告知 病魔の真相
ついにその日がやってきました。4月4日です。
うーん。4がダブルでくるかw
思わず草も生えてしまいました。
看護士さんたちのほのめかしの間も検索我慢していたのですが、4月2日、やっぱり検索してしまいました。だからこそ、ナーバスになっちゃんたんです。
で、先生のお話がある以前に、すでに、覚悟は充分にできていました。
告知の日にいちばん気がかりなのは、わたしよりも旦那のこと。翌日は長男を南の端っこにある高校の寮まで2時間かけて送り届けないとなりません。食事も入れたら往復5時間ぐらい。その後に次男の新学期準備もあるのに。
今夜眠れなかったら、考えごとしすぎて事故を起こしたら、そっちのほうが心配になってきました。
この日は、お腹の排水穴から汁が漏れるというアクシデントがあり、管を抜くことに。以後はステロイド剤で腹水を抑え、利尿剤で排出することになります。
ああ、検索した通りの治療なため、なぜかちょっと嬉しい。
さて、予定の時間よりずっと前に、旦那が子供たちを連れてやってきました。長男はもうすぐ寮に帰りますし、新学期も始まるので、その準備の買い物も必要です。わたしとしばらくおしゃべりをしてから、みんなで買い物に行きました。次男は一通りの買い物が終わったら自宅へ。長男は、本屋や電気屋が軒をならべるあたりを見てまわるとのことで、先生のお話が終わって、夕方迎えに行くということに。
そして、病室で家族で話をしていると、そろそろ出かけないと、という頃になり、何か予感があったのか、それとも、それまで透明だったわたしの腹水が赤いことに気づいたのか、次男が突然泣き出してしまいました。
それを宥めて駐車場まで見送りました。何でもないよ、という顔をして。
で、その後、傷を押さえていた腹帯が濡れていることに気づいて、もう管を抜きましょうということになったんですけどね。
そして、時間前に、旦那がひとりでやってきました。そのあと病室に看護士さんがいらして、ナースステーション奥の小部屋に案内ました。
いよいよ、病魔の正体について知るときが来ました。
先生は、モニターを見ながら、病状説明書に説明内容をメモしていきます。
まず、最初の手術前にわたしが受けた説明のおさらいから。
前の病院からもらってきたカメラ画像により、胃と大腸にとりたてて異常はない。ただ、盲腸が腫れていて、その付近に湿潤と腸の変形があるが、それは外部からの圧迫のせい。その頃はその付近を出ていくべきものが通るとき、脂汗がでるような激痛がありました。
当初の病院での受診理由は「腹部膨張感」。その病院で最初にCT画像を説明してくださった先生は、本当にサーッとカーソルを動かして、「大した異常はありませんよ」とおっしゃってから、念のための検査ということで検査することになったのです。素人のわたしには、その画像が何であるか目を凝らす間もありません。あのとき、もうすでに大量の腹水と、あきらかな異常があったのです。
その先生としても、わたしをいきなりびっくりさせたくなかったから、そんなことをしたのでしょう。まさか、その最中に旦那の脳梗塞が判明するなんて誰が予想するでしょう。
今回もCT画像から見せてくださいました。そして、主治医の先生は、はっきりと腹水がこうして取り巻いていたのだと説明してくださいました。そして様々な白い怪しい影のことも。
この悪いものは、胃でもなく、大腸でもない。ただ盲腸が腫れてそのあたりに湿潤がある。でもここまでひどくなる性質のものではない。婦人科のほうもまた、最初の病院での診断どおりだろう。
では、わたしの8リットルにも及ぶ大量の腹水はどこから。
今回の腹腔鏡での画像。それによれば、腹膜の広範囲に「播種」が広がっている、と。
「播種」なんて単語は、最近のアニメ「シドニアの騎士」ぐらいしか目にしたことはありません。シドニアの騎士の「播種船」とは、宇宙に人類の種を播く役目を帯びた希望ある船のこと。
しかし、ここでの「播種」とは、つまり癌化した部分。癌の種が播かれたところという意味でした。
つまり、腹膜全体に癌が広がっており、その原因は、膵臓。
その段階で、「膵臓がんですね」と思わず呟くわたし。
先生はうなづきました。段階は……ステージ4。
最初からクライマックスとは!
「治療しないなら、数ヶ月ですか」
わたしは言いました。
「そうですね。でも、抗ガン剤治療をすれば、腹水は抑えられますし、まだ、骨や肺などに転移もありませんから」
人は事故で突然死することもあるのだし、平等に訪れるものなので、身の回りの片づけをする時間があるのが腐女子としては救い、いや、そっちじゃなくて、家族の行く末について、あまりちゃんと話す時間のなかった旦那とキチンと考える時間を与えられたのが何よりだと思いました。
わたしは検索の結果、やっぱり腹水で苦しいのは嫌なので、抗ガン剤治療に臨むことを決めました。
そして、開き直りなのか、やっぱり動揺する気持ちを紛らわせたかったのか、アメブロと「小説家になろう!」で、闘病ブログを始めたのでした。