(2)
かなり嫌な予感がするけれど訊かずにはいられない。
「た、体液って具体的には・・・」
「唾液、血液、汗、精液、愛液、ですね」
ほらみろ。ロクでもない回答が返って来た。
結局再び頭を抱えることになってしまい、話は依然として進んでいないような気がする。ディーノの次の質問に期待したいところだったけれど、彼も私と同じように頭を抱えていたからどうしようもない。しかもめちゃくちゃテンパってるし。
しっかりしてよ、昨日大丈夫だよって力強く言ってたのアンタでしょー!?
クリスさんは私たちの苦悩を無視してぺらぺらと話を続ける。
「やはり摂取するならば強力な種からがいいでしょう。吸血鬼やユニコーン等の高等種族が望ましいです。
ただし多量摂取に気を付けてください。二度と人間には戻れなくなります」
そういえばディーノが魔の者になったのは血を浴びすぎたからなんだっけ。
だけど摂取しろと言われたって今いちピンと来ない。。ディーノみたいに血を浴びればいい?
「え、っと、摂取ってどんな感じで・・・」
「性的行為に抵抗があるなら血を飲めばよいかと」
グラスに入った赤い液体をちょっとだけ想像してみた。
一瞬だけ意識が飛びそうになった。
「無理!絶対無理!!」
「では男娼を雇って性的スキンシップに励んではいかがです」
チーンと頭の中が真っ白になる。
性的スキンシップってなんですか?え、えろいことをしろってこと?しかも人間じゃなくて魔の者と?殺される図しか浮かばないんだけど。
「体を重ねる必要はありません。頻繁に少量の唾液を接種すれば問題ないでしょう。
私が適当に見繕いましょうか」
「駄目だ!」
突然頭を抱えていたディーノが勢いよく立ち上がって大きな声を出す。驚いた私はビクッとなってディーノを見れば、彼の顔はなんだか怒ってるように見えて怖かった。
せっかく私の代わりに断ってくれたが、他に方法がないなら男娼の件も検討しなければならない。そいうことをしろと言われても、初恋もまだの私にはそう易々と決心できそうにないんだけれど。
「・・・へえ、ロリコン」
クリスさんはとても冷たい視線でジトッとディーノを見ていた。一方でディーノは視線が四方八方にふよふよと忙しなく動いている。
ディーノから視線を私に変えて口を開くクリスさん。
「陛下が立候補なさるそうですよ。よかったですね、男娼を雇う手間が省けて」
「はい?」
「まあ体液としてはあまり優秀ではないかもしれませんが、彼は曲がりなりにも不老の力の持ち主ですから、支障ないでしょう。その分頻繁に励んでくださいね」
「え?どういうことですか?」
「キスしておけばいいんですよ、恋人みたいに」
はあああああああ!?ディーノと!?私が!?
「ないないない!あり得ない!」
激しく首を横に振ったけれど頑張ってくださいねと聞き入れてくれない。
「どうしてもできないのなら血を飲むことを検討するといいでしょう」
私からは以上ですので、とクリスさんはほとんど足音もなく部屋から去って行った。
クリスさん、わざわざこんなボロ宿まで来てくれてありがとう。でも全く解決した気分にならないのは私の所為でしょうか。むしろ前より混乱している気がするのは私だけなんでしょうか。
とにかく、まあ、死を待つ以外の選択肢ができたのは大きな前進だと思いたい。思いっきりため息吐いていたら、ディーノが小さく丸くなっているのに気が付いた。
「ディーノ?どうしたの?お腹いたい?」
「う、ううん、大丈夫」
すくっと立ち上がってへらっとしたいつもの笑顔に戻る。さっきまで表情が崩れまくっていたからか、その笑顔を見てなんだかほっとした。
「・・・で、どうする?血を飲む?キスする?」
「え・・・」
話を戻されて私は考え込む。
まず血を飲むことを視野に入れたけれど、やっぱり想像しただけで気分が悪くなった。朝食に食べたリンゴが食道までせり上がってくるほどに気持ち悪い。
んじゃキスする?いやいや、これも考えられない。
確かにディーノは変態だけどイケメンだし、変態だけど優しいし、変態だけど頼りがいはある。だけどキスという行為自体にまず大きな鉄の壁が立ちはだかっていた。
「とりあえず不老状態を維持するのは一時的な措置だろう?時間を止めている間に呪いを解くか、魔王を殺す方法を探せばいいんだから」
「そうよね、しばらく我慢すれば・・・」
呪いの問題が解決すれば私は晴れて普通の人間に戻れる。体液の摂取は永遠に続くわけじゃない。だけど難しいことを調べるんだからそれなりに時間はかかるだろう。その間私は何に耐え続けるのか。
ディーノがそっとベットに座り、慰めるように私の背中を摩る。
「今すぐ結論を出す必要はないよ。1日2日くらい考えてみたら?」
「うん・・・。だけど今にも刻一刻と大人に近づいているわけだし・・・」
正直に言って焦っている。いつまた痣が痛み出すかわからない。極端な話、今すぐここで死んでしまわないとも限らない。
「じゃあ、とりあえずどっちも試してみて・・・」
それから決めようかな。実際にやってみないとわからないこともあるはずだ。血を美味しいと思う可能性もゼロじゃない。
「わかった」
ディーノは笑顔で頷くとゆっくり立ち上がり、私の荷物から洗面用のコップを取り出した。そして迷いもなく腰からサバイバルナイフを取り出し手首を掻っ切る。胸を貫いたときほどじゃないけど、それなりの勢いで血飛沫がコップの中へ飛んだ。
すぐにも手首の傷は塞がってしまったようだけど、十分な量の血液は溜まっている。少量でいいとクリスさんが言っていたから、ちょっと舐める程度でがぶ飲みする必要はないはずだ。
ディーノからコップを受け取ったけど、まずそのヴィジュアルからしてやばい。少しとろみのある赤い液体は生々しく、血独特の鉄が錆びたような匂いがした。ものすごく気分が悪くなる。
だけどいつまでも眺めているわけにはいかなくて、目を閉じて傾けたコップに口をつけた。
「おえええええ」
味もまずかったけど、それ以上になんとも言えない嫌悪感で体が拒否反応を起こす。
「水!水!」
手を伸ばせばディーノが鉄瓶を差し出したのでそれを一気に飲み干した。途中で中身が水ではなく酒だと気づいたけど、酒独特の苦みが血の後味を誤魔化してくれてちょうどよかった。
ぷはぁと深く息を吐き出せば、呼吸に合わせて肩も一緒に上下する。
「だめだ・・・これは絶対だめだ」
人として大事なものを失った気がした。人としてやっちゃいけないことをしてしまったような・・・。
「んじゃあキスするよ」
「ちょっと待って!」
はい次と顔を寄せてくるディーノに、私は両手の平を彼に向けて静止した。
まだ心の準備ができていない。キスはある意味血を飲むよりもずっとずっと勇気がいるのだから。
しかも相手はディーノ。私は今、絶対に顔を真っ赤にしている。恥ずかしさで頭がどうにかなってしまいそう。
でもいくら恥ずかしがったところで、結局しなきゃいけないことには変わりない。むしろ引き延ばせば延ばすほど恥ずかしさが増していくばかり。
いっそのこと吸血鬼になってしまう?・・・・いやいや、それは選択肢に入れたくもない。
「お願いします!」
女は度胸。元気よく声をかけ、ひとつ大きな深呼吸をする。
ディーノはいつもの柔らかな笑みを浮かべて頷いた。なんでアンタは余裕そうなんだって、理不尽だけどムカついてしまう。
彼は隣に座り、太くて逞しい腕を私の腰に回す。密着する必要はないはずなんだけど、ガチガチに固まっている私は文句を言うことも距離をとることもできない。
「大丈夫?」
「う、うん・・・」
嘘だ。全然大丈夫じゃない。身体中の血管が爆発してしまいそうで、もういっそのこと本当に爆発して欲しかった。
ディーノの顔が近づいてくる。整った眉、涼しげに揺れるまつ毛、すっと通った鼻筋。綺麗だなあとぼーっと見ている間に、唇に柔らかいものがゆっくり押し当てられた。
次に起こるだろう変化に拳を強く握ったが、いつまで経っても口をこじ開けられることはなくて困惑する。しかも何度も触れたり離れたりを繰り返して、ディーノの手が頬や髪をそっと撫で始めた。くすぐったいその感触に目を閉じると、ちゅっと水音が響いていたたまれなくなる。
「ねえ・・・・ちょっ、と・・・」
「んー?」
ちゅっちゅと顔中を好き勝手にキスするディーノ。このままじゃいつまで経っても終わらないんじゃ!?
肝心なのは体液、唾液だ。唾液を寄越せ。
もちろんそんなこと恥ずかしくて言えないので、目線だけで強く強く訴えた。しかし私が映っている青い目は柔らかく細められて、可愛らしいキスの嵐は止まない。
爆発こそしないだろうけど、このままじゃ茹ってしまいそうだ。
「お、お願い・・・ディーノ」
懇願。そういう言葉が相応しいほどに、切羽詰まった私の声は必死に聞こえた。
「大丈夫、怖くないよ」
ディーノはそう言ってちゅっと最後に小さく口づけると、ぐっと身体を前倒して体重をかけてくる。唇にまた別の感触のものがあたり、求められるままに唇を開いた。
控えめに解放した隙間から割って入ってくるのはおそらくディーノの舌。ゆっくりゆっくりと味わうように口内を舐め回されて、感じたことのない感覚が胸の中から湧いてきた。少し苦しいようなその感覚に抵抗しながら、固く目を瞑って今をやり過ごす。
「んっ」
優しく動いていた舌がぐっと奥に入ってきて、苦しさと驚きから声が漏れた。同時に生温かいものが口の中に流れ込んだので、反射的にこくんとそれを飲み干す。
ディーノがさっと離れると、肩で息をして俯く私によしよしと頭を撫でた。
「頑張ったな」
「・・・う、うん」
恥ずかしくて顔を上げられない。自分が今どんな顔をしているのかも想像できない。
終わってしまえば解放感に浸れると思ったのに、どうして前よりもっと緊張しているんだろう。