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ルディはナイジェルとともに再び奥殿に舞い戻った。
その身には予め用意していた神殿騎士の儀式用の全身鎧を身に付け、神殿騎士に偽装している。顔を覆い隠す兜のお陰で怪しまれることなく奥殿の中を移動できた。
今の時間帯は地上の神殿での儀式が終わり、舞台を奥殿に移す準備をしている時間帯だと聞いている。そのせいか、奥殿の空気が今までになく張りつめている。
ナイジェルの先導について、ルディは先を急ぐ。
現状がどうなっているのかは分からないが、この先の儀式を進めてはいけないことは聞いている。このままにしていたら『巫女姫』が海神という名の魔物の贄となってその命を散らしてしまう。先程儀式を行っていたローゼリシアか、それとも贄となるために連れてこられたクラウティーエか、どちらかかあるいは二人ともを失ってしまうことになる。
それは阻止しなければならない。
クラウティーエも、ローゼリシアも、こんなところでむざむざと散らせるべきではない。
同行するナイジェルとは目的や理由は異なるものの、目指すところはひとつだった。彼は亡き婚約者の遺志を懸命に叶えようとしている。その悲痛な願いは、ルディの心に重く響いた。
「―――――!!」
奥殿の最奥の領域に向かう回廊に差し掛かった時、俄に慌ただしい気配を感じて二人は足を止めた。
何事かと視線でナイジェルに問うと、彼は厳しい眼差しを奥の広間に向けていた。視界にやっと捉えるほどの距離にあるその広間は、奥殿の入り口に接した場所で、かつてルディがローゼリシアと初めて会った場所でもある。
その広間に大勢の騎士が集まっている。怒声や悲鳴が聞こえることから、何か問題が発生していることは間違いない。剣戟の音も遠く聞こえて、二人は先を急いだ。
広間に近付いてみると、そこでは神殿騎士たちと黒衣の者たちとが乱戦中だった。どちらが優勢というわけではなく、勢いは拮抗していた。
「アラザイトの手の者とは違うのか……?」
ナイジェルが忌々しげに吐き捨てる。アラザイト、といえばグラントの家だが、そうではない第三の勢力がこの期に及んで介入してきたとなれば面倒としか言いようがない。
乱戦から一歩引いた場所で様子を見ていたルディ達だったが、ふと、この乱戦の渦の中からひっそりと脱け出そうとしている小さな影を見つけた。
「あれは―――――」
神殿騎士に手を引かれて脱け出してきたのは、純白の婚礼衣装に身を包んだローゼリシアだった。彼女は哀れなほどに悲愴な表情を全面に貼り付けて、必死に騎士に縋り付きながら回廊に躍り出る。どういうことだか乱戦中のどちらの勢力からも気付かれている様子はない。
「幻影の術だな、しかし咄嗟に張ったから範囲が狭い」
ナイジェルの声には感嘆の響きが滲んでいる。あの混乱の中で、ローゼリシアを気付かれることなく連れ出すのは至難の技だ。それをやってのけたのだから、あの騎士は只者ではない。この場で優位を保てる剣の腕を持ち、且つ呪術をも扱えるもの――そうなれば、騎士の正体は殆ど絞りこめる。頭部をすっぽりと覆い隠す兜のせいで顔は見えないが、誰であるか想像はついた。
「どうする?」
「…………」
ナイジェルからの返事はないが、やるべきことは決まっている。
あの二人を追わなければならない。
ルディたちは念のため二人には気付かれるないよう、慎重に気配を殺しながら、姿を視界に捉えられるように一定の距離を置いて後を追った。
ローゼリシアの衣装のせいか、先を行く影の速度は速くはない。幻影の呪術を掛けていなければ捕獲されていただろう。
そしてたどり着いた小さな部屋の前で、二人は息を詰めて中の様子を伺った。
「――――――」
中からは何やら話し声がするものの、その内容までは聞き取れない。それは隣に立つナイジェルも同様のようだった。彼はどうにか聞き取ろうと耳を扉に押し当てている。
このままでは中に踏み込む時期を掴めない。
――――コツン、
その時、背後に新たな人の気配を感じた。石造りの廊下に遠く、微かな靴音が聞こえた。
細く薄暗い回廊の奥に、人影が見える。それは危惧していたような『敵』の集団ではなく、一際立派な甲冑に身を包んだ神殿騎士だった。
「お前たち、そこで何をしている?!」
今日の神殿騎士たちは儀礼の為、頭から爪先まで白銀の鎧を着用しているため一見誰が誰だか判別がつかない。鎧を身に付けていたら、誰でも神殿騎士に偽装できるのだ――今のルディとナイジェルのように。であるから、神殿騎士の鎧を纏った者が『巫女姫』の味方とは限らない。しかし、この声の男は間違いなく神殿騎士だった。この人を見下したような、命ずることに慣れた高圧的な口調といい、成人男性にしてはやや高い音域の声といい、間違えるはずもない。
――筆頭騎士、ライドール。
ここに来て厄介な人物が来たと、ルディは悪態をつきたくなる衝動を堪えた。
「何者だ、ここで何をしている?!」
ライドールは語気こそ荒いものの、どういうわけか努めて小声で詰問してくる。
ゆっくりと近づきながら、右手は脇に挿した剣に伸びていた。
どうするべきか、咄嗟に返答することが出来ずに、ただ、兜の下で唇を噛む。
「アラザイトの手の者か、それとも公爵家の者か、何れにしても我が部下ではないのだろう? 狼藉者が……」
ライドールはスラリと剣を抜く。彼の剣技はマーレヴィーナの神殿騎士の中では上の部類であるが、世間の戦場においては中の上といったところだ。やり合っても負ける気は全くしないが、余計な時間を割くのも惜しい。
どう切り抜けようか、頭を巡らせようとした、その時だった。
どおん、と地鳴りのような音がひびいたその瞬間――
「きゃあああああああっ!!!」
つんざくような悲鳴が扉の奥から響く。ルディが振り返るよりも、ライドールが剣の矛先を変えるよりも、ナイジェルが扉を蹴り開ける方が早かった。
「――――なっ……!」
最初に飛び込んだナイジェルが息を飲んで立ち尽くす。
そのあとすぐに扉の奥へ進んだルディとライドールも、『それ』に気付いて凍りついた。
「何だ、あれは……!」
ライドールが譫言のように呻く。余りの息苦しさに彼は思わず兜を脱いでいた。額から冷たい汗が頬を伝い、落ちる。
言葉を失うのも道理であるとルディは思った。
湿った岩に囲まれた小さな部屋の壁を豪快に突き破ってこちら側に身を乗り出した、世にもおぞましい姿をした巨大な魔物が、白濁した目でこちらを見下ろしていた。




