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「柚兄ちゃん、こうかな?」
「アキ、そんな場合じゃないだろ!!」
身長百五十センチ無い少女が、二メートルを越す魔物オークの前で何やら恥ずかしそうに、地面へしゃがんでスカートの端を押さえている。
彼女の穿いているスカートは膝上二十センチとかなり短い。もちろん中にはスパッツを穿いているので、見えても問題はないのだが。
そして彼女の側には三体のオークが心臓に大きな穴が開いた状態で転がっていた。この小柄な少女が一瞬でそれをやったのだ。
ただしその際スカートが少し捲れた為、今こうして恥ずかしがっているのだった。
「だって年頃の娘なら多少の恥じらいを持てと柚兄ちゃんが言ったから、頑張ってやってるんだよ?」
「確かに言ったけど、時と場合を考えろぉぉぉぉぉ!!」
四匹いたオークのうち三匹が一瞬で倒され、生き残ったオークは混乱していた。この小さい人間が一瞬で仲間を三匹も倒したのだ。
しかし脅威となる人間が、なぜか自分の足元で座り込んで何やら変なポーズを取っている。オークでなくとも多少知性のあるものなら混乱するだろう。ただし、逆にこれはチャンスでもある。自分の持つ棍棒をこの生意気な人間に当てれば一瞬で粉々に吹き飛んでいく。仲間の仇を晴らせるかもしれない。
これはワンチャンあるんじゃね?
そう思ったオークは、片手に持った大きな棍棒を振り上げた。
例え鉄の鎧を着込んだ戦士であっても、まともに喰らえば数メートル以上は吹き飛ばされ、そして鎧の中身もタダでは済まない。
ましてやこの少女は単なる布の服しか着ていないのだ。殺ってやるぜ!
だがこのオークは失念していた。この少女が柚兄ちゃんと呼んでいたもう一人の人間の事を。
「ああもう! 『生まれよ魔法の矢』」
彼がそう叫ぶと、彼の手から一本の輝く矢が生まれた。魔法ではない。呪文を唱えていないからだ。だが確かに彼の手には、魔法で作ったとしか思えない矢が作られたのだ。
言霊使い。
発言した言葉を実現させる者たちである。魔法使いより遥かにレアな能力者だ。
もちろん実現させる内容によっては不可能なものもあるし、使用者の力によって出来ることも限られてくる。世界の半分をやろう、と言ったとしても現実的にほぼ不可能であろう。
ただし呪文を長々と唱えるより、一言言うだけで効果を発揮するのは大きなメリットである。
言霊使いの男は生み出した魔法の矢を、オーク目掛けて投げた。
「いっけぇぇぇぇぇぇ!!」
その大声にオークが今更ながら自分へ向けて魔法の矢を投げる男に気がつく。オークは魔法というものを知っていた。以前一度だけ魔法使いと戦った事があるからだ。
そのとき彼は胸に七つの傷を付けられた事がある。
幸いな事にまだ未熟な魔法使いだったらしく、彼は一命を取り留めた。
その時の魔法の痛さを彼は覚えていた。飛んでくるものを棍棒で防がなくては。
まるでバットを振るように棍棒を両手で持ち替えて、飛んでくる魔法の矢を打ち返そうとした。
が、柚と呼ばれた男はノーコンだった。オークの右、五メートル以上離れたところを通過していく魔法の矢。
「あれ?」
「あっはははははは、柚兄ちゃんへったくそ! あははははははは!」
「やかましいわっ! そもそもアキが全部悪いんだろ!! いいからさっさとそのオークを倒せよ!!!」
オークは安心していた。どうやらこの男の魔法は脅威ではないらしいと。ならば最初の小さい人間をさっさと殺さなければならない。
そして未だ自分の足元で笑っている人間目掛けて、再び棍棒を振り下ろそうとする。
しかしそれは遅かった。
少女が「はーい」と言った途端、痛みも何も感じないままオークの意識は途絶えた。
「よしアキ、帰るぞ」
アキという少女がオークの心臓を小さな拳の一撃で射抜き、胸に風穴を開けた巨体が地面へ倒れたと同時に柚という男は声をあげた。
「はーい。柚兄ちゃん、アキお腹すいたよ」
「恥じらいはどこへいったんだ?」
「時と場合を考えろってさっき柚兄ちゃん言ったじゃん。考えた結果、お腹空いたが優先度高かったの」
「ああそうかよ……」
全くこいつはどうしてこうなったんだよ。三ヶ月前まではこいつも、オークに負けず劣らずの大男だったのに。
内心そう呟く柚。
彼らはこの魔物が蔓延る世界へと飛ばされてから、三ヶ月が経っていた。
それでは三ヶ月前に時間を戻そう。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「ゆ、柚兄ちゃん!! 大変だよ!!」
「なんだよアキ、朝っぱらから」
朝もまだ早い時間、柚の部屋にアキが飛び込んできた。しかしやけに声がおかしい。いつもはもっと渋く低い声のはずなのだが。
そう疑問を持ったアキは、何とか眠い目を開いた。
すると目の前にいたのは、身長百五十センチに満たない小柄な少女だった。
黒い髪はおかっぱで、かなり可愛らしい顔立ちをしている。しかも左は黒目だが右が赤い目をしており、それが不思議と可愛らしさを際立たせている。
だが柚が記憶する限り、アキ、いや響秋乃は若干十三歳にして百九十センチに達するほどの大男だ。
響柚道と響秋乃は従兄弟である。
柚の両親は十年前事故で他界し、それ以来叔父の響刈矢の家に世話になっていた。
ところがこの叔父叔母夫婦は、世界でも有数の研究者であり、そしてマッドサイエンティストだった。秋乃は小さい頃から彼らの作った様々な丸薬を飲んでおり、いくつも身体に異変が起こっていたのだ。
それは、「うちの子供なら視力は良くないとね」と言って飲ませた薬が秋乃の右目を赤く変化させたり、「うちの子供なら強くならないとね」と言って飲ませた薬が秋乃の身体を筋肉の塊にさせたりと枚挙に暇ない。
秋乃が巨体になったのも七才の時に飲まされた薬の影響である。その時は「やっぱり子供は親の身長を追い越さないとね」だったらしい。
まるでモルモットのように秋乃を扱う叔父夫婦に憤るものの、柚自身もまだ子供に該当する年齢である。
中学を卒業したら絶対働いて独り立ちして秋乃を助け出すんだ、と思っていたくらいだ。
そしてもうじき中学を卒業する、と思っていた矢先に、これである。
柚の前にいる小柄な少女。
服は確かにアキが普段着ているフリーサイズのTシャツである。そして彼が穿いていたであろうトランクスが足元にずり落ちていた。もちろん百九十センチの大男が着ていたTシャツだ。今の彼女だとまるでポンチョである。
ただしその小柄な身体とは裏腹に、やけに目立つ胸をしていた。
「……アキ……だよな?」
「うん柚兄ちゃん。そう見えない?」
「悪いが全然見えない。確かにこれは大変だな」
大男だったものが、いきなり小柄な少女に代わっていたのだ。アキにしてみれば大変な出来事だろう。しかも男から女に変わっているのだ。
どうせまた叔父たちが原因だろう。今度という今度は絶対許さない。
いくらなんでも性別すら変えるなんて酷すぎる。
「大変なのは置き手紙なんだよ、柚兄ちゃん」
「え? 大変なのはアキがそんな姿になったからじゃないのか?」
「別にこの姿はどうでも良いんだけどね」
「いいのかよっ!!」
どうやらアキは生まれてからずっとモルモット扱いされており、それに慣れているようだ。
「そんな事より置き手紙だよ置き手紙」
「あー、そうか。見せてみろ」
柚がアキから手紙を受け取って、読んでみる。それにはこう書かれていた。
(少し用事が出来たので三年ほど留守にする。後は柚道君に任せた)
「…………」
「な? 大変だよね。また三年間二人で生活しなきゃいけないんだよ?」
「あの馬鹿夫婦、また高飛びしやがって!!」
アキが巨体になった日、彼ら夫婦は三年間逃げた。視力をよくする為に目の色を変えた、筋肉をつけた程度の変化ではないからだ。
さすがに七歳の子供がいきなり翌日百九十センチの巨体に変化していたら、世間を誤魔化すことは出来ない。
それらから逃げる為に、三年間逃げたのだ。
今回も同様のケースだろう。
怒り心頭した柚は置き手紙を破ろうと両手で持ったとき、ふと気がつく。
「あれ、さっきまで無かったのに続きあるぞ?」
「あ、ほんとだ」
「えっと……尚、この手紙は読み終わると自動的に消滅するので注意するように」
そう柚が手紙に追加された内容を声を出して読み終わった瞬間、突如紙が燃え上がった。慌てて手を離す柚。
「うわっちちちち!」
「うわわっ、大変だ! 水!」
そう二人が慌てふためいている間に、燃え上がった紙は部屋の床に落ちた。
そして次の瞬間、まばゆいばかりの閃光と共に、爆発した。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「う、いってぇ……アキ、大丈夫か?」
柚が地面に手を付いて起き上がる。
「え? 土? あれ?」
柚が手に付いた土に気が付く。慌てて周りを見ると、そこは見たこともない景色が広がっていた。
大自然の真っ只中。心地良いそよ風が吹くたびに周囲の草が靡く。遥か遠くに見える山脈、青空が広がり二つある太陽が明るく世界を照らしている。
だが決して暑すぎる訳ではない、初夏程度の気温だ。
少し先にある湖が鏡のように風景を写しており、正反対の世界が交差している錯覚さえ起こす。
まさしく風光明媚、とはこの事であろう。
「…………どこだここ?」
「う、うーん」
たっぷり一分くらい惚けながら周りを見ていた柚が呟くと、すぐ近くから声が聞こえてきた。
声の方向を見ると、小柄な少女が倒れていた。
慌てて駆け寄り抱き起こす柚。多少土が付いて汚れているものの、どこにも怪我らしいところはなさそうだ。
思った以上に軽い身体に驚きを感じつつも「アキ!」と呼びかけると、彼女の目がゆっくりと開かれていった。
取り合えずアキは無事のようだ。
柚は安心したが、小柄な少女の口から出た言葉が彼の安心という文字を打ち壊した。
「あの……あなた誰?」