EX02.5「信じる者は救われる」
「よく来てくれたなフリーランサー」
歓迎の言葉でシュルトを迎えたのは、帝国の冒険者ギルド本部の頂点に立つ男。人呼んで『金の亡者ジンブル』であった。白髪交じりの茶髪にニヒルな口元。どこか業とらしいその笑みは、しかし卓上で震えている両手を見れば強がりだと判断できるだろう。
ギルド長の執務室は今現在前代未聞の乱闘男を迎え入れている。ジンブルにはまるでそれが魔物の大侵攻でドラゴンとオーガとワイバーンの三強に囲まれた上、頭上をハーピーの大群に押さえられて孤立無援の絶望的な状態のようにも感じられていた。
何せ、解体職人から提出されている明細によれば、目の前のフリーランサーの持ち込んだ換金額は彼が知りうる一般の冒険者たちを軽く上回っている。金は嘘をつかない。嘘を吐くのは人間であり、狡賢い弱者と詐欺師と相場は決まっている。
「けっ」
「ダックス」
窓際に控えている包帯塗れの男ダックスが、気に食わなさそうに毒づく。それを手で制したジンブルは、刺激するなとでも言うような目で彼を抑える。
「すまないなフリーランサー。冒険者というのは面子が大事でね」
「構わんさ。叩き潰したのは私だ。それにその男はもう理解している」
そうでなければ、再び乱闘事件が勃発していたに違いない。さすがに二度も起こされてはジンブルも立つ瀬が無いだろう。それが分かっているからか、ダックスは不機嫌そうにすることしかできない。正に首輪つきの冒険者である。
「それで、私を呼び出した理由は何だ」
「言われたとおり、君と空元人の件のもみ消しは上手く行った。だが一つ問題が発生した」
「監査官でも動いたか」
「いや、そちらは利を説けば分かってくれたよ。宰相のおかげで袖の下で済むからな」
「世も末だな」
この国は今賄賂の横行が流行している。先代皇帝の敷いた善政の秩序はもはやなく、限りなく黒に近いグレーが幅を利かせていた。シュルトはそこを付いた。結局のところ、フリーランサーも冒険者もギルドにとっては金蔓なのだ。むしろ、サービスを受けない代わりにより大きな金を落とすフリーランサーは冒険者よりも歓迎したい相手である。そしてシュルトには金を落としてきた実績があった。
機嫌を損ねて他所の国に行かれるよりはそのままの方が旨みがある。金勘定を冷静にすればそこに妥協点が生まれた。ジンブルは厄介だが有能な金蔓を説得した男として自分の地位を保ち、全てをもみ消すことを選んだ。そしてそれは成功したはずだった。
「何が問題になった」
「君の手配書の似顔絵を書いた絵描きだが、実は東側の貴族でね」
「東側か。それは都合が悪いな」
東西の確執という帝国にとっての致命的な案件がある。本質は中央の宰相と東の公爵の争いではあるが、それに呼応するような形で東西が分裂する下地は既に出来上がっている。帝都でのもみ消しに、それも国にとっても重要な対魔物戦力である冒険者ギルドが関わるとなれば、難癖付けてくるのは別に不思議なことではないようにシュルトには思えた。
「向こう側から見逃す代わりに君を寄越すように条件が出された。依頼のようなものだと考えてくれれば良い」
「なるほど依頼か」
「そう依頼だ」
ニヤリと笑う二人である。その頃には、理性的に対応してくるシュルトの様子に安堵したようにジンブルは対応してきた。別段進んで事を構えたり、脅して金をせびるつもりも無いシュルトはいつものむっつり顔で尋ねる。
「東側といったが、その貴族は西側なのか?」
「いや中立だ。彼はまだ決めかねている。なんでも、どちらにもインスピレーションが湧かないそうだ」
「訳が分からんな」
「彼は絵描きであり、彫刻家であり、陶芸家でりデザイナーでもある男なのだよ」
「芸術家というわけか」
「そうだ。彼は貴族だが、その芸術性はもはや天才の域にある。他の貴族たちもそんな彼を野蛮な戦争で失うのは惜しいと考え放置しているのだ。彼の作品は他国にも高く売れるしな」
下らないと笑うのは簡単だ。しかし、貴族だからこそ雅と芸術を解するという建前でも働いたようだった。或いは本当に素晴らしい芸術家なのかもしれない。自分の手配書は既に見たが、確かにシュルトからしても素晴らしい出来であった。
「依頼内容は?」
「実に彼らしい依頼だ。これを見たまえ」
「ふむ。依頼主はエクセレント・ビューティー・サンデー・ロココ・ゴシック・レタリック・ガンマ・スペシャル画伯か」
「それはペンネームみたいなものだよ。皆がこぞって褒め称えるので、昔から面白がって使われているようだ。良い作品ができる度に変わるよ。コレクターの間ではもはや常識だ。実に骨董商泣かせな一族で彼らにも手に負えん。本家の人間でもなければサインが偽者か本物かさえ分からんほどだ。ファンの間ではカオス画伯とも呼ばれている。こちらの方が一般でも有名だな」
「なるほど。こいつは確かに稀代の芸術家のようだ」
「……おい、どこで判断したんだ。相変わらず頭狂ってるのかお前」
スリ女ルアンダを人質ではなく正義感で捕らえたと勘違いした男である。ダックスは即座に突っ込んだ。
「ふっ。芸術家というのは常人とは感性が違うものだ。名前でここまで突き抜けているならもはや疑う余地など無いだろう。首輪つきの素人は引っ込んでいろ」
「はっ、どうせ俺には価値なんざ分からねぇよ。あんなのに大金を賭けるなんざ、馬鹿げてるぜ」
「おほん。それで、引き受けてくれるかね」
「引き受けない理由はないな。しかし、依頼内容が問題だ」
依頼書には『躍動的で、魂を揺さぶるインスピレーションを激しく求む』としか書かれていない。間違いなく通常は貴族の道楽で、誰も受けないで終るような依頼だ。
「問題ないはずだ。同封されていた手紙には君たちをモデルにしたいから寄越して欲しいと書いてあったからな」
「ほう……私たちをか」
「そう君たちをだ」
「いいだろう。私はそこの首輪つきと違って芸術も分かる男だからな」
そうして、シュルトは依頼を受けた。
翌朝、依頼のために訓練を休みにしたシュルトはダンジョン組三人を連れてカオス画伯の屋敷へと到着した。夏もそろそろ終ろうという頃である。日差しの暑さには皆が辟易していた。
カオス画伯の領地はレンドール公爵領に隣接しており、南の沿岸部に小さな領地を構えている。グリーズ帝国では有名な美術館もあり、ビーチも綺麗に整備されている。夏のバカンスを楽しむ貴族も少なくない。
「なんで私たちまで必要なのよ」
リリムとサキはいつもの装備である。夏のせいで上のジャケットこそ脱いではいたが、シャツは半袖に変わっておりいつでも戦闘は可能だった。だがどうして完全武装する必要があるのかが分からない。そもそも武力はシュルト一人で事足りる。彼女は来客に対応したメイドに連れられるようにして庭を歩きながら、シュルトにこっそりと尋ねた。
「全てはインスピレーションのためだ」
「訳分かんないってば。分かるように説明しなさい」
「カオス画伯はレイデンでの私たちの一件を見ていたらしい。その際、乱闘騒ぎできっと何かを閃いたに違いないと私は睨んでいるのだ」
「レイデンってことは……げっ。私が放り投げられてた時のじゃない!」
シュルトのせいで一回天井に頭をぶつけたことをリリムはまだ覚えていた。愉快な記憶ではないことだけは確かである。
「まさかまた投げられろっていうんじゃないでしょうね」
「必要ならな。これも芸術のためだ」
「どうせならレブレを投げなさい」
もしキャッチに失敗してもそれならば安心である。
「よく分からないけどそれって面白いの?」
「私よりもあんたの方が適任よきっと」
「じゃあサキと一緒にがんばろうかな」
「レブレ、任せる」
投げるという件を覚えていたサキは、無難に回避行動に出る。
「こちらルブール子爵のアトリエになります」
そうこうしているうちに到着したようだ。屋敷からそれなりに離れているそのアトリエはかなり広い。案内されるがままに一行が中に入ると、一人の老人が黙々とデッサンに励んでいる姿が遠めに見えた。
「子爵様、お客様でございます」
「おや、誰だね」
振り返ったのは、ベレー帽を被った老人だった。五十代ぐらいだろうか。立派に蓄えた鼻の下の髭を引っ張りながらシュルトたちを訝しげに見る。だが、それもシュルトとリリムを見た辺りで一変した。
「おお、君たちはいつぞやの!?」
「ギルド長の依頼を受けたフリーランサーだ。今日はよろしく頼む」
「そうかそうか。よく来たな。おい、客人にお茶を用意しなさい」
「かしこまりました」
若いメイドは行儀よく礼をすると、音を立てずに去っていく。子爵は妙に嬉しそうにシュルトたちを誘うと、奥に白い布を被せたキャンバスの方へと向かう。
「これは見事な」
払いのけられた布の中には、乱闘時のシュルトとリリムを描いたようなデッサンの数々が眠っていた。まるで、ありのままを描き出そうとしているような迫力を感じさせるタッチだった。
特に淡々と敵をぶちのめしていくシュルトとは違い、少女の醸し出す絶望感は見事である。どうやら時系列も考えられているようで、少しずつ目が据わっていき最後には完全に何かを振り切ったような、神を射殺すような決意を秘めた強い眼差しに変わっていくところが印象的だった。一つで簡潔作品ではなく、全てで表現しようという意気込みが伝わってくる。
「うわぁリリムが一杯だぁ」
「先生、最後、手だけ?」
「この表現力、素晴らしいな!」
一人だけ無言で頭を抱えている少女が居たが、感嘆の吐息を吐き出すシュルトに気を良くした子爵は特に謙る様子を見せない彼にフランクに語りかける。
「実は来年大陸で世界的な絵画のコンクールがあってね。それに出展する作品のモデルに是非、君とそこの少女をと思ったんだ」
「それは光栄だ。しかし良いのか。私たちは素人だ。モデルなど務まるかどうか分からないが……」
「構わないよ。必要なのは君たちが私に見せてくれた圧倒的な迫力とその対比。そして何よりも強烈なインスピレーションだ」
何やら相槌を打ちながら熱心に聞く吸血鬼と子爵。しかしリリムからすれば何故よりにもよってコレなのかという気がしないでもなかった。
「さっき、世界的なコンクールって言ったわよねあの貴族様」
「言ってたねー。どうせなら賞に選ばれちゃえばいいのにね。世界中にリリムの絶望感をお届けだよっ」
「何よ、その極めてワールドワイドな羞恥プレイ」
作品のメインがリリムであることは明白だ。しかし、よりにもよって何故コレなのか。なんだか当時の苛立ちと恐怖と決意が蘇ってきそうなほどであるから大したものだった。少女には絵の良し悪しなんて分からない。だがキャンバスの向こうに居る自分を見ていると、なんだかとても恥ずかしかった。
(しかも最後の奴は完全に仕事モードの時のだし)
ふと、シュルトを調教してやろうと考えていたことを思い出す。だからこの眼になっているのだろうが、正直止めてくれとリリムは言いたかった。チラリと碧眼で芸術について盛り上がっている二人を盗み見るも、断れそうな雰囲気はそこにはない。
「ほう、ではもっと良い表情があればそれでもいいわけだな」
「そうなるな。コレが有力候補だというのは確かだがね」
「メインはリリムでいいのだな」
「そうだ。だが彼女を引き立てるためにも君のその淡白さが欲しい」
「では素人ながら提案したい。試してみないかエクセレント・ビューティー・サンデー・ロココ・ゴシック・レタリック・ガンマ・スペシャル画伯」
「勿論より良い絵がかけるならこちらからお願いしたいぐらいだ。しかし――」
少しだけ機嫌を損ねたような顔で画伯は言った。
「今日の私はマッハ・ライティング・マンデー・スーパー・エキセントリック・ペペロン・オメガティック・シューバッハ画伯だ」
「それは失礼した。マッハ・ライティング・マンデー・スーパー・エキセントリック・ペペロン・オメガティック・シューバッハ画伯」
「おおっ。一度聞いただけで完璧に呼べるとは只者ではないな」
「ふっ。これでも芸術を愛でる心ぐらいは養っているのでな」
「よろしい。ますます気に入った。どれ、君の考えを聞こうじゃないか」
「……なんでよ」
「どうした。ほら喰らい付いてくれ」
メイドが用意したお茶と一緒に、シュルトが買ってきたハニードロップのパンケーキが目の前にはある。だが、問題は眼前に吸血鬼によって突きつけられたフォークであった。パンケーキにはたっぷりと蜂蜜がかけられ、今にも食べられる瞬間を待っている。
「さぁ、さぁ、さぁ! あの無防備な笑顔を晒すがいい!」
「や、やらなきゃダメ?」
「当然だ。見ろリリム。画伯もしっかりとキャンバスを用意してその決定的瞬間を待っている。これも芸術のためだ」
「とかいいながら、なんでそんなに楽しそうなのよシュレイダー!」
「決定的瞬間がキャンバスに描かれるとなれば嬉しいではないか!」
「ううぅー。これじゃまるで罰ゲームじゃないのよぉ」
何故かルブール子爵以外も楽しげに見守っている。装備ではなく普通の服を用意したメイドたちもそうである。遠くではサキとレブレが何が始まるのか首を傾げている。とはいえ、やらなくては終らない。衆人環視の中で大きくため息を付くと豪快にかぶりつく。
「おおっ、なるほどこれは良い絵だ!」
「だろう」
「初めは羞恥心と君への明らかな憎悪だけだった。だが、完全にそれを相殺するお菓子の味が極上の笑顔へと全てを変換し、少女の葛藤に恐ろしいまでの緩急をつけている!」
だが、それでも子爵は満足できないようだった。
「惜しいな。一枚絵としてなら使えそうだったが、あの時ほどの躍動感が存在しない。もっとこう、聴衆にインパルスを与えるようなものはないかね」
「インパルスか。では少しアダルティーだがこういうのはどうだ」
「まぁっ」
「嗚呼、何たる、何たる!?」
何故か、集まってきたメイドたちが仕切りにその構図を見て黄色い悲鳴を上げている。いつものことだったが、何故かサキは目を逸らし見てはいけませんとばかりにレブレの両目を手で塞いでいた。
「ねぇねぇ。見えないよぉサキ」
「必要なし」
「あんたには羞恥心ってものがないの?」
「失礼な奴だな君は。私にだとて勿論ある。しかし別に裸に剥かれたわけではないからな」
いつものように浄化魔法をしてから、椅子に座ったリリムの素足に口づけていたシュルト。ある意味絶対服従のポーズのままだった吸血鬼が動かずにのたまう。リリムは今にも爪先を跳ね上げて蹴り倒したい衝動に駆られていた。プルプルと震えるおみ足は振動し、必死にそれを我慢している状態。当然眼も据わり、いつでも変態を料理できるように腰元のミスリルウィップに手が伸びている。
「こっちよ皆」
「まぁ、やだほんとうよ!」
「若いっていいわねぇ」
「ちょっとー! この屋敷のメイドが続々と集まってくるんだけど!?」
「芸術家の家で仕事をするメイドたちだ。恐らく、画伯の技を盗み見るために参上したのだろう。ふっ、一流の芸術家の家はやはり違うな。皆雅を解する目を持っている」
「ど・こ・が・よ!」
「ぐぉっ――」
いい加減我慢の限界に達した女王様の蹴りが見事に炸裂する。キャンバスの前で確認していたルブール子爵は、その瞬間を当然見逃さなかった。
「うーむ。これは確かにインパルスがある構図だったね。君の嫌に物欲しそうな眼と、少女の全てを支配しきってなお不満そうな表情はなんだ! 私も様々な絵を見てきたが、正直こんな構図は見たことが無い! そして最後の抑圧から解放された瞬間の小生意気さ! 暴力性と愛らしさが確かに融合していた。これは候補に入れるべきだよ。やるじゃないか!」
子爵はご満悦である。だがやはりこだわりたいのか、更に角度を変えようと注文をつける。
「だが、ちょっと清純さに欠けやしないかね。今度のコンクールを主催するのはリスティラ教の総本山だ。私はアリだと思ったが、連中には些か刺激が強すぎるかもしれん。さてどうしたものか……」
「むぅ。舌が飛ぶ危険を冒してまでがんばったのだが……そうか。清純さか。うーむ……」
「そこでどうして二人してサキを見るのかしらね。謎ね。大いなる謎だわ」
「それは当然だろう。君は色気がありすぎる」
「なるほど、言われてみれば確かに」
子爵とシュルト。二人は意気投合しながら頷きあう。
「リリムが太陽ならサキは月だ」
「言いえて妙だね。あの顔立ちはこの国の人間ではない。どこの国の者だい」
「空元だ」
「おお、遠いところからよく来てくれた。モデルに国境などない。是非とも力を借りたいがどうかな」
「頼めばなんとかなるだろう。しかし、次のテーマは清純。一体どうすれば良いだろうか」
「そうだな。では古典的だがこういうのはどうだ」
「おおー、シスターサキの誕生だぁ」
リリムと一緒にリスティラ教会のシスター服を着せられ、二人して神に祈るポーズを強要される。そんな自分に違和感を感じながら、とりあえずサキはリリムの真似をしてみせる。
「これはどうだねフリーランサー。これなら石頭連中でも認めざるを得まい」
「悪くないな。リリムの色気も服で相殺か。そして異なる国の少女二人を並ばせて平和を祈る姿を描き出すことで、反戦へのメッセージ性を取り入れる。見事だ。感服するしかない」
「二人、満足?」
「どうかしらね。男って妙な拘りを持ってるし。しかもそれを女の子に強要してくる変態ばっかりだからなぁ」
「しかしまだ満点とは言えんな」
「ほらね」
何やら講釈とともに、二人が唸りだすのである。
「今度は無難にまとめ過ぎたかもしれん。シスターを描くと受けはいいかもしれないが、ただ描くだけでは逆に審査員は見慣れていて目新しさに欠けるかもしれん。方向性は間違っていないとは思うのだが……」
「鋭い読みだな。私などはそこまで頭が回らなかった」
「何かこう、ギャップ? そうだギャップだ。君とリリム君の組み合わせや、リリム君とサキ君のように何かこう落差が必要だ。二人とも素材は悪くないのだ。それを上手く生かすための何かが欲しい」
「子爵様。私どもからも提案したいのですが」
「ほう。お前たちにはいつも助けられている。アイデアがあるのであれば言ってくれ」
「言葉にするよりも見てもらった方が速いかと。付きましてはそちらのお客様に手を貸して貰いたいのですがよろしいでしょうか」
「えっ、僕?」
「こちらは構わん。せっかく来たのだから役に立たせて貰えば幸いだ」
「そうかね。すまんな。これも芸術のためだ。協力してくれないかね少年」
「んー分かった。何すればいいの」
「ではレブレ様はこちらへ」
両脇をガッシリと固められ、レブレが連行されていく。何故かメイドたちがとても嬉しそうなのが印象的である。
「嫌な予感がするわ。あいつらのあの目……どこかで見たことがある。どこだったかしら。うーん、昔店で見たような……はっ! まさかっ――」
リリムの悪い予感は、数分後に現実のものとなった。
「な、なんだこれは!?」
「うわぁーい。三人でお揃いだー」
リリムとサキと同じシスター服を着せられたレブレの登場である。どうやら薄っすらと化粧を施されているようで、男の娘に魔改造されていた。本人は単純に女装を楽しそうにしているが、メイドたちは匠だった。呆れ果てるリリムとサキの間に挟まれるや否や、レブレは違和感無く溶け込んでしまった。
「無い。これは無い。どういう感性をしていればこんな冒涜的組み合わせが許される!? 芸術の神が居たら絶対に許さんだろうこれは!?」
芸術を解する吸血鬼シュルトには理解できない。もはや次元が違いすぎた。まるで名画の上からド素人に勝手に絵の具を塗りたくられて台無しにされた心地である。もはや悪鬼の所業だ。台無しにされた怒りで、彼はメイドたちを睨む。だが彼女たちはそんなことはないとばかりにシュルトの叫びを否定する。
「ふっ。この素人め、です」
「これだから芸術が分からない冒険者は」
「ええまったく。この雅さが理解できないなんてお可哀想に」
「くっ、いきなり口汚くなったな貴様ら!? ええい、子爵! こんなのは即刻――」
「――エクセレントッ!」
「なん、だと!?」
彼は一瞬信じられなかった。つい先ほどまで芸術について語り合っていた老人の叫びが。ルブール子爵はメイドたちにグッと親指を突き上げて眼だけで慰労する。
――よくやった!
――これが私どもの仕事ですので。
裏方の家事戦士たるメイドたちの、芸術への進出。そしてその後のアイコンタクト。通じ合った主従たちのファインプレーにはもはや誰も入り込めない。
「そんな馬鹿なっ!?」
輪からはみ出してしまったその男の表情は、まるで最後の最後で信じていた味方に裏切られた兵士のようだったようにリリムには見えた。
だが彼女は心を鬼にして放心しままの吸血鬼を放置した。衆人環視の中でのあーんの恨みも、ペロペロの恨みもまだ忘れては居ない。請われるがままに三人でモデルよろしくお祈りのポーズを取る。それを見てインスピレーションが極まったのか、子爵は興奮した面持ちを隠そうともせずにキャンバスに筆を走らせていく。
「これはそう、破壊だ。圧倒的破壊なのだ! 既存の価値観を粉砕し、見る者を騙す悪辣さと真摯さが同居した想像と破壊に満ち溢れたギャップ有る挑戦画! それを彩るのは三人の被写体が持つそれぞれの色気、清純、無垢の三拍子。そこに更に国を越え、性別さえも超越してしまったこのパウワァは正にエクスプローション! 芸術そのものだ! 取れる、取れるぞ次のコンクール!」
「あ、ありえん。何故だ芸術の神よ。私が可笑しいのか?」
よろめきながら、縋るような心地でリリムと自分が描かれたキャンバスと三人娘(?)をシュルトは比べる。
「こちらの方が不純物がなくて素晴らしいと思うが……何故だ? 私が異世界人だからか!?」
据わった眼でシュルトを見返すミニ女王様のデッサンは、彼に何も語ることはない。その日、シュルトは一人芸術の犠牲になった。
――翌年春。
賢人暦114年四月初頭。リスティラ教会の総本山にて大陸中の名だたる画家から送られてきたレムリング大陸国際芸術コンクールにて、絵画武門の審査委員たちを不思議がらせた作品があった。
「妙だな。グリーズ帝国のあのカオス画伯の作品、どうも今年はシンプル過ぎやしないか?」
大会実行委員会の一人が、最終選考にも残りそうに無いその絵を見て落胆した。そのため息はすぐに他の審査員にも伝わり、皆一様に批評する。
「絵のタイトルは『信じる者は救われる』ですか。なるほど確かに無垢な少女たちの真摯な祈りを表現したのだろう」
「だが些かテーマがありきたりだぞ」
「そこが解せん。毎年どこのコンクールでもカオス画伯は凡人では考え付かん作品を送ってくるだろう」
「今年は絵画か。腕前は相変わらず素晴らしい。このタッチ、まるで目の前で少女たちが祈っているようだ」
「それ故に残念だよ。最優秀作品は浮世絵で決まりだな」
「……いや、待ってください。何か私にはこの絵から違和感を感じるのですが」
「違和感だと? そんなもの一体どこにある」
皆が絵を眺め不思議がる。気づいた男は、しばらく首をかしげて観察。だがやはり何も絵に可笑しいところはない。誰もがそう考えたとき、ふと一人の審査員が絵と共に届いた文書を思い出す。
「そういえば、なにやら画伯の絵と一緒に注釈のような物が届いていたそうですよ」
「注釈だと? 前代未聞だぞ」
「いえ、それがどうもこの絵とは関係ないみたいだったようなんですよ」
「どういうことだね」
「この絵を見てください。少女たちしか描かれていないでしょ。その注釈には『男』とだけ一文字書かれていたようなんです。きっと、画伯の創作メモでも挟まっていたんでしょう」
「なるほどな。……いや待て!」
慌てて絵画を見直すその男は、そこでハッと違和感に気づいた。
「まさか、この中に男が描かれているのではないのか!?」
「そんな馬鹿な!?」
「いやさっき感じた違和感はきっとそれだ! 審査員が見抜けるように僅かに違和感を残しているに違いない!」
「となると……コメントが難しいですな」
「分からない。誰が男なんだ」
「カオス画伯のことです。まさか少女たち全員が男なんてことも?」
「……十分にありえるな」
「な、何も知らなければタイトル通りの結果とはカオス画伯。恐ろしいギミックを仕掛けなさる!」
その日、審査員たちは悩んだ。謎の注釈にシスター三姉妹の謎。後年、没したカオス画伯の手記からその答えが判明するまで、その謎をルブール子爵家は秘密にして見る者たちを楽しませ続けた。それは後に、名画として歴史に名を残す傑作の一つになった。




