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マーレヴィーナの巫女姫  作者: 綾野柚月
6章 伸ばした手の先に、掴み取ったもの
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 鼓膜を叩き破るような凄まじい轟音が響き渡る。

 ゴゴゴゴ……、と地鳴りと頭上からは激しい波の音がする。

 かつての巫女姫たちの魂が光の筋を残して空の水面へと吸い込まれていく――そう、天井の岩が崩壊して崩れ落ち、その上の海底が本来の居場所を取り戻そうと迫り来ていた。





「早く、急いで!!」


 誰かの叫び声がした。振り返るとライドールとローゼリシアが互いを支え合いながら、例の光の球体の方へと必死に向かおうとしている。ナイジェルはというと、海神を斬りつけた大剣を握りしめたまま、光の筋を見上げていた。


「ここはまもなく崩壊して、海の底に沈みます!! お願い、急いで脱出しなければ……!!」

 声の主はクラウティーエだった。彼女はぐったりと地面に倒れながらも顔だけはしっかりと上げて、悲愴な表情を全面に貼り付けて懸命に叫んでいた。

「……どうか……はやく…………――」

 ルディは慌ててクラウティーエの元に駆け寄って、その体を抱き起こす。間近で見たクラウティーエの顔は血の気が全くなく紙のように白い。そして呼吸も浅い。

「お前も一緒だ」

 医者に見せるまでもなく、クラウティーエの命の火は尽きようとしているのは明らかだった。昨日から今日、彼女がどれだけの血を流したか。それに先程の宝玉にどれ程の霊力を注いだか。それは命を削るほどのものだったはずだ。

「……おうじ」

 ルディの腕の中でクラウティーエは小さく震えた。

 懸命に腕を伸ばして、冷たい籠手ごしの指先がルディの腕に触れる。

「置いていってください」

 クラウティーエは涙を浮かべながら懇願する。

「どうしてここにいらしたのかと、初めは運命をこれ以上なく恨みました。でも、本当はもう一度、一目なりともお会いしたかった……。女神が最期に慈悲をくださったと」

 ゆっくりと、クラウティーエの深い蒼の瞳から一筋の涙が白い頬を滑り落ちていく。

「わたしは自分の生まれてきた意味を見つけたかった。誰かの――貴方の役に立ちたかった……」

 そう言ってクラウティーエは微笑む。それはルディにとっては儚く思え、今にもこの腕の中から他の巫女姫たちのように光の筋となって消えてしまわないかと恐怖させた。


「お前にはまだやってもらいたいことがあるんだ、だから」

 ルディはクラウティーエを抱えたまま既にローゼリシアたちが待つ、光の方へと急ぐ。球体の中ではローゼリシアたち三人が、ルディを急かすように手招きしていた。

「急げ、崩れる!!」

 ルディの背後に巨大な岩盤が落ちてくる。続いて轟音と共に水の近づく気配が迫って来る――。

「ルディ様!!」

 ローゼリシアが悲鳴を上げる。それに素早く反応して、次々に落ちてくる岩盤を間一髪で躱しながら必死に進み、ようやく球体に辿り着く。手を伸ばすナイジェルに、先にクラウティーエの体を預けようとした瞬間――


「―――――!!!」


 落雷が起きたかのような衝撃に火花が散る。クラウティーエは弾き飛ばされ、床に叩きつけられる。


「クラウティーエ!!」

「レイ様、いいのです」


 駆け寄ろうとしたルディに、クラウティーエは瞳だけをこちらに向けて拒絶する。


「わたしはここからは出られないのです」


 ナイジェルはその言葉を以前にも聞いていた。しかし、

「奥殿は崩壊する。お前の魂を呪縛しているものも無くなるんだ。諦めるな!」

「呪縛は消えるでしょう……けれどそれを待っていては遅い……」

 クラウティーエは最後の力を振り絞って手を伸ばす。

 その指先に目映い閃光が集まりはじめる。


「女神よ、どうかご慈悲を……――」


 それは本当に小さな小さな囁きだったのに、どうしてかはっきりとその場にいる全員の耳に届いた。

 ローゼリシアは溢れる涙を堪えることができなくて、隣に立つライドール胸に縋って泣いた。

 ライドールはそんなローゼリシアを抱き寄せながら、痛ましげに唇を噛む。

 ナイジェルは静かに首を振って天を仰いだ。


 ルディは戻ろうとしたが、ナイジェルに後ろから羽交い締めにされ、振り切ろうとして暴れまわった。


「離せっ!! あいつが、クラウティーエが――嫌だ!!」

「やめるんだ、ルディ、もう……もう……」


 もはや僅かな時間すら、この場所に残されていないことは明らかだった。

 一刻も早く脱出しなければ、そんなことは分かっていた。けれど、『それだけ』は絶対に容認出来なかった。


 あの子を、再び置き去りにすることなど出来はしない。

 あの雪の日の別れをどれだけ後悔したか。

 何度あの場所に戻って、連れて逃げればよかったと悔やんだか。


 それだけは絶対に御免だった。


「クラウティーエ!!」


 ナイジェルの腕を振り切ってルディが駆け出すのと、クラウティーエの腕から放たれる光が球体を包み込むのと、それは同時だった。



 ―――――――――――――!!



 ふわり、と球体が浮かび上がり上昇していくのを呆然と見上げるクラウティーエを抱き締めて、ルディは叫ぶように告げた。


「国の奪還も、王家の名誉も、お前が居てこそだ」

 どうして、と震える声が返る。

「何故わからない? やはり言葉で言わないと駄目か?」

 少女は、自分の価値を全く知らない。だからこんな真似が出来るんだと、ルディは嘆息する。


「お前が何より大切なんだ。お前の代わりは誰にも出来ない、ただ一人の俺の春雪花」

 祖国アーベルでは春の訪れを告げる春雪花は希望の象徴であり、誠実な想いを捧げる誓いの花でもある。

 かつて幼いクラウティーエは春雪花に誓いを、王子レイスルディアードに身命を捧げる誓いを立てた。そしてルディはあの雪の日に、命の恩人でもある愛しい自分の小さな騎士に、約束と言う名の誓いを立てた。


 必ず迎えに行くから


 それは言葉以上の想いを込めた、当時の彼にとって精一杯の誓いだった。

 だから……


「誰よりも愛しているんだ、クラウティーエ。お前がいないと何も意味を為さない」

 言葉を紡ぐことも出来ずに、ただ震える愛しい少女の涙にそっと唇を寄せて、ルディは立ち上がった。


「俺はまだ諦めた訳じゃない。絶対にここから脱出してお前を故郷へ連れて帰ってやるから」


 クラウティーエを抱えたまま、ルディはクラウティーエが先程まで握りしめていた宝玉を手に取ると、迫り来る水流から逃れるように駆け出した。



 崩落して来る岩盤を躱してもきりはなく、勢いを増す濁った水流から逃れる術もなく。水流に呑み込まれる瞬間、ルディは万感の想いを込めてクラウティーエを抱き寄せた。例え命尽きても、絶対に離れないように、と。



 その瞬間、あの宝玉が濁流の中で仄かな光を帯びた気がした。

 そして、聞こえるはずのない優しい囁きが耳に届いたような気がした。



「わたしも、心からお慕い申し上げておりました――どうか、貴方の未来が輝かしい栄光に満ち溢れますように……」





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