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もうずっと長い間、焦がれるように胸を占める思いがあった。
あの人の姿に憧れて、いつしかその側で役に立ちたいとどれだけ願ったことか。
心根が美しく、真っ直ぐだったあの人がこの神話の時代から続く呪われた連鎖にずっと心を痛め続けていたことを知ったのは、全てが崩れ落ちてしまった後だった。その前に知っていればあの人のために何か出来たなんて自惚れてはいない。しかし、あの人の願いを、思いを同じ時間に少しでも分け合うことが出来たなら、もっと自分で自分の価値を認めることが出来たのかもしれない。今のような卑屈な小者に成り下がらずとも済んだのかのしれない。
『海都を――――この麗しいマーレヴィーナを守るためには必要なことかもしれないが……。何事においても綺麗なものだけでは作れない。光が輝く裏では漆黒の闇があるように、美しいものがあれば醜いものも存在する。巫女姫はこの海都に必要な闇であり、海神は降り注ぐのを避けられない醜い光なんだ』
いつか、そう前回の聖婚の儀式の少し前、たまたま休暇で実家に戻って来ていたあの人は、聖婚の儀式に期待感を持って熱っぽく語った自分にそう悲しい瞳で話してくれた。その時はあの人の言葉の意味が全然解らなかった。当時の自分はまだ神官見習いとなり神殿に入ることが許される十五才に至っておらず、うわべだけの儀式の知識しかなかった。しかし実際、海都の民の聖婚に対する知識など自分同様、所詮寝物語の延長線上のものでしかなく、その裏に潜む絶望的な闇を知るものなどほんの一握りしかいなかったのだ。
それは許されざる罪だと、あの人は後に記した日記で語っていた。闇から目を背け、逃げ続けていくのは大罪だと。しかし事実を知ったところで、強大な力を持つ『神』に脆弱な人間がどうして立ち向かうことなど出来ようか。そのような恐ろしいことなど出来るはずもない。それに事実を知れば、民は恐怖と絶望に支配され、未来に希望を全く見い出せなくなってしまうだろう。美しいマーレヴィーナが失意と言う名の混乱の渦に沈んでしまうだろう。ならば美しい嘘で真実を偽り、優しい嘘ですっぽりと包み込んで隠したほうがどれだけ幸せなことではないか――。
代々の神殿長と支配階級たる一部の上級貴族たちはそう考えて、『聖婚』を美化してきた。約二十年に一度、たった一人の少女の犠牲で済むならそれでいいのだと。多くを救うための犠牲ならば致し方なかろう、と。それが数百年以上も続けられていることがどれだけ恐ろしいことであるか、彼らはその事実から敢えて目を背け続けていたのだ。
けれど高潔な魂をもったあの人はそれを良しとはしなかった。優秀なあの人は来る日も来る日も古い文献に埋もれては、何かに取り憑かれたように傷んだ頁を捲っては『全き光』を探し続けていた。
しかし無情にも時は流れる。
解決策の一片すらも見いだせないまま、『刻限』は近付いてくる。
あの人は絶望する、無力な自分に。そして『聖婚の儀式』に熱狂するマーレヴィーナの民たちに。どうあがいてもどうにもならない失望に、胸の中がすっぽりと空洞になってしまったような失意に苛まれていたのだろう。
そして結果あの人は、巫女姫を、儀式の大事な贄を神殿という呪われた牢獄から逃がそうとしてしまった。正攻法で『聖婚』を回避出来なかったあの人は、万策尽きてどうにもならなかったのだろうと、今ならそう、推察できる。しかし、彼女を連れ戻そうとした神官たちから逃れるため巫女姫は逃げて逃げて、思わぬ事故で命を落としてしまった。神殿と海の境界から転落して、あっという間に深い海の闇にのまれ、消えてしまった。その後に起こった『海の怒り』を鎮めるために新たな『巫女姫』が神に捧げられた。カレンシェリナという名の、聡明で優しかった少女が、神と呼ばれた魔物に喰われて『怒り』を鎮めたらしい。
あの人の嘆きは、深すぎた。
罪もない二人の少女の命を散らせてしまったこと。
代役の巫女姫となった少女の婚約者であった騎士の、あの悲しみと怒りに満ちた眼差しが、あの人をどこまでも追い詰めた。
あの人は責を問われ、神殿を追われ、一族からも追放されて、全てを失って、それでも祈り、願うことを止めなかった。その姿は殆どの者から見れば惨めで見るに堪えないものだっただろう。けれどもあの日の自分にとっては、あの人はどこまでも崇高で、愚かなほどに純粋な存在だった。
あの人と違って出来の悪い自分は、あの人の目指す高みなど、雲の上にあってその影すらも見いだすことが出来ない。あの人の遺志を継ぐことも出来ない。かつての望みを叶えて神殿に入っても、ここにはあの人はいない。心の奥底で冥い感情が澱んでいくのが自分でもはっきりと自覚できた。
そしていつの日か神殿にも、儀式にも、巫女姫にも興味は無くなった。自分に残されたのは、薄暗く歪んだ感情だけ。あの人の名誉を回復させるためにも、奴らには惨めに消えてもらわなければならない。
その行く先が――例えどんな地獄でさえも厭わない。それこそ本望と言うものだ。何故なら、きっとあの人は地獄にいるに違いないのだから……。




