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鏡から放たれた閃光は、真っ直ぐに海神の額を貫く。
ドスン、と大きく鈍い音がし地震のような地響きがする。反射的に音の先を見れば、海神が体勢を崩して片膝をついていた。額を両手で覆うようにしてがむしゃらに頭を振っている。その反動で正面にいたクラウティーエが弾き飛ばされ、岩壁に叩きつけられていた。
「クラウティーエ!!」
駆け寄ろうにも、クラウティーエが飛ばされた先はルディのいる場所からは海神を挟んだ先だ。暴れまわっている海神を避けて、無傷で近付ける保証は何処にもない。それでも、床の上に崩れ落ちた体勢で動かないクラウティーエをそのままにしておくことは出来なかった。
ルディは暴れまわる海神の動きを慎重に見据えながら、時期を測る。周囲を見ればナイジェルは彼らしくない焦燥の濃い表情で海神を見上げていた。一方、ローゼリシアは跪くように身を屈めて、ライドールは何とか剣を杖のようにして立ち上がり、必死にローゼリシアと海神の間に立って彼女を庇おうとしていた。
淡い光が、海神を包むように取り囲んでいる。かつては巫女姫だった少女たちは自分の命を奪った存在を前にして、どんな思いでいるのかは分からない。けれど、その気配からは何故か不思議と負の感情が感じられなかった。
その中の一人、先ほどまでローゼリシアの側に添っていた少女が、両手を広げてローゼリシアに近付いていく。一体何をするつもりかと様子を窺うと、彼女はローゼリシアを抱きしめるようにその体を両手で包み込むと、ゆっくりとじローゼリシアの中に融けていった。
「―――――!!」
ライドールが目を瞠り、振り返ってローゼリシアの腕を取る。ローゼリシアは瞬きを数回繰り返すと、手にした鏡を持ち直して顔を上げた。
「「案ずることはありません……彼女に害は及びません。ただ、私は実体を持たないので彼女の力を借りただけ」」
ローゼリシアの声にもう一人の少女の声が重なる。瞬きのあと、その長い睫毛に縁取られた瞳の色が海の蒼から太陽のような黄金色へとその色彩を変える。それはローゼリシアの中に入り込んだ少女の瞳の色なのだろうか。
「「彼女と私の霊力は同質なので同調しやすいのです。そしてこの状態ならば、力を重ね合わせて本来以上の力を行使できる――」」
少女は鏡を再び頭上に掲げ、海神に向ける。どこから集めたのかは分からないが、この空間の全ての光を集めたかのような光が、海神を眩しく照らした。
―――グワアァァァアッ!!
地の底から響く地鳴りのような呻き声に、ルディは反射的に怯んで一歩後ずさるが、その隙にナイジェルは剣を構え直して海神に斬りかかっていた。
「―――ハアッ!!」
その手にした幅広の大剣が風を切る音がやけに大きく聞こえて、その直後世界が赤く染まる。海神の腕から吹き出した夥しい量の血が、噴水のように勢いよく飛び散って、その場にいる者をも赤く染め上げた。
ナイジェルは第二撃を撃ち込むべく、剣を再び構えている。海神はナイジェルを警戒して他に気が回らないようだった。その隙にルディは海神の背後をすり抜けて、クラウティーエの元へと駆け出す。
「クラウティーエ!!」
無我夢中で飛び込むと、クラウティーエは目を瞠りこちらを見た。とにかく意識はあるようだ。半身を起こし岩壁に背を預けてようやく起きあがっているような状態だったが、日に何度も全身を打ち付けるような目にあっているのだ。よくぞ耐えてくれているとしか言えない。
「とにかく俺の後ろに下がっているんだ」
ルディがありったけの想いを込めて命じた言葉に、クラウティーエは静かに首を振る。
「いいえ、レイ様。ここで下がるわけにはいきません」
「その状態で、何が出来ると言うんだ」
頑なな態度のクラウティーエは、場違いなほど冷静だ。
「何が出来るかはやって見なければわかりません。けれど、今ここで何もしなければここにいる全員は数刻後に海の藻屑となるしかない……」
クラウティーエはあの衝撃でも手離さなかったらしい宝玉を胸に押し抱いて、そっと目を伏せると小さく呪言を口に乗せた。その瞬間に宝玉が光を帯びはじめて、一回り大きく膨れ上がったように見える。
それは、クラウティーエの力を――命を吸い取って光に変えているかのように見えた。ルディの胸にこれまでかつてないほどの不安と戦慄が込み上げて、一気に全身を凍てつかせるような恐怖に、彼は知らず叫んでいた。
「もうやめろ、クラウティーエ!!」
一体何のために彼女は命を削るようなことをするのか。縁もゆかりもないこの南の果ての地で、恩も何もあるはずはないのに。そう思って彼女の思考回路を予想すると行き着く先はただひとつ――祖国の奪還を、いや、彼女の唯一の主である自分の宿願を叶えるためだけだ。
自惚れかもしれないとは思わなかった。クラウティーエの育ってきた酷すぎる環境は、彼女から大切なものを根こそぎ奪ってしまった。彼女は自分の価値を知らない。生まれてきたこと自体を罪だと思っている彼女は、ただひたすらに、焦がれるほどに自らの死に場所を探していた。ルディは知っていたはずだった。誰よりも純粋で哀しい存在だから、どうしようもなく愛おしかった。
止めなければ、と思った。
このままでは再びクラウティーエを喪ってしまう。もうあんな絶望は二度とご免だった。
無我夢中で両手を伸ばし、背後から抱きすくめると彼女の背が大きく震えた。
鎧越しでも分かる、何て小さく華奢な体なのだろう。そして、氷のように冷たい。
ルディは堪らなくなって少女を抱く腕にさらに力を込める。
「もうやめてくれ」
だめだ、と繰返し命じる。いや、それは懇願かもしれなかった。もはやクラウティーエを繋ぎ止められるならどちらでもよかった。
「ご心配には及びません、王子。必ず地上にお返しします」
「お前は?」
ルディの語気が自然と強まる。いままでないくらい低く響く、威圧感のある声には彼の思いの全てが含まれていた。
「わたしは――必ずお役に立って見せます」
「そうじゃなくて、お前も一緒に帰らなければ意味はないんだ。あの日の約束を忘れたのか、クラウティーエ!!」
クラウティーエはそっと息をついて、首を回して振り返り小さく微笑した。
見覚えのある笑みだった。
初めて出会った頃、彼女が常に顔に貼り付けていた仮面のような笑み。
「わたしはわたしの成すべきことを行うのみです。どうかお許しを――我が君」




