【1】織田信長【前】
【0】序
まず、私がこの手記を残そうと思ったのは、妻の友人である編集者の方が勧めてくださったからである。この場を借りて改めて感謝を申し上げたい。
そして妻と娘には、多大な心配をかけたことをわび、私の生還を信じて待ってくれたことに心から感謝の意を伝えたい。
この手記は、私がこん睡状態に陥っていたときの記憶を書き記したものである。
夢か現実か、今でもはっきりとしない。客観的に見れば夢に違いないのだが、私にとってはあまりにも現実的で夢では説明つかないことばかりであった。
まあ夢なら夢で構わないのだ。
これほどはっきりした夢なら物語として読んでも面白いかもしれないと、妻の友人に書き残すことを勧められたのは、冒頭記したとおりだ。まあ、あまり気負わず書いていこうと思う。
なにぶん記憶を頼りに書きつづっていくので、矛盾が出てきたり、記憶違いがあったり、話が前後したりするかもしれないが、その折には何とぞご容赦いただきたい。
【1】織田信長【前】
あの日は実にいい天気だった。秋晴れだ。透き通った青空に、少しかすれた雲が高くたなびいていたのを覚えている。風はない。
私は妻と娘を連れて秩父行きの電車に乗っていた。車内は比較的すいていたと思う。紅葉シーズンには少し早かった。
座席は、車両の左右にベンチのように配置されたロングシートと呼ばれるやつで、娘は通路に背を向けて窓にかじりついていた。
私がそれをたしなめようとすると、妻が「旅行の時くらいは大目に見てやったら?」と、通路を通る乗客に迷惑がかからぬよう、娘の靴を脱がせたのをいまでも覚えている。
娘は興奮した様子でしきりに妻や私に話しかけていた。私も妻も首を目いっぱい背中に向けて相槌を打ちながら流れていく景色を見ていた。
私の体調がおかしくなったのは、三峰口駅を降りたときだった。
妻が娘を駅の外にあるトイレに連れていくというので、私はその近くの金網の塀に体を預け、青い空、小高い山々、操車場にたたずむ古い列車や貨物車両をぼんやりと眺めていた。
そのうち風景が急に暗くなっていったのを覚えている。ひどいめまいがして立てなくなったのだ。
(ここのところ、仕事がひどく忙しかったからなあ……)
などと、ぼんやりと考えながら、私はひざまずいて両手を歩道につき、めまいが治まるのを待った。
視界が薄暗くなっていた。アスファルトがぼんやりと見える。背中に妻の手の感触を覚える。必死で私のことを気遣う妻や娘の声が遠くから聞こえる。そう、私の意識が遠のいていたのだ。
※※※
次に意識を取り戻したとき、私の視覚野に映ったのは中年男の顔だった。そういう私も世間では中年になるのだろうが。
中年男は痩せていて、頬骨が目立ち、鼻が高くとがっている。無精ひげには、わずかに白髪が混じっていて、頬や顎を触ったらジョリジョリと音がしそうな感じだ。
その中年男は、ひどくくたびれているようにも見えるが、眼光が鋭い。大きな目の奥で何かがチラチラと揺れている。
その眼に私が圧倒されていると、男が私の知らない言葉で話しだした。しかし、全く知らない言葉ではない。
その後、この男と数カ月を過ごしているうちにすっかり意思疎通が図れるようにはなったのだが、便宜上、ここでは時代劇のような言葉で表現しておこう。
男の言葉に反応せずにぼんやりとしていると、男は私の眉間に拳銃を突きつけてきた。
「おい、起きろと言っている!」
男は私の首根っこを乱暴につかんで私を起こした。ささくれだってざらついた男の指先が私の首筋に触れたのを覚えている。
上半身を起こしたとき、私はカプセルのような装置で寝ていたことを知った。
目の前の男は髷を結っていた。月代はなく総髪だ。少し白髪が交じっている。
「立ていッ!」
男が強い口調で言い、私はその言葉に従った。
銃口はまだ私の眉間から動かない。私の視界いっぱいに眼光鋭い中年男の顔がある。
男は私の後頭部をつかんで首をぐいと別の方向に向けさせた。
(巨人……ロボット……!?)
防弾衣で全身を固めた大きな兵士が見える。
後で知ったことだが、身長は13尺、つまり約4メートル。胸が異様に張り出していて、頭部にはモトクロスに使うヘルメットとマスクなようなものを着けていた。
飾りなのか羽毛の付いた翼も背中の方からのぞいている
男が続ける。
「あれに乗り、外の魔物を倒してこい!」
しかし話の意味が分からない。戸惑っていると、
「ほら、早う!」
私は訳の分からないまま、カプセルから降りた。足の裏にヒヤリとした床の感触が伝わってくる。私は裸足だった。
「詳しいことは私が説明しましょう」
声の方を向くと、そばに少年が立っていた。
歳のころは10代前半か中頃、中性的な雰囲気で顔が【作り物】のように異様に整っていた。しかし、いわゆる【不気味の谷】というのは感じなかった。
彼は和服で袴をはいていた。
私は、タイムスリップしたような錯覚に陥った。不思議な感覚だった。正直言って混乱した。この状況で混乱しない者など果たしているだろうか。
「さあ、これを着てください」
少年が服を差し出した。もうひとつの手には、バイクのフルフェースヘルメットのようなものを携えている。ヘルメットの中にはブーツがバランスよく突っ込まれていたというか、載せられていた。
私は、あっけにとられた状態でそれを受け取った。
「着物の着方、分かりますか?」
少年の言葉に私は首を横に振った。
「じゃあ、手伝いましょう。時は一刻を争いますから……」
少年は、ヘルメットのようなものを床に置くと、私の両手から再び着物を取り上げ、手際よく私に着物を着させていった。
私は今まで素っ裸の状態だったことを初めて自覚した。
しかし、いつもと少し様子が違う。股間には毎日見ている【あれ】がない。かといって妻や娘のようにもなっていない。のっぺらぼうのツルツルだ。
袖を通してもらうとき、手の甲にも腕にも一切の体毛がなかった。ツルツルなのだ。
袴をはかせてもらうとき、女性的というか、子供のような太ももが見えた。やはり体毛がない。
自分の姿を鏡で確認したくてたまらない気持ちになった。
「……これでいいでしょう。さ、こちらへ」
少年は、床からヘルメットのようなものを拾い上げると、服と靴を身に着けた私を、大きな兵士の方へいざなった。
大きな兵士は高さ約4メートル。いわゆる人型兵器だ。
頭にはモトクロスに使うヘルメットとマスクのようなものを着け、全身を防弾衣で固めている。胸が異様に張り出しているのが特徴だ。
その人型兵器は、ロケットの発射台のようなものに支えられて立っていた。台には簡易エレベーターが付いていて、私は少年に促され、それに乗った。
エレベーターは、兵士の鎖骨と鎖骨のあいだ辺りまで上昇したところで止まった。
「このヘルメットをかぶってください」
と、少年が差し出したものを、私は受け取った。
私がヘルメットをかぶっているあいだ、少年は兵士の鎖骨と鎖骨の辺りに深々と腕を突っ込んで、私を呼んだ。
「では、ここから乗ってください」
少年は、兵士の首の付け根から腕を抜いたかと思うと、今度は両手を使ってその穴をグイと広げた。穴の中は、つやつやとしたピンク色をしている。生き物の器官のようだ。
「ここが入り口です。ここに体をすべり込ませてください」
少年の言葉に私は戸惑った。
しかし、何度も促してくる少年に、私はしぶしぶ従った。
兵士の鎖骨と鎖骨のあいだにできた穴に、私は恐る恐る足からすべり込ませていった。
何の抵抗もなく、ズボリと入る。
もう片方の足も入れた瞬間、【すべりの悪い】滑り台のようにずるずると、私の体が兵士の体内に飲み込まれていった。
かすかに獣くさい。生き物の匂いがする。
滑り込んだ先に座席らしいものはない。周囲の形状により、強制的に体育座りのような姿勢になった。
「まだ、じっとしていてください。お願いしますよ。何も触ったり考えたりしないでくださいね」
ヘルメットから少年の声が聞こえる。
このとき、少年の言っている意味が理解できなかったが、あとで分かることになる。
操縦席は薄暗く、ひどく狭い。薄暗く見えているのは、おそらく、このヘルメットのバイザーから見える映像のおかげであって、肉眼なら真っ暗なはずだ。
周囲の感触は肉っぽく、生あたたかかった。いやおうなしに、人の体内に入ったような感覚になる。
背後の壁におずおずと体を預けたとき、再び少年の声が聞こえてきた。
「では、ヘルメットの右耳辺りにあるボタンを押ししてください」
少年の指示に従うと、視界が明るくなった。
きれいなピンク色の肉壁の左右から、2本の操縦桿が【ハの字】につき出ているのが見えた。
何も考えずに握ろうとすると、それを見透かしていたかのように少年の鋭い声が聞こえた。
「まだレバーに触れないでください!」
驚いた私は、とっさに操縦桿から手を遠のけた。
少年は説明を続けた。
「その兵器はパイロットの思った通りに動きます。何も難しいことはありません」
「おい、マラナシ! ちゃんと空も飛べるのであろうな!」
少年の説明を遮って、さっきの中年男の声がヘルメットから聞こえてきた。
「はい、ノブナガさま! しかし、ここはしばしご辛抱ください。この者は戸惑っているようなので少しずつ……」
「なんだ、テンニンもたいしたことないのう」
と、はき捨てるように言って、中年男の声が途切れた。
少年は説明を続けた。
「いいですか、今あなたが乗っている兵器は、思った通りに動きます。では、レバーを握ってください。でも動かさないで!」
その指示に従うと、急に視点が高くなった。さっきまで見ていた映像は右下に小さく追いやられていた。
と、同時に、操縦室の【肉】がせり出してきて、優しく体を包み込んだ。今は、【優しく】という表現が使えるが、その当時はひどく慌てた。気味が悪かった。
自分の体がこの兵士の体内の一部になったような感覚だった。2本の腕しか動かせない状態になっている。
視点が変化すると、少年が再び説明を始めた。
「今握っているレバーはショートカットレバーです。つまり、あらかじめ動作を登録しておいて、いざというとき、機体を瞬時に動かすことができる装置です。今は、指示があるまで絶対に動かさないでください!」
「はい……」
私は、今ごろになって、自分の声の調子が高くて丸みを帯びていたことに気付いた。中高生くらいの女の子の声に聞こえた。
自分の声に戸惑いを覚えているうちに、体が上昇する感覚を覚えた。私を載せた兵士が台座ごとエレベーターのように上昇しているのだ。
青空が見えた。地上に出たようだ。私が出てきた場所だけ開けていて、あとは森になっている。正面には木々に挟まれた細い道が見える。
見ている映像は、この大きな兵士の目に映っている映像なのだが、このときすでに私は兵士と一体化しているような錯覚を覚えていた。
再び少年の声が聞こえてきた。
「順次指示を出しますから、安心してください」
次の瞬間、正面の道に沿って滑るように舞い降りてきた【何か】が迫ってきたかと思うと、私はこの兵士ごと倒れた。