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EX02「賞金首」


 この世界『レグレンシア』にも当たり前のように暦はある。かつて賢人が制定した新暦――賢人暦とも言う――においては、一年は三百六十日であると定められた。そしてそれを更に三十日で割り十二分割されて今の暦になった。もっと細かく言えば、七日で一週間だとか曜日なるものまで決められそれぞれが更に細かく病的なまでに制定された。


 それまでは一月が九十日であり、春の月、夏の月、秋の月、冬の月として定められていたが、その区切りは現在ではなくなっていた。もっとも、当たり前のように例外はあった。新興宗教や旧くからある古参の宗教などが持つ独自の暦がそれであるし、レムリング大陸以外の大陸などもそうだった。


 レムリング大陸で一番の力を持っているのが、創造神『リスティラ』の教えを謳っている最大宗教であるリスティラ教会である。大山脈によって陸路を寸断されたグリーズ帝国ではその力は年々弱体してはいるものの、それでもまだ表向きは広く浅く信仰されていた。リスティラ教会は新暦という言葉を苦々しい顔で受け入れつつ、旧暦であるリスティラ暦を同時に利用している。


 魔法を広め、数々の発明を生み出し、現在の大陸では新しい宗教とも言われかねないほどの権威を手に入れた賢人と呼ばれる偉人は、それまでの宗教観を一変させた。何せ、彼の賢人が残した言葉は単純明快だったのである。


――信じたいものを信じればいい。


 酷くシンプルなその言葉は、魔物の台頭によって祈りでは救われないという現実に即した宗派を生み出した。リスティラ教会内で言えば、『試練派』がそれである。魔物を神の試練だと定義し、この試練を越えた者に神の祝福が与えられるなどと考えて今でいう神殿騎士団を新たに創設した。新しい解釈に、新しい宗教観。それまでにはない新しい流れが、ここ百年で大陸における宗教の価値観を激変させた。


 神の存在の是非はともかくとして、祈りを奉げても救わない神に価値はない。救われるために祈るという不純が、崇高な理念を圧倒したのだ。結果、大陸の宗教観は激変して寄付は減り、信徒もかつての熱を失っていた。今では『試練派』が目立っており、現代においては、特に大陸陸路から切り離されたグリーズ帝国などは、日増しに増えて行く魔物対策費を削る寄付金を減らす一方である。勿論、国がそうならばそこに住む者たちの価値観も変わっている。祈っても救ってくれない神を祈るような余裕は既にリリムには無かったから、神に祈るという習慣はもはや彼女にはほとんどなくなっていた。とはいえ、不純なる祈りを奉げる瞬間というのはまだあった。


 例えば、それは変態男が持ち込むトラブルを目にした時であったり、手に入れたせいで魔物に狙われてしまう妙な力に苛立ちを覚えた時。また或いは、現在進行形でダンジョンという名の穴倉に押し込められ、ストイックにも魔法と武力の研磨をさせられている現実を罵倒したくなったときだ。祈っても助けてもくれない神ではあるが、人間何かから逃避したいときほど神に祈りたくなるものだった。


「――ぜぇ、ぜぇ。嗚呼、神様。貴女様はどうして、か弱い私の不幸を放置プレイにするの? まさか神ともあろうお方がドSなの? それとも罵倒大好きのドMだったりしちゃう? うらぁ、祈ってあげるから救え神!」


「敬いの精神が全然感じられない祈りだよね」


「祈りというより、アレは単なる八つ当たりではないか?」


 基礎体力作りの名の下に、ダンジョン内を延々と走らされている真夏の昼のことである。朝は魔法の勉強。昼は実践訓練という名の戦闘訓練。そんな毎日を何故か送る羽目になっていた小柄な少女が、息を荒げながらも地面に膝を着き、天に向かって吼えていた。


 あんな偉そうな祈りが神に届くとも思えず、監督しているレブレとシュルトが揃って肩を竦める。その間も、ひたすらに神を罵倒し、息苦しさに耐え切れずに全身を白い光で輝かせ始める。どうやら神の奇跡に縋るのではなく、自前の奇跡による体力の復活を目論んでいるご様子だ。そのあたりの切り替えは酷く現実的な少女である。


 二人はそれを見て更にため息を吐く。あんなやり方では根本的な体力がつかないので意味がない。顔顰めるシュルトは、どうしたものかと天を仰ぐ。その横を、汗を頬に垂らしながらサキが黙々と走り過ぎる。もう何周遅れにされたか分からないほどに二人の間には差があった。その差を埋めるべく、奇跡の後押しを受けてリリムが猛ダッシュ。怒涛の追い上げを見せつける。


「あーあ。最高出力は凄いんだけど、なんていうか全然加減できてないよね」


「何れは矯正していかねばなるまい。効率的な力のコントロールは必須だ」


「なんで気づかないかなぁ。オーラ……つまり気は生命力を消耗するから、余計に体力が続かなくなる悪循環にさ。一時的に回復するだけならともかく、使いっぱなしだとすぐに息切れしちゃうよ。自分の体だから分かるはずなのになぁ……」


 竜眼を凝らし、磨り減って行くリリムのオーラ量を観測しながら、レブレがぼやく。


「サキとの差を少しでも差を埋めようと奮起しているのだろう。ああいうところは可愛らしくて大変よろしい」


「……可愛い?」


 真顔でそうのたまうシュルトに、不思議そうにレブレが見上げる。


「どうした」


「いやぁ、やっぱり魔法卿の理性は完全に破壊されてるなぁって。僕はアレ見るとなんだか怖くなっちゃうよ」


「まぁ、あの子に首っ丈なのは認めよう。私はあの子を見ていると腹が無性に減ってくるし、愛でたくなってくる。見ろ、汗まみれで必死になる姿を。遮二無二がんばるあの姿に、猛々しい感情が発露してあの子の本質を露にしている。ああいう無防備な瞬間が特にそそるぞ」


「本質ねぇ。割と負けず嫌いってところかな」


「いや、性格でなく精神的な強さの方だな。そこは私さえ驚嘆するほどのモノがある。アレは、逆境において忍耐強く立ち回ることができるタイプだ。そういった精神力の強さは、魔法にも影響する重要な要素だ。奇跡の力もきっとそうだろう。生まれながらにして才能を生かすために必要な資質を兼ね備えているという意味においては、彼女は生粋の強者だ。故に、私には宝石のように輝いて見えるのだ」


「あははは。確かに文字通り白く輝いてるけど……どうかな? 魔法卿の見立てと僕の見立ては少し違うようだよ。僕にはアレは、色んな状況に対する純粋な怒りとか、反骨精神に見える。行く末はきっと伝説のヴァンパイアハンターか、それとも英雄たるドラゴンスレイヤーか。今から怖いなぁ。人間って成長力と繁殖力だけはすっごいからさ」


「確かにな。だが、一度ぐらいは本気でぶつかるべきかもしれん。夫婦喧嘩を乗り越えてこそ、真なる愛が芽生えるというものだ。愛も研磨しないと光らん」


「愛ねぇ……あ、力尽きた」


 見守る二人の眼前で、糸が切れたマリオネットのようにリリムが倒れる。相当に消耗しているようで、倒れたまま起き上がれないようだった。それでも、「うぐぐ」と歯を食いしばって立ち上がろうとする姿は誠に天晴れである。


「まったく、私を心配させることにかけては天才的な花嫁だ。レブレ、サキを見ていてやってくれ」


「はぁーい」


 少女を介抱しに向かったシュルトに返事を返しながら、レブレは元気よく頷いた。









「まったく、倒れるまでがんばる必要はないのだがな。後、オーラを完全に使い切ると冗談ではなく本当に死んでしまうぞ」


 息を落ち着かせながら、膨れっ面を晒す少女を腕に抱いたシュルトが言った。心配する様子は伝わったのか、運動で紅く染まった子顔が見上げてくる。碧眼の主は、そこで少しだけ罰が悪そうに目を逸らす。


「どうした? 君と私の仲だ。何も憚ることはあるまい。言いたいことがあるのであれば、吐露してくれて構わないぞ。私に気を使う必要はないのだからな」


「あのね、いつ私が貴方に気を使ったのよ」


「早く強くなって、私を困らせないように切磋琢磨しているのだと思ったが、違うか?」


「全然、違うわ。私はただ、早く大手を振って外を歩きたいだけなの。このままこんな生活を続けてたら絶対にモグラになっちゃうわ」


「ふむ……」


 現状、彼女が魔物の前に姿を現すと誘蛾灯にように呼び寄せる。それがどうにかできなくても、せめて逃げ切れる程度にはならなければならない。その事実があるせいで、訓練に熱が入っているだけだった。


 せめて、目の前に居るシュルトぐらいに強く成れれば魔物など歯牙にもかけないで済むし、副次的な効果としてそれぐらいになれば冒険者として稼ぐこともできる。娼婦としての技能こそあっても、金を稼ぐ手段を明確に持ちえていない彼女にとっては、シュルトたちが提示する訓練は意味のあるものだった。無論、変態男から逃げ出す手段としても密かに考えているので一石三鳥とも言うべき手段でもある。リリムが熱心になるのも無理からぬことではあった。


 だが、そこは都合の良い方へと自己解釈する男である。ダンジョン内に設置されたテーブル椅子にリリムを運び、水とタオルの用意をしながら彼は意味ありげに呟いた。


「外か……そうだな。良いことを思いついた」


「また何か企んでいるの?」


 ニヤリと笑うその男に、リリムの脳裏に嫌な予感が去来する。


「企むも何も、息抜きも必要だと思ってな。明日、デートにでも行こうか」


「デートねぇ……」


 テーブルの上に頬をくっつけて少しでも熱を冷まそうとしているリリムは、乗り気ではないような素振りを見せる。食料の買出し以外でも外に出たいが、だからといって喜ぶと客観的にはデートが嬉しそうに見えるだろう。それは少女の矜持が許さない。とはいえ、そんな微妙な機微に気づかずにマイペースに彼は続ける。


「ギルドの解体職人の男が居るだろう。そのサラレスが教えてくれたのだが、甘いお菓子を出す女性に人気の店が帝都にあるらしいのだ」


「へぇー」


 節制していた元借金少女にとって、お菓子などという存在はどこか遠い世界の異物である。最後に食べたのは、娼館に羽振りの良い男が貢いで来たのを先輩の娼婦に分けてもらった時ぐらいにしか記憶にない。その時の味を思い出しながら体力の回復に努めていると、無遠慮にもシュルトが口元をタオルで拭ってきた。


「口元からよだれが出ているぞ」


「なぬっ!?」


 淑女にあるまじき失態に、慌てて少女が口元を押さえる。すると、シュルトがクツクツと笑った。


「ふふっ。冗談だ」


「あ、貴方ねぇ!」


「だが、これで一つ分かったことがある」


「今ので何が分かるってのよ。シュレイダーにデリカシーがないってことぐらいしか分からないわ」


「いいや。明日はどうやら君を満足させられそうだということが分かったぞ」


 妙に優しい笑みを浮かべて頭を撫でてくるその男の手を、リリムは最後の力を振り絞って払いのけ、当たり前のようにそっぽを向いた。火照った顔の熱が引くのには、もうしばらくかかりそうだった。












「――で、結局こうなるわけね」


 デートと言いつつもサキとレブレが一緒である。少し前にシュルトに買わせた白いワンピースをなんとはなしに選んでいたリリムが、憮然とした表情でため息をつく。


「リリムだけ美味しいものを独り占めは狡いもんね。ついでに四人でWデートだ!」


 驚異的な速度で大陸の言葉は愚か文字までを覚えたレブレが、完全武装したサキとリリムの手を握って無理やり万歳をしてみせる。四人の中で一番食い意地の悪い少年姿の子竜がしゃぐ様は、見た目だけは歳相応だ。今にも飛び跳ねんばかりにワクワクしている。そうやって帝都のメインストリートではしゃぐレブレを、通行人たちが微笑ましい顔で見て通り過ぎていく。リリムは、思わずマセている親戚の子供の相手をしている姉貴分にでも見られているように感じて眉根を寄せた。


「あんた、それ絶対に意味分かってないでしょ」


「散歩……ご飯……リリム……独り占め?」


 レブレが本当に言葉を覚えたのか疑問に思うも、片言でサキが問いかけてくるのでそれ以上の追求はできなかった。律儀に反応する彼女の疑問を否定するために首を横に振るう。


「子供じゃないんだから、独り占めなんてしないわよ」


「そうだぞサキ。リリムが独り占めするのは食事ではなく私だ」


「しないっての」


 余計なことを教えようとする吸血鬼の脛を思いっきり蹴りながら、間髪居れずに否定する。


「ふむ。まだ照れているようだな。照れ隠しが痛いが、今の蹴りは腰が入っていて良かったぞ。修行の成果ありだな」


「なんで貴方はそう堪えないのかしらね」


「人間とは根本的に体の作りが違うのだよ」


「体だけじゃなくてハートもそうみたいだけどなぁ」


 心臓もきっと、特別製に違いない。ついでに頭の中で何を考えているのか知りたいような気もしたが、レブレがブンブンと手を振って急かすのでリリムは追求は諦める。一行はシュルトを先頭に街に繰り出していった。まず向かったおは冒険者ギルドだ。


 食料の買出しのついでに何度も寄っていたので、すっかりリリムも場所を覚えてしまっていた。通常のギルドの入り口からは入らないのも相変わらずだ。解体職人のところへ直で歩いて行くと、「次、アイビーフを丸々1頭!」などと、商人たちの競りの声が聞こえてくる。威勢が良いのはいいことだが、少々煩いのが玉に瑕である。


 そして、もっとげんなりするのが解体職人たちが詰めるエリアである。夏であることもあってか、腐敗が早い。その生々しい匂いに、リリムは役々眉根を寄せる。鼻がそれなりに効くレブレなどは、早々に両手離して鼻を摘んでいた。


「ん、三人はギルドの外で待っていてくれていいぞ」


「そうさせてもらうわ」


「魔法卿、急いでねー」


 一刻も早く逃れようとするレブレを先頭に、リリムとサキが後に続く。シュルトはいつものように職人たちの下へと向かう。すると、もはや顔馴染みとなった五つ星レベルの若い男――サラレスが駆け寄ってくる。


「旦那、すまねぇ。ちょっとこっちに来てくれ」


「何かあったのか」


「いいから、こっちだ」


 普段とは違い、職人たちの事務所がある場所へと招かれたシュルトは首を傾げながらも後に続く。他の職人たちも、少なくともシュルトのことを知っている者たちはそれに見て見ぬ振りをした。





「連れが一緒に来ているから、話しがあるなら急いで欲しいのだが……」


 事務所の応接室に招かれたシュルトが、向かい側の椅子に腰を下ろしたサラレスに開口一番に言った。彼もそれは遠めに見て気づいていたのだろう。頷きながら、用件を切り出す。


「旦那、レイデンで何かやらかしたか?」


「レイデンなら奴隷商人の手先や兵士と揉めたことがあるな」


「あー、やっぱりか」


「それがどうかしたか?」


「ギルドに旦那っぽい賞金首の張り紙が届いてるのを見かけて、な」


 言葉を濁しながら、サラレスは頭をかいた。どう言うべきなのか困っている様子だ。仕事をよく頼んでいるお得意様とはいえ律儀なことだった。


「なるほど、賞金狙いで冒険者が私を襲うから気をつけろと」


「そういうこと。ツレが居るんなら尚更気をつけてやれよ。あんたはともかく、よく見かける嬢ちゃんたちはヤバイだろ」


「なんだ、私の心配をしてくれたのではないのか」


「旦那の心配はするだけ無駄さ。魔物をあんだけ殺れるんだからな」


 二ッと笑みを浮かべ、男が茶化す。だが、その顔はしかしすぐに引き締められた。


「――なぁ、一体何をしたんだ?」


「空元から父親と大陸に来た娘が居てな。雇ったこの国のガイドに親を殺され、奴隷商人に売られたそうだ。命からがら抜け出して逃げてきたところを私が保護した。つまりはそういうことだ」


「そいつはまた……」


「難儀な話しだろう」


「ああ。しっかし、ここ最近嫌に治安が悪くなってるな」


 腕組みをしたサラレスが、お手上げだと言わんばかりに両手を上げて見せる。ただの解体職人でしかないその男でも、当たり前のように良心は持っているのだろう。少なくとも疑っている風ではなかった。その事実に、シュルトは少しだけ微笑する。


「ん? どうかしたかい旦那」


「いや、人心の荒廃は確かにあるのだろうが、それだけでもないのだなと思ってな」


「何か、帝都で良いことでもあったかい」


「一つだけな」


「そいつは良かった。旦那が仕事を持ってきてくれないと、別のところに回される職人が出てくるしな。帝都は前線と比べれば居心地が良い。当分はここに居たいって職人は多いんだ。これからもできれば旦那にはガンガン仕事を持ってきてもらいたいもんだよ」


 快活に笑いながら、しかしそうまで言っておいて男は矛盾する言葉を口にする。


「旦那、俺にはこの件に関しちゃ手を出せないが……この国を離れたりはしないのかい? 旦那ならどこの国でもやっていけそうだが」


「正直、そこまではまだ考えていないな」


 それは、いつでもこの国を脱出する術を彼は持っているからだ。実際、その気になればいつでも帝国を去っても良いと彼は考えてはいる。だが、一つ脳裏を掠めることがある。それはリリムのことだった。グリーズ帝国はリリムの生まれた国である。彼女のためを思えば、住み慣れた国の方が良いのではないかという考えがどこかにあった。


 レイデンでのことは確かにある。そこまでする必要は無いと短絡的に考え、奴隷商を叩き潰しておかなかった楽観さがこの事態を招いたことも確かである。だが、今更の話しでもあった。


「しかしサラレス。その賞金首の張り紙だが、私だと断定できるほどに精巧なのか?」


「ああ。なんでも偶々旦那を見ていた絵描きがいて、そいつに書かせたらしい。びっくりするほどそっくりで俺は正直たまげたよ。普通はなんか子供の落書きみたいなのや特徴だけの奴が多いんだがなぁ。アレは別格だ」


「ほう……ならばその絵描き、さぞ有名な芸術家なのだろうな」


 妙なところに感心する男である。その余裕を見てサラレスが苦笑する。


「そういう問題じゃないと思うが、旦那の肝っ玉には頭が下がるね」


 サラレスは立ち上がると、前回までの報酬を取り出すべく金庫を開ける。一々後で取りに来るのも面倒なので、次の売りまで解体職人の金庫に報酬が預けられることになっていたのだ。シュルトはその様子を眺めながら、今日は早めにギルドを去るべきかと思案した。


 いつもなら金になりそうなフリーの討伐依頼や、指定級の獲物をチェックするのだがこのままギルド内に入ると碌でもないことになるのは間違いない。乱闘を起こす程度はどうでも良かったがが、今はツレがいる。悪戯に騒動を起こすことは避けるべきだった。


「旦那、前回までの分だ」


「ん……確かに。そうだ、この前話していたお菓子の店とやら、メインストリートのどこにあるんだったか教えてくれないか?」


「『ハニードロップ』のことかい。それならギルドを出て道を南下していけばすぐ右手に見えてくるぜ」


「助かる。これからツレと行くつもりなんだ。楽しみにしておくぞ」


「あいよ。ところで、今日は仕事の依頼は無しなのかい」


「ありがたい忠告があるし、今日のところは早く立ち去ろうと思っている」


「そうかい。あーあ。良い仕事ができなくて寂しくなるな」


「なに、問題さえどうにかすればまた持ってくるさ。ここの職人はサービスが良いからな」


「なら期待して待っとくぜ。でも旦那よぉ、どうせならそこは腕が良いって言ってく――」


「きゃぁぁぁぁ!!」


 サラレスが言葉を最後まで発するよりも先に、外から女の悲鳴が聞こえてきた。それを合図に、いつもは鳴り止まない群集のざわめきがピタリと消える。突然のことに驚いたサラレスは当然として、シュルトは舌打ちしながら立ち上がると外へと向かって事務所から飛び出した。


「ちょっ、旦那!? 金を忘れてるぞ!」   


 テーブルに置き去りにされている袋を手に、サラレスが後を追う。職人たちの解体現場を凄まじい速度で駆け抜けながら、シュルトはそんな彼の声を聞き流してギルドの敷地の外へ出た。すると、彼をして首を傾げる事態に遭遇した。


「あ、魔法卿。遅いよもうっ」


 困惑していた彼に気がつき頬を膨らませながらレブレが講義する。その眼前にはリリムを背に庇ったまま腰元の短剣を抜きかけているサキが居た。そこはまだいい。ただ、不思議なのはレブレがボロを纏った歳若い女の背を踏み、右腕を捻り上げていることだ。遠巻きに見ている通行人たちも、どこか困惑したように様子を伺っている。


「どうしてこうなった」


「こいつが僕のお小遣いが入った財布を取ったんだ。取り返そうとしたらナイフを抜いて威嚇してきたから、こうやってお仕置きしてるところさっ」


「は、離せって……腕が折れるってば!」


「スリか。しかし、こんな子供の財布を狙うとは世も末だな」


 子竜ではあるが、レブレの見た目は完璧に小さな子供だ。普通なら金を持っているなどと考えないので狙わない。女が取り落としただろうナイフを拾うと、その刃が本物であることが確認できた。彼は苦悶の表情を浮かべる女に近づくと、買い食い用にレブレに与えていた財布を抜き取った。


「レブレ、取り返したのだからそれぐらいにしてやれ。そのままだと折れるぞ」 


「えーっ。腕の一本ぐらい貰っていいでしょ」


「駄目だ。お前が言うと洒落にならん」


 一瞬、レブレの無邪気な言葉に女が顔を青くし抵抗しようともがいた。だが、それもすぐに止む。シュルトの言葉でレブレが手を離したことで、ようやく痛みから解放されたからだ。


 その際、ボロ布にも間違いそうなほどに使い込まれた外套のフードから、艶のない茶髪と一緒に脂汗が浮き出た女の顔が晒された。痩せこけ、明らかに栄養が足りていないようにも見えるその顔は、苦痛と恐怖から開放された安堵に塗れていた。今は開放された腕を大げさに摩り、無事な事実を噛み締めている。


「ほら、今度は取られないようにしっかりと懐に仕舞っておけ」


「はーい」


 財布を受け取り、言われたとおりにレブレが懐へと仕舞いこむ。と、そこへようやく追いついたサラレスが金の入った袋を手に顔を出す。


「ぜぇ、ぜぇ、旦那。足が速過ぎるって……」


「済まんな」


「いや、いいさ。ほら、預かってた金だ。今度こそ渡しとくぜ」


 サラレスが袋をシュルトに差し出す。瞬間、その間をスリ女が駆け抜けた。それは正に、電光石火の早業だ。事情を知らないサラレスの顔が、驚愕に歪む。同時に、リリムとサキが「ああっ!」と二人揃って声を上げた。


「まったく、度し難い――」


 シュルトは群集の中へと飛び込もうとする人影を目で追いながら、左腕を内側から外側に広げるようにしてナイフを投擲する。その速度を目で終えたのは、投げたシュルトとレブレだけだ。


「痛っ!?」


 飛来したナイフの刃が、女の左足のふくらはぎに突き刺さる。今正に大地を蹴ろうとした足が上げられず、女が前に滑るようにして転倒した。群集の中から、その早業に対するどよめきが上がる。そのことに、目立ちたくなかったシュルトは顔を少しだけ顰めながら、女の方へと向かって行く。女はそれでも逃げようと必死だった。けれど、もはや形成された人ごみを抜けることはできなかった。


 倒れた彼女を見下ろす周囲の目が、それを許すようにはできてはいない。嘲るような、それでいて冷たい視線が女へと次々と突き刺さる。一度目で懲りていれば、そんな言葉がどこかしこでささやかれ始める。そこへ、背後からザッザッと足音を響かせながら近づいていたシュルトが傍らにしゃがみこみ足に刺さったナイフを抜いた。女が、再び悲鳴を上げる。傷口から血を流しながら、激痛に身を捩る。振り返ったその瞳が、怨嗟と憎悪と、そして涙に濡れていた。


「理由は知らないが、やり口が関心できんな」


「……もっと上手くやれって?」  


「どうせなら人に恨まれないで儲けられる方法を探せと言っている」


 気丈にも悪態を吐く女の首筋にナイフを当て、左手を向ける。さすがに女も自分の命とは比べられない。観念したかのようにその手に袋を返却した。シュルトは懐にそれを仕舞いこむと、傷口に手をかざし魔法を使う。


「あんた、何を――」


「動くな、ただの治癒魔法だ」


「治療代なんて出さないよ」


 痛みが消えたことを恐る恐る確認しながら、女が膨れっ面で言う。まったく懲りた様子はないが、それでも逃げられないことは学習しているようだった。そこへ、サラレスが近づき大仰に金を盗まれたことを謝りながらそっとシュルトに耳打ちする。


「不味いぞ。騒ぎを聞きつけて冒険者が出てきてる。それに旦那に気づいた奴らが仲間を呼びにギルドに戻っていったみたいだ」


「まったく、ついてないな。お前は巻き込まれないようにすぐに戻れ。後はこちらでなんとかする」


「了解。無事を祈ってるぜ」


 サラレスは平謝りするギルドの職人を演じる。シュルトはそれを鬱陶しげに払って見せる。そのポーズで一応は義理を果たしたシュルトは、会話の意味を理解していないスリ女を立たせると、野次馬に聞こえるように声を出す。


「お前にはこれから罰を受けてもらう」


「罰? 兵士に突き出すんじゃないのかい」


「この国の兵士の不真面目さをよく知ってるからな。世の中、働くから金が手に入るものだ。この金が欲しければ道案内をしろ。私は帝都の地理に疎い。それで勘弁してやる」


「拒否権は――」


「――あると思うか?」


 首元で鈍く光るナイフの刃が、女の顔に諦めを生む。女が渋々頷いたのを確認すると、リリムたち三人を呼び寄せて群集を抜けて行く。それに遅れて騒ぎを確認しに来た兵士が居たが、既に五人は路地裏へと消えていた。ただ、当然のようにその後を目聡い冒険者たちが追っていた。













「もう、どこ行くのよシュレイダー!」


 スリ女を連れ、路地裏を足を止めることなく進むシュルトにリリムが苛立ちの声を上げる。少女の言葉は当然といえば当然だろう。今日は名目上はお菓子デートのために出てきたのだ。ギルドの前でトラブルがあったとはいえ、路地裏の奥へと進んで行く意味が分からない。


「サラレスが言うには、私が賞金首として手配されているらしいのだ。今もこっそり後ろから賞金狙いの冒険者たちが追ってきている」


「なぬっ!?」


 ギョッとした顔で、リリムが背後を振り返る。すると、確かに彼女の碧眼にもこっそりとこちらを伺う冒険者たちの姿が見えた。だが、気づかれたことに気づいても特に行動を変えるようなことはしないようだ。着かず離れずの距離を保ちながら追ってきていた。


「サキの件でレイデンで奴隷商人や兵士と揉めただろう。私はどうやら賞金首にされているらしいぞ」


「あちゃー……そういえばそれ言うのを忘れてたわ」


 かつて誘拐された時、犯人がそんなことを口にしていたことをリリムは思いだす。思わず額に手を当て、なんともいえない表情を浮かべてため息を吐く。すると隣を歩いていたサキが少しだけ申し訳なさそうな顔をした。単語の断片から自分に関係することだと察したのだろう。とはいえ、リリムもある意味被害者である彼女を責める気などない。気にするなとばかりに首を横に振るってその手を取る。


「あり……がとう」


 その行為に、サキが少しだけ目を見開いて礼を言う。いつもあまり感情を表に出さないサキの、片言とはいえ真っ直ぐな言葉を受けてリリムは少しだけ照れを見せる。


「い、いいわよ。どうせ、こいつらが居ればなんとかなるでしょ」


「うわーい。他力本願だよ魔法卿」


「実際私たちがどうとでもするのだから、間違ってはいまい」


 とはいえ、その論理は聞かされたスリ女には通じない。


「ちょ、ちょっと待っておくれよ。巻き添えはごめんだよ!」


「道案内が終れば開放してやるさ」


「ほ、ほんとだろうね!」


「当たり前だ。ちゃんと報酬もくれてやる。それより、この近くで少々騒がしくしても兵が来ないような都合の良い場所はないか」


 そこが、冒険者たちとの交戦場になる。その事実に少しだけ喉を鳴らしながら、女は一瞬だけ思案する。逃げ出さないのは、シュルトが持つナイフを警戒しているからだが、それだけでもないようだった。


「報酬、忘れないでおくれよ」


「勿論だ。なんなら、袋ごとくれてやるからそれで今の仕事から足を洗え」


「ちょ、ちょっとシュレイダー!」


 リリムが口を挟もうとするも、それをシュルトが手で制する。スリ女は目の前でジッと見つめてくるシュルトから目を逸らし、しかしボソリと呟く。


「……それができるだけの額だったらね」


「ん、それでいい」 


 むっつりと頷くと、シュルトは持っていたナイフの刃を指で挟み女の眼前へと差し出した。


「あんた、とんだ甘ちゃんだねぇ……」


「こう見えて甘い物は嫌いではないからな」


「はは……なんだいそりゃ」


 ナイフを受け取り、ボロ布の中の鞘に仕舞うと女がシニカルに笑う。同時にほんの少しだけ、その女の目が細まった。久しく受けたことの無い優しさが擦れた女の心に届いたのか、それとも純粋な嘲りか。親しくもないシュルトにはそれが判断できない。ただ、女は逃げることもせずにしっかりとシュルトが求めた場所へと道案内をした。


「ここだよ」


 たどり着いたのは、荒れ果て草臥れた屋敷だった。貴族のものだったのか、それとも金持ちの商人のものだったのかはもはや分からない。門は無理やりにもこじ開けられ、建物はガラスが割られて完全に廃墟のようだ。


「持ち主の商人も滅多に確認に来ないし、ここら一帯はくそったれなスラムだ。兵士も一々巡回には来ない。ねぐらにしてる奴らはいるかもしれないが、庭で暴れる分には邪魔しに来たりはしないだろうよ。ここでいいかい?」


「なるほど。暴れるには丁度いいな」


 シュルトは懐をまさぐり、袋ごと謝礼を投げ渡す。女はそれを受け取り中身を確認。その硬貨の量に驚いてはいたが、すぐに懐に仕舞いこみ踵を返す。だが、二歩も進まない間に振り返った。


「ルアンダ」


「ん?」


「私の名前だよ。あんたはシュレイダー……だったね」


「親しい者はそう呼ぶ」


「そうかい。ならシュレイダー。私が言うのもなんだけど、その、そこの子らをしっかりと守ってやるんだよ。私にはもう一人しか残っちゃいない……だから……居なくなったら辛いってことだけは、忠告しておいてやるよ」


「覚えておこう」


「じゃあね、甘ちゃんのシュレイダー」


 ルアンダはそう言うと、今度こそ走り去って行く。シュルトは視線を案内された屋敷に向け、敷地にゆっくりと足を踏み入れた。








 真っ直ぐに庭へと踏み込んだ四人を迎えたのは、生い茂った草木である。入り口まで敷かれた石畳の上こそあまり生えてはいないものの、其れを除けば随分と茂っている。逞しき雑草の洗礼。立地条件も最悪だが、これでは買い手が着くはずもない。


 シュルトはすぐに自分以外を一旦ダンジョンへと転移させると、指を弾きシャドウブレイドで庭中の草木を刈り取った。おかげで少なくとも視界の確保は完了した。後は賞金狙いの冒険者たちを待つだけだ。


「さて、いつものように半殺しだな」


 見せしめのためであり、この後のデートのために邪魔をしそうな連中を根こそぎ叩いて置きたいという本心がその選択肢を彼に選ばせる。


 そもそも賞金首扱いを撤回させるには、いくつかの手順が必要である。それこそ権力者のコネでもあればもみ消すことはできるかもしれないが、帝国ではシュルトはそんなものは何一つ持っていない。であれば、届出をしただろう奴隷商人を叩き潰し、脅迫して撤回させるなどするか死を偽装するぐらいしかない。それらを実行するにしてもすぐには無理だ。せっかくリリムが少なからずめかし込んで来たというのに、それではあんまりである。シュルトは無粋な連中への怒りに両の拳を握り締めながら、賞金狙いをただ待った。


 しばらくすると、シュルトの知覚が屋敷を包囲するかのように展開して動きを止めた魔力源を感知する。塀の向こうからはこっそりと伺う影もチラホラとしてきた。だが、どいつもこいつも動かない。猟犬よろしく鼻を利かせつつ、同業者に漁夫の利を取られないようにと構えているようだった。


「ふん……」


 鼻を鳴らすと同時に、右手で飛来してくる物体を掴み取る。それは、先走った者が放った矢だった。さすがというべきか、三十メートル以上離れた位置からしっかりと狙撃してくる腕前には素直に感心する。そして、その狙撃が会戦の合図となった。


 まず、正面の門から六人ほどが突っ込んでくる。それぞれ抜き身の刃を晒す長剣を持っている。そこへ、今度は両サイドから塀を乗り越えて別の冒険者たちが侵入してくる。だが、それよりもまず左右から弓の洗礼がシュルトに襲い掛かってきた。


 パチンッと弾かれた指から小気味良い音が響く。瞬間、ついさっき刈り取ったばかりの草や葉を巻き上げながら、シュルトを中心に不自然な風が渦巻いた。それらは飛来する矢を明後日の方向へと弾き飛ばしながら周囲へと荒々しく吹き荒れる。同時に舞い上がる砂塵に、突っ込んできた正面の冒険者が目を庇うように手を眼前に添えながら舌打ち。そこへ、シュルトは猛然と突撃する。


「このっ――」


 不自然な風の向こうから、草葉と砂に紛れての強襲。外套をはためかせながら凄まじい勢いで突っ込んでくるシュルトに、焦った男が剣を振るう。


 放たれた銀光が斜め下から風を切り裂く。男の手に手応えはない。剣閃よりも早く飛び込んだシュルトの体は、既に男の脇を抜けていた。すれ違っていく外套の裾がはためく。瞬間、振り返ろうとした男の両足が凶悪な衝撃が走る。すれ違い様深く沈みこむような軌道を描いて旋回していたシュルトの足だ。放たれた水面蹴りが男の両足を刈り取り、後方へと転倒させる。なんとか受身を取った男が、罵声を上げながら起き上がろうとする。しかし――、


「体を借りるぞ」


「てめぇ!?」


 シュルトが片手で男の足を掴み、遠慮なく持ち上げて手近な男へと真横から叩きつける。纏ったブレストアーマー同士が接触。派手な音を上げながら男二人に衝撃を叩き込む。仲間を叩きつけられた男は、驚愕の顔を貼り付けたままうめき声を上げて地に伏した。胸骨の一部でも折れたのか、胸を押さえたまま激痛に身を焦がす。


「む? 一撃で使い物にならなくなるとは」


 シュルトはその脆さに眉根を寄せると、剣を取り落とし、白目を剥いたままの獲物を無造作に投げ捨てる。男のブレストプレートは接触部から拉げ、ハンマーでも打ちつけられたかのような跡を残している。その無残な様子を見て、残りの四人が足を止める。シュルトはその間に呆気に取られている次の獲物へと踊りかかる。その目にも留まらぬ踏み込みに、呆然としていた男は反応が遅れた。


「な、なんて馬鹿ぢか……」


 振り上げた拳が、呟きを寸断した。悲鳴を上げる暇さえなく後方へと飛んだ男が、鼻血を撒き散らしながら縦回転。刈り取られた草の上を転がり、途中にあった大きめの石にぶつかって止まる。


「どうした、戦う気がないならさっさと消え失せろ。他にも挑戦者はいるのだからな」


 振りぬいた拳を開き、手招きするように挑発。我に返った三人は、その舐めきった態度に怒号を上げた。一人目が真っ直ぐにシュルトに突撃し、右手の剣を突き出す。


 シュルトは首を真っ直ぐに狙ってくる一撃の下を掻い潜るようにして避けると、握り締めた拳を男の腹に叩き込む。物言わぬはずの鉄の防具が、思わず悲鳴を上げたのではないかと思う程の打撃音が轟く。同時に、男の体が地面から浮き上がった。そのあまりの衝撃に悶絶した男が、二、三歩と後ろに下がりながら吐しゃ物を撒き散らしてうずくまる。その横から、残った二人が剣を振るった。シュルトは軽くステップを踏み後方に飛ぶ。その眼前を、舞い散る草葉を切り裂きながら銀光が無意味に抜ける。


「囲め囲め!」


「いいか、早い者勝ちだぞ!」


 そこへ、両サイドから更に別の冒険者パーティーが飛び込んでくる。左に七人、右に五人。右には更に弓を構えた人間が矢を番え、鬱陶しげに舞い上がった草葉の向こうから構えている。乱戦になればそう簡単に狙撃はできないだろうが、油断なく見据えるその目を見てシュルトはもう一度指を弾いて草を舞い上がらせると、その間隙に再び身を躍らせた。


「ぐっ」


 先ず正面へと飛び込んだシュルトは、剣を振られるよりも先に右の男の首を掴み上げると、そのまま左の男へと投げつけ跳躍。仲間を切るわけにいかず、咄嗟に受け止めたその男の顔面へと靴裏を叩き込む。たまらず崩れ落ちる男の上で、投げつけられた男がどうにか体勢を整えようとしているところに踵を腹へと叩き込み悶絶させる。そこへ、左右から到達した男たちがギラついた目を浮かべながら殺到する。


 数の優位を信じきったその顔が、恐怖に歪むにはまだ早い。こういう相手を止めるには、心底自分たちの立場という者を教えてやる必要がある。そのことをシュルトは放浪していた期間の間に嫌というほど知っていた。故に、面子と矜持を叩き潰すことを厭わない。二度と関わりたくないと心底思わせる程度に半殺しにしていく。


 冒険者はなんといっても体が資本だ。吸血鬼の人外の膂力でもって叩き込まれる手足の一撃は、容易く彼らの纏った防具ごとその下の骨を砕く。シュルトが手加減しているとはいえ、早々簡単には治癒しない程度の負傷は、彼らのこれからの仕事のチャンスを奪い去るのだ。


 一人二人と少しずつ倒されて地面でのた打ち回る人数が増えるたび、男たちの顔から笑みが消える。そして遂に、その数が半減した頃には魔法が飛び交うようになった。


「あっ、馬鹿てめぇ!」


 賞金首の一人が、血走った目で炎の魔法<ファイア>を詠唱している男に怒声を放つ。賞金首は少なくとも手配書と顔が一致しなければ賞金が支払われない。捕まえるか首だけで届け出るかは賞金稼ぎの自由だが、そのために顔が判別できる程度にしておかなければならず、炎の魔法を使うことはほとんどない。それが彼らのセオリーだったが、怒りに燃える男は本末転倒な選択を選んだ。


「煩せぇ、仲間の仇だ!」


「別に殺してはいないのだがな」


 回し蹴りを繰り出し、また一人を草の上にのた打ち回らせていたシュルトだったがそんな言葉程度では相手が止まるわけもない。


「死ねぇぇ!」


「やれやれ」


 突き出された掌から、炎が勢いよく放たれる。人を火達磨にして殺傷する程度は容易いのその魔法を前に、シュルトが指を弾く。瞬間、またも発生した風が炎を飲み込みながら空へと消える。その際、風に巻き込まれた草葉が発生した熱波に炙られて発火。一部は燃えカスとなって空へと舞った。


 草葉の焼ける匂いが薄く広がる。鼻を突く異臭の中、巻き添えを恐れて咄嗟に離れた冒険者たちが倒れた仲間が無事なことにある意味で安堵する。だが、それも束の間。不発に終った魔法攻撃を見て、男が次の魔法を詠唱していた。


「ならこいつはどうだ!」


 仲間や同業者の抗議を恐れてか、男は魔法の種類を変えていた。剣を握ったままの左手はそのままに、右手をまるで剣を薙ぐように構える。伸ばされた指先が手刀の形を取った。そこに渦巻くは魔力で集められた風。それは、圧縮した風の刃を放ち対象を切断する風刃<ウィンドカッター>の魔法の予兆だ。


 シュルトはそれを見ても騒がない。ただ、耳に届いた風斬り音に従って振り返り、背後から迫っていた矢を掠め取る。そして、それを旋回の勢いに任せてのんびりと無造作に詠唱していた男に投げ放つ。矢は、さすがに男の鎧を貫通することこそ無かったが意図しない衝撃を男に与え、注意を引いた。そこへ、シュルトが地面を蹴り抉りながら突撃する。


 目にも留まらない勢いで眼前へと躍り出たシュルトに慌てたように男が右手を振るうも、その腕ががっちりとシュルトに握り締めらて静止する。こうなれば、振りぬくことで初めて放たれる風刃も意味がない。そこへ、容赦なくシュルトの左拳が腹を襲う。目の玉が飛び出すのではないかというほどに見開かれ、その手から風刃が霧散する。同時に咳き込みながら、その男の体が崩れ落ちる。


「そろそろ諦めればどうだ。別に見逃してやってもいいのだぞ」


 既に、周囲には四人ほどしか立っていない。睥睨しながら提案するような気軽さで問うと、四人のうちの一人が仲間を見捨てて逃げ出す。残った三人はその場に残り、シュルトを警戒しながらも仲間を引きずるようにして離れて行った。弓で狙っていた男も、それで諦めたらしく渋々撤退の手伝いのために近寄ってくる。


 間違いなく余計な出費であり、当分は治療のために満足に稼ぐこともできないだろう。憎悪の混じった視線が、チラリチラリとシュルトへと向けられるもジッと彼が見返してやれば慌てて顔を逸らし、よろめきながらも離脱して行く。だが、その途中で彼らからどよめきの声が上がった。


「大したもんだな」


 ふと、離脱する彼らとは反対に正面の門から入れ違いに入ってくる中年の男が居た。三十も半ばだろうか。力強い青の瞳と共に、鍛え抜かれたような屈強な体躯を携えてやってくる。その手はパンパンと拍手を刻み、シュルトの戦いぶりを賞賛するかのようだった。大剣を背に担ぐその男は、冒険者たちからまるで崇拝されるかのように視線を集めながら、シュルトの眼前で足を止める。


「何か用か」


「冒険者ギルドからの使いって奴さ」


 大仰に肩を竦めて男が言うと、離脱するのを中断していた他の冒険者たちが苦悶交じりの驚愕を露にする。賞金首に対して、ギルドが使いを出すという意味が分からなかったからだ。シュルトもそれは同じだったが、眉根を寄せるだけに止めて先を促す。


「要するにスカウトさ」


 単刀直入な言葉だったが、その言葉がさらにざわめきを呼んだ。


「ダックスさん! な、なんだって賞金首を!」


「俺に喚くなって。判断したのは我らがギルド長『ジンブル』様だぜ」


 肩を竦めてダックスが言う。途端に、冒険者たちが苦虫を噛み潰したような顔をして押し黙る。冒険者が逆らえないモノはいくつかある。それはギルドという組織であり、当然それを掌握している幹部だ。その中でもギルド長の権限というのはあまりにも強い。除名処分にされれば仕事にありつけないだけでなく、最悪国から追い出されることもありえる。


 冒険者ギルドは、魔物という共通の敵と円滑に戦うために大陸の国々が一定規格の元に作り上げた組織である。賢人が提案したとも言われているが、今では各国にそれぞれその国の本部がある。国とのパイプの太さは言うに及ばず、各国の本部と魔物の情報などを共有している。そして、これは当然のことだが、有能な冒険者を人材として国に召抱えさせるためにも存在していた。

 

「あんたのこと、ギルドは相当に力を入れて探ってはいたんだぜ」


「それは光栄だな」


 面白くもなさそうに、シュルトは淡々と切り返す。解体職人たちのところで換金した帰りには、大抵ギルド員と思しき者たちの追跡があったことに彼は気づいていた。それ以前にサラレスが忠告していたこともあるが、何をするでもなく転移で振り切れるので放っておいた。元々身元が不確かな男である。詳細な情報を集めるにはギルド側も相当に苦労したことだろう。もっとも、その精度はどこまで真に迫っているかは彼をして眉唾ではあったが。


「ギルドの密偵によれば、別の国のギルドでも似たような奴が顔を見せるたことがあるらしいな。そいつは銀髪紅眼のフリーランサーで、妙な魔法を使って影の中から売り物を出すそうだ」


「どうせ人違いだろう」


「そうかな? 決まってその男は、若い女にだけは優しいらしいぜ。おい、連れて来い――」


 門の向こうから、別の冒険者らしき男が二人と一人の女が連れてこられる。男たちは今までのシュルトが殴り飛ばしてきたような男たちよりは柄の悪さや泥臭さと言った面で随分と落ち着いたように見える。血気盛んな若者ではなく、中年、あるいはベテランとでも言っていい程には老けて見える。ダックスのパーティーメンバーか、それとも部下だろう。もっとも、彼らについて何も知らないシュルトにとってはどうでも良い連中に過ぎなかったが。


「くそっ、離せよ。なんで私が――」


 女が悪態を吐きながら身を捩る。彼女は少し前に分かれたはずのスリ女、ルアンダだった。両手を後ろでロープで縛られ、両脇から拘束されている。そのどこか腑に落ちない光景に、シュルトが少しだけ首を傾げる。


「なんのつもりだ」


「まぁ落ち着けって。あいつらは街の治安を悪化させるスリ女を捕縛しただけさ」


「なるほど、無駄飯喰らいの兵士よりはまともなのだな」


 少しだけ感嘆とした表情を浮かべて、シュルトは言った。


「……まさかとは思うが、冗談を真に受けてるわけじゃないよな?」

 

「冗談、だと?」


 再び首を傾げるシュルトは、ダックスに問う。


「これまでの会話の中に冗談などあったか? 私は気づかなかったが……すまんな。どこで笑えば良かったのかさっぱり分からなかった」


「お前さんのその態度そのものが冗談だと、俺は思うがね」


 苛立つよりも前に呆れながら、男が肩を竦める。


「ユーモアのセンスは我ながら壊滅的だと自覚していたのだが、天然という奴かもしれんな。コメディアンなど目指したことはないが、無意識に金が取れるレベルなら挑戦してみるのもいいかもしれん。相方を探すべきだろうか」


「そいつは止めとけ。絶対にブーイングの嵐だ」


「む? 褒めたり、貶したり一体何なんだお前は。さっぱり分からん」


「あー、話しを戻していいか?」


「別にかまわんが、できるだけ短くしてくれればありがいな。今日は最優先の予定が詰まっていたんだ」


「そいつは悪かったな。で、どこまで話したか……そうそう、スカウトの話しだったな。通常ギルドからのスカウトって言えば普通は国関係なんだが……お前さんは違う」


「ほう?」


「ギルドに登録してくれってさ。つまりは、ギルドの冒険者としてのスカウトだな。待遇はSランク。現在考えうる限りでは最高のランクだ」


「断る」


「待て待て、落ち着いて考えろって。これはチャンスだぜ。分かってると思うが、ギルドは国の下にある組織だ。ギルドならお前さんに懸けられた賞金を解除できる」


「だから?」


「……だからって、お前さんこれからずっとそんな生活を続けるつもりか」


 「意地を張るのは寄せ」という言葉と共に、ダックスが食い下がってくる。だが、どんな言葉もシュルトには届かない。やがて、業を煮やしたのかダックスが後ろを振り返ってやりとりを見守っていた部下に人質をつれて来させる。


「――ったく、強情な奴だ。おい、ならこいつが牢屋にぶち込まれるがいいんだな?」


「ああ。私と彼女は大して関係があるわけではない。ただの案内人と客の関係でしかないから、スリを捕まえただけの君たちの行動を妨げるようなことはしないぞ」


 そのあんまりの言葉に、ダックスは愚かルアンダまでもが口をポカンとあけた。


「あの、ダックスさん。こいつ、本気でこの女がどうでも良いと思ってますよ」


「……らしいな」


「どうしやす?」


「どうするってお前……」


「そうだ。一応教えておくが、彼女には守るべき家族が一人居るそうだ。彼女を兵士に差し出すのはお前たちの勝手だが、その後のことはしっかりと考えてな。残される一人はきっと飢えや病気に苦しんでいるはずだ。そんな誰かに止めを刺すのはお前たちだから、後のことはしっかりとフォローしてやるんだぞ」


「「……」」


 それを聞いて、さすがに後味の悪さを感じたのか部下二人がダックスを見る。ダックスは呆れてモノが言えないような顔のままシュルトに尋ねる。


「そんな義務が俺たちにあるとでも?」


「義務はないが、スリという悪行に対して正義感を見せたのはお前だ。私は、その正義感に期待しているだけだ。ギルドのスカウトなら金は持っているはずだしな」


 シュルトはそう言うと、話しは終わりだとばかりにダックスの肩を叩く。まるで応援するかのようだ。そしてその次には呆れたままのルアンダの肩を、今度は激励するかのように叩く。


「刑期がどうなるかは分からないが、二度とスリなんてするんじゃないぞ。大丈夫。お前のことはきっと、この正義感溢れる男たちが見守っていてくれる」


「ん、んなわけあるかい! 男なんてどいつもこいつも女とみりゃ襲い掛かってくるケダモノだろ! そうでなきゃ、奴隷商人にでも売られてポイだ!」


「それは偏見というものだ。男の中には紳士も居る。元に私は違っただろう」


 その嫌に優しく、そして諭すような口調にルアンダが絶句する。もはや、甘ちゃんどころの話しではない。シュルトに大して持ちえていた暖かい感慨など、他ならぬ彼の手で木っ端微塵に破壊されていた。


「そりゃ、あんたは違うようだけどねぇ。ああもう! こいつらを見てみなよ。私を人質にあんたと交渉しようなんて悪どい奴だろ! こんな奴らが私やあの子に親切になんてするもんかい!」


 ルアンダがもっともらしいことを言い、聞いていた三人がもっと言えとばかりに頷く。


「ふむ? 君は人質ではなくスリの容疑者だろう」


「いや、あのなぁ兄ちゃん。俺たちは最初っから人質にしてただろ」


「そうだったか?」


「そ、そうだ。こっちだって仕事でやってんだ。さすがにそこまで面倒見切れるかよ」


 両脇を拘束していた男たちが、場の勢いに乗った。その正直な告白に、シュルトは不承不承ながら頷く。そうして、おもむろにルアンダの肩から右手をどけると、掌を握り締めて左に居た男の顔面を痛烈に殴打した。


「ひっ――」


 その生々しい打撃音に、ルアンダが悲鳴を上げる。拳撃のあまりの衝撃に絶えかねた男が、彼女の右手を拘束していた手を離して顔面を押さえる。シュルトはそれで止まらない。すぐに右手を引くと、その場で今度は右足を跳ね上げる。


「げはっ――」


 ブーツの爪先が、男が着ていた鉄の鎧にめり込む。くの字になり、辛うじてルアンダを支えていた手で体を支える形となった所へ、顎下から再び蹴りが襲う。ほとんど真下からの衝撃が、男の脳を激しく揺さぶる。その体が力なくルアンダの左肩を滑るようにして地面に落ちる。


「て、てめぇ!」


 いきなりの攻撃に、穏便に済ませようとしていたダックスが当たり前のように激怒する。背に回さた右手が、大人の身の丈ほどもありそうな大剣へと伸ばされ刀身を鞘から抜き去る。その重量感と迫力に、ルアンダが再び悲鳴を上げるのも束の間。シュルトは彼女へと抱きつきながら地面を転がる。それに遅れて、真横から大質量の剣戟が襲った。


 獲物に喰らいつくことができずに、大剣が空を切る。その凄まじい威力を証明するかのような剣風が、すぐに身を起こしたシュルトの頬を撫でて行く。


「お前舐めてるだろ。絶対に舐めてるだろこの俺を!」   


 穏やかな口調とは一変し、射殺すような視線がシュルトを迎える。だが、それに対してシュルトはあくまでも冷静に指摘する。


「人質なら人質にしたと最初から言え。危うく騙されるところだったではないか。犯罪者とはいえ、処女を人質に取るなど言語道断だ。この卑劣漢め、恥を知れ!」 


「……もういい。うんざりだ。命令なんざ糞喰らえだ」


 肩に担ぐようにして大剣を構え、ダックスが爛々とその瞳に殺意を宿す。シュルトはそれを対照的に涼しげに眺めながら間合いギリギリまで近づくと、珍しく右手を後ろに下げ、左手を少し前に突き出すようにして構える。


「そういえば聞いてなかったな。お前のランクはいくらだ」


「冥土の土産に教えてやるよ。俺はAランクだ」


「なんだ、Sランクの評価を進呈されたらしい私より下か」


 ギルドの階級においては、初級であるCランクから始まり、中堅のBランク。上級のAランク。そして、最上級のSランクまである。これは功績に応じた結果であるが、例外としてSランクの指標は戦闘能力にこそ趣が置かれる。そういう意味では、単独で規格外な程の魔物の死体を持ち込んでくるシュルトへ、ギルドが与えようとしているランクはそれほど不思議なものではない。


「阿呆が。俺は昇格を蹴ってるんだよ。でなきゃ、お前との交渉を言い渡されたりなんざしねぇ」

 

「だとしても今はAランクだという事実は変わるまい」


「言ってくれるじゃねーか」


「知っているぞ。Sランクの冒険者は常に厄介な依頼や最前線での依頼を押し付けられるそうだな。蹴ったのなら、それはお前がSランクの重責に耐えられない程に弱いからだろう。だったら、お前はやはりAランク止まりに値する男だ」


「それならギルドに入らないお前はどうなんだよ。このチキン野郎」


「心外だな。その代わりにギルドの恩恵をほとんど受けていないぞ。割りのいい依頼などほとんどないし、冒険者用の施設割引もカードが無いから効かん。獲物の買取でも利益を当たり前のように削られているしな。同じチキンでも庇護下でなければ生きて行けないような首輪着きの奴と一緒にされたくはないな」


「抜かせ賞金首――」


 舌戦を打ち切って、ダックスが一歩踏み込むと同時に大剣が容赦なく振り下ろす。その速度は、まるで重量を感じさせない程に速い。その堅牢な岩塊さえも両断してしまいそうな大剣を前にして、シュルトが左に軽くステップを踏む。


 大剣の切っ先が、問答無用で地面へと叩き込まれる。大地を爆砕するかのように裂傷を刻み、巻き上げられた草が宙を舞う。ダックスはそれらに頓着せずに冷静に手首を返す。凄まじい瞬発力だった。避けたシュルトを追うように、間髪居れずに銀光が右上へと浮き上がる。


 シュルトは着地するや否や、大きく上体を反らすことでそれを避ける。その際、刃が掠めた銀髪が数本、剣風に浚われて舞い上がった。


 ダックスの攻撃は止まらない。右に抜けた剣が、その勢いを消さずに円運動。弧を描きながら後ろへと回され、今度は掬い上げるような角度でほとんど真下から抜けて行く。その際、切っ先が再び地面を切り裂きながら上へと抜けた。


 大地の抵抗など物ともしないその力強い剣戟は、正に暴風そのものだ。離れた位置で何とか身を起こそうとしていたルアンダまで風が届き、彼女の肌に鳥肌を立たせる。その眼前に、後退して最後の一撃を避けたシュルトがふわりと舞い降り外套に飛び散った土を煩わしそうに叩き落としている。その余裕のある背中を見て、彼女は思わず安堵のため息を零した。


「ちっ、逃げ足は速いようだな」


「そういうお前は予想以上にできるな。正直、驚いたぞ」


 シュルトの口から、感嘆の言葉が自然に零れた。魔法やオーラの力による強化を一切せずに生身の肉体だけを鍛えてこれだけ大剣を振り回せる。ただの人間がここまでできるというその事実は、彼にとっては十分に評価するべきものだった。


「敢えてその重量の大剣を選んだのは、魔物の魔力障壁を考えてのことだな。魔法を併用して抜くよりも、それを連打して叩き壊す方が速い……なるほど。この世界の人間の戦士としては確かにSランクにカテゴリーされるべきなのかもしれん」


 丸太のように太い両腕から繰り出される純粋な膂力の一撃は、当たり前のように人間にも有効だ。鎧の上からでも人間を両断できるだろうし、防御した相手の武器ごと粉砕する。取り回しの悪さはあってもこの速度。かいくぐって懐に潜り込むにもリーチもそれなりにある。組み合わせとしては悪くない。


 分析しながら、一々もっともらしくシュルトは頷く。だがそれだけだ。感嘆し、評価しても特に顔色を帰ることはない。吸血鬼は初めの位置まで距離を詰めると、今度は構えることなく飛び出す。


 大剣の主は、その動きに遅れることなく反応した。ほとんど真っ直ぐに凄まじい速度で突っ込んでくるシュルトに、再び迅雷の如き勢いで剣を叩きつけようと剣を振り下ろすダックス。瞬間、シュルトの体が急激に動きを変えた。またしても左に飛び、それをダックスの剣が追尾するように跳ね上がる。


 先ほどの焼きまわしにも似た二撃目。しかしその軌道は斜め上ではなくほとんどなぎ払うような角度で一文字に放たれる。だが、大剣はまたしても獲物に喰らいつけずに空を斬った。その上を、跳躍したシュルトの体が彼に向かって回転している。瞬間、ダックスは舌打ちして三撃目に続くはずの剣を無理やりに左手で引く。ギリギリで盾のように構えられた大剣。その腹に回転の勢いを込めたシュルトの踵落としが振ってきた。


「くっ!?」


 大剣と蹴撃がぶつかり、ダックスの眼前で不快な音を奏でる。同時に、その両手が人外の膂力を受けた衝撃に悲鳴を上げた。その威力を示すかのように踏みしめた足が地面にめり込んでいる。直撃を受ければ、人間の頭部などひとたまりもなかっただろう。その事実に防御した彼は得体の知れない恐怖を感じながら、それでも僅かに口元を歪めた。


 そこへ、着地したシュルトが一瞬沈み込むように上体を下げたかと思えば右拳を放ってくる。ダックスはまたも剣の腹でそれを防ぐ。


 受け止める両手が、耐え切れずに上に跳ね上がる。いや、それは敢えて衝撃を上に逃がしたとでも言うべきか。跳ね上がった両腕に追随するかのように、大剣が右肩へとまるで担ぐようなコースを辿った。


 見下ろすダックスの視線と、シュルトの視線が刹那の間に交差する。その後に放たれるのは、角度から言えば至近距離から繰り出される袈裟切りだろう。シュルトに避けるような動きはない。振り上げた右拳を引き戻す様に勝利を確信したダックスが、ためらう事無く大剣を繰る。だが、同時にダックスはシュルトの左腕が動いたのを微かに見た。


 次の瞬間、大剣にまたも鈍重な衝撃が奔る。それを理解したダックスの顔が驚愕に歪んだ。シュルトに叩きつけられるはずの大剣は、ほとんど真横から払うように放たれた裏拳を剣の腹に受け、大きく外側へと進路を外していた。衝撃に泳ぐ剣に引きずられるようにして彼の体が僅かに泳ぐ。そこへ、シュルトの右拳が容赦なく胸部へと叩きつけられた。


「がはっ――」


 纏った鋼鉄の鎧さえも拉げさせる吸血鬼の一撃のその重さに、ダックスが胸骨を砕かれながらたたらを踏む。そこへ、容赦なくシュルトの左ストレートが顔面に叩き込まれる。それは、頑強な精神力を持つベテラン戦士の意識さえも断ち切った。もはや、シュルトの邪魔をできる人間は周囲から完全にいなくなった。


「気絶しても剣は手放さない……か。中々どうして性根はともかく天晴れな男だな」


 






「巻き込んですまんな」


 ルアンダを拘束しているロープをナイフで切断しながら、シュルトは殊勝にも謝罪する。彼女は地面に伸びているダックスと、未だに呻いている部下二人に視線をやると一も二もなくシュルトの頬を張った。当たり前の景気の良い音が響き、彼の頬に紅葉のような跡が僅かに残る。


「痛いぞ」


「迷惑料さね。それでチャラにしてやるよ」


「なるほど。だったら安いものだな」


 言いながら、シュルトはロープを手に取りダックスの傍らへと向かい両手を拘束する。その際、取り上げた大剣を影の中に戦利品よろしく放り込むとルアンダが少しばかり驚いた顔をした。が、結局は気にしない。ただ、さすがにシュルトがダックスを肩に背負い上げたところで好奇心に負けた。


「そんな奴、一体どうするんだい」


「ギルド長のジンブルとかいう奴が私の賞金を解除できるらしいからな。この男の命を交換条件に交渉するのさ」


「あんた、正気かい?」


 そのままギルドと戦争にでもなりそうだというのに、まったく気にしていない彼に対してルアンダもさすがに絶句する。左手で撫で付ける艶のないブラウンの髪を所在投げに弄りながら、聞き間違いであることを祈るような顔で返答を待つ。


「どうかな。私の正気は既に破壊されているからな」


「はぁ?」


「心配しなくても冒険者ギルドを消滅させることはしないさ。今のギルド長は相当な俗物だと聞いている。なら、交渉の余地はある」


「……ギルドなんてどうでもいいんだけどね。まぁ、あんたがそういうんならいいけどさ」


「それより、渡した金は無事か?」


「なんとかね」


 懐に仕舞った袋を叩きながら、ルアンダは笑った。硬貨の擦れる音が、確かな存在を証明している。ならばもう、気にすることはシュルトにはない。


「それは良かった。なんなら送って行くが……どうする」


「いいよ。余計に面倒なことが起こりそうだしね」


「あいつらは私と違って見境がないからな。まったく、紳士の風上にも置けん奴らだ」


「ははっ、そうだね。さて、今度こそさよならだ」


「気をつけてな」


 門を抜け、ルアンダに接近する魔力反応が無いことをしばらく確認してから、シュルトはギルドの解体現場の事務所へと転移する。丁度トイレから出てきたサラレスが、いきなり現れた彼を見てギョッとするも、すぐにシュルトだと気づいて話しかけてきた。


「旦那、随分と唐突な登場だな。また忘れ物かい?」


「今度はギルド長相手に忘れ物があってな」


「どっちかっていうと、俺にはお礼参りのような気がするんだが気のせいか」


「さてな。だが、しばらくギルド内には入らない方がいいかもしれないぞ。実はこれから場違いな嵐が吹き荒れる予定だ」


 唇を薄く吊り上げながら、シュルトが言う。その口ぶりに何か不吉なものを感じたサラレスだったが、彼は肩を竦めるだけに留める。ただ、それでも一つだけお願いをすることだけは忘れなかった。


「できれば俺たちの働き口がなくならないようにしてくれよ」


「相手次第だとだけ言っておこうか」


「あいよ。でもまぁ、色々と期待しとくぜ旦那」


「任せろ。こう見えて交渉は得意だ」


 見送る彼をそのままに、シュルトはダックスを肩に担いだまま堂々と入店する。サラレスはのんきに仕事に戻っていったが、数分もしない間にギルドからけたたましい音が聞こえてきた。当たり前のように響く怒号と悲鳴に、他の職員たちが作業の手を止めて様子を見に行く。


「ギルドの本部に平然と殴りこむような賞金首のフリーランサー……か。後にも先にもきっと旦那だけだろうなぁ」


 逃げるのではなく立ち向かう。そんな馬鹿げたことを実行するような人物が何人も居てもそれはそれで困るが、サラレスとしては次の仕事を期待して穏便に解決されることを願うだけである。後に責任者の面子も考慮してか、関係者全員が緘口令を敷かれることになる大乱闘騒ぎをBGMに、職人はただただ仕事に励んだ。


――心の中で、職人たちのリストラを目論んでいるらしいギルド長に「ざまぁみろ!」と冥福の言葉を投げかけながら。












「随分遅かったわね」


 夕方、ようやくダンジョンに帰ってきたシュルトにリリムが声をかけた。家の前に設置されているテーブル椅子に腰掛けたまま、頬杖をついていた少女は少しだけ安堵したように息を吐く。


「すまない。思ったよりも手間取ってな。だが、もう大丈夫だ」


「大丈夫って……どういうことよ」


「冒険者ギルドの長と交渉し、そのコネを使って賞金首を解除させた。少なくとも別の騒動でも起こさない限りは問題なく街に出られるわけだ。さぁ、デートの続きに行こう」


「貴方ねぇ、人を散々心配させておいて――」


「今日、君と行くと約束したからな」


「……もう、何よその嬉しそうな顔は」


 すぐ椅子の隣で、手を差し伸べたシュルトが微笑を浮かべている。渋々その手を取ると、リリムは力強い手で抱き寄せられた。


「心配してくれるほどに私のことを思ってくれていたか。思わず胸が熱くなったぞ」


「し、心配ぐらいしてあげるわよ」


「ありがとう」


 耳元で呟くようにシュルトが言い、自然に首筋に顔を埋めてくる。その瞬間、リリムは違和感を感じたかと思えば、小さい膝をシュルトに問答無用で叩き込む。当然、シュルトは大きく広げた口を閉じると、ご飯をお預けにされた子犬のような目でリリムの目を見た。


「ねぇシュレイダー。今さっき貴方、雰囲気にかこつけて吸おうとしたでしょ」


「……さぁ、出かけようか。あの二人はどこだ?」


 夜の女王様会議で血を摂取するのは一日一回、夜に舐める程度という約束が結ばれていた。約束が守れない場合には断食ならぬ断血のペナルティが課せられることになっている。リリムの嫌に甘い笑顔での詰問から目を逸らし、吸血鬼は家の中にいるらしい二人を呼ぶ。


「まったく、油断も隙もないんだから」


 少しだけ唇と尖らせ、いつも通りの彼の様子にミニ女王様は安堵のため息を吐く。とはいえ、彼女は考えていた。厄介事を一つ潰した御褒美に、夜は少しだけサービスしてあげようか、と。



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