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マーレヴィーナの巫女姫  作者: 綾野柚月
6章 伸ばした手の先に、掴み取ったもの
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 それはひどく長い時間のようにも、あっと言う間の時間のようにも感じられた。


 ローゼリシアが手にした鏡が放った閃光が海神の米神を、ナイジェルの剣が海神の心臓を貫くのも、クラウティーエの持つ宝玉の光が視界のすべてを白に染め上げるのも。

 ルディはまるで夢の中の出来事のように、その光景をただじっと見つめていた。


 見つめるしか出来なかった。





 一体何がどうなったのか全く分からない。

 視界が元の色彩を取り戻した時には、海神はその姿を消していた。そして、いたはずの場所には淡い光が漂い、その光はゆっくりと集まってぼんやりと形を取り始める。

 かつての巫女姫たちのように。


『……………――――』


 光は次第に濃度を増して、そこには一人の青年が静かに佇んでいた。

 彼はぎこちない動作で顔を上げて、こちらを見て不思議そうに大きく瞬きをする。


『――――海の鎖は、もう僕を縛らないのか………………?』


 女性とみがまうほどの中性的で整いすぎた容姿は、どこかクラウティーエに似ていた。深海のような深い蒼の瞳に銀色の髪。どこからか吹き込む風に、彼の長い髪が揺れて、それはまるで深海に射し込む一筋の光のように見えた。

 彼の周りを淡い光の影がふわりふわりと纏わりつくように浮かび、そして静かに消えていく。それはひどく哀しく、とても優しい景色だった。


『…………僕はもう、眠ってもいいのか…………?』

 掠れた声には疲労の色が濃く滲んでいる。

 彼は長い長い時を、この海の底に縛られて続けていたのだ。

 ローゼリシアの中に入り込んだラヴィアータの記憶が、海神と呼ばれることになった青年の数奇な運命を教えてくれる。


 彼は遠い遠い異国の生まれだった。その強すぎる霊力を周囲に疎まれて故郷を追放され、長い放浪の末にこのマーレヴィーナにようやくたどり着いたこと。

 彼はこの異郷の地で望まぬままに生き神として祭り上げられ、意思に反して利用され、挙げ句忌む者として海の底に生きながら封じられたこと。


 そう、海の怒りは彼の嘆きであり、抵抗であり、絶望だった。

 彼は気の遠くなるほどの時間を、何もできず、死ぬことさえもできずにたった一人で過ごしてきた。


 巫女姫たちはそんな彼の嘆きを最後に知って、自分達の罪を知った。

 その罪悪感は、彼女たちを彼の深い嘆きに寄り添うためにこの冥い海の底に留まることを決意させた。


 そしていつか、この海底の牢獄から、冤罪から解放される日をただひとつ願って、過ごしてきた。けれど、彼を縛る巫女姫という名の鎖は幾重にも巻き付けられ、互いの嘆きが共鳴して、さらに海を不安定にするという悪循環に陥っていた。


『ようやく………………』

    『……………光が……』


 『……女神の慈悲が……』


 少女たちの声が漣のように耳を打つ。

 その声は一様に明るく弾んで、この陰鬱とした空間にはおよそ場違いなほどだった。


『ああ、やっと……………』


 青年が手を伸ばす。その先にはローゼリシアが――――ラヴィアータがいた。

 ラヴィアータは鏡を手にしたまま、青年の方へ進み出る。


「ローゼリシア!!」


 事態を把握仕切れないライドールが思わず静止の声を上げるが、ラヴィアータは引き寄せられるように青年に近付いていく。

「「ごめんなさい……」」

 少女の声が重なる。謝罪の声は震えていた。

「「わたしが貴方を神殿に連れて来なければ、わたしが早まって貴方の力を封じようとしなければ、わたしが――」」

『もう、いいよ』


 青年は穏やかな表情でラヴィアータを見つめている。

『もういいんだ。きみも』

 青年は恐る恐る手を伸ばしてラヴィアータの頬に触れた。その瞬間、ラヴィアータの姿が浮き上がって、ローゼリシアから離れる。ローゼリシアは糸が切れたようにその場に崩れ落ちた。


『一緒にいこう』

 ラヴィアータは頬に触れる青年の手に自らの手を重ねて、静かに頷く。




 その瞬間、世界は再び純白に染まり、すべての視界が奪われた。






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