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花を捨てる〜転落の微笑  作者: ハヤテ
7/8

第七話

失速した上位二頭の外側から猛然と駆け上がってきた一頭の白い馬がいた。雄なのにオネエチャンというふざけた名前の公営競馬所属の馬だった。



公麿はフォーメーションの一着候補の一頭にこの馬を選んでいた。



実はこのレースは殆どが先行馬のレースで、まくりの馬は、この九番人気、単勝オッズ46倍の白馬しかいなかった。地方競馬でも二着が多く、公麿はちょっとした遊び心でこの馬を買ったに過ぎなかった。



ハイペースの消耗戦ではこういった目立たない馬が勝つことも稀にある。



流石にゴール前はヘバってしまい、JRA所属の四番人気ラングレーに掴まりそうになったが、かろうじてハナ差押さえた。 そして離された三着には、全く欲もなく、マイペースで回ってきた十三番人気のマケナイタタカイが入線した。


九番人気四番人気十三番人気の決着。オッズ一倍台の人気二頭は着外に破れさった。



公麿の膝は笑った。手も震えた。



「こんな馬券買った奴なんかいるのかよー」


「全頭BOXでも買わなきゃ当たらないわ」


「八百長なんじゃねーんか」

ざわつく観客席。


殆どの人が上位二頭の馬連しか買わないようなレースで、公麿はまんまと大金を手に入れた。



三連単六十九万二千円×三百円



高額当選者の払い出し窓口で「おめでとうございます」と係員に祝福された公麿は、平静を装ったつもりだったが、金を受け取るその華奢な手の震えは止まらなかった。


会社をクビに、いや、辞めて正解だった。

今までの俺の競馬はささやかな安サラリーマンの息抜きに過ぎなかった。四、五千円の勝ち負けに一喜一憂していた自分は仮の自分で、何者にも縛られない今が本当の自分だと思った。



最終レースにぶち込んだ五万円はカスリもせずに外れた。が、こんなものはご祝儀だとばかりに意気揚々と競馬場を後にした公麿であった。



冬の短い陽は傾き、木枯らしの冷たさがいっそう身に染みる時刻になった。



懐に今二百万程ある公麿は思案。これからどうする?


とりあえず腹ごしらえだ、とばかりにタクシーに乗った。



行き先は銀座に決めた。先日テレビで見た、瓦斯灯(がすとう)という鉄板焼の高級店に行くことに決めた。



目の前でA5ランクの和牛を焼いたそばから食べさせてくれる名店だ。百グラム一万四千円。レポーターの女の言を借りれば、死ぬほど旨い―――らしい。




帰宅ラッシュと結構な距離も相まって、銀座に着いたときには日は完全に落ちていた。


公麿は二万円を運転手に手渡すと、お釣りを渡そうとする手を無視して車を降りた。



古いが(おごそ)かなたたずまいのその店はかなりの老舗らしい。


懐の二百万を盾のつもりで、平静を装った公麿は、ボーイに案内されるまま席に着いた。ビカビカに磨かれた鉄板をはさんで、ふざけた程に高いコック帽のコックが公麿に軽い会釈をした。



気圧されそうになった公麿だが、テレビで見たのと同じ肉を二百グラム注文した。



ジュウッと肉の焼ける音と共に見事に刺しの入った肉が香る。それは甘くて鼻から脳を直接刺激するような、今まで経験したことのない芳香だった。



リズミカルなナイフ捌きで一口大に切られてゆく肉、切り終わったそれは、公麿の目の前の皿に高く盛られた。



こんなに旨いものがあるなんて……



一噛みごとに口中に溢れでる肉汁の旨さに、公麿の脳は歓喜した。


勧められるままにグラスに注がれた赤ワインと和牛の相性はさすがに秀逸で、その味覚が脳髄を刺激すると共に、公麿は全てが上手く回り始めたことをあらためて実感した。

白い飯が欲しくなった公麿だが、辺りを見回しても誰もそんなものは食べていない。



こういう食事は完全に楽しむ為の食事で、空腹を満たすための食事をするところではないようだ。



公麿は、アワビと伊勢海老を焼くように注文したが、すべてを食べ終えるころには胸焼けを覚えてしまった。

しかし、流石にこういった店は心得たもので、目の前コックは、数種類の野菜を軽く火を通して公麿に出してくれた。



立ち直ったかのようにワインを追加した公麿。四杯目を飲み干したころには酔ってしまっていた。



大変結構でした、等といかにも手慣れた感を出してコックに礼を言うと、目玉が飛び出るような会計を平然と済ませ店を出た。



銀座を歩く。銀座も今は不景気だ、等とたまにテレビで報道されるがなかなかどうして。


恰幅のよい、いかにも社長然とした白髪の男が、左右に華々しい女共を従えて夜の銀座を闊歩していた。



公麿は今、たかが二百万を手にしただけで、数千、否、数億円手にした気分になっていた。


俺の人生はこれからだ、全て、何から何までうまく行くはずだ、その確信の裏付けは、商品券の空売りと、単なるまぐれだったのかもしれない競馬必勝法だけであった。



コートの上から触っても、充分に手応えのある札束の膨らみ。公麿は、生まれて初めてといえる幸運を、ワインの心地よい酔いと共に今噛み締めていた。



つづく

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