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「それより」
ルディは努めて冷静な口調で仕切り直しを試みる。本性をチラリと見せたことによって結果、ローゼリシアがすっかり小さくなってしまった。釘を刺すことは不可欠だが、相手の歩調に合わせていては自分の仕事が捗らない。
「俺は仕事の話がしたいんだが」
ルディの改まった態度に、ローゼリシアもゆっくりと呼吸を整えてから、視線を上げる。
ローゼリシアはルディの意図を察したようだ。彼女は神殿育ちのせいで相当の世間知らずであることはよくわかった。先程の言葉もルディが危惧するような意味もなく、ただ無邪気に知りたかったから聞いてきたのだろう。彼女は交渉事など政治的な駆け引きには全くと言って不向きに見えた。けれどそれは、ローゼリシアがこれまで神殿から求められてきた役割が、そういった裏の側面を必要としないものだったからだろう。彼女の役目は表向きの『巫女姫』を演じ、神殿の巫女たちを統括すること。それも、彼女の世俗での身分が影響して与えられた立場であると推察された。そんなローゼリシアだが、世間知らずではあるが、愚昧ではないように思えた。ルディは国を出て以来、最底辺の生活を続けてきたせいか、世間的には若造だが世慣れ過ぎているせいで人を見る目には多少自信があった。
「巫女姫が狙われる理由が特定できなければ、敵の正確な狙いが定まらない。貴女は何か心当たりはないか? 神官や神殿騎士はあてにならない」
ルディは当初の質問を投げてみると、ローゼリシアは真面目に思案するように小首を傾げた。
「これまでの神殿の歴史のなかで『聖婚』が脅かされてきたことは一度もありません。海神と巫女姫の契りはこのマーレヴィーナにとって最も神聖なものなのです」
「あくまで外部の者によるものだと? 貴女は本来巫女姫になるべく育てられた。貴女を巫女姫にしたいと思う者は多いんじゃないか?」
直球過ぎたかと思ったが、思ったまま聞いてみると彼女の表情が翳る。
「わたくしも五年前までは自分が巫女姫になるものだと信じていました。ですから巫女姫がマーレヴィーナにお出でになった時はとても戸惑いました。わたくしの周囲の者の中には巫女姫様のことを認めなかった者も少なくありません。けれど、わたくしの霊力は巫女姫様の足元にも及ばなかった。わたくしは受け入れざるを得ませんでした……」
ローゼリシアの話はグラントが言っていたこととほぼ合致する。
「今も、貴女を巫女姫にしたいと思っている者は?」
「いるかも知れません。しかし今更です。それならば五年間彼らは何をしていたというのでしょうか。わたくしはその線は薄いと考えます」
「ならばマーレヴィーナや神殿に敵対する勢力に心当たりはないか?」
「大陸南部の諸国は海神の恩恵を受けてきた国々。神殿に害意があっても巫女姫様を脅かすとは考えられません。新たな巫女姫を擁立するならわかりますが……」
ローゼリシアはその線もないと否定する。
ならば『聖婚』を目前に巫女姫が狙われる理由とは何か?
――何故マーレヴィーナに巫女姫が必要か、お前は知っているか?
あの男の言葉。何を今更な彼の言葉に潜んでいるものは何か。ルディがローゼリシアに同じ問いかけをしてみると、彼女は不思議そうに瞬きした。マーレヴィーナにとって『巫女姫』は当然在るべき存在で、今更その存在の意味など改めて考えたこともなかったのだろう。巫女姫は聖婚の数年前に巫女姫候補の中から選ばれ、巫女姫として海神に嫁ぐ。嫁ぐと言ってもそれは儀礼的なものらしいが。巫女姫に選ばれた娘の家は神殿から様々な恩恵を受け、家は栄えるのだとか。ローゼリシアの実家も過去を辿れば数人の巫女姫を輩出し、今の権力を得たようだった。
「聖婚はマーレヴィーナに、神殿にとって最も重要な儀式。その儀式には巫女姫様がいなくては話になりません。そういう意味では巫女姫様はマーレヴィーナに不可欠な存在です」
ローゼリシアの話はルディが思い付く理由と大差なかった。
けれども男の口調はそれが理由であるとは思えない重みがあった。
巫女姫の役割は他にもあるのだろうか。表には公表出来ないものが。そうでなければこの消化不良のもやもやしたものに説明をつけることが出来ない。
ローゼリシアと別れたあと、ルディが再び持ち場に戻るとそこには相変わらず高圧的な態度を隠そうとも思わないライドールが待ち構えていた。彼は重苦しい全身鎧をきっちりと身に付けている。外見から見たままの神経質そうな印象だ。彼はゆっくりとルディの方に近づいてきて、射殺すような鋭い視線を投げつけてきた。
「詮索はするなと言ったはずだ」
低い声音には殺意が隠されることなく滲み出ている。
「それに」
すれ違いざまにライドールは一層低い声で告げた。
「ローゼリシアには必要以上に近づくな。彼女はお前のような下賤な輩が触れていい花ではない」
「――なっ」
言いたいことだけ言い捨てると、ライドールはさっさと回廊の奥に消えて行った。
(なんだ、それは……)
ルディは振り返ったが、そこにはもうライドールの後ろ姿は見えない。
(ああ、そういうことか……)
薄暗い回廊の奥を見つめて、ルディは唇の端を上げた。