2
彼はそっと柱の影に身を潜ませる。
いつもと全く変わりない様子の彼女の姿に苛立ちを覚えながら、彼は今が実行の時だと機会を窺う。
明日はいよいよ聖婚の儀式だ。
この日をどれだけ待ちわびたか。
機は見計らわなければならない。早すぎても駄目だし、逃しては取り消しがつかない。そして、今がその『時』だ。
巫女姫は相応しい者がなるべきだ。その点、あの小娘は全く問題外だ。生まれも育ちも分からない、素性の知れぬ娘。前回のように相応しくない者が儀式を行えば海神の怒りを買う。それは阻止しなければならない。そしてあの人の無念を晴らし、あの男に同じ運命を与えてやらなければ。
彼は神殿内に潜ませた配下の気配を手繰る。
敵は油断のならない相手だ。故に慎重に進めてきたのだ。あの男も、そしてあの男たちもそれぞれの目的で動いている。思惑が異なるため相容れることはあり得ない。機を見て出し抜くしかない。彼は敵に比べて持ち駒が弱いからだ。
彼女の月光のような白銀の髪を睨み据え、グラントはゆっくりと片手を上げた。
ざわ、と周囲の気配が乱れる。
ここは奥殿の中でも最も奥深い場所で、普段は誰も立ち入らない。紙燭の焔が微かに吹き込む風に揺れて、彼女の影を揺らした。
気がつけば彼女は囲まれていた。これまでとは異質な敵の気配。しかし彼女に動揺などは見られない。彼女は足を止めてゆっくりと呼吸を整えた。
「穏やかではないですね。わたしに何用ですか?」
振り返りもせず、彼女が誰何するが、答える声はない。
ナイジェルの言葉通りに『彼』が動き出した。それはナイジェルの話が真実であることの何よりもの証だろう。ルディは闇に潜みながら敵の動き探るため意識を集中させる。本来ルディは今の時間、明日の聖婚の儀式に備え、その警備の打ち合わせのためグラントに呼び出されているはずだった。ルディもそれには了解の返答を返していたが、実際にルディが呼び出された場所にナイジェルと事前に行ってみると、そこには罠が仕掛けられていた。ある場所を踏み込むと、意識を混濁させるガスが噴き出すように仕掛けがされていたのだ。ナイジェルはこういった罠や毒物の類いには滅法詳しいらしく、彼は部屋に入った瞬間にこの仕掛けに気付いた。そして罠を解除した後、ここに来るまでに排除した手下らしい神官に、ルディが先程まで着させられていた神殿騎士の鎧を着せて床に転がしてきたのだ。グラントはルディがまんまと罠に掛かったと思い、まさかこの場にいるとは思いもよらないだろう。
ナイジェルは今別件で別の場所にいるため、ここはルディ一人だ。しかし、か弱い少女一人を始末するのに大した戦力は必要ない。そう思っているとしか思えない布陣に、グラントが見た目通りにの小物であることが分かる。
それにしても、とルディは顔を顰める。自分はこの程度の小物に利用されるところだったかと。慎重になっていたからいずれは彼の本当の目的に気づけたかも知れないが、ナイジェルの関与がなければ間に合わなかったかもしれない。
じわりじわりと迫る不穏な気配に、彼女は視線を闇に滑らせる。
それにしても大した度胸だ。無力な娘なら震え上がって立っているのも難しい状況だろうに。しかし、それが巫女姫に選ばれるということなのだろうか。
「口も利けないのですか」
静かすぎる口調は、氷よりも冷たい。
「聖婚の儀式が成らなければ困るのは貴殿方でしょうに」
彼女が振り返った瞬間、闇から銀色の刃が次々と彼女に向かって襲い掛かる。ルディはすぐに剣を抜いて彼女を庇うように前へ飛び出した。
「――――!!」
柱の裏からこれ以上ない舌打ちの音がする。気配を殺していたらしいが、思いがけない展開に冷静さを失ったらしい。そういうところも小物であるが故のことだろう。
突然現れたルディの姿に、巫女姫の周りを包囲した刺客たちに動揺が見られる。それでも果敢に斬り込んできた一人を、巫女姫を背に庇いながら退け、ルディは剣を構え直す。
「下がってな」
小声で背に庇う巫女姫に声をかけると、予想通り冷静な声が帰ってくる。
「わたしにはお気遣いなく」
ちらりと背後を窺うと、巫女姫の蒼い瞳がルディを真っ直ぐに見上げていた。不思議な既視感を覚え瞬きすると、巫女姫は直ぐに視線を前方に反らす。
「余所見している場合ではありません」
雄叫びのような叫び声を上げて、刺客たちが一斉に襲い掛かってくる。正直多勢に無勢だ。しかもこちらはお荷物を抱えている。
一人一人は全く大したことはないが、全方位から来られたら背中の巫女姫の警護がどうしても薄くなってしまう。ルディは即座に前方の敵を一撃で斬り捨て、一方向の安堵を確保すると巫女姫の腰に手を回して方向転換する。
「頼むからじっとしていてくれ」
「…………」
返事はなかったが、背後で頷く気配がした。
何か言ってくるかと思ったが、意外に素直な態度に少し驚くも、それで何か不都合がある訳ではない。ルディはお陰で前方に注意しておけばいい。
しかしルディにとって予想外だったのは敵に術者が含まれていたことだった。ルディは剣士なので物理的な攻撃には問題なく対処できるが、術者が相手だと土俵が違うため優位を保てない。恐らく巫女姫の力を警戒しての配置だと思われる。術者は数も少なく、ほとんど大国の王侯貴族のお抱えになっていることがほとんどだ。グラント程度の者が雇える程のものなら実力の程度も恐れるに足らないが、この不利な戦況においては非常に脅威だ。ルディは焦りを覚られないように奥歯に力を込める。刺客たちの一番奥で、漆黒の頭巾を目深に被り一歩も動かない姿は不気味でしかない。
刺客たちを牽制しながら、術者の動きを警戒し、さらに背後の巫女姫を庇うのは流石のルディもこの状況では力不足だった。
術者の振りかざした右手が光を帯びた瞬間、再び一斉に刺客たちが襲い掛かる。目映い光に目が眩み、敵の動きの全てを追うことができなくなってしまった。
不味い、そう思ったときには遅かった。
第一撃目は凪ぎ払ったが、次の一撃を躱す際に敵の返り血で手が滑り剣を弾かれてしまう。
「――ちぃっ!!」
自分だけならどうにでも出来るが、巫女姫を庇ったままでは打つ手に窮してしまう――
咄嗟に巫女姫を抱えて柱の影に飛び込もうと背後に視線を滑らせると、そこに巫女姫の姿がない。どういうことかと彼らしくもなく焦りを見せる。そしてその彼に容赦ない敵の一撃が襲い掛かる。意識が一瞬外に逸れてしまったため対応が遅れしまう。
(――ヤバいっ!)
思わず目を背けてしまう。殺られる、そう思ったルディの目に飛び込んできたものは、あまりにも信じがたい光景だった。
「させない――」
ルディが落とした剣を斜めに構え、刺客の一撃を受け止めた巫女姫の姿だった。




