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マーレヴィーナの巫女姫  作者: 綾野柚月
4章 絡まり、縺れゆくもの
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 白金の髪の青年を肩に担ぎ上げて歩く彼の横を、雪のように白い少女が足早についてくる。長身の彼の歩みについていくためには、少女は足早にならざるを得ないのであるが、その様子は必死に縋っているようにも見えた。

 少女の視線はずっと彼の肩に担がれている青年に注がれている。一見無表情に見えるが、彼女が青年の身を過剰な程に案じていることは、その気配からも明白だ。

「約束は守って頂けるのでしょうね」

 低い声音は確認だけではなく、言外に反古にしたら絶対に許さないといった威嚇もしっかりと含まれている。

 あの時、礼拝室に遅れてたどり着いた彼が見たのは、刺客たちの死骸の山と、意識のない青年を抱えて声もなく泣いている少女の姿だった。その光景に彼の身に何かあったのかと戦慄したが、少女は彼の姿を認めると静かに首を振った。そうではない、と。

 青年は意識を失っているだけだと彼女は言った。そしてそうしたのは少女自身だと。

 何故、と訊く彼に少女は「そうすべきだから」とだけ答えた。

 そして青年をこの神殿の外へ出して欲しいと言ってきた。

「彼はここにいるべきではないのです」

 そう話す彼女の悲痛な面持ちに、彼はそれ以上詳しく訊くことなく是、と応じた。

 そして少女との間に幾つかのやり取りを交わして今に至る。

 ここは奥殿と海都を繋ぐ隠し通路で、薄暗く細長い回廊に二人の足音が響いている。

 長い長い通路を抜けた先にある古びた小さな扉の前で、少女は足を止めた。

「わたしはここまでです」

 扉の前で立ち竦む少女は、ゆっくりと彼を見上げ、そして青年を見つめる。

「お前も『外』へ出ればいい」

 このままここに居れば少女の未来は明日で潰える。それを知っていて、彼は少女に声を掛ける。元々少女は海都マーレヴィーナに何の縁もない。呪われた連鎖に付き合う義理はないはずだ。

「無理です」

 少女は呟くように答えた。

 握り締めた手が、白く微かに震えていた。

「守られることのない契約を律儀に守ると言うのか?!」

 少女には自らの命よりも大切な目的があり、そのために神殿長と契約した。これまでの全てを捨てて、ただ一つ、切望するもののためにここへ来た。しかし、少女は先ほど、契約は偽りの口約束で、初めから守られることはなかったということを彼から教えられたはずだった。それを知ったときの少女の絶望は想像に難くない。

 少女は思い詰めた表情のまま、彼が抱える青年をじっと見つめて何度も首を振るばかりだった。彼女が契約に殉ずる必要はどこにもないはずだ。ならばここを出て、本来の自分を取り戻せばいい、彼は少女にそう言って手を差しのべた。

 だが少女はその手を取ろうとはしなかった。今は重い瞼に隠された青年の水色の瞳を見つめたまま、石像のように固まってしまっている。

「わたしは契約を交わした際、決して違えない約束の証に、自らの魂をこの神殿の奥に縛る禁呪を受けることに同意しました」

 それは絶対に逃げない、ということ。言い換えれば逃げられないということ。

「それでは……」

「はい、わたしは命尽きるまでこの奥殿の外へ出ることは叶いません」

 少女の声は静かで淡々としたものだったが、それが益々この事態の悪質さを浮き彫りにする。神殿は初めから守るつもりのない契約で少女を縛りつけ、利用するだけ利用して打ち捨てるつもりだったというのか。

「エディスガルドの宝鏡、か。確かに二十年前の儀式の際には存在していたが、カレンシェリナが『聖婚の贄』となった後、忽然と所在が分からなくなったようだ」

 少女が神殿長と契約したのは、このマーレヴィーナ神殿の秘宝とされるエディスガルドの宝鏡を手に入れるためだった。この宝鏡は真実のみを映すと言われ、かつては審判に使われていたらしいが、時の権力者が濫用を避けるために神殿に納めたと伝えられている。宝鏡を手にする者は偽り歪みのないただ一つの真実を手に入れられるという。少女は宝鏡の存在を知った時、どうしても手に入れたいと願った。少女の命よりも大切な人のために、その人の宿願を叶える為に。シェーラミルデ神殿の神殿長と出会ったのは少女の側からみれば運命的なものだった。少女の本来の立場であれば会うことも叶わない人物だったから、神殿長の持ちかけた話に少女は飛びついてしまったようだ。後先を考えることなく、今思えば何と幼く愚かなことだろうとは思うが、それだけ必死だったということだろう。

 鏡の行方は分からない。先の巫女姫が持ち出したとも、神殿の高官が騒ぎに乗じて隠したとも、何者かに盗まれたとも。憶測は数多あれど真実は不明だ。




 彼は前回の聖婚の儀式の後、神殿騎士の職を辞してある目的のために諸国を駆け回っていた。この悲劇の連鎖を止めるために。最愛の人の最後の願いを叶えるために。

 海神など存在しない。いるのは海に災厄を齎す巨大な魔物だ。

 今まで多くの乙女の尊い犠牲の上に何とか維持してきた安寧は、その裏で多くの哀しみと憎しみを産み出して来た。彼女は言っていた、もう誰かが止めなければいけないと。私で最後にしてほしい、と。

 あれから二十余年の月日が流れ、彼は遥か遠くの地で求めるものに出会えた。しかし、その実行のためには『巫女姫』の協力が不可欠で。

 彼は前回の聖婚の儀式振りに訪れた神殿で今代の『巫女姫』と接触する。しかし巫女姫である少女は彼の予想しない種類の人物だった。

 彼はこれまでに築いてきた裏の世界の情報網を総動員して、巫女姫についての情報を集めた。そして漸く今、その全貌が見えてきたのだ。少女の素性が知れれば、少女が異常に気にしているこの青年の素性も予想できる。その予想が当たっていたなら、二人はとても重いものを抱えていると言えるだろう。

「どうするつもりだ?」

 束縛の禁呪は魂核に根差すものだ。少女がこの海の底から生きて出られる術は、彼には思いつかない。彼が掠れた声で呟くように言った言葉に、少女は初めて強い意思を湛える瞳で応える。

「わたしはもうずっと死んだものとされていました。今更過去を嘆くことも悔やむこともありません。わたしは当初の誓いを果たすまでです」

 強い眼差しに、思わず肩に担いだ青年を見下ろす。相変わらず瞳は固く閉ざされたままで覚醒の気配もない。

 それでいいのか? 彼は視線で問い返す。

「わたしの命は生まれ落ちた時から主のもの。我が唯一の方のためだけに使うのです。神官たちの思うようにはさせません」

 明瞭な答えには僅かな揺らぎもない。少女はマーレヴィーナの基準でいえばまだ成人前の年頃であるのに、幼さが微塵にも感じられない。調べあげた少女の生い立ちのままが事実であるなら、そうならざるを得なかったとはいえ、とても不憫に思えた。

「どうか、お願いします」

 端的な言葉に詳しい内容は何一つないのに、彼は少女の願いの全てを受け止めることができた。しかし、叶えてやれるかは青年次第であるが。

 青年が事実を知った時、青年の行動は少女の望みに反するものになるかもしれないし、そうであってほしいとも思う。しかし、今はそれを話すこともない。

「承知した。お前も」

 一旦言葉を止めると、扉に手をかけたまま振り返る。

「主君のためを思うなら犬死にはするなよ、クラウティーエ」

 名を呼ばれた少女が大きく睫毛を震わせた。男の名を与えられた少女。彼女の抱える闇は昏く深い。けれど、少女は歪むことなく生きてきた――ただ一つの想いのために。

 そしてクラウティーエはゆっくりと片膝をついて、右手を胸に当て深く頭を下げる――それは騎士の最敬礼だった。

「お言葉、胸に」

 ナイジェルは扉を開いて『外』へ踏み出す。

 扉の向こうから差し込む真白な光が、まるで暁の光のように見える。

 扉が軋む音を立てて閉まる瞬間も、クラウティーエは深く頭を垂れたままだった。






 

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