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ライドール・ヘルムクルト。二八歳でルディより三歳歳上。マーレヴィーナの筆頭騎士で、出身は大陸の北端にあるフラゼア公国。大公の第三公子として生まれた彼は、非常に有能な政治家として頭角を現し始めていたが、母親の身分が低かったせいで有力な後見人を得ることが出来ず、政争に敗れて国内に居場所を失い、大公の取り計らいでこのシェーラミルデ神殿の騎士になった。未だに祖国での復権を望み、神殿での実績を足掛かりにしたいと考えているらしい。
フラゼア公国はルディの祖国、アーベルの隣国だ。交易が盛んな北の大国で、現在アーベルはフラゼア公国の半属国になっている。八年前の事件は背後にフラゼア公国が糸を引いていたらしいとの噂だったが、ほぼ間違いないだろうとルディは考えていた。
そのフラゼア公国の第三公子でもあるライドールは気位が高く、選民意識が激しい。実際出自の知れない傭兵のルディとは、直に口を聞くことすら本来は有り得ないと思っているらしく嫌悪を隠そうともしなかった。王公貴族のそういう態度に免疫がないわけではなかったので、ルディは一々傷ついたりすることはなかったが、当然面白くもない。
超事務的にルディのここでの立ち位置と役目を簡潔に説明したあと、ライドールはマントを翻し高い靴音を響かせて去っていった。
(――面倒なことになったよな……)
ルディは盛大な溜め息を一つ落として、自分の格好を改めて眺める。
儀礼的で全く実用性のない鎧は、実戦に際しては枷にしかならないだろう。支給された剣も繊細な装飾が美しいが、重くて、扱いづらい。切れ味も悪そうだし、叩きつけるように使うにも、そうなると今度は軽いだろう。ルディは何事かあってからでは遅いのでマントの裏などに短剣を仕込んでおいた。剣もそのうち自分のものに変えようと心に決める。
それにしてもあれだけしつこく食い下がって依頼してきた割に、ここでの待遇が悪すぎる。
神殿長といい、神殿騎士たちといい、……巫女姫といい。
権力主義の神殿の住人が、身元の知れない傭兵をまともに相手にしないことはわかっていたが、自分を守護してもらうはずの巫女姫まであれではやる気も削がれる。それに、未だに肝心な情報は殆どと言って入ってこない。
色々と納得いかない気持ちのまま、これ以上ここにいても仕方ないのでルディは聖殿を後にした。
ホールに戻ると慌てた様子のグラントが、数人の同僚相手に大仰な身振り手振りを加えながら何かを必死に説明しているようだった。そしてルディの姿に気付くと大袈裟な反応を見せ、駆け寄ってくる。
「ああ、ルディさん。探しましたよ!」
真っ白い顔の軟弱そうな神官は、手にした手紙をルディに開いて見せる。
「大変なんです、見てください!!」
顔の間近まで押し付けられた紙を奪い取って、ルディが目を落とすとそこには赤いインクの乱暴な文字が踊っていた。
――聖婚を中止せよ。今代の巫女姫は海神に相応しくない。
字の大きさもまちまちで、書き殴ったような乱れた文字からは不吉な気配がする。赤い文字も、血のように見えてますます不安を掻き立てる。目の前のいかにも小心そうな神官は、すっかり竦み上がっていた。
別に殺害予告でもない、ただの批判として片付けてしまってもおかしくない内容だったが、文字が異様なだけで、これほどまでに性質を変えてしまうものかと感心する。
それにしても、
「相応しくない、か……」
ルディはひとりごちた。確かにあの巫女姫は。『巫女姫』に相応しくない。
噂で聞く巫女姫は慈悲深く、穏やかな性質の神の代弁者だ。あの巫女姫は民の前にも出ず、死人のような青白い顔に陰気な空気を貼り付けて、この世の終わりを告げる死神のように残酷で非情な存在に見える。
「もう聖婚まで一月を切っているんです。準備は色々とあるのに……!」
グラントは頭を抱えた。どうもこの神官は感情表現が大袈裟で、鬱陶しい。
「この手紙はどこにあったんだ?」
一人でバタバタしているグラントのことは放置しておいて、ルディは隣にいた別の神官に尋ねた。
「グラント殿の執務室の扉の隙間に挟んであったらしい」
中年の神官は不審そうに顎髭を撫でながら答えた。
「こういうことは以前にもあったのか?」
「初めてですよっ!」
再び答えようして口を開きかけた中年神官を遮って、グラントが叫ぶ。何度もあってたまるものですか、と喚いている。
「おい、あんた」
ルディはいい加減今の状況に我慢できなくなっていた。奧殿の高位神官の部屋まで敵は難なく侵入していることから、敵は確実こちらの状況を正確に把握している。いつでも出来るのだと、嘲笑っているように思える。
「巫女姫も神殿長も筆頭騎士もアテにならない」
長身で目付きの悪いルディに上から凄まれて、軟弱な神官は甲高い声を上げて震え上がった。
「一からの経緯と内部の人間関係について説明しろ!」
「「「はいいっ!」」」
グラントと何故か隣にいた同僚たちまで一緒になって悲鳴のような返事を返すから、ルディは頭痛がする思いで、額を押さえた。