【2】秩父統治【前】
私の世界にいた、ある偉大な科学者は、『第4次世界大戦の武器は石と棍棒になる』というようなことを言ったらしいが、私の迷い込んだこの世界では、少々事情が異なるようだ。
『コノヨノオワリ』から80年。人類は過去の遺産や知識を貪欲に活用し、吸収し、復活させている。
これは源内少年から聞いた話だ。少年は、この世界の現在にも過去にも明るい。物事をよく知っている。
そのため信長からの信用も厚い。コノヨノオワリ以前、つまり世界の文明が最盛期を迎えていたころの書物や情報を読み、理解し、解析できる。
この世界は、私たちの知っている歴史とは違う道を歩んできたようだ。大きな分岐点は明治維新がなかったことだ。幕藩体制のような状態で議会政治が始まり、その後永世中立国という形態で、ある意味妥協した形の『鎖国』を続けていたらしい。
源内少年も、私たちの知っている世界から来たかというとそうではない。
彼、いや、あとから聞いた話では、中身は若い女性だと言っていた――。とにかく彼女の世界では第2次世界大戦前まで私たちの歴史とほぼ同じ道を歩んでいた。違うのは連合国との講和に成功して戦争を終結させていることだ。つまり、私たちの世界と『戦後』が異なる。
それはさておき、源内少年は私がここにいる経緯を教えてくれた。まあ、おおかた信長に説明しておけとでも言われたのだろう。
この世界にいる信長は、どの世界から来たのかは知らない。源内少年のいた世界かもしれないし、私のいた世界かもしれないし、さらに別の世界かもしれない。
ただし、この信長も本能寺で明智光秀の強襲を受けたことは間違いないようだ。
そのことについては、本人は全く気にしている様子はなかった。源内少年の話では、一言「乱世だからな」とだけ答えて、それ以上聞ける雰囲気ではなかったようだ。
それよりも、この世界のことに興味を持っているらしい。
信長は、この世界が仏教でいう『第六天』で、私や源内少年をその世界の住人といわれている『天人』だと思っている。
その根拠は、私や源内少年の外観が、普通の人類と少し異なっているかららしい。
まず生殖器がない。下の話で失礼するが、私と少年は肛門のような器官から鳥類のように糞尿を一緒に排泄する。
そのため、少女のような顔つきと体型をした私のことを女性器のない女性という意味の【ホトナシ】、少年のような顔つきと体型をした源内少年のことを男性器のない男性という意味の【マラナシ】と名付けのだった。2人とも中身の性別が男女逆であるのは皮肉に思う。
話を少し戻して、なぜ信長がこの世界を第六天と信じているかについても、少年は説明してくれた。
【この】信長もまた、戦国時代、松永久秀の茶釜、平蜘蛛を狙っていた。
この世界の信長が久秀にたびたび裏切られても許していたのは平蜘蛛に執着していたからである。
なぜ執着していたのか。
それは、平蜘蛛が『第六天』への入り口だと言って、久秀が信長に披露したからである。
信長は、久秀の平蜘蛛に興味を持った。しかし、久秀はそれを貸そうとも触らせようともしなかったらしい。
やがて久秀が信長に反旗を翻し、信長が久秀を信貴山城に追い詰め、久秀はついに平蜘蛛とともに爆死したことになっている。
しかし、信長の話では松永久秀も平蜘蛛を使ってこの世界に来ているらしい。信長をあざむき、平蜘蛛に手を触れさせないために、部下に爆破させたということらしい。
しかし、平蜘蛛は当時の爆発物で破壊できる代物ではなかったようだ。信長は、その城の焼け跡から部下に平蜘蛛を回収させ、手に入れたという。
信長は、平蜘蛛が異世界の扉になっていることを誰にも明かさなかった。平蜘蛛を狙う輩がいつ出てくるともしれないからだ。
蘭丸、坊丸、力丸、弥助など、信長にごく近しい【そばの者】がそのことを知ったのも、本能寺の変の最中だった。
明智光秀の襲撃を受ける中、信長はこの平蜘蛛を使って、蘭丸、坊丸、力丸の3人を先に逃がし、弥助に対しては、持ってきていた金子をありったけ平蜘蛛に放り込んでから来るよう指示すると、自分も平蜘蛛に入って、この世界にやってきた。
まもなく弥助も明智光秀の部下に捕らえられたが、弥助の身の上を知る光秀に同情され、解放された。そのときの弥助は【茶釜のようなもの】を両手で抱えていたという。
この光秀の行動は、『要らぬ情に厚く、詰めの甘い男』と信長が評していた通りだった。自分を逃がしてくれた光秀のことを弥助から聞いたとき、信長は大いに笑ったという。
平蜘蛛に入った5人が出てきた先は、彼らの常識では計り知れない世界だった。
およそ600年後の、しかも異世界である。
5人がいた場所は、京都鞍馬にある高転力研究所跡だった。『転力』とは、この世界で『エネルギー』を意味する言葉だ。
この世界の日本は、『西のスイス、東の日本』と並び称される永世中立国だった。そのため、『コノヨノオワリ』以前には国際的な研究施設が数多くつくられていたらしい。
数ある研究施設のうち、高エネルギー研究所が日本の東西にあった。西は丹波高地、東は関東山地と、比較的地盤の安定した地下を利用して設置されていたようだ。この世界の日本では、高エネルギー研究所といえば『西の鞍馬、東の秩父』と言われていたようだ。
この東西2つの研究所には、高エネルギー物理学に欠かせない加速器以外にも、源内少年の知らない施設が備えられている。
平蜘蛛がオカルト的な装置と化したのも、私や源内少年の中身がこの世界に迷い込んだのも、この高エネルギー研究施設が関係していると、源内少年は推測している。信長の話から推測する限りでは、平蜘蛛は単なる茶釜ではないと、少年は考えている。
少しそれてしまった。話を戻そう。
鞍馬の高転力研究所を出た信長たち5人は、付近がすでに松永久秀の勢力下にあることを知り、持ってきた金子で人を雇いながら、この秩父まで逃れてきたという。
5人は、秩父までの道中で雇った人の話から、モズと呼ばれる怪獣のことを知った。実際に遭遇したこともあったという。ただ、人の目を避けるように山や森を通ってきたため、被害を受けずに済んだらしい。
近畿地方の一部を支配している松永久秀に対抗するため、信長は関東を自分の勢力下に置くことを決意する。もちろん、戦国時代に完遂できなかったことを実現したいという野望があるに違いない。
手始めに信長は秩父を支配することを考えた。
その前になぜ、この世界では何のよりどころのない【一個人】である松永久秀が土地を支配でき、信長もそれに対抗しようと考えたのか、その背景を説明しておく必要もあるだろう。
この世界の歴史が私たちの知っているものと異なっていることは、これまで触れてきた通りだ。
この世界における約80年前、日本では『コノヨノオワリ』、海外では『世界の終わり』と呼ばれる世界的な戦争が勃発した。
戦争には数多くの生物兵器が投入され、永世中立国だった日本も巻き込まれてしまった。
全世界が荒廃し、人類の数も激減。人類対人類の戦闘が、いつの間にか人類対生物兵器という構図となり、はっきりとした終戦や停戦もないまま時が経ち、モズのような生物兵器の数が人類を上回っていた期間が長く続いたという。
その後、日本を含む世界各国で、混乱した時代が長く続いた。要因には、中央政府が機能しなくなったことや、人口が少なくなったこと、残った生物兵器によって人の移動が著しく制限されるようになったことなどが挙げられる。
戦争中、各都市には、生物兵器から人間の居住空間を守る金網状のドームがいくつも設けられ、各ドームを結ぶ通路がつくられた。日本では、当時、ひとつの金網ドームを『ムラ(邑、集落)』、ドームの集合体を『マチ(街)』と呼んだ。そしてマチの集合体が『クニ(州)』となる。クニは私たちの世界の旧国名とほぼ一致している。
話を戻そう。
やがて、各都市の住民をまとめ、生物兵器から守る有力者が出てくるようになり、そこを拠点として勢力を築いていった。
戦国時代のように、都市間で何度も紛争が起きていたらしい。紛争には『コノヨノオワリ』以前の兵器が用いられた。
ただし、この秩父や京都の鞍馬の地下施設は手つかずだった。戦争や紛争の混乱から、忘れ去られた存在になっていた。
秩父には鉱山があり、現在、東京付近を勢力下に置く南条氏が支配下に置いている。100人近い鉱夫とその家族が住んでいるが、南条氏直属の代官は置かず、管理は『オサ』と呼ばれる代表者に委任している。
南条氏は、鉱山からの利益を総取りにする一方で、秩父のマチのインフラを整備することはなかった。秩父に点在する金網ドームは戦争中に破れたままに放置されているため、生物兵器がたびたび入り込んでくるらしい。
信長はこの状況を利用しようと考えたのだった。
まず、秩父のオサに掛け合い、1)秩父に点在するマチの安全、2)金網の修理、3)マチとマチを結ぶ連絡手段の確保を条件に、信長に行政を委任せよと持ちかけた。
信長の提案した行政とは、いわゆる小さな政府で、南条氏よりはるかに低い税を収めさせる代わりに、従来よりも自由な社会活動を保証するというものだった。
信長は、決して口から出まかせを言ったわけではない。確証があった。なぜなら、施設の機器をいろいろと操作しているうちに、源内少年を目覚めさせることができたからだ。
信長は、源内少年や私のことを、第六天に住む住人で神に近い存在である『天人』だと信じている。その根拠は2人とも生殖器がないこと。天人は、男女が互いに強く願うだけで子どもが授かると信じられているようだ。
しかし、源内少年の推測では、私を含めて天人は生物兵器ということらしい。ただ、羽毛に覆われたドラゴン、モズのように直接対象を殺傷するのではなく、体高13尺(約4メートル)の人型兵器を効率よく操縦するために開発された兵器と、少年は考えている。
私は、翼の付いた兵器に乗ることを信長に強要されたが、特に翼の付いたものは『天人』しか操縦できない。
人型兵器は操縦者の思った通りに動く。しかし、普通の人間では、翼を動かし、空を飛ぶ感覚が分からない。そこで『天人』が操縦するというのだ。
とにかく、源内少年が目覚めたことで、この世界に迷い込んだ信長の野望がフツフツと湧きあがった。
源内少年の中身が何かといえば、実際には理科系に通じた若い女性だ。この施設に残された書類や書物を読むだけで、この世界の背景はもちろん、大戦直後の文明をたちどころに理解していったらしい。この世界の文字は江戸時代の変体仮名の元になった漢字が理解できれば全く問題ないし、言語表現はいわゆる候文に近い文体で少年には難なく理解できたようだ。私には、ほとんど理解できなかったのだが……。
とはいえ、信長が秩父の責任者である『オサ』にいくら説明したところでいきなり信用するわけがない。
そこで信長は、実際に証明して見せるために、施設にあった人型兵器を使って研究所付近の生物兵器を倒してみせようとした。
しかし、操縦に不慣れな部下4人が予想よりも苦戦したため、頭数を増やそうと、急きょ私が叩き起こされたというわけなのである。