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優しい魔王と泥棒娘  作者: 伊川有子
1話・三日月の呪い
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(2)

 頭が混乱して何を話せばいいかもわからない。夜の闇の中で光る短剣は今にもディーノを傷つけてしまいそうで、離そうとしたけれど力強い彼の手はビクともしなかった。

 悪い冗談。変態ストーカー兵士が魔王なんて天地がひっくり返ってもあり得ない。ましてやこんな顔をして自分を殺せだなんていう奴が存在するわけない。

 きっとこの後ディーノは嘘だよって言うに決まってる。そして驚いた私の顔を見て笑うんだ。

「アンタはただの兵士、でしょ」

「兵士だったよ、30年くらい前まで。

戦争で魔の者の血を浴びすぎて、いつの間にか人間じゃなくなってた」

「そんな・・・・」

 そんなことってあり得るのか。知識の乏しい私には今の言葉が正しいのか判別がつかない。

 吟遊詩人の歌によると、魔王は若い娘を浚ったり人間の村を滅ぼしたりしていた。だけど私の知っているディーノは、変態で、だけど温和で、優しい人間だ。世にも恐ろしいと言われる魔王とは似ても似つかない。

 ディーノのことがわからなくなってきた。本当に魔王だとして、自分の命を差し出すなんて何を考えてるんだろう。私のためにそこまでする義理なんてないのに。

 確かに死ぬのは怖い。ヴェルデンモーテの呪いをどうこうすることはできないだろうし、もしこの先大人になっても生きていたいなら、魔王を殺す以外に選択肢がない。

 ディーノが魔王なら、彼を殺すしかないのかも。

「イヴ」

 名を呼ばれてはっと我に返る。

「イヴ、大丈夫だよ。きっとうまくいく」

 それはあまりにも優しい声色で私を励ます。決心がつかない私へ、やってしまえと悪魔のように囁くのは私の心かディーノか。

 ディーノは自分が死ぬかもしれないというのに、表情は相変わらず笑顔のままだ。

「どうして、助けてくれるの」

 こんな小娘に、命を差し出す価値があるの。そう問えばディーノは手を私の手に添えたまま、頭を下げて額を私の額にコツンと当てた。

 息がかかるほどに顔が近くて、でも緊張している私は顔を逸らすこともできずに固まる。それに動いた拍子に短剣が刺さってしまいそうで、怖くて思い切り抵抗できない。私が高熱だから、ディーノの額はとても冷たくて気持ちよかった。

「俺はもう、役目を果たしたと思う。大きな戦は終わって、ヴェルデンモーテも壊滅状態に追い込んだ。しばらくは国も安泰だ。

だからやることがなくって、兵士やってたくらい」

 王様だからって遊び倒したりしないところがディーノらしい。暇だからって兵士の恰好をして胸を揉むために泥棒を追いかけ回すなんてかなり変わってるけど。

「そんな時、イヴと出会って、イヴがあんまり可愛かったから」

「・・・からかわないで」

「本当に。一人ぼっちなのに一生懸命で必死に生きてる姿が、何もすることがなくてフラフラしている俺には眩しかった。その輝きが羨ましかったんだ。

会えば会うほど恋しくなって、一緒にいる時間が楽しくなった」

 まるで愛の告白を受けているような気分になって、ただでさえ熱い顔がさらに熱を持った。

「イヴは俺にとって宝物なんだ」

 だから殺していいんだよ、と促すディーノ。

 これだけ説明させておきながら、私は未だに納得できない。だって自分の命より大事な宝物なんてこの世にあるわけがない。命あってこその宝物、どんな高価な宝石でも死んでしまえば全ての価値を失う。

最も、何よりも大事な命を失いかけているのは私も同じなんだけども。

 まだ死にたくない。絶対に。やりたいことが明確にあるわけじゃない。夢もない精一杯の日々だけど、それでも生にしがみついてきたのは死にたくないから。理解はできないけど、ディーノが本当にやっていいと言っているなら、私がそれを拒否する理由は他にない。

 生きたい。どんな手段を使ってでも。

「イヴ」

「・・・うん」

 答えは出たはずなのに、手が震えて思うように動かせなかった。

「難しいなら俺も一緒にやろう」

「・・・うん」

 寄せ合っていた額が離れて一歩分の距離ができる。ディーノの顔を覗き込めばほほ笑んでいるのがわかった。僅かな月明かりを受けてきらきらと輝いている青い瞳。これを今から失うのだと思うと、身体の底から悲しみが迫り上がってくる。

 なんだかんだ言いながら、私はディーノのことが嫌いじゃなかったんだ。

「ごめんねっ」

 ボロボロと涙が零れ落ちると、もう視界は滲んで彼の顔が見えない。両手は塞がってるから涙を拭うことはできなくて、何も見えないまま私はひたすらディーノに謝った。

「イヴ」

「・・・・ごめんなさい・・・、ごめん・・・」

 命を繋ぐための殺生に罪はないと思っている。だけど悲しくて申し訳なくて、謝らずにはいられない。

優しく私を呼ぶ声も、きっとこれが最後。

「イヴ、大丈夫だよ。謝らなくていい。ちゃんと心臓を狙ってな」

「・・・うん」

 決心を促すようにディーノが動き出す。

 2人で握っている短剣が私の頭の上に上げられると、怖くて一度降ろそうとしたのにディーノの手は動かない。きゅっと手に力が込められて、視界が滲んでいることを忘れていた私はもう一度青の瞳を見ようとして失敗した。ディーノの身体のシルエットが辛うじてわかる程度。

「行くぞ?」

「うん」

 勢いをつけた短剣がディーノの左胸を狙って振り下ろされる。

 最後にディーノの笑顔を見たかったなとか、あの優しい声で名前を呼んでほしかったなとか、自分勝手なことを考えていた。

 しかし思い切り力を込められたのは、もう呪いに怯えずに済むのだという開放感が脳裏にちらついたからだろう。

 振り下ろされた短剣は、ディーノの手に導かれた通りに、心臓がある左胸を見事に貫いた。











 彼女の左肩にあったのは、見飽きるほど目にしたことのある忌々しい三日月だった。

 ヴェルデンモーテ。吸血鬼の中で最強と呼ばれる、呪術を操る一族だ。彼らはアルヘーベと呼ばれる国を統治しながら湧き出る血への欲求を抑えることができず、王族という権限を駆使して国内の人間という人間を襲っていた。

 しかし狩りをしすぎたため、自国内で人間がほとんどいなくなってしまい、今度は周辺国家の人間を襲い始めた。魔王国までも彼らの触手が伸び、防衛という大義名分を得た俺たちがヴェルデンモーテを討伐し終えたのは7年前。

 一瞬彼女がヴェルデンモーテでもある可能性を考えたがそれは即座に自分で否定した。

 出会ったときの彼女はまだ14の歳で幼く、黒い髪も今よりさらに短くて身長も低かった。吸血鬼は成長しないから、彼女自身が吸血鬼ということはあり得ない。

「・・・ねえ、何か、言って、よ」

 無言で考え込んでいるとイヴの声が聞こえてはっとした。よっぽど怖い顔をしていたんだろう、彼女の灰色の瞳が不安に揺れている。

「イヴ、これどこで付けた」

 三日月の痣がヴェルデンモーテに関係ない可能性もある。早口で尋ねればイヴは俯いて、思い出すようにぽつりぽつりと話し始めた。

 聞いてみるとやはり痣はヴェルデンモーテのもので間違いなさそうだ。世間的には全て殺したことになっているが、どさくさに紛れて逃走した奴だっていないとは言い切れない。彼女が接触したフードを被った女は生き残りなんだろう。

「なに。・・・言ってよ。ちゃんと話して」

 また黙り込んでしまっていたらしい。

「これは、たぶん、ヴェルデンモーテの家紋だ」

「えっと、じゃあ、これは、その人につけられたってこと?・・・あ、でも4年前だから、ヴェルデンモーテは滅んでるか」

 いや、と首を横に振って説明すれば、みるみるうちに大きな目をさらに大きくするイヴ。

「じゃあ、私、死ぬんだね・・・」とつぶやくように言った声は、普段生き生きとしている彼女からは想像できないほど弱くて、今にも消えてしまいそうだった。小さな肩を震わせて、可哀想で堪らない。

 俺が取り逃がしてしまった結果、何よりも大事なイヴが呪われてしまった。だけど申し訳なさと同時に希望もある。

 “魔王”を殺せば彼女が助かるかもしれない。その選択肢を彼女に提示してやれるのは、この世で俺だけだ。

「大丈夫だよ、イヴ」

「呪いを消す方法があるの?」

「ううん、それはヴェルデンモーテの吸血族じゃないとできない。だから俺には痣を消してやることはできないよ。

でも魔王を殺すことはできるだろう?そうしたら、きっと呪いは解ける」

 イヴはまだ少しだけ幼さの残っている可愛い顔を呆けさせて首を傾げる。

 彼女の隣には無造作に放って置かれている短剣。それを取って彼女の手に握らせてやると、零れ落ちてしまいそうなほど目を見開いて俺を見つめる。

「え、なに?」

「俺、首を刎ねても死なないんだ。だからここ・・・」

 剣を俺の左胸に誘導すると、さすがに俺の意図に気づいたらしい。イヴは幼い頃に身寄りを無くして教育らしい教育は受けていないにも関わらず、決して馬鹿ではなく聡い子だ。

 他人からはとんでもない提案だと思われるだろう。しかし俺には彼女が断らないという自信があった。

 彼女を初めて目にしたときから、もう3年も経つ。小さい身体で一生懸命で、泥棒なのに真っ直ぐな瞳をしていたイヴ。一目惚れでは決してなかったけど、時が経つにつれて愛おしい気持ちが大きくなっていった。

 できることなら守ってあげたいと思うのは当然で、何度も援助を申し入れたことがある。ご飯をおごるのもなんてないし、人ひとり養うのも訳無い。ところが彼女は俺の申し出に一度も首を縦に振ってくれなかった。

 よっぽど嫌われてるのかと思っていたけど、天候と運に恵まれず盗みがうまくいかない日々が続いたときのこと。このままでは餓死するのではというほど痩せ細ったとき、俺が目の前に現れても決して食べ物を強請ることをしなかった。

 その時気づいたんだ。ああ、この子は人に甘えることを知らないんだな、と。

 一人で生きてきた彼女は他人に対する認識がとても薄い。俺はイヴにとって、ただそこら辺に落ちている石と同じなんだ。

 さすがに心配になってパンを買いに走り、彼女の目の前に差し出せばそれを引っ手繰って逃げていった。例え俺に胸を揉まれようが抵抗しないのも、それで安全に盗みができるならいいと思ったんだろう。

 自分が生き残ることを目的とし自分のために生きてきたイヴ。だから彼女は生にしがみつくためなら手段を選ばない。

「イヴは俺にとって宝物なんだ」

 愛しているとは言わない。彼女には決して理解できないだろうから。代りに宝物だという言葉を使ったが、やはりイヴには理解できなかったらしい。顔にはしっかり“わからない”と書いてあった。

「イヴ」

 迷う必要はない。

「・・・うん」

 小さな声だがしっかりと頷く。しかしなかなか彼女の手は動かない。

「難しいなら俺も一緒にやろう」

「・・・うん」

 大丈夫、俺は殺すことには慣れている。今回は殺す対象が他人から自分になっただけだ。

 短剣を振りかぶるために少し距離をとると、彼女の瞳からぽろぽろと涙が零れるのが分かった。

 役得すぎると思う。最期にイヴに泣いてもらえるなんて、今までは絶対想像できなかった。ましてやイヴの手で最期を迎えられるなんて、そして俺の命がイヴの役に立つなんて、夢にも描けなかったこと。

 きっと彼女の覚悟は決まっただろう。

 涙に濡れたイヴはひどく扇情的だった。微妙に残る幼さと涙で色気の混じった容姿は男の欲をそそる。

 イヴにとっての最後の俺の記憶が少しでもよいものであるように、恰好つけたいのは男の性だ。だからせめて口づけたかったとか、短い黒髪から覗くうなじに触ってみたかったとか、涙を舌で拭ってみたいとか、いろいろ思うところはあったけれど口にはしない。

 なかなか屈強な理性を持っていると思うが、一度だけ誘惑に負けかけた時がある。

 ずいぶん身体も大人の女性に近づいてきて、じゃれる目的で胸を触るようになってしばらく経った頃。胸を揉むという暴挙を拒否されなかったため調子に乗った俺は、別の場所も触れてみたくて下に手を伸ばそうとした。悪戯に割と寛容なイヴもさすがに怖かったのか、お腹あたりに手が当たっただけで身体をビクつかせていたから、腰に手を回して誤魔化したけれど。

「・・・・ごめんなさい・・・、ごめん・・・」

「イヴ、大丈夫だよ。謝らなくていい。ちゃんと心臓を狙ってな」

「・・・うん」

 短剣を掲げるように持ち上げると、一緒に彼女の腕も動く。

「行くぞ?」

「うん」

 迷いのない返事だった。

 たった一人で生きてきたイヴ。これからも彼女が無事に毎日を過ごせるよう祈る。

 そしてできることなら、彼女を守ってくれる人が現れるといい。それが俺でないことがなにより心残りだけれど、愛しい女性に命を捧げられるなんて男冥利に尽きるじゃないか。

 彼女の短剣を握りこんだまま思い切り振り下ろす。それは思ったより簡単に、俺の体を貫いた。





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