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マーレヴィーナの巫女姫  作者: 綾野柚月
終章 眠りに捧ぐ想い
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 見上げる青空に、純白の大旗が翻る。

 描かれているのは重厚な盾を豊穣を司る女神アケイセリスの象徴でもある葡萄の蔓が囲んでいる紋章――アーベル王国の紋章。

 大地を揺るがすような熱狂的な歓声は、かつて同じ場所で聞いたそれとは全く質を異としてたのを、彼はとても複雑な気持ちで聞いていた。




 あの遠い遠い南の果てで行われた聖婚の儀式から約一年後。


 神殿とは対極の位置にある大陸最北の地では、僅か十年ほどの国家が倒れ、かつての王家がその玉座に返り咲いた。

 かつての王の忘れ形見である王子が、残党を率いて北の地に舞い戻ったのだ。

 その手腕は圧巻の一言に尽き、民意の離れた今の王には為す術もなく、僅か開戦後数ヵ月で決着がついていた。


 元々以前の王家の治世に何の落ち度もなかったが、隣の大国に唆された一部の大貴族が国を裏切り、国民をありもしない嘘で煽動して玉座を奪い取ったに過ぎなかった。新たな王は大国の傀儡となり、国は疲弊し、貧しさに喘ぐようになって国民はようやく自らの罪に気づいた。

 これまで自分たちの生活を文字通り命懸けで守ってきた王を弑逆したのは、他でもない自分たちだと。


 そして多くの国民は行方知れずとなった王太子が、復讐に舞い戻る日を恐れていた。

 だから彼が再び舞い戻った時、かつてを知る民は恐れ、驚愕し、そして王太子が自分たちに対して蟠りがないわけではないがその矛先を向けるわけではないことを知ると一転して、民はかつての王太子側に付き、熱狂的に迎えたのだ。そうなると戦局は一方的なものに転じた。

 そして伝説の秘宝の奇跡が真実を告げることで、民は逆臣の卑劣な策略を知り、自らの愚かさを突き付けられて、新たな王に跪くことになったのだった。




 あの日も、雲ひとつない晴天で青すぎる空が不吉にさえ思えたものだった。

 ルディ――今はアーベルの王となったレイスルディアードは窓辺から城下に集まる民を見下ろした。勝手なもので、あれほど仕打ちをしたに関わらず厚顔なものだ……とは言えはしない。

 弱き民は、より強い庇護者を求めるものだ。

 長年隣国の脅威に晒され続けて、民の心は脆く崩壊寸前だったのだろうと、今なら分かる。しかし、当時の彼にはそれを理解することは出来なかった。当時成人したばかりの彼には、民の心に思いを寄せる度量はなかったのだ。


「もうそろそろ刻限だ、国王陛下」


 『国王陛下』をやたら強調して声を掛ける漆黒の騎士を軽く睨んで、レイスルディアードは窓を閉めて向き直る。

「解っている」

 抗議しても無駄なことはわかりきっていた。

 剣の腕は互角でも、人生経験においては騎士は数枚上手だ。元々縁もゆかりもないこの奪還劇に付き合ってくれただけでも、騎士には頭が上がらない。彼にとってはそれがある意味罪滅ぼしの意味があったとしても、彼はそれに有り余る貢献をしてくれた。

「少し待ってくれ、フラゼアに使いを遣る手配をするから」

 そう言って、レイスルディアードは予め準備をしておいた書簡を丁寧に文書箱に収めて、側に控えていた政務官に渡した。政務官はそれを恭しく受け取ると、静かに退出する。

 その書簡にはとても重要なことが記されていた。

 今後のフラゼア公国との国交に関する調印式について、非常に大事な内容だった。


 フラゼア公国では現大公の後継者争いが熾烈化していたが、それもアーベルの復権と同時期に終結していた。最有力とされていた第二公子が失権し、かつて国外に出されていた第三公子が復帰しその座に就いたという。第三公子はこれまで国交のなかった大陸南端の有力国家都市マーレヴィーナから権力者の息女を妻に迎える予定で、かつてなかった利権をフラゼアにもたらしただけではなく、不当に他国の内政に関与すべからず、という国法に背いた第二公子の罪を明らかにして、完全に公国での立場を取り戻した。その影に、南端の神殿の秘宝があったらしいが一般の民の知るところではなかった。


 しかし、次代の大公が決まりこれまでの不当な内政干渉について、アーベルの独立国家としての立場を明確にするためにも、改めて国交について再度調印を結び直す必要がアーベル側にはあった。


 そのための準備に追われていたのだが、ようやく調い後は式に臨むばかりとなった。


「急げよ、悠長に構えている時間はないのだからな」


 騎士――ナイジェルは不敵な笑みを浮かべたまま、レイスルディアードを急かす。

 ナイジェルは調印式を見届けたら祖国マーレヴィーナへと戻ることになっている。アーベルの国王としては慰留したが、彼にも事情がある。愛しい人の眠る祖国で、彼女の眠りを護るのだという願いに、レイスルディアードはそれ以上の言葉を掛けることが出来なかった。


 これから国境の街で行われる調印式にはアーベルからレイスルディアードが、フラゼアからは第三公子ライドールが出席することになっている。


 ライドールとは出会いこそ最悪だったが、今では概ね表向きは友好な関係を構築できている。選民思想の強いライドールは初めレイスルディアードの素性を聞かされた時、あり得ないほどの悪態をついていたが、利害関係が一致したことによって内心はともかく、大人な対応が出来るほどには信頼関係を保っている。彼の婚約者に関する誤解が無事解けたことも、今の関係性を後押ししたのかもしれない。

 今後もなるべくなら両国の平穏のために、現状程度の関係は保っておきたいとレイスルディアードは思っているが、多分相手も同様だろう。


 調印式の後、レイスルディアードは一年ぶりにマーレヴィーナに赴くことになっている。理由は神殿から借り受けた秘宝――エディスガルドの宝鏡を返還するためだ。マーレヴィーナへは国へ戻るナイジェルや、次の春に華燭の典を挙げる婚約者を迎えに行くライドールも同行する。微妙な組み合わせだが、行き先が同じであれば仕方ないと諦めた。

 

 実は王自ら赴くこともないと先方は伝えてきたが、彼自身がマーレヴィーナに行くことを望んでいた。

 あの深い海には、彼の大切な人がいるから。

 どうしても直接、祖国を取り戻したことを伝えたかった。かつて彼女が案じていた彼女の家族も、あの雪の森から今は懐かしい屋敷へと戻って来ている。神殿からの援助を受けて、病弱な義母も、義弟妹も無事に過ごしていること。彼女の家族がとても会いたがっていたこと。

 きっと彼女はぎこちない笑みを浮かべて喜んでくれるだろう。


 その事をどうしても直接伝えたかった。

 伝えたいことがたくさんありすぎて、溢れ出る想いが強すぎて自分でも自制が効かないほどだった。




 どうか、聞いてほしい……

 今も、海の底で眠る愛しいクラウティーエ――。




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