている。その前の出来事も。だが、彼女の精神はどういうわけか落ち着いていて、無自覚に小首を傾げながらベッドから出ると、指に嵌めていた指輪を外すと傍らにあった木箱の上に置く。そしてまた右の手の平をみつめ、ゆっくりと握る。
『魔力分解』を彼女は完全に身に付けていた。発動も抑制も恐らく問題ない。
それと共に、自分の妹という存在がいなかったという事も自覚している。それは端的に言えばラキシスが消えたので暗示が解けたからなのだが、それではあの少女は何だったのか。そこまで考えて、止めた。
今は、それよりもいくつか重要な事がある。
「さて、……どうしようか」
彼女はベッドの片側に座り、膝をぶらぶらさせながらそっと息を吐くのだった。
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サムニウム族を構成する主要部族は大きく分けて5つある。サカエ・ハルハ・モーラータ・ガルツケルプ・クズリュウがそれだが、最大勢力のサカエを掌握していた『前世回帰』が魔力スキル持ちを狩り集める為に各所に攻勢に出ていた事もあり、他は混乱を極めていた。
「バンドー様には、是非とも全てを治めて頂きたいのだが! 」
オンゴロもマノクも、そう言ってバンドーに詰め寄る。二人はもはやバンドーに心酔していた。少数の冒険者で『前世回帰』を混乱させ、詰めの一手まで完璧だった。おまけに個人としての戦闘能力もオンゴロより勝っている事は既に証明されている。
「ねーよ! 」
そもそもここには、イルミダの妹を解放しに来ただけなのだ。途中調子に乗ってしまった事は認めるが、サムニウムを束ねる事までやってしまえば一体どうなる事か。
「おはよー、バンドー」
朝の喧騒の中、外で捕虜や戦利品の処分を確認していたバンドー達の元に、不意にイルミダが現れてそう声を掛けた
「おお……って、もういいのか? 」
「まあね、それと、これ返すわ」
そう言ってイルミダに返されたのは『スキル封じの指輪』である。バンドーは思わず、イルミダを二度見する。
「何ともないわよ、それとちょっとこっちに来て、バンドー」
イルミダは強引にバンドーの腕を取ると、近くの小屋に連れ込み、壁際まで追い詰めて手を付く。
「バンドー、ごめんなさい。あのね……? 」
ここに残ってもいいかという、唐突な申し出だった。
「もちろん、あなたには一生忠誠を誓うわ。その言葉に偽りは無いし、あなたの事も限りなく好きなの。でもだから…… 」
『卒業スキル持ちの自覚』というスキルを得たのだという。それと共に、いくつかの魔法スキルが消えていた。次の卒業スキルを得るためにはどうすればよいのかも、漠然と判るという。
「だから、あなたの側にはいられない」
はっきりそう言われて、バンドーの口は半開きだが、更にイルミダは言葉を続ける。
「それと、あなたの中にいるもう一人のあなたに集中してみなさい。恐らくそれが、バンドーの『魔力分解』が不完全な理由」
もっとも、そのままのほうがいいのかもしれないけれど、と付け足してからイルミダはバンドーにキスをした。最初は軽いキスを、唇を離して、今度はバンドーの背中に腕を回して濃厚なキスを。
イルミダの髪の毛から甘酸っぱい匂いが漂ってくる。
「バンドー、ありがとう」
そんな事があって、イルミダ・リンデン・サカエは完全復活した。いや、むしろパワーアップしている。
「オンゴロ、今日中にサカエの里を制圧するわよ? 」
一体何が、どうなってやがる。いやそれよりも、あいつはサムニウム族を再統一する気、満々じゃねーか。
バンドーも交えて、オンゴロとマノク、そして捕虜のコンコードの意見も聞きながら、開かれた会議は淡々と進む。
「サカエの里は今日中に落とすとして、あと他の部族にもお触れを出すわ」
『前世回帰』は壊滅した事、サカエの全権はイルミダが握った事、魔力スキル持ちの奴隷化禁止、意思のあるものはイルミダの元に集え、逆らうものは撃ち滅ぼす、と。
「バンドーは見ているだけでいいわよ。数日中にはサムニウムをまとめて、あなたに差し出すから」
本来、部族の前でこんな事を姫が言い出したら、他の部下が怒り出すか反対を表明してもおかしくは無いのだが、マノクもオンゴロも、うんうんと頷いている。
「お、お前らおかしーだろ。一介の冒険者に一族を差し出して、どうするんだよ?! 」
「あら、ふーん。一介の冒険者ねぇ。そうだったかしら、バンドー? 」
こいつ、性格も変わってねーか? それともこれが元々か。さすがサムニウムの全軍を束ねていただけの事はある。しかも何だ、あの見透かしたような目は。
イルミダの切れ長の目が、更に細くなってバンドーを見つめている。
「バンドー、お・う・こ・くへの事後処理はお願いね? それと私の奴隷の件も 」
「あっ、あああもう! 判ったよ! 」