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彼女の剣はその体格が華奢な分、決して重くはないが速い。剣舞のように流れるような太刀筋に、ルディは知らず目を奪われていた。ルディの愛剣は実用性の高い長剣で、神殿騎士の持つ剣に比べて余分な装飾がないが、それでもかなりの重量がある。巫女姫の細腕で簡単に扱えるものではない。しかし巫女姫はそれを易々と振りかざしている。まるで舞姫の羽衣のように軽やかに。ルディはその姿を見て確信する。彼女は訓練を受けている、それもかなりの腕前だ。
(――一体彼女は何者なんだ!?)
驚いたのはルディだけではなかった。敵側の衝撃はルディ以上に違いない。その場の気温が一気に下がったような緊張感に支配される。どうやら易い仕事だと高を括っていたものもいたようだが、ここに来て予想しなかった事態に数で勝っているはずの彼らに明らかな動揺が見られた。
的確に対峙する相手を追い詰めていく彼女の瞳には、見たこともないような意思の光が見える。強く、厳しい眼差しには明確な感情が見えた。
巫女姫は目の前の敵を躊躇いなく斬り捨てると、直ぐに敵の剣を奪い、手にしていたルディの剣を投げて寄越す。
「わたしは戦力になります。構わず、ご存分に」
ちらりと向けられた視線に促されるように、ルディは剣を構え直す。喚きながら襲い掛かる刺客を一閃し、巫女姫を見やると、彼女は術者に向かって何やら言葉をかけているようだったが、小さすぎて聞き取れなかった。
しかしその様子を見ると、どうやら術者の方は請け負ってくれるらしい。彼女の戦力の程度について見極めれるほどの時間はなかったが、何故か彼女の言葉を信じてもいいという気になった。
とにかくこの場は片付けなければと思って薄暗い空間を改めて見渡すと、当のグラントの姿が見えない。どうやら形勢不利と判断してさっさと逃げたらしい。
「そっちは任せた!」
ルディが叫ぶように声をかけると、巫女姫の深い蒼色の瞳がしっかりとルディを捕らえた。彼女は頷くと、小さく口角を上げた。
ローゼリシアの元に彼が訪れたのは、丁度彼女が明日に迫った聖婚の儀式の式順の最終確認を表の神殿で行っている最中だった。
「お疲れ様でございます」
今日は比較的過ごしやすく、むしろ涼しいといっていい気温であったにも関わらず、彼は額から滝のようにだらだら流れる汗を忙しなく手巾で拭いながら、愛想よく近付いてきた。あまりにむさ苦しい様子に、ローゼリシアの片眉が僅かに跳ね上がる。潮風に乗って鼻につく汗の臭いも、不快感を増殖させる。
明日の準備もいよいよ最終段階で、この場には大勢の神官や巫女たちがいたが、それぞれの仕事に忙しく、他人に気を配っている余裕は無さそうだ。今も両手一杯伸ばして何とか運べるような大きな装飾品を抱えた神官が、よたよたと危なっかしい足取りで、しかし早足で背後を通り過ぎていく。ローゼリシア自身も書類の束を抱え、みっちりと埋め尽くされた文字を追いながら、慎重に確認を進めている最中だった。皆が各自の仕事に精一杯で、本来ここにいるはずのない彼がいることに誰も気づいていない。もしくは気づいていたとしても、気にもとめていない。
「準備の進捗は如何でしょうか?」
明らかに愛想笑いと分かる、嫌に媚びへつらうような笑みを浮かべて彼は問う。今ローゼリシアは多忙過ぎて相当神経も体力も消耗している状態で、いつもの『筆頭巫女』の応対をする余裕もない。
「ご覧の通り、余裕がありません。ご用件なら手短に願います」
書類を抱え直し、ちらりと彼を見ると相変わらず流れ続ける汗を拭い、彼らしくもなく強引に間合いを詰めてくる。ローゼリシアは、更に濃くなる不快な臭いに、顔を背けたくなる衝動を必死に堪えた。
「お忙しいところ誠に申し訳ございません。明日の聖婚の儀式について、緊急にお話ししたいことがありまして……」
身を乗り出すようにして話す彼の様子を見ると、どこか緊迫した気配を孕んでいて、ローゼリシアはつい、生真面目に反応してしまった。
「どういうことですか?」
彼は周囲に顔を巡らせてから、声を落として囁くように口許に手を当てて答える。
「非常に重要な話なのですが、ここでは他の者もおりますので……。お手数ですがお手持ちの御用がお済みになられましたら急ぎ礼拝室にお越し頂けますでしょうか? そこで詳細をお話しさせて頂きます。また、このあとお話しさせて頂きます内容は非常に厄介なものでして、外に漏れると明日の聖婚の儀式に差し障ります。どうかご内密に願います」
深々とお辞儀をし、彼は慌てた様子でこの場を後にする。
何故だか不吉な予感がした。
彼はいつもおどおどして頼りない印象だが、今の彼は強引で別人のようだ。
ローゼリシアは怪訝な気持ちを燻らせたまま、今抱えている仕事を速やかに片付けることに集中した。
その後、ローゼリシアは奥殿から忽然と姿を消した。
ライドールたちが異変に気付き、大詰めの仕事を放棄して大捜索を掛けたが、彼女を見つけることはできなかった。
その混乱の最中、追い打ちを掛けるような部下の報告が齎されたとき、ライドールは天を仰いで神を呪った。
――巫女姫様のお姿も見えません!!
絶望的な空気の中、無情にも時は流れていく。
そして遂に聖婚の儀式当日を迎えてしまった。




