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マーレヴィーナの巫女姫  作者: 綾野柚月
1章 昏き影
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 本当に久しく聞いていなかった名前を耳にして、ルディは思わず笑ってしまった。

 こういう場面がいつか訪れるだろうとは思っていたが、自分がこんな反応を返すとは自分でも予想がつかなかった。もっと驚いて言葉を失うとか、固まるとかすると思っていた。

 ローゼリシアの見上げる眼差しは凪いだ水面のように穏やかで、彼女が何の根拠もなくいきなり核心に触れるような発言をするはずはないと思うと、ルディについて何らかの情報を掴んだということだろうか。

「今更しらばっくれても無駄だろうな」

 ルディはゆっくりと長い前髪を掻き上げる。その奥の色素の薄い水色の瞳が昏い影を落としながら、剣呑な色を帯びる。

「ああ、しゃーねーな、くそ、」

 王族にあるまじき悪態を吐き捨てると、ルディの表情が一瞬で変わる。今までは下町の悪童が成長したような、少し危うい印象の青年だったのに、今はまるで様子が違う。怜悧で感情の読み取れない、まるで仮面のような表情。そのゾッとする視線にローゼリシアは小さく震えたが、けれど目を反らすことはなかった。

「アーベルの王子は都落ちする際にのたれ死んだ」

 落ち着いた声、本当に先程までの傭兵と同一人物なのかと疑いたくなるほどに彼の態度は一変していた。ルディからすれば、突然喉元に短剣を突きつけられているような気分だったから、警戒心を強めているだけなのだが、ローゼリシアにはその豹変ぶりにただ驚いているようだった。

「そういうことにしておいてもらえないかな、――今は」

 言外に命ずる響きを含ませて、ルディはローゼリシアの耳元で囁く。冷たい声音と吐息が直接耳に触れて、ローゼリシアは肩を震わせながらも何とか頷いた。

「でも何故分かったのか教えてもらってもいいか? 神殿の情報網はよほど優れていると見える」

「わたくしには過去視の力があります」

「過去視?」

「はい、対峙する相手の過去を読み取る力……」

 ローゼリシアが答えると、ルディは面白くなさそうに鼻を鳴らした。誰でも自分の過去を勝手に詮索されたくないだろう。ルディのように過去を封じて別の人間として生きているものにとっては尚更。それを承知しているのか、ローゼリシアは申し訳なさそうに目を伏せた。

「じゃあ巫女姫の過去も視えるんだ?」

「いいえ」

 予想に反した返答にルディの片眉が跳ね上がる。それを見たローゼリシアは俯く。

「巫女姫様はわたくしよりも高い霊力をお持ちの方。わたくしはわたくしよりも霊力の高い方の過去視はできません」

 とはいえ、ローゼリシアはあまりに謎が多い彼女のことを訝しみ、過去視を試みたことがある。けれど全くと言って視えなかった。微かに視えたのは、いや感じたのは底の見えない深すぎる闇と、心を凍てつかせるほどの絶望。その闇があまりにも深すぎて、震えが止まらなかったことをローゼリシアは忘れることが出来ない。以来、彼女は不用意に過去視をすべきではないと心に決めたはずだった。

「ふうん」

 つまらなさそうにルディは相槌を打つ。

「じゃあ、俺の過去を覗いたのは何故? 身元の怪しい傭兵の身辺調査?」

 揶揄する口調にローゼリシアは顔をますます俯かせる。初めは得体の知れない傭兵が本当に神殿に害する者でないか確認しようと思っただけだった。神殿を代表するものとして、それは義務だと。ローゼリシアにとって神殿は全てだった。彼女はここで育った。神殿の儀式や行事で海都に降りることはあっても年に数回で、これまでの人生のほとんどを神殿で生きてきた。実の両親ともほとんど言葉を交わした記憶もなければ、顔も知っている程度だ。そんな彼女が初めて間近に接した「外」の世界の住人がルディだった。初めて彼と対面したとき、彼からは不思議な匂いがした。今まで接してきたことのない人種だからか、何もかもに興味を惹かれた。身なりも目付きも言葉遣いも悪い。けれど何か他の人と違うものを感じた。それが何か知りたかったといえば、言い訳だろうか。ローゼリシアは上目遣いに長身のルディを見上げた。

「いいえ、身辺調査など、そういうわけではありません。わたくしは貴方にとても興味を抱いたので、貴方のことをもっと知りたかった……」

「粗野な人間が物珍しかった? そうしたら意外な経歴で驚いた、と」

「そんな、わたくしは」

「どうだった? 失望した?」

 ローゼリシアの目線に合わせて身を屈めたルディは、唇の端を吊り上げて意地悪く笑う。

 失望などはしていない。

 実際彼女が見えたのはほんの僅かな部分だけだ。本人に自覚はないようだが、ルディはそれなりに霊力が高い。それこそ上級神官と遜色ないほどだ。

「失望したりしません。わたくしは貴方の過去を全て視た訳ではありません。でもただ、貴方のような方が何故そのような姿に身をやつしているのかと……」

「力のないものは力のあるものに駆逐されるものだ」

 卑屈な物言いにローゼリシアは微かに眉を顰める。ルディは続けて、

「無力は罪だ」

 静かに、吐き出すように紡がれた言葉は重く、その言葉の奥に、ローゼリシアは彼の視えなかった過去の苦悩を見た気がした。

 

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