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深々と雪が降る。
あとからあとから舞い降る雪は、このまま世界を無垢な白に染めあげて、全てを真白に塗り潰してしまうかのようだった。
いやいっそ、全てを、自分ごと塗り潰してくれたらいいのにとさえ思う。
あの日、握りしめた冷たい小さな手も、あの子が初めて見せた綺麗な涙も全てはっきりと覚えているというのに。
――クラウティーエはもういないのです。
あの子の母親が、泣きながら言った。幼い兄妹が若い母親を支えるように寄り添う姿は、あまりにも危うくて。あれほど家族を大切に守っていたあの子は一体何処に行ったのか? 父の命で家族のために自分の身を削るように尽くしていたあの小さな背中は、一体何処に消えてしまったのか?
そして彼女の次の言葉は彼に大きな衝撃をもたらす。
――殿下が発たれた次の冬に、流行病であっけなく……
思い出すのは微かな笑みばかりだった。あの子は彼に対して常に微笑んでいた。その笑顔がいつも儚くて危うくて、彼はいつも心のどこかに不安を覚えていた。あの子は別に楽しいからでもなく、嬉しいからでもなく、誰かを心配させないために笑うのだ。いつも誰かを気遣って、その陰で必死に誰かに縋りたいのを堪えていることに彼は気づいていた。けれどあの子は求める術を知らなかった。本当に幼いころから、自分の思いを封じることを強いられてきたから、あの子はそれがさも大罪のように刷り込まれてきたから。
知っていたから、両手を差し伸べてやりたかった。ここに自分がいる。お前の望むものを、自分は与えてやることができる、と。けれどあの子はそれを拒んだ。あの子は恐れていた、ずっと。敬愛する父親の望む姿に、それは反するから。
この場所に戻ってきたのは、約束を叶えたからではなかった。
あの後、彼は従者に裏切られ敵に売られそうになり命からがら逃亡し、隠れ潜む生活の果てに、気がつけばこの懐かしい雪の森に立っていた。何度も死を覚悟して、それでも何とか気持ちを奮い立たせることが出来たのはあの子――クラウティーエとの約束があったからだ。クラウティーエの存在は彼にとって唯一の希望だった。闇夜に輝く、ただ一つの小さな輝ける星。
けれど、クラウティーエは彼の帰還を待つことなく旅立ってしまった。
あの子はこんなひどい環境で、あの小さな体で相当の無理を重ねてきたのだろう。こんな厳しい場所で、病を得たならひとたまりもない。傷ついた幼い体に抗う術はなかったのだろう。
彼は雪の中に跪いて、目の前に突き立てられた剣を見つめた。
それはクラウティーエが従騎士に任じられた時、彼の父である国王から与えられた剣で、クラウティーエはその剣をとても大切にしていた。毎日丁寧に手入れをして、眩しそうにその刀身を見つめていた。それはクラウティーエの誇りでもあったから、あの子の墓標にそれは相応しいだろう。
運命は残酷だと、彼は溢れる涙をこらえながら思う。
この厚い雪の下にでクラウティーエは静かに眠っている。こんなに寒いところで、たった一人で。
この世に神などいない。いたならあの稚い命をこんなに早く連れ去ることなんてない。
罪のない子供が、どうしてささやかな幸せも得ることなく儚く死んでしまうのか。
あの子の最期が安らかであればと祈るが、あの母親の嘆きようではそれも望めそうもない。
せめて懸命に生きたクラウティーエの清らかな魂がどうか安らかであるよう、彼は心から祈る。
そして彼は静かに眠る愛しい魂に改めて誓う。
どんな方法であれ、必ず祖国に戻ると。
その時は必ずお前も連れて帰ってあげる。
あの子が唯一望んだことだから。
――今度こそ、必ず叶えるから。




