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マーレヴィーナの巫女姫  作者: 綾野柚月
6章 伸ばした手の先に、掴み取ったもの
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 ローゼリシアは力強い腕に護られるように抱かれながら、目の前の不思議な光を見つめていた。

 ふわりふわりと浮かんでは、醜い魔物の中に飛び込んでいく美しい光はまるで見るものを癒やすかのような慈愛に満ちている。そして、とても胸をきつく締め付けられるような哀しい存在にも見える。


――――どうして、わたしはここにいるの?

――――どうして、わたしはここから出られないの?

――――どうして、わたしは海の底に封じられているの?

――――どうして、わたしが贄として捧げられなければならなかったの?



――――どうして、どうして、どうして


 突然未来を絶たれた少女たちの悲しみが、嘆きが、無念が、絶望が真っ直ぐにローゼリシアの胸に流れ込んでくる。


「ああ……」

 ローゼリシアはあまりの思いの重さに翻弄され、涙を流した。

(あれは過去の巫女姫たちのなれの果て……神の国にいくことも出来ず、海神と言う名の魔物を海の底に縛り付けておくための鎖として、長い者は数百年もこの暗い海の底に留め置かれている……)

 それがどれ程の絶望をもたらすものなのか、ローゼリシアには想像もつかない。少女たちは何も知らされないまま『聖婚』に臨まされ、そして尊い命を強制的に捧げさせられた。

 少女たちは今、現在の『巫女姫』であるクラウティーエの呼び掛けに呼応して集まっているようだ。クラウティーエの異能の力が、眠っていた少女たちの魂を呼び覚ましたのだ。

 改めてクラウティーエを見ると、対抗しようとしていたのがおこがましいほどに力の差は歴然としていた。ローゼリシアには彼女の半分の霊力も、勇気も、信念もない。今まで積み重ねてきたものが余りにも違いすぎる。先刻過去視の力が暴走して視えてしまった彼女の過去は壮絶なもので、ローゼリシアが神殿の庇護下で大切に慈しまれて育ってきたのとは真逆のものだった。手を伸ばしても届かないものを、切望することすら出来ないのは、一体どんな哀切を伴うものなのか。その彼女の真っ暗な道程でただひとつの燭光が、ルディ――レイスルディアード王子だった。その彼のために全てを捧げようとする一途な想いは、ローゼリシアの淡い恋心など到底敵う訳もない。


 クラウティーエと巫女姫たち。

 全く境遇も違う彼女たちに共通するのは海の底よりも深く暗い絶望と、ささやかな願いの色。自分の大切なものを守り、その幸せだけを純粋に願う無垢な想いだけ。自分の未来を描くことのできない代わりに、大切な人の未来を想う。切な過ぎる想いに、ローゼリシアは押し潰されるような痛みを覚えた。


『―――――――……』


 クラウティーエの色を失った唇から紡ぎ出されるのは美しくも残酷な呪言まがごと。古語でのそれを理解出来るものは目の前の海神と、恐らくローゼリシアだけだろう。その言葉には身を凍らせる程に恐ろしいものが内包されていた。


(だめ、このままでは……――)


 ローゼリシアは石のように固まってしまった体を必死に動かして手を差し伸ばす。

 突然動き出したローゼリシアに驚いたライドールが目を瞠って抱き寄せる腕に力を込めるが、ローゼリシアはそれを振り払うように藻掻いた。

「だめです、クラウティーエ様!!」

 か細い声、きっとクラウティーエの耳には届かない。ライドールが怪訝そうにローゼリシアを見て、そして宙に浮かぶクラウティーエを見上げる。


 クラウティーエの呪言はとても優しい言葉でもあった。

 永い孤独を慰め、優しく包み込むような慈愛に満ちていた。

 巫女姫たちは――そう、海神ですらも気の遠くなるほどの長い年月を、彼女たちはこの真っ暗な海の底に閉じ込められてきた。海神も初めから邪悪な存在ではなかったのかもしれない。何かがあって、それが海都の民を脅かすものだったから封じられ続けて来たのかもしれない。


 クラウティーエは恐らく何もかも、全てを知っているのだろう。

 彼女は今までの仮面のような無表情が嘘のように綺麗な笑みを浮かべて、全てを赦し、癒やす女神のようにそこに佇んでいる。

 その春の暖かな陽射しのような優しい眼差しが、却ってローゼリシアの心を凍りつかせていく。

 ローゼリシアには分かってしまった。

 クラウティーエが何をしようとしているのかを。


 このまま彼女を見逃せば、海都の民は救われるのかもしれない。それだけでなく、この海の底に沈められ忘れられてきた哀しい魂たちも、救われるのだろう。だけれども、彼女は救われない。いや、クラウティーエは主君のために命を捧げることが出来て心残りなく逝けるのかもしれない、でもそれは余りに哀しい自己満足でしかない。


『――――忘れられしものよ、嘆きを委ねよ……』


 クラウティーエが海神に向かって両手を広げる。今まで彼女の腕に抱かれていた宝玉がゆっくりと浮き上がって閃光を放った。


「だめえええええっ!!」


 ローゼリシアは無我夢中で叫び、飛び出した。このままでは彼女は自身を犠牲にして全てを滅するのだろう。あの宝玉から溢れでる霊力は尋常ではない。

『邪魔をしないで、どうか下がっていて』

 クラウティーエの声が直接脳裏に響く。

その声は優しく諭すようでいて、反論を許さない厳しい命令のようでもある。

「だめよ、それでは今まで何もと変わらないわ」

『それは違う、これを成せば二度と海神は目覚めない。もう巫女姫は必要なくなる』

「それは、違います……誰かが犠牲になるんじゃなくて……っ!」

 伝わらない思いがどうにも歯がゆくて、ローゼリシアの語気も自然と強いものになる。頬を熱い雫が滑り落ちていくことにも気付かなかった。

 

 どうしてこれほどまでに頑ななのか。

 きっとクラウティーエは気付いていないに違いないのだ、自身の命の価値に。彼女のその境遇を思えば致し方ないのかもしれないが、生き急ごうとする命をむざむざと見過ごすことはローゼリシアにはどうしても出来なかった。

 しかし何をどうすればいいのか分からなくて、ローゼリシアが絶望の余りに膝をついた時、突然誰かが耳元で囁いた。


『――祈りはその性質が純粋であればあるほど、神は耳を傾けて下さる。諦めるのはまだ早いのではないですか――もう一人の巫女姫……』


 声のする方へ顔を向けると、そこには淡い光のヴェールを纏ったとても穏やかな微笑みを浮かべたとても美しい少女がいた。




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