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マーレヴィーナの巫女姫  作者: 綾野柚月
2章 心の行方
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 切り裂いた皮膚からねっとりとした鮮血が溢れだした。

 薄闇にそれは妖しく浮かび上がり、濃厚な死の臭いはその場にいる者を妙な気分にさせる。人の血を好むとかいう魔族は、その生き血を啜る時こんな気分になるのだろうかと埒でもないことを思う。

 大理石の磨き抜かれた床に紅い流れがゆっくりと広がって、彼はそれを冷めた目でその流れを辿る。

 横たわる屍は全部で五体。

 どれもこれもたいしたことなかった。

 先日の闖入者に比べればまるで雲泥の差だ。

 一人でも生かして誰からの依頼か口を割らせようとしたが、よほど依頼主に忠誠を誓っているのか、彼らは口内に仕込んだ毒で自らの命を絶ってしまった。

(くそ、がっ……!)

 ルディはもはや何回目か分らない悪態をついた。手にした剣の先からは真っ赤な鮮血がぽたり、ぽたりと滴っていたが、そんなことはどうでもよかった。


 依頼を受けてもう十日も過ぎてしまった。その間、数度の襲撃があったがいずれも初日の男と同じ手の者とは思えない稚拙さで、奥殿の中に侵入してきたことさえ信じられない程度の小物ばかりだった。いつあの男が来ても大丈夫なように毎晩警戒だけは怠らないでいたが、一向に男が襲撃してくる様子もない。一体何だったんだとルディは唾棄したい気持ちを何とか押さえこんだ。





 聖婚の準備で巫女姫の身辺が慌ただしく動き回っているのに対して、彼女は至って平時と変わらない生活を送っていた。

 彼女は早朝の禊ぎを済ませるとそのまま朝の祈祷に入り、昼前まで聖殿に閉じこもる。やっと出てきたときにようやく遅めの軽食――水と小麦のパンのみ――を摂る。巫女姫は肉や魚を食べない。これは昔からの伝統だからで、巫女姫の以前の生活は分らないが、少なくともこのシェーラミルデ神殿に来てからは同じ食事を繰り返している。あの華奢というよりは貧相な体つきはそういった食事のせいかもしれない。そして午後からは神殿長が持ってくる事務作業を行ったりすることもあるが、なければ本を読んでいることが多い。読んでいる本はは他愛もない詩集が多い。特に目的があって読んでいるというよりは暇つぶしをしているといった印象だ。そして夕方ごろから再び祈祷を始め、宵ごろまで続く。

 巫女姫は誰とも慣れ合わず、死んだ魚のような昏い瞳には輝きがない。

 まるで全てに興味がないように見える。もしくは全てに絶望しているのか。

 自分の命が危険に晒されている状態にも関わらず、彼女は怯えることもなく、嘆くでもなく、ただ淡々と時の流れに流されるがままでいるように見えた。

 一体何を考えているのかも分からず、側仕えの者は戸惑っているばかりだったが、巫女や神殿騎士、神官たちは彼女の様子を特に気に留める様子もなかった。彼らにとって従うべきは表の『巫女姫』ローゼリシアで、本来の巫女姫はまるで宝物殿の奥底に封じられた秘宝のような扱いだったのだ。

 その中でただひとり、ローゼリシアだけが彼女の様子を気にかけ、あれこれと気を配っていた。その様子は、本来ローゼリシアがあるべき立場を奪った者に対するものとしてはあまりにも寛大で、それが一層ローゼリシアの周囲の評価を高めていた。

 ――何て、心優しいローゼリシア様……

 ローゼリシアの取り巻きは彼女の心根を絶賛し、それに対して何の感謝も返さない巫女姫を批判する。そのやり取りは、外の世界から来たルディにとっては異様に見えた。

 そんなローゼリシアを見て、ルディは苛立ちを感じた。どうしてそんな態度がとれるのか。神殿内では美談とされているが、彼からみればローゼリシアの行動は悪く見れば卑屈なものにも見えるのだ。

「巫女姫に選ばれなくて悲しくないと言えば嘘です。わたくしはそうなるものと言われてずっと育って参りましたから。……わたくしはここでの生き方しか知らないのです。滑稽に見えるかもしれませんが、わたくしにはこうするほかはないのです」

 理由を問うと、彼女は悲しげに俯いて答えた。伏せられた瞳に涙こそ浮かんではいなかったが、彼女の心は静かに涙を流していたのかもしれない。自分の役割だと、使命だと信じていたことがあっけなく覆った時の衝撃と喪失感はルディにも覚えがある。

「でも」

 彼女は顔を上げて小さく微笑んだ。

「巫女姫にはそれに相応しい方がなるべきです。わたくしが選ばれなかったのは巫女姫様には及ばなかった、その位に相応しくなかったということでしょう。そう、思っているのです……」

 その笑みは、酷く切なくて頼りなさげで、ルディは思わず手を伸ばして彼女を胸に抱き締めたい衝動に駆られたが、寸でのところで何とか堪える。彼女は、自分には相応しくない・・・・・・

 正直にいえば、ローゼリシアを一目見たときからどうしようもなく惹かれるものを感じていた。

 彼女の容姿は言うに及ばないが、柔らかな声も、仕草も、その綺麗な内面にさえも。

 けれど、その感情が何であるか、ルディは未だに名前を付けられずにいた。また出会って半月も経っていないのに彼女の何がわかるというのかと自問しながら。




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