旦那の帰還
28日月曜、ようやく旦那が帰ってきました。
本当は午前中に解放される予定だったのですが、やはり急遽お休みをいただいたので、いろいろと用事もあるのでしょう。
四時頃から、先生からの説明がある予定だったので、食事もとれずに港から急ぎやって来ました。旦那の停泊しているところからここまで、一時間少しかかります。三時すぎに到着して、途中でお弁当を買ってきたというので、すぐに車に食べに帰ればいいのに、わたしのことが気がかりだったのか、それからしばらく話し込んでいたら、先生とのお話の時間。
わたしの立ち会いはなく、部屋で待っていたら、戻ってきたのは18時過ぎ。話が終わってから、弁当を食べに家に戻ってきたというのです。
まあ、わたしにはまだはなせない病状について聞かされて、気持ちの整理をつけに帰ったのだろうことは想像がつきます。そして、子供たちのことも気になったに違いありません。
子供たちふたりとも、夕食はコンビニで調達済みとのことで、少し話して帰っていきました。
前回の更新で髪を切ったことを書きましたが、美容師さんに予約を入れたのはこの日。市販のヘアマニュキュアをしてくださるとのことで、喜んでいたのですが、31日に切っていただいたとき、ヘアカラーはにおいがするからということで、看護士さんの許可が出ませんでした。それがちょっと残念だったかな。
話を戻します。
やはり、旦那の存在は大きいです。子供たちのことはひとまず安心。実は家事能力はわたしより高いのです。子供ご飯が苦手なだけで。
片づけなどバリバリやっちゃいますけど、わたしが元気なときはまったく手出ししない人でした。
内視鏡手術のときに採取した組織を検査に出したとおっしゃいましたが、その結果がなかなか届かないということで、春休みの間は、ひとまず普段の休みのように、子供たちには穏やかな日々がすぎていきます。ただ、ご飯を作るのがわたしじゃなくて、旦那だということ。
旦那は毎日メニューに頭を悩ませて、おでんを作ったり、揚げ物をしたり。旦那も本当は病み上がりなので、それなりに食事に気をつけねばなりません。(脳梗塞したばかり)
旦那はだいたい午後三時ごろ病院にやって来て、一緒にテレビを見たりしながら、夕方になると、夕食の買い物に出かけます。そして再びわたしの顔を見て、病院の夕食をチェックして帰っていきます。
そして二日に一度ぐらいは、子供たちが病院に顔を出してくれます。
わたしはといえば、髪を切ったり、レースを編んだり。最初の大腸検査をするときに、早朝の下剤を飲みながらタブレットにダウンロードしてきた映画を見たり。
お腹から水が出ていくので、トイレも含めて出ていく水分量をつけておかなくてはなりません。点滴が抜けてしまってからは、きちんと意識して水分をとるようにしていました。
そうそう。手術後なのであまり食事がパッとない日々が続いていたのです。それで、3月31日。テレビを見ていて、とてもお刺身が食べたくなってしまったのです。大好物です。
でも病院にいるあいだはとても無理だなあ、とあきらめていたのですよ。
そしたら、翌日の4月1日。病院の開院記念日ということで昼食がお寿司。
わたしはまだお粥だったので、お寿司じゃなかったのですが、タイとマグロのお刺身が出ました。嬉しくて鳥肌でした。
で、お粥のうえに紫色の「ゆかり」が振ってあって、それがとてもおいしくて。で、さっそく旦那に「ゆかり」買ってきてもらいましたね。
4月2日、結果が届いたということで、月曜日にお話をということになりました。
この頃、わたしはちょっとナーバスになったのか、微熱が出たり、夜眠れなくなったり……。あまり意識しないようにしていたんですけどね。
でも、本当は旦那のほうも、内心悩んでいたと思います。わたしが入退院を繰り返すことになれば、次男をひとりにしておくことは当然できませんから。
そして4月4日、ついにわたしは、この病の正体を知ることになるのです。