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マーレヴィーナの巫女姫  作者: 綾野柚月
1章 昏き影
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 あと一秒遅ければ、ルディはこの冷たい神殿の床に転がっていたかも知れない。


 ルディが咄嗟に伸ばした剣が、敵の得物を間一髪のところで受け止める。キィン……、と金属がぶつかる嫌な音が回廊に響いた。

 『敵』は漆黒の外套に身をすっぽりと包んで、細身の剣を構えながらこちらをじっと見つめている。フードの隙間から僅かに見えた二つの禍々しい赤は、獰猛な光を湛えた瞳。これ以上ない存在感なのに、ほとんど気配がない。

 どこぞの暗部の者なのか、ルディは隙なく剣を構えながら間合いを取りなおす。

 やはり自分の剣を持ってきて来ていてよかった。神殿の支給品だと敵の一撃を受け止めることは出来なかっただろう。

「噂通りだな……」

 『敵』が口を開く。低い、かすれた声。声からして若くない、けれど老いてもいない。そして声に貫禄があることから、壮年の熟練された騎士を想像させる。しかし、気配の消し方といい表で動くものではなさそうだ。それにこの威圧感は半端ない。ルディがこれまで対峙してきたどんな敵よりも上回る。一瞬の隙が命取りになりかねない。ルディは慎重に男の動きに神経を遣る。

「お前、何のために『巫女姫』を守るんだ?」

 男は静かな声で問う。その響きから質問以上の意図を読み取ることは出来ない。

「金の為だ」

「何のために大金が必要なんだ?」

「そんなことあんたには関係ないだろう? それよりあんたは何故『巫女姫』を狙う?!」

 ルディは慎重に間合いを測る。

 先日の襲撃がこの男だったのなら、巫女姫や神殿騎士が撃退したというのはに俄かには信じがたい。数多くの戦場を渡り歩き、またそれ以上に暗殺者まがいの裏の世界を生きてきたルディが、ここまでの緊張感をもつことはほとんどなかった。正直真剣勝負をしたとして、今は分が悪いとルディは背中を滑る落ちる嫌な汗を感じながら思う。

「何故マーレヴィーナに巫女姫が必要か、お前は知っているか?」

 男の声はどこまでも静かで、底の見えない闇を連想させる。心のどこかで聞いたら引き返せない、やめておけと警鐘が鳴る。

「知らないなら、手を引け。今なら間に合う」

 瞬間、男の一撃が迫る。今度は身構えていただけに先ほどよりは幾分かマシな切り返しができたが、男の一撃は想像以上に重く、攻勢に出ることが出来ない。

「………………」

 ルディは男を睨みつけた。これほどの手練が、一体誰の命で動いているのか。

 続いて次々と鋭い剣が撃ち込まれ、ルディはじりじりと後退を余儀なくされる。

「それほどまでに金に執着しているのか、愚かな……」

 男の言葉は、ルディの心の中に燻っていたものに瞬時に火をつけた。

「何も、何も知らない癖にっ!!」

 その時にルディの脳裏に浮かんだのは、忘れようと、ただ忘れたくて記憶の奥底に厳重にいくつもの鍵を掛けて封じてきたもの。幼い子供の泣き顔と、遠い約束と。二度と叶えられない、約束のこと――――。

 脳裏に浮かんだものを振り払うように、ルディは力任せに剣を打ち込んで、間合いを一気に詰める。豹変したルディに男も瞠目して思わず後手に回る。

「俺には金が必要なんだ、だから何なんだ! 盗みをしたわけでもねぇだろ!!」

 一気に攻勢に出るも、冷静を欠いたルディの動きはすぐに見切られてしまう。これまでの相手なら勢いで押しきれたものを、今回は相手の方が数枚上だった。

「金で動く傭兵如きに邪魔などさせぬ!」

 男の目に強い光が宿る。それは信念を持って動く者の目だ。ルディはその迫力に気圧されて、一瞬怯んでしまった。その隙を男ほどの手練が見逃すはずもなかった。

「――――――!!」

 ルディはその一撃を受け止めることが出来なかったが、咄嗟に体を捻って躱わす。その拍子に体勢を崩して床に倒れこんでしまった。

 やばい、そう思った時には男が剣を構え直して近づいてくるのが見えた。

 じりじりと詰め寄ってくる男を見上げながら、ルディは臀部を引きずらせながら後ずさる。と、その手が何かに触れた。

「………………」

 それは人の足だった。冷たく、けれど滑らかな肌触りに驚いて視線を上げると、あのぞっとする深い蒼色の瞳がこちらを見下ろしていた。

「巫女、姫……」

 一体いつからそこにいたのか。こちらも全く気配すら感じられなかった。

 彼女は素足のままで回廊に立ち、男をちらりと見てゆっくりと手を前にかざす。見る間に彼女の手のひらが淡い輝きに包まれていく。


「――――――!!」


 その輝きは一瞬で大きく広がり視界全体を真っ白に包み込んで、ルディはその光の濃度に耐えられず思わず光を遮ろうと両手を翳す。

 ルディが覆っていた手を外し、再び目を開いた時には元の薄闇が回廊を支配していた。

「?!」

 違和感を感じてルディは慌てて首を巡らせてあたりの様子をうかがうが、男の姿はあの閃光と共に消えてしまっていた。そして振り返ると巫女姫が相変わらず何の感情も読み取れない、人形の硝子の瞳のような目でルディを見つめていた。

「お前――――!」

「護衛殿、わたしはとても疲れているのです。どうかお静かに願います」

 有無を言わさぬ迫力に、ルディは言葉を飲み込んでしまった。

 ルディが固まっている間に、巫女姫はくるりこちらに背を向けて自室の扉に手を掛け、あっさりと部屋に戻って行った。

(……くそっ、何なんだよ、一体)

 かつてない敗北感に感情の行き先を無くして、ルディは拳を床に叩きつけた。




 

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