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EX03.6「緑竜と竜友と天帝と」


 紅葉も見ごろな秋である。多織田家の城内は今日も今日とて騒然としていた。侍たちは各々に弓や槍を構え、油断なくそれを見据えながらとある男の登場を待っていた。ある者は震え、ある者はひれ伏し、またある者は興味深げにそれを眺める。どうやら市井の者たちも興味津々なようで、門の高さ程度では隠せない緑色の首を眺めては口々に噂話に興じている。


「また来てるなあの竜神様」


「なんでも、あのうつけもの。長信様のご友神らしいぞ」


「へぇぇ……随分大人しいみたいだけど暴れたりしないのかい?」


「でーじょーぶさ。この前に来たときは長信様と角の店の饅頭を取り合ってたそうだぎゃ」


「ああ、あの最近人気な竜文字饅頭の店かい」


「上手いことやりやがってなぁ」


「なんまんだぶ、なんまんだぶ」


 群衆は愚か侍たちまでもが見上げるのは、緑色の体躯を持つ子竜レブレである。彼は自由な時間を手に入れるとこっそり空元に赴いては羽を伸ばしていた。その巨体は嫌がおうでも目立つため、初めて見る者はもとより、何度か見た者などが集まりてんやわんやの大騒ぎだ。


 噂に聞いていた者や、ご利益がある縁起物のように一目しようとする者も居るほどであった。既に目聡いものたちが竜にちなんだ品物を売りさばいている。徳永屋でも木彫りの竜細工が新商品として並んでいる程である。今、多織田の城下はいきなり出現した竜で賑わっていた。領地以外からもいつ訪れるかも分からない竜を見に見聞に来る旅人が居るほどであるから、ちょっとしたブームになっていた。おかげで友人だという長信の風評が少し変わっている。


「長信様ぁぁ! どこですかな。まだまだ説教は終っておりませんぞっ」


 多織田家の家老――羅楽ららく 半兵衛はんべいが、外から聞こえる雑音に負けじと声を張り上げる。諸国をお供のくのいちだけを連れて勝手に行脚したり、かと思えば隣国であるグリーズ帝国に種田島の出島から向かうなどその行動力は底知れない。家老としては一に説教、二に説教、三も四も五も説教をくれてやらねば気がすまない相手だ。そして極めつけは『堺』の問題と『竜』である。


 多織田家としてはひとまず遊びに来る竜については放置の構えだ。侍たちの中には次の戦を見越して『よくやった!』などと両手を叩いている者も居るが、それとは反対に『堺』の問題に関しては紛糾していた。『まさかあの万利休が!?』などといった具合だ。ことコレに関しては慎重な対応が求められる。長信はこれを機会に攻め滅ぼしてしまえとまで苛烈に言うが、場内は愚か元領主も兄も逆に利用しようという動きがある。


 証拠の巻物と利休の仕込み杖については現在宝物庫に保管されていたが、今現在は紛失した。賊が忍び込んだらしいのである。当然、長信は顔を真っ赤にさせて怒り狂って暴れ、部屋で謹慎するようにと沙汰を受けている。最も、本人は次の日には抜け出して団子を食いに行っていたが。


「まったく、十七にもなって悪餓鬼から成長の兆しがまるで無いとは」


 旅をしてきて成長したかに見えても、相変わらずである。まだ徳永家に入り浸っていた頃は位置の特定が容易かったが、最近では遊びに来る竜と一緒に空を飛んで逃げる。


 今日も竜が来たので出て行こうとしたところを捕まえようとしたのだが、直ぐに家老である彼の顔を見つけて踵を返した。一応は護衛のくのいちに後を追わせたが、毎回振り切られているようだ。何せ、竜の手に飛び乗られると神通力で消えてしまう。だが、今日という今日はそれもできまい。既に竜を見つけた段階で手の者たちにいつも飛来する庭への出口を固めるように行っておいたのだ。ならば後は袋のネズミ。彼は自身満々に上階への階段を上っていく。


「蘭殿より長信様発見とのこと!」


「見つけたか!?」


「このまま天守閣に追い込むとのことです」


「よし、ついてまいれ!」


 報告を受け、悠然とした足取りで天守閣へと向かう。そこで半兵衛は蘭や侍たちに追い詰められている長信を発見する。だが、その手に持っているモノを見て目を剥いた。


「な、長信様!? その仕込み杖は……まさか!?」


「ワハハハ。遅かったな半兵衛!」


 杖を手に居合いの構えを取り、取り巻きをけん制していた長信がニヤリと笑う。まるで役者が揃ったとでも言いたげな様子である。


「長信様、まさか犯人は貴方ですかな!?」


「如何にも。この流れは読んでいたし、奪われるわけには行かんからな。俺でも盗みだせるようなザルな警備ぞ。あんな程度で本物の忍者を防げるものかよ。だから盗まれたことにしたのだ――と、言ったらどうする半兵衛」


「うぬぅ。警備強化は必須で御座いますな。しかしその前にまず説教です。さすがにそれは笑えませぬぞ!」


「ええい石頭……いや、白髪石頭め!」


「言い直す意味が分かりませんがお覚悟を。今日という今日は板張りの床上に正座させ、その上に石を置いたまま説教で御座いますのでな」


「あの羅楽殿、さすがにそこまで行くとそれはもう説教ではなく拷問ではないですか」


 蘭が顔を引きつらせながら尋ねる。


「この半兵衛、長信様が落ち着くのであれば心を鬼にして水攻めでもくすぐり地獄でも再現しますぞ。当主様からは許可も頂いておりますのでな。嫌われようと疎まれようと説教しますぞ!」


「おお、なんたる忠義の心。では私もまた心を鬼にして石の代わりに乗りましょう!」


「いえ、それは結構です。そもそもあの杖の件は護衛でありながら監視役である貴女にも責任があるわけで」


「うぐっ……」


「ワハハハ! 獲物を前にしたまま皮算用など片腹痛いのう。だからお前は俺の信用も信頼も買えんのだよ。お前は一生その面白忍者ポジションだ。劣悪な労働環境の中で精々忍べい」


「そ、そんな酷いこと言わないで下さいよ! 泣きますよ、本気で泣きますからね私――って長信様? はっ、この音はまさか!?」


「頃合か。よし、ではさらばだ半兵衛!」


 言うや否や、陽光差す天守閣から長信は躊躇なく飛び降りた。瞬間、当たり前のように蘭は愚か半兵衛の顔が真っ青になる。急いで駆け寄り、長信が飛び降りた先を見る。すると、羽ばたいて上昇してきていた竜の頭にへばりついた長信の姿が見えた。それを見た一同は揃って安堵のため息を吐く。


「もーう。空飛べない癖に危ないことするなぁナガノブはぁ」


「着地成功だ。くくっ、よく聞け半兵衛。俺はこれからこのレブレめと一緒に不死山に向かう。そこで、この証拠について天帝と語り合うのだ!」


「「ぶはっ――」」


 その時、不覚にも半兵衛は蘭と同時に唾を飛ばした。天帝とは空元の真の国主にして不可侵の存在だ。気軽に会えるものではない。そもそも普通は封じられた不死山へとたどり着けない。しかし今は竜の翼がある。樹海など簡単に飛び越えられるのは半兵衛にも想像に難くない。


 相手が対応してくれるかどうかは別であったが、噴飯ものの大事である。加えて、天帝が仮に対応したとしたら天下に波紋が立つのは勿論のこと、紛糾している多織田家の企みもパーになる。最悪、口出しして上手い汁を吸えなくなるし堺から干されることになりかねない。また、当然死に体の幕府も動くだろう。考えれば考えるほどに頭痛がしてくる。


「よ、よよよりにもよってなんととんでもないことを企みなさるかっ!? どうか、どうかそんな馬鹿なことはお辞めくだされ!!」


「ワハハハ出陣じゃレブレ! 空元の夜明けも近いぞっ」


「りょーかーい。なんだか分からないけどわははー!」


「長信様ぁぁぁ!」


 血相を変えた顔で大空に手を伸ばすも、半兵衛の言葉など聴かずに長信はレブレと一緒に去っていく。陽光と共に、城下にさえ響きそうな高笑いを二人で仲良く残しながら。


「うう、せめて私を連れて行って下さいよう。私護衛のはずですよね。ねぇ、羅楽殿もそう思いますよね!」


「……」


「ら、羅楽殿?」


 蘭が振り返る。すると、半兵衛は大口を空けたまま後ろに倒れた。お歳を考えればまるで、魂だけ天に召されたかのような姿だ。違う意味で一同の間に冷や汗が流れ落ちる。


「蘭殿、ご確認を!」


「くのいち殿!」


「え、えーと――」


 彼女が代表して恐る恐る確かめてみれば一応息はしていた。とりあえずそれで安堵すると、半兵衛をそのまま床にうっちゃって自らも頭を抱える。


 不死山の麓の樹海は魔物が跳梁跋扈する魔窟である。忍者であろうとも突破するのは相当な実力と運が必要だ。天帝の加護でもなければ突破できない難所である。当然、単身で蘭が追うのはほとんど自殺行為。追うのは論外である。


「――よし、見なかったことにしよう! 今日は病欠ってことで」


 その日、業務日誌に必殺忍術『文書偽造』が炸裂した。契約派遣忍者。空元で生まれたその諜報組織の職員は、無駄に責任回避能力まで養われてしまうという。実に業の深い職業であった。














 空元の中心に、国一番に巨大な山が聳え立つ。誰が言い始めたかその名を不死山という。歴代の天帝が死後、葬儀の後に完全に不死となる場所として伝えられている。


 空元の天帝は不老ではあるが不死ではない。しかし、空元の大地に還ることで本当の意味で脆弱な人の肉体から解き放たれて真実の不死となり、御霊は永劫に空元を守り続ける神になると信仰されている。そういう意味でも霊験あらたかな地としても有名である。特に巫女や神職にとっては聖地にも等しい場所だ。伝説と伝承が多く残る舞台とでも言えばいいのか、真実はともかくとして空元の人々の中で神格視されている。


 そんな山を囲む広大な樹海が、まるで人の行く手を阻むかのように続く。土地勘の無い者が訪れれば途中で遭難することもしばしばあった。少なくとも古代においては空元で恐れられてきた難所であり、五年前からは魔物が現れる勢力圏としての風聞も加わってしまった。おかげで延々と来訪者によって踏み固めれれ、申し訳程度に整備されてきた移動経路の維持は難しくなっていた。


 逞しき雑草が生い茂り、魔物が跋扈しまるで人々の手から天帝を遠ざけるかのような印象さえ抱かせる。全国行脚の時には、長信も軽い気持ちで踏み込もうとしたがすぐに引き返す羽目になった。それは護衛のくのいち少女の止められたからではない。


「この前ここに蘭と来た時は漠然と察したものよ。まだ、訪れるべきではないとな」


「へぇ……ナガノブでも怖いものがあるんだね」


「おうとも。俺にだって怖いものぐらいあるわい」


 思い出すかのように目を細め、長信はレブレの上から樹海を見下ろす。人の身で走破するにはそれ相応に手強いだろう自然の驚異が見て取れる。真実、手も足も出ないと本能的に理解したからこその撤退であった。それに加えて遠めに見えた魔物の群れ。経路さえ定かではない路は危険極まりない。人里や街道筋でならまだ生存の可能性は勘定できるが樹海で魔物に追い回された場合のリスクは当たり前のように死に直結することぐらい簡単に理解できる。


 ハイリスクの中のハイリターンならば賭ける意味がある場合もあるだろう。しかし、ハイリスクのその先のリターンが見えなかった。少なくとも天帝とは長信にとってそういう相手だ。誰もが信じている癖に、そのほとんどが知られていない。まるで神仏と同じだ。だから、レブレが居るこの好機を逃したくはなかったし、そのために特別にレブレに頼んで珍しい大陸の菓子の土産も用意した。


 万利休の仕込み杖はもとより、大陸で手に入れた巻物もその一つ。堺の所業は空元の民としては論外だ。真っ当な為政者であれば何らかの反応があるはずだと長信は睨む。逆に、何も反応がなく門前払いであれば長信としては興味も失せる。


 少なくとも国主としての立場を保持している相手であるから、国民を売り払うような所業を是とする者に用は無い。堺を攻めるのは何れ自分で行っても構わないのだから。ただし、天下に名を轟かせるために立ちはだかるかどうかを計る試金石にはなりうると踏んだ。その最低限の判別こそが今回の訪問の全てであり、後はどうとでも帳尻を合わせる。つまり、結局のところ長信にとって今回はローリスクでリターンを得る一手でしかなかった。


「それでさぁ、天帝って本当に珍しいの?」


「おうとも。少なくともそういう伝説の持ち主だな。もう百を越えてるはずだ」


「おおー。人間で百歳越えとはやるね」


 長寿の者はいても、三桁に上るのは稀有である。そういう意味でも確かに希少性はある。長信は更に若さも保っているらしいとか、面妖な力を使うらしいだのと知っている情報を並べてみる。好奇心を煽るような言いように、レブレが翼をはためかせながら一々反応した。同時に、少しばかり腹を鳴らしてみせる。


「噂ではおっかない女だそうだぞ。きっと小さくも怪力な巫女殿のように見た目など当てにならんのだろう」


「そっかぁ。リリムぐらい怖いのかぁ」


 台所を支配する女王様必殺のおかず抜きは、正に暴君の所業だ。それに匹敵するモノとなると、中々に限られてくる。想像しただけでレブレが震え上がる。もっとも、人間の腕力など大したことはないので武力については話半分で聞き流してもいたのだが。


 そもそも竜が恐れる力と、人間の恐れる力には差があるものだ。人間なら体当たりしてくる牛の質量は脅威でも、竜からすれば犬がじゃれてくる程度。単純にスケールが違う。


「確か、今の天帝の通り名は守護天帝だったな。何人も犯せぬ結界の構築が得意らしいが、防御に秀でている分攻撃が大したことがないそうな。そのせいで権勢を保てずに幕府を開かれたと聞く」


「んー結界かぁ。あー、確かになんだか凄いのが見えるね」


 山すそにある御殿がある場所から、竜眼でもそれが見えた。レブレからすれば地脈を押さえた上での所業であるならそれほど不思議でもない。だが、不思議なことにいくつか似たような結界の反応を樹海の中に感知した。


「天帝って人は一人なんだよね」


「おう。天帝とは代々受け継がれる一子相伝の称号だ。しかし、今の天帝は百を越えておる。称号を親が子に与えると、そのやんごとなき力を失うのだと伝えられている」


「そっかぁ。でも、樹海内のあちこちで結界の反応があるんだよね」


「であれば、それは加護結界だろう。使いなどに授けられる天帝の勅命に付随した結界らしい。なんでも、任務を遂行する上で障害となる全てを阻む破邪の結界だという。これのおかげで、天帝の近衛共は樹海の走破を可能とした」


「それは凄いね」


「うむ。だが、逆にそれを聞いて不審に思ったものよ。戦に使えば相当な脅威になろう。だというのに幕府を開かれるというのはどうも胡散臭い。何者も使いようだと思うのだが……どうにも天帝に関しては解せんことばかりだ」 


「だから会って真贋を確かめたいんだね」


「大したことない奴なら逆に俺の傘下に加えてやるのも面白かろう。俺が天下人になった暁には、蘭のように天帝も扱き使ってやるのだ。のんびりと楽隠居などさせぬ」


 「特に魔物退治など良さそうだ」などと呟く長信である。そうして、ひとしきり天帝についての知識を共有したところでレブレが下降していくのに気がついた。


 樹海の上を低空で飛ぶ竜の背から下を覗けば、その巨体に驚いて逃げる野鳥や動物のが見てとれる。魔物も見上げてはいるが、竜に進んで攻撃を仕掛けようというモノは見受けられない。魔物の敵は人類であって竜ではないからだろう。実に静かなものである。


(んー、サキはともかく僕ってあんまり魔物に狙われないんだよね。なんでだろ。やっぱり、人型が攻撃対象なのかなぁ)


 背に乗っている長信は危険だが、飛行形の魔物は空元では少なそうだ。五年前から魔物が現れ出したとは聞いているが、長信から聞いた魔物の特徴は基本陸上を闊歩するタイプばかり。それに種類もまだ豊富ではないようだった。その理由はきっと、単純なことだろう。召喚者の都合だろうとレブレは推察している。グリーズ帝国は、既に魔物が当たり前のように定着したある種の完成形だと仮定すれば空元は初期投資段階とでも考えられる。


 魔物だって元は生物。当然のように適正ある生存環境という奴は決まっている。暖かい場所で育つ動物が、寒冷地で生息できるかといえば適応能力によって変わってくる。要するにそういうことだ。また、そこから見えてくるのが魔物の種類の限界だ。魔物の召喚は人間側が行うランダム召喚と基本は同じだが運用方法が違うらしい。


 まず召喚し、適応できるかどうかを見極めてその後で召喚したときのパラメータ<術式>を新たに規定し、確実にその種だけに絞り込んで数を増やす。これは一から召喚魔法を組む場合に行わなければならない当たり前の作業だ。初めから契約した上での召喚ではないのはレブレやシュルトの召喚から推察できる。


(しばらく様子を見てみようかな)


 シュルトは帝国内でのパワースポット探しとリリムやサキへの教導で手一杯だ。空元まで今は足を伸ばす余裕はない。レブレ自身はリリムの強化に意味があるために手を貸しているが、絶対に彼の手が必要なわけでもない。少しぐらいこうして空元に来ても問題は無かった。


「そろそろ気をつけろよ。ここは神職共の聖地だ。攻撃されんとも限らん」


「巫女は弓と札を使うんだっけ」


「うむ。それと近接戦闘もやれるらしいな。薙刀やら柔術も使うのを見たことがある。基本は札だが、それを使った術やらで魔物共の障壁とやらを弱めたり、式紙を使役する。戦力としては欲しいが、奴らは俗世にはあまり関心がないのだ。勧誘もできん難儀な奴らよ」


 マジックアイテムという概念がレブレの住んでいた世界ラークにもある。札がそれの類似品だと思えばそれほど不思議ではない。ただ、大陸で土着の賢人魔法以外にこんな極東の島国で生まれたのかはとんと理解できなかった。シュルトも巫女に深い関心を示していたこともあり、レブレの好奇心もまた疼いている。


「他にも派生だと思うが、大陸の『りすてぃら』なる宗教の影響を受けて別モノや、陰陽師だの僧侶だのなんだのがおる。密教などもあって連中からすれば違うらしいが、まぁ、一番有名なのは巫女と神主の神道系だ。それだけ覚えておけばいい。信心深いから、竜をいきなり攻撃したりはしないはずだが……魔物として認識しているかどうかなど分からん。気を抜くでないぞ」


「ナガノブの家は遠慮なく弓で攻撃してきたもんねぇ」


「お家の危機と親父などは思ったようだ。しかも俺が手に乗っていたから大層混乱しておったな。くくく」


 その場面に立ち会った者たちの悲壮感を笑い話として片付ける長信は、着流しの懐に手をやった。中には巻物の感触がしっかりとある。その感触と共に、手にしている仕込み杖を力強く握り締める。その横顔は、まるで戦でもこれから始めようかと言わんばかりの覇気があった。


「あっ、向こうも気づいたみたい。結界内に人が出てきたよ」


「アレが噂に名高い近衛衆か。くくく、お前に乗る俺を相手に一体どう対応してくれるか。実に楽しみだのう」


 唇を舐め上げ、武者震いを誤魔化しながら彼は笑った。










「お待たせしました」


「おう、ようやくか」


 案内された部屋で茶を振舞われた長信は、レブレと一緒に饅頭を頬張っていた。どうにも、近衛たちはレブレに対して妙に腰が低い。出された茶も菓子も、その質を疑うことはできない程におもてなしの心が感じられる。やはり信心深いということなのだろう。長信などは完全についでみたいな扱いを受けていたが、それでも武装解除を要求されることもなく同じように敬われていた。少しばかり横柄な態度をとって見せる長信ではあったが、相手はまったく動じない。こうなると中々に手強い連中だと彼は評価せざるを得なかった。


 そこにあるのは確固とした信念と誇りだろうか。何者を相手にしても、天帝の近衛としてその顔に泥を塗るような振る舞いを禁じている気配さえ感じられた。ここにきて長信は悟ったものだった。こいつらはヤバイと。


 既に覚悟が完了したような目の者ばかりなのである。彼らは天帝のためなら喜んで命を差し出すだろう。忠義に死ぬのが武士道ならば、近衛たちは天帝の意思のために死ぬだろう。そこにある信頼と敬意の念は、不死山という霊峰の清浄なる空気と相俟って無形のプレッシャーとなっていた。側仕えたちでコレだ。本物の天帝を目にしたら、どう感じるか楽しみで仕方が無かった。


(万爺の言っていた与太話、妙に信憑性が出てきたな)


 空元の血が騒ぐ。言いえて妙なる感慨がその胸中には確かにある。否定するにしてはやけに重い。これが天帝の持つ権威の力か。それとも、授かるという怪しげな力の一旦か。長信はチラリと子竜を盗み見る。すると、相変わらずのほほんとしていた少年は、視線に気づいて言った。


「ナガノブはさっきから不自然に大人しいね。ここにきてからはいつもみたいにワハハーって笑わないしさ」


「――ぬっ。ワハハハこやつめっ!」


 右手を少年姿のレブレの頭に載せ力いっぱいグリグリと撫でる。その度に少年の首がグリングリンと忙しなく動く。


「おわわわ」


「よく言ったレブレ。この俺としたことが、対峙する前から及び腰とはな! 我ながらどうかしておったわ!」


「ふふふ。天帝様にお会いなさる者は皆そうで御座います。恥じることはありませぬよ」


 案内に来た巫女服の女が、たおやかに笑う。一般の公家衆が重用している女官たちの姿は御殿にはない。近衛と神職共が天帝の世話をしているというのは間違いない。古くも雅な意匠の本殿は、どうにも大名の息子さえも萎縮させていたようだった。


「ところで、個人的な謁見ということでよろしいのでしたね。多織田の者としてではないということでよろしいのですね」


「おう。身分を証明するために家の名は出したが、それで構わん」


「かしこまりました。ではこちらへ」


 巫女に案内されるままに、二人は後を追っていく。すると、二人は御殿から出て不死山を登り始める。こうなると、首を傾げるのがレブレである。好奇心の赴くままに巫女に尋ねる。


「ねぇねぇ、もしかして天帝は上の屋敷に居るの?」


「はい。どうにも、天帝様は面倒くさがり屋で今では下の御殿は祭事や公の者が来るときぐらいしかおいでにはなりません」


「ふーん」


「いいのか。その物言いは天帝に対して不敬ではないのか」


「問題ありません。あの方はそのような小さきことは気にもしませんので」


 言外に気にするのは小物だけだと言われた気がして、長信がむっつりと唇を引くつかせる。巫女はそれに気づく素振りさえ見せずに先を行く。山道は樹海とは違い、魔物も居ないらしくしっかりと手入れがされている。ただし、見上げるほどに長い階段には長信は辟易した。彼も鍛えていないわけではないが、常日頃から往復しているだろう巫女の足腰には敵わない。じんわりと汗ばむ額を手ぬぐいで拭いながら、黙々と上っていく。


 レブレの翼で運んでもらえば速いことは分かっている。しかし、あくまでも客人としての来訪。それをすればなんだか天帝に負けたような気がする。加えて、ひょいひょいと巫女の後をついていくレブレを見ていると余計に負けん気が刺激された。やせ我慢しながら不死山の階段を上っていく。頂上付近までしっかりと続いているが、よもや雲の上までいくのではないかという想像を抱く。


「くそっ、よもや登頂する必要があるとはな」


「山頂まではいきませんよ。すぐそこです」


「ナガノブも案外体力ないね」


「阿呆。竜と比べるな竜と」


「んー、サキなら余裕だよ余裕」


「なん、だと!?」


 









「見てよぉいい景色だよ」


「そうでしょう。天帝様もお気に入りの光景です」


 二人して広がる広大な景色を楽しんでいるが、長信にはそんな余裕はない。石段に腰掛たまま息喘ぐ。仕舞いには大の字になって寝た。


「おのれぇぇ謀りおって。なにがもう直ぐそこだ……」


 時間や距離の概念が狂っているのではないかとさえ思い、長信は巫女――朔夜<さくや>を睨む。どうにも二十程度の歳らしいことはレブレとの会話の中で聞けたが、それにしたってこれほどに歩かされるなどとは彼も予想できなかった。


「武士というのも軟弱なのですね。普段天帝様をお呼びするときなど、連絡係はここを駆け上がりますよ」


「こんな不便な場所に住んで我慢できるなど、お前たちは相当なうつけ者だな」


「見解の相違でしょう。ここの者は皆聡明ですよ」


 心中を吐露し、とにかく天帝にお目通りしようと挫けかけた心を彼は奮い立たせる。立ち上がろうとする彼の前に、微笑みながら朔夜は手を差し出すも長信はそれを「いらぬわ!」などと強がって払いのけて立ち上がった。その際、仕込み杖が役に立った。足が棒のようだったが、とにかく目的を達するためにはすぐそこにある天帝の屋敷に赴かねばならない。


「どうにも、この方は負けん気が強いようですね」


「ついでに短気だよー。この前も最後の饅頭を僕と奪い合ったからね」


「まぁっ、なんて狭量な」


「余計なことは言わんでいい! 結局は半分こしたろうが」


 味方のはずのレブレから始まる追撃。反撃に拳骨の一つでもと思って追うと、子竜は小癪にも朔夜の後ろに隠れてしまう。こうなると、持ち上げた拳の行き所が無い。悔しげに唸りながらそっぽを向いて屋敷に向かう長信を見て二人は忍び笑い。


「どうやら、照れ屋でもあるようですね。ふふふ」


「おおー大人の余裕だ」


(この俺がペースに飲まれているだと? レブレの奴はともかくこの巫女の透徹した目はなんだ。今までに見たことがない奴。やりにくくてかなわん)


 基本的には武士階級においては男性社会だ。偶に男を手玉に取る類の女も居るが、普通の空元においてはカカア天下を除けば亭主関白が多い。その中で、長信の周囲の女といえば喧しいのと大人しいのぐらい。こんな時間軸がズレたような女はいない。加えて、殺気も怒気も柳に風とばかりに受け流す。


(ええい、天帝め。侮れんわ)


 兵を見れば運用する者の性根が見えることがあるが、ここまでで分かったことは天帝は人望と信頼があることぐらい。逆に言えば、それぐらいしか見えてこない。空元の国主にして幕府を開かれ不死山に封じられた抜け作。そんな印象と同時に、不気味さを持つ相手だっただけに余計に実像が掴めなくなっていた。


「あ、この時間だとこちらです」


「庭か」


「今頃は昼寝でもしているはずですので」


「……起きて客人を出迎えるという神経はないのか」


「ふふっ。それはいきなり会いたいなどと言って竜と共に飛来した者が言う台詞ではありませんよ」


「よしいくぞレブレ! たのもーう!」


 皮肉なのかただの感想なのかさえ分からない声色の言葉を聞き流し、のしのしと向かっていく。疲れもあったが、呼吸が整うのにあわせて調子も大分戻ってきた。まるで今から道場破りでも行うかのような気迫で歩くその様は、いつもの彼そのものだった。


「むっ。見つけたぞ。貴様が天――」


「ぐがががが」 


「――帝……」


 もはや作法などのどうのこうのを無視した長信を、更に上回る無礼な態度で天帝が迎え撃つ。それは女子に対しての幻想さえも破壊する、豪快極まりないイビキだった。無論、それだけではない。


 縁側で西日を浴びながら、その若い女は座布団を枕に十二単を脱ぎ散らかして敷き布団代わりにしている。太ももまでめくれ上がった着物に、肌蹴られた胸元。そこに止めとばかりに腹をかく仕草にはもう威厳など存在しない。


「もう、天帝様ったらまたお腹を出して。いくら病気にならないといってももう秋も半ばですよ」


「そういう問題かっ!」


 だらしない主君に対しての感想がコレである。微笑ましいという感慨よりも先に長信が感じた呆れは、今この場にやってきた全てをただの疲労に変えかねないほどであった。ズッシリとのしかかる移動の疲れと、勝負に出ようとした気勢が削がるのを痛いほどに実感した心が、今度は怒りに変換されていく。


(おのれぇ、どこまでも調子を狂わせよる。これが意図的な作戦ならば俺は術中に嵌っておるわけだ。くそっ、平静ではいられん。いつも俺がやっていることがこんなにも苛立つものだったとは……)


 思わず手にした仕込杖を投げつけてやりたい衝動に襲われたのをなんとか踏みとどまると、長信は大きく深呼吸をして天帝を観察する。


 歳は百歳を越えているはずだが、天帝が本当に噂どおり不老ならばその証拠になるほどに若く見える。正直にいえば、、見目麗しいだけのそこらの姫であり、蘭と同い年ぐらいの子娘にしかみえない。こんな女が国主であるというのは、些か信じられないというのが彼の正直な感想だ。


「ふわぁぁぁ。おう朔夜。やっときたか。ワシは面倒になって帰ったかと思うたぞ」


 見られていることに気づいてはいるようだが、それでも天帝は大あくびをかまし巫女を見る。巫女の方は十二単を拾い集めて着せようとがんばっている。だが、天帝はそんなのは知らんとばかりに押し返し、睨みつけるように見つめている長信に初めて視線を向けた。


「ッ――」


 黒く深い瞳が自分を見上げている。それを理解した瞬間、長信の背筋に氷に触れたかのように反応した。その体が瞬時に居合いの構えを取り、抜こうとした右手が震える。長信はその時確かに直感した。ほとんど考えることなく、問いかけを発していた。


「お前は……人か?」


「いきなり失礼な奴じゃな。『竜友の長信』よ。くくく、そう構えるな。そなたの眼にはこの可愛いらしいワシが化け物にでも見えるかえ」


 高い声に含まれる楽しげな声色に答える余裕は彼には無かった。と、その横からレブレが前に出て左手を掲げた。まるで、それは庇うような仕草だった。


「天帝は現神。少なくとも空元の人間にとっては絶対の存在。なるほど……君は確かにそうと語られるべき存在のようだね。その力……ナガノブとは相性が最悪だ」


 レブレは竜眼を凝らして見えないはずのモノを視る。視えるのは力。それも、尋常なものではない力。類似するそれを知らないわけではないが、しかし、真実子竜はそれに感嘆していた。


 この世界『レグレンシア』において、これほどまで特異な存在はリリム以来まだ視ていない。これほどの規格外に会うとは想像だにしていなかったのである。自然とむき出しになる好奇心が抑えられない。どこかわくわくした顔で天帝を見据える。


「力とは大仰じゃな。しかしなるほど。お前が竜の童か」


「うん。ついでに言えば空元の竜でもないよ。だから僕にそれは効かない――GUOOOOONN!!」


 言うや否や、レブレは人外の咆哮を上げた。途端に長信は膝を着く。耳朶を打つ程の声量は、生物の全てを恐慌に陥れる。だが同時にそれまでの負荷を払う禊の声となって一帯を吹き抜けた。


「ッ――」


 今度は、朔夜が反射的に身構える。それまでののほほんとした空気はなく天帝の前に出た。しかし吼えられたであろう天帝は、風に弄ばれた黒髪を梳くだけで反応しない。胆力もまた人外のモノを備えているようである。


「始めましてだね天帝のお姉さん。僕は啓示の緑竜レブレ。好きに呼んでくれていいよ」


「ワシは夜の光と書いて夜光<やこう>じゃ。一応は守護天帝と呼ばれておる。そちも好きに呼べい。朔夜、下がって良いぞ。その竜はお前ではどうにもならん」


「御意」


 巫女は一礼し、天帝の後ろに下がる。その際、レブレを一瞥することは忘れない。決死の気迫が篭った瞳だが、レブレは涼しい顔をして左手を下ろす。


「大した自信だね。うんうん。夜光は一目見て僕をどうこうできると思ったんだね」


「さて、それはやってみないと分からんよ。ワシも長く生きたが竜と相対するというのは初めてでのう。それで、御伽の彼方より竜が何をしに来たのじゃ」


「長信が珍しい人にあわせてくれるっていうから見に来たんだよ。僕、こう見えても人を視るのが趣味なんだよね。良かったら長信の話しが終った後で時間くれないかな」


「視る……な。どういう意味かは分からんが、よかろう。ワシもお主には興味がある」


「約束だよ天帝。あっ横からごめんねナガノブ」 


「……構わん。それより奴は俺に何をした」


「これこれ竜友。人聞きの悪いことを申すな。ワシは何もしておらんわい。ただ目を合わせただけじゃろうが」


「レブレ」


「推測でいいかな」


「構わん。俺にはサッパリわからん」


 身を起こし、再び刀を構える。気を抜くという選択肢は彼にはない。怪しげな術に負けないためにも、意思を強く持つべく歯を食いしばる。レブレの咆哮でマシにはなったが、それだけ。今でも僅かに体が見えない縄に捕らえられたかのような気配がある。その重圧を不快な気と認識し、抗う姿勢で答えを望む。


「多分、天帝の力の源は空元の人たちなんだ」


「なんだと?」


「念神って概念の神が居る。僕の住んでいた世界ラークでは空想されし神で、こいつは人々の共通のイメージが実体化した存在でね。要するに君たち空元人が思い描いて、居て欲しいと願った神。その偶像の写し身が天帝なんだ」


「つまり、本当に神だというのか天帝は!?」


「んー厳密には違うかな」


「おい!」


「普通は意思を受けた魔力というエネルギーで念神は実体化する。それは共通幻想という名の無意識魔法。知的生命体の中でも人が持つ最強レベルの集団魔法だ。けど、夜光お姉さんは、天帝は違うみたい。僕には視えるんだよね。お姉さんに向かって物凄い数の力の流れが集束し、収束しているのが。その中の一つは長信からも出てる。彼女はその力のただの出口なんだ」


「人にして人に非ず。神にして神に非ず。天帝とは空元の国体。念神とやらは知らぬが、なるほど。ではこの力は空元の民の願いそのものというわけかえ」


「そういうこと。凄いね。ある意味では聖人の究極系だよ。すっごく美味しそうだ」


 シュルトが知ればどういう反応をするかとても楽しみだった。もっとも、レブレはまだ言うつもりはない。これを知るべきはリリムであってシュルトではないと、子竜は考えていたからである。彼とは違う考えを持つが故。


(魔法卿は聖女のメカニズムについて理解してないみたいだけど、知識の差かな。或いは、竜だから気づける。眼の違いってのもあるのかなぁ。まぁ、僕と彼では違うし。つまりはそういうことだよね。今はそれでいい。今はそんなことよりもナガノブの疑問に答えてあげなきゃね)


「とはいえ、欠陥が無いわけでもなさそうだね。それが長信の求める答えだと思うな」


 振り返り、眉間に皺を寄せて唸っている男にレブレは答えた。


「天帝はね、力の方向性が限定され過ぎてるみたいだよ。多分、空元人の少なさを天帝信仰の質だけでカバーして力が発現したんだろうけど、それでもやっぱり力が足りないんだ。視たところ不老と結界? そういう方向に力が尖ってる感じだ。けど基本的に空元の人たちと繋がっているから、逆に繋がっている人たちに影響を与えることができるんだね。天帝は空元の支配者なんだから誰にも害されるわけにはいかない。だから自動的に守ろうと手っ取り早く敵意ある者に、空元の人たちの意思が繋がりを利用して負荷をかけてるんだ」


「……だから、俺とは相性が悪いというわけか」


「そういうこと。今は僕が一時的に繋がりを妨害<ジャミング>したから楽になったでしょ」


「おう。しかしこれはアレか。俺が天帝に敵意を持つ限りこうなるということだな」


「うん。天帝の意識はこの際関係ないからね。勿論自分でもやろうと思えばできるだろうけど、するまでもないみたい。ここまで来ると信心深いを通り越して呪い染みてるよ。けど……うん。こういうのも有りだと思うよ。空元の人間たちが生み出した人造の神にして支配者。武力ではなく人の願いでもって頂点に立つ稀有な王。うんうん。やっぱり人間は恐ろしくも面白い!」


 一人ご満悦でニコニコと笑う竜である。長信は情報を頭で咀嚼しながら、深いため息を吐かざるを得ない。そして理解した。幕府は封じるという形でしか天帝を押しのけられなかったのだ、と。言うなれば天帝は空元の人間が存在する限り消えない永遠の支配者。空元の大名たちが願う天下など、この存在の前ではまったく無意味になる。何せ誰も逆らえない。真実の意味では空元人には弾劾さえできない相手なのだ。


(待て、それではつまりは――)


 この戦国の世さえも無意味な茶番になる。武士の野望も、待望も、先にあると夢想する太平の世の幻想さえも、全てを一切合財泡沫の夢に変えかねない存在。それが天帝。そこまで考えれば、長信は気づいた。


「その力は空元のための力だろう! ならば何故だ答えろ!! 何故お前は何もしないのだ!?」


 必死の形相で、彼はただ問うた。武士として、聞かなければならなかった。


「幕府が開かれたのもお前の意思かっ!? 空元は、お前の欺瞞に付き合わされて血を流しているということか!? 答えろ天帝!」


 空元の民の力が力となるなら、その願い<力>を託されたはずの天帝が政から遠ざかり山に篭る意味はなんなのか。実権を幕府の将軍が握り、権威だけはそのままに不死山に封じられることに、どんな目的があるというのか。分からない。多織田 長信には決して。


「まさかこの、今の乱世のあり方が空元の民の望みだとでもいうのか!?」


「天帝様、いい加減目障りでございましょう。黙らせましょうか」


「良いよ朔夜。言いたいだけ言わせてやれば良い。どれだけ吼えようともこいつにワシは斬れん。それをこいつは身を持って知ることになる。どれ、久しぶりに若い奴を揉んでやろうかのう――」


「おのれ囀るかぁぁ!!」


 長信はもう我慢しなかった。そのまま怒気を露に疾走。庭をただ駆け抜ける。鯉口は既に切られている。後は、ただ抜くだけ。途端に、レブレがジャミングしたはずの無形の圧力が息を吹き返した。後一歩で間合いに届くという刹那において、長信が金縛りにあったかのようにピタリと止まる。


 刃は抜けず、ただ田畑を守る案山子のように突っ立つことを強要される。そこに、長信の意思はただ屈した。


「何故だ、何故空元はお前を許容する!? 分からん、俺には……俺には分からんぞ!!」


「分からんで良いさ。天下人でもなければ、大名でもない。ただのうつけ者が知る必要はないのじゃ」


 どこか哀れみさえ抱くような瞳が、縁側から見下ろしてただ語る。奥歯を硬く噛み締め、間合いに入ろうと力を込めるも、長信の願いは通じない。空元に阻まれたまま、個人の意思を飲み込まれてただ喘ぐ。


「天の帝と書いて天帝と呼ぶ。空元の意思は常に、私と共にここにある。その証拠がこの力。それはつまり、時代がこの状態を求めていたということに他ならぬ。悔しがることさえ意味が無いと知れ。竜を友としたお前は、ただそれだけでも果報者じゃ。それだけでよかろう。それ以上を望んで、果たして何を成す。お前にはそもそも憤る理由さえなかろうが」


「無いわけが無いわ! 俺はお前が死ぬほど嫌いだ!! それで刀を抜く理由は十分。そして、何を成すかだと? たわけめ、大名の息子が望むのは唯一つ! 天下と太平ただそれだけよっ!」


 力がありながら何もしない奴が長信は嫌いである。目的のために欺瞞するのは構わないが、天帝にはそれさえもあるようには見えない。それが酷く憎らしい。そのあり方も、その力も。


 長信は長男ではない。家の力は奪って手に入れるしか道がない。力がありながら何もしないことがだから余計に腹立たしくてたまらない。


「空元の意思が仮にお前とあろうとも、俺の力さえもお前を肯定していようとも知ったことか! 俺の意思は俺だけのモノだ。俺の理性はお前を絶対に肯定できぬ!」


「ははは。吼えろ吼えろ。何もできない意味を噛み締めながら」


 言うなり、縁側から飛び降りて素足で天帝は間合いに入った。玉砂利がその拍子にこすれあって雅にも音を鳴らす。そこに、天帝はただ言葉を重ねる。


「抜けない刃に意味は無い。そして武とは結局力比べしかできん程度のモノよ。悲しいな。力で道理を通そうとする武の者よ。所詮お前たちにできるのはそれだけよ。自慢の力が通じぬ相手には手も足も出ん。どれだけ吼えようともそれが現実の重みじゃ。諦めよ。お前程度では神を傷つけることはできん」


「ナガノブそのままじゃ無理だよぉ。繋がりから脱却しなくちゃ。なんていうか、無我? 夢想? そういう空っぽの状態になるか力の流出を遮断しなきゃ駄目だよ」


「えーい、つまりどうすればいい!」


「空元の意思を超越するのが手っ取り早いけど、それは僕でも無理だしなぁ……流出する力の制御は訓練しないと無理だろうし……んー、となると長信にできることは一つしかないね」


「もったいぶるな。俺は絶対にこの女にかましてやらねば気がすまぬ!」


「うーんじゃあヒント上げようかな。ねぇねぇ、夜光お姉さん。お姉さんはなんで長信のことを竜友って呼ぶの?」


「風の噂で多織田家の次男坊の話しを聞いたまでじゃ。なんでも、竜を友としたうつけ者がおるようでな。誰が言い出したか知らぬが竜友の長信というらしい。大層な称号じゃな。こやつにはもったいないぐらいじゃ」

 

「だってさ」


「竜友……ちぃぃ、そういうことか!」


「あ、気づいたね」


「頼むレブレよ!」


「了解。GURUOOONN!!」

 

 不死の山に再び轟く竜の咆哮。瞬間、戒めが緩んだその一瞬に、長信は合わせた。抜くは刃。それもただの刃ではない。奥の手とも言うべき薄っすらと淡い光を纏った鋼の刃だ。それは、啓示を受けてここ一月ばかり訓練していた内気の輝きに満ちていた。道理も空元の意思も何もかも天帝越しに切り裂くべく、必殺の刃が銀光と化した。


「ぬっ? なんじゃ今のは……」


 眼に焼きつくほどの銀の輝き。刃に宿したオーラの残光を、天帝が眼を細めて訝しむ。だが、それだけ。長信の渾身の一刀は空元の意思<結界>に阻まれて終った。


「ええい、これでも斬れんか!?」


「いや、斬れたよ」


 レブレは視た。確かに、斬撃は天帝の纏った光の結界に阻まれた。だが何も斬らなかったわけではなかった。


「……驚いちゃった。凄いね長信。君、偶然にも天帝との繋がりを断っちゃったよ。うーん、本当に無茶苦茶だ。理解できない」


「なに? おお!! 体が軽いぞ。ワハハハ、これでこの女に眼にも見せてや――」


「うつけめ」


「ぐふぅおっ」


 光を纏った拳の一撃が、レブレに振り返って破顔した彼の腹にめり込んだ。その一撃は、ただの人間である長信の横隔膜を綺麗に痛打。地獄の苦しみを彼に与えて失神させた。


「あちゃー。さすがに余所見しちゃだめだよぉぉ」


「ふん。よほど嬉しかったらしいのう。しかし、二人がかりは反則じゃろう」


「僕が手を出しちゃいけないって言われなかったもんね」


「ふむ。それもそうじゃのう」


 悪びれないレブレに向かって愉快気に笑うと、朔夜に言い付けて天帝は長信を屋敷に運ばせた。そうして、今度はレブレと相対する。


「さて、そちらが二人がかりならワシは二人とも叩きのめさねばなるまいな」


「僕にはそこまでする理由がないんだけどなぁ」


「話しなら後でしてやろう。その代わり、試させてくれぬかや」


「試すって……僕を?」


「いや、ワシ自身の力をじゃ。ワシは予感している。何か、この先に良くないことが起こるじゃろうと。魔物はきっと、その前触れに過ぎん。そのためには研鑽しておかねばならん。じゃが、ワシには敵などおらん。敵にさえなれんのじゃ。空元人はな」


「あれれ。武は力比べじゃなかったっけ」


「別に否定したわけではない。力の強弱は結局のところ原始的な強弱を生み出す。道理と理屈もそこにはないよ。ごちゃ混ぜにして語るのはそもそも違うじゃろうしのう」


「そういう話は大抵思考遊びだからね。矛盾を追及すると限が無いもんね。武はより強い者に負け、論理は聞かない者や理解できない者には通じない。どっちもそれだけだと語りだせば中途半端で終っちゃう。でもそれは誤魔化しでありすり替えだ。やがて話しはループしてグルグル回る。まるでそう。初めから結論なんて無いみたいに」


「そうじゃの、その癖無ければ淘汰される。厄介なものじゃよ」


「このまま言葉で遊ぶのもいいけど……そうだね。やるならルールを決めようよ。正直に言うけど、今の僕では夜光お姉さんに勝てないと思うんだ」


「なんじゃ、せっかく全力でやれると思うたのに残念じゃのう」


「ごめんね。でも、これだけは言える。僕は負ける。でもそれはイコールお姉さんの勝ちになるというわけじゃない。それはきっと、お互いに不幸にしかならない結末だ。だから、無駄なことは省きたいんだよね。お腹も減るしさ。こんな風に」


 グルルルと腹を盛大に鳴らしてみせるレブレ。悲しそうにお腹を摩る姿を見ていると、夜光はなんだか可笑しかった。


「くははは。そうかそうか。竜も腹の虫には勝てんのか。ワシなどもう腹も減らんにのう」


「僕はこう見えて食いしん坊だからね」


「良い良い、童はたんと食うて大きくなるべきよ。どれ、ならば単純に相撲にでもしようかのう」


「相撲?」


「うむ。安心せい。ただの純粋な力比べじゃ」


 そういって、天帝はルールを説明。二人して縁側で相撲を取った。












 ふと、額に当たる心地よい感触に導かれ長信は目を覚ました。何かと思って手を伸ばせば、濡れた手ぬぐいの感触と、柔かな手があった。


「……ここはどこだ」


「目覚められましたか。天帝様の屋敷ですよ」


 声の主は朔夜であった。


「何をしていた」


「寝汗をかいておられましたので、こうして拭いておりました」


「俺は……何か寝言を言っていたか」


「はい。女子の名を呼んでしきりに謝っておられるようでしたよ」


 確かに夢を見た気がする。長信はしかし、覚醒と同時に内容を忘れてしまっていた。


「咲に蘭。大名は複数の妻を持つと聞きましたが、その歳でもう所帯を持っておられたので?」


「はっ! まだ嫁など貰ってさえおらぬわ」


「まぁっ、では遊びだったのですね。関心できませぬよ長信殿」


 口元を押さえ、どこか楽しそうに巫女が笑う。長信はそっぽを向くと、ふと思い出したかのように懐をまさぐった。持ってきたはずの巻物がない。そのことに血相を変えそうになるも、察したように朔夜が答えた。


「巻物ならレブレ殿が抜き取って仕込み杖と一緒に夜光様に預けておりましたよ」


「むっ。あいつめ、余計なことを」


 所詮巻物は口実。天帝を知った今となっては、彼女が何をするとも思えず預ける意味が無い。多織田に持ち帰るつもりだった彼は渋面を浮かべる。身を起こし、辺りを見回すと家紋入りの刀が枕元にあることに気づく。それを握り締めて立ち上がると、膳に乗せた食事を巫女が部屋の外から持ってくる。


「少し冷めていますがどうですか」


「……馳走になろう」


 どっかりと座り込むと、冷めた飯をかき込む。焼き魚に漬物に豚汁。どれも冷めていたが、彼は気にしない。そうして、腹を膨らせていると巫女の視線に気がつく。


「なんじゃ」


「いえ、神職ではない外の殿方とこうして話すのは久方ぶりでしたので」


「俺は見世物ではないぞ」


「希少ではありましょう。竜を友とするだけでなく天帝様との繋がりを自ら断つなど、私は貴方様以外には見たことも聞いたこともありません」


「ふん。俺はお前みたいな巫女を見るのは初めてじゃ。ついでに天帝もな」


「夜光様も楽しげにしておられましたよ。気絶したままなのをいいことに、あんなことやこんなことをっ」


「ごほっ、ごほっ――」


 かきこんでいた飯が放物線を描く。それでも喉を攻め立てるそれを咳払いで追い出すと、長信はギロリと巫女を睨む。しかし巫女はやはり動じない。


「鼻を摘んだり、髪を引っ張ったり突っついたりしてレブレ殿が夕飯を食べてくるまで玩具にしておりました。ふふふっ、久しぶりにあんなにもはしゃいでいる夜光様を見れました。どうもありがとうございます」


「子供か天帝は!」


「単純に嬉しかったのでございましょう」


「はぁ?」


「空元の人間で、あの方にあそこまで面と向かって刃向かおうとした方は恐らく貴方ぐらいでしょうから。天帝の名を継ぐということは孤独になるということです。何せ、空元では対等な人間などどこにも居なくなるわけですから」


 だから、楽しそうだったと朔夜は笑う。本当に嬉しそうに笑うので、毒気を抜かれた長信は舌打ちだけ残して残りの飯を食らことにする。やはり、やりづらい連中だと内心で考えながら。とはいえ、彼には言葉の意味が分からないでもなかった。


(俺にとっての咲のような奴か。あいつは大名の息子相手でも面と向かって物申す。少なくとも相手が俺ならな。ふん。だから嬉しい……か)


 対等かどうかなど、長信には分からない。ただ、そうただ偶々そうだったから咲のことは気に入っていた。どこぞから嫁を貰うよりは、知っている彼女の方がまだいい。そう思うからこそ、貰ってやると再三に言っていた。将棋親父こと徳永屋の先代も、それには苦笑いしていたものだった。


「馳走になったな」


「お粗末さまです」


「それで、天帝の奴はどこだ。巻物と仕込杖、この二つは動かん奴には必要なかろう。返してもらうぞ」


「その件ですが、レブレ殿から言付かっております」


「なんだ、面と向かって言えばよかろうに」


「私には分かりませぬが、ここが運命の分岐点になるだろうと」


「ふむ?」


「大名を目指すなら、このまま今日はここで天帝に会わずに寝るべきだそうですよ」


「っ――」


 一瞬、長信は射殺さんばかりの視線で朔夜を見た。実際はそれを言付けたレブレに対してのものだったが、八つ当たりのように言葉を吐かずには居られなかった。


「俺を惑わすつもりかあいつは!」


「さて、私に言われても困ります」


「ええい、選択肢を寄越すということ事がそもそも俺を曲げさせようという意思の表れだ。あいつは俺ではないから、俺に大名になられると困るのだろうよ!」


 サキのためだろうと、なんとはなしに考えて憤慨する。だが、最も腹立たしいのはまるで自分には守ることさえできないからと言われているように感じられることだった。それは、天帝と対峙したときのように酷く長信を苛立たせ、心を波立たせる。けれど、そんな彼に朔夜が可笑しそうに言うのだ。


「ですが、あの者はどちらを選んでも面白そうだと仰っておりましたよ」


「なに?」


「何をどうしても、貴方様は空元に名を残すだろうと嬉しそうに語っておりました。私にはさっぱり分かりませんが、かなり期待されているようですよ。竜から期待されるなどと、こちらもまた凄いことではないですか」


「……どういう意味だそれは」


「それは私には分かりません。ですが何やら天帝様はそれを聞いてお腹を抱えて笑っておりました。もしかしたら、あの方にはその意味が分かったのやもしれませんね」


「朔夜……だったな。すまんが茶をくれぬか。うんと熱い奴だ。熱ければなんでも構わん」


「ふふふっ。かしこまりました」


 膳を持って部屋を出て行く朔夜をそのままに、どっかりと胡坐をかいて座り込んだ長信は腕を組んで唸る。


(啓示とやらであの時に視たということか? しかし――俺は視ておらんぞ)


 レブレの啓示の内容は、細部までは無理でもなんとなく流れだけは覚えていた。大名になった自分のことだ。それを忘れるなどということはありえない。長信にとっては、既にそういうものだった。


 戦国の世を制し、乱世を終らせて太平の世を自らの手で作り出す。その大業は、夢にまで見た確かな偉業。その道で空元に名を残すことは、ある意味では当然だ。しかしその道以外で長信自身が名を残す道など、彼には皆目検討もつかない。ましてや、それを選ぶ自分などなおのこと想像できない。


「分からん、さっぱり分からん。竜の考えることだから俺には分からんだけか? うぬぬ――」


 唸るように考えるも答えはでない。そのまま布団に倒れ込むようにして、長信は寝転んだ。しばらくしていると、朔夜が盆に湯のみを載せて戻ってくる。


「答えは出ましたか」


「まだよ。これは難題ぞ。ある意味これまでの自分を否定するような大事であるからな」


「そうですか」


 差し出された湯のみを掴む。その注文通りの熱さを手で味わいながら、独り言を呟く。


「俺は生まれたからにはでかいことをしたいと思うた。俺は大名の息子だ。次男坊だが、奪い取るには難しくない。そう、大名は俺にとっては武士の身分から派生した選択肢に過ぎん。では、ただの長信にとってはどうだったか」 


 眼を閉じ、半生を振り返りながら思考する。生まれてから今まで、不満に思ったことは数あれど満足したことも多々あった。それらの中から選別するにしても、立脚点が武士の身分でしかないから引っかかる。どこまでも着いて回る価値観が、彼の思案を阻害する。


「分からん。俺に大名以外の何があるというのだレブレめ」


「何もかもではないでしょうか」


「はあ?」


「長信殿はまだ若いでしょう。であれば、これから何にでもなれましょう。剣客、武士、商人、将軍。浪人に農民に画家に医者。ああ、坊主という選択肢もあるかもせませんね。ほら、こう考えれば選びさえすることができれば選り取りみどりではございませんか」


「……人には相応の運命があろう。それに逆らっても不幸にしかならん。商人な俺など想像できんし、農民な俺が天下に名を残すとは到底思えん」


「それは空元の民でありながら天帝様との繋がりが外れた者の言う台詞とは思えませんね。成れるものにしかならないというのであれば、そもそも次男坊だという貴方が大名を目指す時点でちゃんちゃら可笑しいではないですか。基本家督というのは長男に受け継がれるのが常識。ならばそれは運命に逆らうということでしょうに」


「切り開いてこその運命。俺に手が届く最高の道はそれだけよ」


「本当に?」


「ああ。それしかない」


 それ以外はどうにもしっくりこない。


「では言い方を変えましょう。天下に名を轟かせるために大名以外の道が無い。そう仰られる貴方様はこのままここで一晩過ごされるが良いでしょう。どうも、話しを聞いていると初めからそれ以外が無いようにも感じられます。ならば迷う必要そのものがないでしょう」


「……悩むということは、迷っているということだろう」


「ならば、迷うということは疑問があるということでしょう。それまで抱いてきた道に。その夢のあり方に今は」


「――」


 長信はそれには答えず、不機嫌そうな顔で茶を啜る。焼けるように熱い茶が五臓六腑に染み渡る感触のように、明瞭な答えをただ求める。血が滾るような熱を内包し、それでいて満足できる道。その答えをただ切望した。謎かけのようなその問いは、まるで雲掴むような心地だった。


「そろそろ答えは出たのではないですか」


「かもしれん。だが出てきたのは結局は分からんという答えだ。だから、俺は天帝に会わねばならんのだろうな。癪だ。嗚呼、嗚呼、癪だ。まるで奴らの掌の上で踊らされているようで不快極まるわ」


 結局、話したところで悟るものもない。ただ、それでも長信は不機嫌そうな顔を僅かに緩め、スッと立ち上がると刀を左手に持った。


「案内せよ。俺は俺の道を見極めるために奴らに会いに行かねばならん」


「承知しました」


 たおやかに微笑むと、朔夜は独りの武士に会釈した。










 既に日は落ちている。屋敷の中を、蝋の明りを頼りに長信は歩いていく。山の中腹にある屋敷だが、さすがに天帝を住まわせるためのもの。それなりの広さがあるようだった。途中、草鞋を履くと二人は屋敷の裏口から外に出た。


 山の肌寒さに身震いするでなく、張り詰めた気迫の眼差しのままにただただ長信は巫女の後を追う。すると、すぐにそこにたどり着いた。それは露天風呂であった。仕切りのの向こうから、何やら天帝とレブレの話す声が聞こえてくる。


「こちら、天帝様がお気に入りの温泉になっております。肩こり腰痛から子宝まで、ありとあらゆるご利益がある……かもしれないと勝手の思われている湯です」


「……おい」


「どうかなされましたか」


「風呂ならそう言え。別に話しは後でも構わん」


「天帝様が気にせずつれて来いと仰っていたもので」


 気迫の眼差しが、途端に崩れ頬がヒクついた。


「ええい、向こうがその気なら構わんわ!」


 脱衣所で衣服を脱ぎ捨てると、開き直った姿でそのまま押し入る。その際、朔夜が「まぁっ」などといって恥らっていたがもう気にもしない。


「やい天帝! 来てやったぞ!」


 隠すことない堂々たる来場である。


「おお? なんじゃ竜友。本当に来よったのか。賭けはどうやらおぬしの勝ちじゃのうレブレや」


「でしょ。絶対来ると思ったもんね負けず嫌いな長信はさ」


 湯浴み着を着用していた天帝が苦笑しながらお猪口を差し出す。するとレブレ湯船に浮かべた盆の酒を注いだ。竜の酌である。天帝もさぞ気分が良いのだろう。風呂の湯と酒のせいか、火照る肌が酷く悩めかしい。


「ええい、俺にも寄越せい」


 二人で月見酒としゃれ込んでいたようだ。何やら話しが弾んでいたようだったが、手近にあった桶でかけ湯し、そのまま湯船に入るや否やレブレに向かって要求。温泉を楽しむよりも先に注がれた酒で自棄酒を煽る。


「おお、若いのはさすがにいい飲みっぷりじゃな」


「ふん。二人して何を賭けていたのかは知らんが、俺は気に食わんぞ」


「だろうねぇ」


「なら何故来た。おぬしにとっては意味が無かろう」


「選べというならしっかりと選ばせい。もう一つの掛札も分からずに乗れるものか。言っておくが、俺は相当に頭に来たからな」


「あはは。ごめんねナガノブ」


「謝るぐらいならするな」


「あいたっ」


 ポカリと、拳骨が飛ぶ。蘭に食らわせるそれとほとんど同じのそれに子竜が少しだけ涙目になる。


「これで勘弁してやる。それで何を企んだ。いや、俺に何を視た」


「特には何もないよ」


「は?」


「でも、分かっちゃうんだよね。それに関しては天帝も同じだったみたいだし」


「竜友よ。おぬしは今自分がどうなったか分かっておらんだろうが、端的に言ってやる。ワシはお前に希望を見た」


「言うに事欠いてなんだそれは」


「お前は証明した。天帝に逆らえるということを。或いは、これもまた次の時代への予兆か。神の要らぬ世界への……な」


 呟くように答え、ただしんみりと天帝は語りだす。


「ワシは天帝になる前に一人の男に出会った。その者はとても頭が良く博識じゃった。見た目もワシら空元人と大して変わらん。妙な服装をしておったが、今なら奴の正体が分かる気がするぞ。じゃがその時は奴が何者かをワシは愚か誰もが理解しては居なかった。奴は予言しおったよ。空元の行きつく先を。そして、それ以上の先の先も」


「はっ。預言者か星読みにでもあったか」


「いや、ワシが会ったのは賢人じゃ」


「賢人? 待てそれは――」


「レブレは大陸に居るなら聞いたことがあろう」


「うん。魔物が来る前には現れてた大陸魔法の祖だよね。賢人暦の元にもなった魔法使いにして発明家にして規格統一魔だ」


「そうらしいのう。その話しが大陸から伝わった頃にはもう居なくなっておったが、奴はこの国でも好き勝手して行ったぞ」


 思い出すのは人の頃の記憶。その中で、一等危険視したその男のことを天帝は忘れたことなどなかった。


「奴は自らを『夢追い人』と名乗っておった。天帝の膝元、京の島の都は奴の来訪で湧いたよ。もたらされた技術の数々、そして様々な知識に空元は活気付いたものじゃが、奴はいつもこの程度で喜んでもらえて嬉しいとよく言っておった。いいか、『この程度で』じゃ」


「出し渋っていたということか」


「そうじゃ。じゃがその癖、大陸の魔法とやらにも似た術、『霊術』を最後に神職たちに教えて我らの元から消えた。ある意味人には過ぎた力よ。他にもどうやら陰陽師や密教僧などにも奇妙な術を与えたようじゃ。恐らくはそれも奴の仕業よ」


「狙いが分からんな。知識技術を絞って教えるのはともかく、神職共のアレは確かに強力に過ぎる」


「ワシはそれが魔物対策だと今では判断しておるよ」


「なにっ!?」


「じゃが、その当時には魔物なぞおりゃせん。先代の天帝は統治が乱れることを恐れて神職専用の秘術とした。神職共は天帝の命には逆らわんから、霊術は秘匿されて研磨され続けた。戦で使われることもなかったじゃろう? あれは勅命で出されていたからじゃよ」


「なるほどな。誰も大名勢に着かぬわけよ。それどころか、強要しようとした者たちは皆悲惨な天罰を受けたと聞く」


「でも変だね。それだと早過ぎる気がするよ。空元に魔物が現れたのって五年前なんでしょ」


「じゃが大陸に大分遅れて魔物が出てきおった。じゃからそのための準備期間として考えるならば、それほど不自然ではない。空元は大陸とは訳が違う。言っては何だが軍事的にも文明的にも遅れておろう」


「文化の差ってレベルじゃないね。でもそれはしょうがないよ」


 島国であり、大陸文明と海を隔てているという立地条件が文明の発達を阻害した。その文化内で生まれ得るものだけで発達してきたというのが、必然。それ以上の多様性を生み出す土壌そのものがなかった。


 大陸との交流が皆無ではなかったが、そもそも単一民族だけが支配してきたのが空元である。生まれえるものは必然的に限定される。また、資源においても限りがある。広大な大陸と比べればそれがネックになるのは想像に難くない。


「だからではないか、と思うわけじゃ。そしてどういうわけかワシはずっと天帝になった頃から嫌な予感が頭から離れなかった。だから一手打った。そこに賢人の予言が影響しなかったかといえば嘘になる。ワシの力は神の如きものであっても、中身は人のそれと変わらん。知恵や精神は脆弱なまま。生来なまけものでもあったから、楽しようとしたのもある。じゃが、結果としてワシはそのおかげで神職共を鍛えることができた。各地に派遣された巫女や神主たち。これの戦果については竜友。おぬしもよく知っておろう」


「……うむ。実際に見もしたが、魔物討伐の技は見事なものよ」


「そしてこの戦国の世もそれなりに意味があった。本来なら幕府が潔白なままで在り続けてくれればよかったのじゃが、賢人の予言どおりに腐敗しおった。そしてその次に各地の豪族、つまりは大名たちが台頭する戦国時代へと突入じゃ。今では戦に慣れた兵たちは魔物対策の戦力としてはそれなりに数えられる程度にはなっておろう」


「犠牲は多いらしいがな。根本的に人との戦いとは違うようだぞ」


「じゃが戦乱が幸いし各地に独自に動ける軍があることで、水際でどうにかなっておる。結果論で言えば別の目論見が上手く作用したことになるのう。極めて遺憾ではあるが」


「だが解せん。結果論を謳うのは構わん。しかし、何故お前自身が前面に立たなかった」


「そこよ。結局は幕府の統治だろうとワシの統治だろうと本質は何も変わらんのじゃ」


「どういう意味だ」


「特権階級が上に立つ。政治の仕組みとしては大陸でもよくあることじゃ。それに世襲性であるから代が続いていく。が、いくつか欠陥がある。それはまぁ後で指摘するとして問題は頭が一つの体制に限界があるということじゃ。これは例えばおぬしが天下人になったとしても変わらん。自分ならうまくやれるなどと思うなよ。それは驕りであり、天帝であるワシでさえできんことじゃからな。これまでの空元の歴史が証明しておる」


「うぬぅ……」


「そもそも、一人だけで統治はできん。必ず分業にしなくてはならん。竜友、おぬしの父親はどうだ。部下に指示を出して仕事を振り分けてなどはおらぬか?」


「それは当然であろう」


「そう、じゃから当然そこで腐敗する。ワシの目の届く範囲など、報告されたことか足で見たことだけ。それだって本質とは程遠い。結果としてワシの統治も幕府の統治も変わらん。潔白な政治を行おうと、どこかで誰かが歪ませる。ならば後は求めるべき方向性の相違だけ。そしてこれは連鎖する。対策は取れるが、それもどうせイタチごっこで繰り返すだけじゃろう。その先の不満は結局は民に帰る。ならば、根本的に変えようと当時のワシは考えた」


 全員が全員とも完璧な仕事はできない。正義感に裏打ちされた仕事もあれば、ただ狡賢く仕事をする者も居る。善悪を完璧に制御できるような統治などできない。それが天帝の限界であり幕府や愚か大名の限界。大きく言えば政治の限界。


「今までのやり方では今までの結果に終始する。そこでワシはあれだけ恐れた賢人の予言に手をつけた。それが幕府の始まり。そして、戦国の始まり。予言では天下を取った大名が次の統治で幕府を開く。そうでなくても、それに近い位の地位を得る。そして、今度はその統治も時の流れで腐敗に負けるか、次の時代への分岐点に差し掛かるまでは繰り返すそうじゃ」


「分岐点? それも時代のか。人の意思ではなく」


「んー、その賢人っ本当に未来でも見えてたのかな。そういうのって、僕の居た世界の人間たちにも当てはまる部分があるよ」


「未来ならお前の啓示と同じだろう」


「どうだろ。僕のは可能性の開示であって未来の予言ではないからね」


 言いながらレブレが夜光に酌をする。


「時代の分岐点。それも結局は戦国の世と変わらん。ただし、今度は更にそれを上回る規模になる。空元だけの問題ではなくなるんじゃ」


「そっか。世界だね夜光」


「馬鹿な、世界だと!?」


 長信は呻く。空元の天下以上のことは考えたことなかったからである。そもそも今の空元からそこまで考えることは難しい。地続きで隣接していないから、その発想そのものが希薄なのだ。


「記録で知っておる者もおるはずだが、空元は大陸から攻められたことがある。時の天帝が神風を起こして勝ったが、今と昔では根本的に状況が違う。レブレにも確認したが、大陸は今現在魔物に右往左往させられておるせいで、人間同士が争うことが難しいそうじゃ。じゃが、結局それもいつまでも永遠に続くわけではあるまい。召喚魔法とか言う妙な術などもある。とにかく、魔物との戦いに一区切りついた頃が次の時代の分岐点になろう。その果てに大陸の軍事力が空元を席巻しに来る可能性は十分にある。というか、賢人は必ずいつかその時が来ると予言しておる」


「不吉な……今すぐどうこうという話しではあるまいが、大陸が空元を襲うのか。今の戦力差で考えれば絶望的だぞ。お前の存在を除けば、だがな」


 大陸の優れた武器や防具も見た。そしてその人の多さや生活水準の差も。長信にとっては、天帝から語られる未来に対していつものように笑い飛ばすことができなかった。


「思えば今の大名たちの争いはその縮図とも言えるな。領土を増やすために攻める。天下を取るために争いあう。それが内輪もめではなく外に向けられるだけの違いじゃ。そして、最も厄介なのは空元は現在単独であるということ。外国との交易はある。しかしまだ同盟はない。国家としては認知しているところはあっても、対等な関係を結べているとは言いがたい。そもそも戦国の世で内乱状態みたいなものじゃからな。こちらを舐めておるはずじゃ。それはお前がよく知っていることであろう? なぁ竜友や」


「うぬぅ……」


 堺の一件のことだ。アレらは対等な国のやることではない。堺も論外だが、それを是とする時点で論外だった。


「そして賢人はこうも言っておった。軍事力の衝突、経済力での衝突、外交での衝突。資源を巡っての衝突。数々の衝突を経て痛みを覚えた世界は、やがて緩やかに繋がっていくだろうとな。その時、確実に戦勝国と敗戦国、そして先進国と後進国という格差が生まれると。或いは、どこかの国が世界を統一するかもしれないと。ここから先の予言こそないが、それが本当にそうなるかどうかなどワシにも分からん。じゃが、この予言は今のところ外れる気配がない。どうしたものかのう」


 酒を煽りながら、夜光が呟く。求める答えを、長信は知らない。知らないが、ただ言えることは一つだけあった。だから言うのだ。偉そうにも天帝に。


「早急に戦国の世を終らせ、次の時代に備えるしかあるまい。戦と同じよ。始まる前にどれだけ準備できるかが重要ではないか」


「どうやってじゃ」


「お前には力がある。それを使えばいいだけよ。悔しいが、その力だけは確かだ。空元の力は空元のために使え。楽隠居などさっさと止めて表に出ろ。お前が国主だろうが。それが嫌なら天帝など辞めてしまえ」


「別にお前さんが天下人になって代行してくれてもいいぞ。ワシは基本的に怠け者じゃからなぁ」


「はっ、生憎と俺はまだ大名でさえないわ。第一、俺がやるとなれば時間が掛かる。その点天帝であるお前なら一声で空元が動こうぞ。後は倒幕の機運にあわせて大名を従わせればいい。空元を建て直せ天帝。そうだ、維新の連中を使えばどうだ。あいつらはお前を引きずり出そうとしているのであろう?」


「いや、あいつらは駄目じゃ。リヒシタンと、賢人の予言書をここから盗み出した男に扇動されておる気配がある。奴らの最終目的はワシの影響力の排除じゃ。言うなれば幕府の二番煎じよ」


「うーむ。なにやら空元は俺が思っている以上に病んでいるおるな。それにリヒシタンとはなんだ。初めて聞いたぞ」


「大陸の宗教『りすてぃら』教とかいう連中の送り込んできておる『宣教師』の教えにかぶれた空元人じゃよ。どうにも、驚いたことに洗礼とやらを受けて洗礼名とやらを授かるととワシとの縁を切れるようじゃ。確認したが、奴らは街娘に扮したワシに対して平気で無礼を働いてきおった。おかげで天罰が下ったがのう」


「うえっ、そんな簡単に断ち切れたの!?」


「忍者に調べさせたが、どうも奴らの発展の歴史が絡んでおるようでな。大陸最大宗教であることの意味がそこにはあるようじゃぞ。まぁ、竜友でさえ断ち切れるほどに天帝への信仰が落ちているということじゃろうなぁ。そこを狙って、更にワシに『人間宣言』を出させ無力化させた上で信者を増やそうという魂胆のようじゃ。なんでも、今はかなり落ち目の宗教らしい。空元の純粋すぎる信仰心が欲しいのか、もしかしたら空元を手にいれる野心でもあるのかもしれんのう」


「あー、落ち目だっていうのは僕も街で聞いたことあるよぉ」


「はっ、居もしない神を信仰してどうする。無駄ではないか」


「そうじゃそうじゃ。どうせならここに居る現神たるワシを信仰するべきじゃよなぁ」


「お前は働け」


「縁側で毎日昼寝がワシの理想世界よ」


「どこのババアだお前は!」

 

「ワシ、ババアじゃよ基本。しかも空元人にはモテモテのババア」


 どこからどう見ても若い女だ。しかし歳だけ考えれば確かに年配のお方である。長信はげんなりしながら、無言でレブレにお猪口を突き出す。


「ついでにおいしそうだよねぇ夜光お姉さん」


「そうとも。まだまだ脂も乗っておるじゃろうて。女盛りという奴じゃな」


「ええい、こんな若作りさっさと食ってしまえレブレ」


「これこれ、この子にはまだ早かろうて。もう少し大きくなってから食いに来ればええ。相手が竜ならこちらとしても箔がつくからのう」


「たわけ意味が違うわ!?」


 長信は我慢できずに突っ込んだ。











「ところで、空元の話しはおいておいてさ。嫌な予感の話しはどうなったのさ」


「待て。それ以前にレブレはともかくどうして俺が天帝たちと同じ部屋で寝なければならん!?」


 用意された部屋には、布団が四つ敷いてあった。


「良いではないか。良いではないか。夜はまだ長いぞ。なぁ朔夜」


「えーと、私としては止めるべきなのですが」


「気にするな。大した問題ではない。どうせこやつにそんな度胸などない」


「それもそうですね」


「納得するな巫女! 貴様近衛だろうが!?」


「しかし、天帝様の意向は絶対です。それによくあることですから」


「おお愛い奴よ。撫でてやろう」


「ありがとう御座います」


「いつもこう……だと?!」


「下界の者と話すのはいい刺激になるらしいですから。なんでも十歳は若返るそうで」


「長生きの秘訣じゃな」


 不老の上に寿命は継承するまでこない女がそうのたまう。長信は付き合ってられんとばかりに背を向け、布団に包まる。ここに来てから調子が狂いっぱなしだが、とにかく天帝については知りたいだけは最低限知れた。長信としてはもう其れでよかった。


 ただ、あの問題はうやむやにされたがもう今日は早く寝てしまいたかった。レブレと天帝の会話を聞き流して、眠りに着く……振りをした。


「寝付きいいなぁ長信は」


「朔夜も良いがな」


「ほんとだね」


「まぁ、巫女は朝が早いからのう」


「そっか。大変なんだね」


 二人してクスクス笑うと、内緒話に華を割かせる。


「夢追い人って、まだ生きてると思う」


「さぁのう。じゃが、不思議と死んだとも思えんのよ。奴は危険だが、同時に沢山のことを教えてくれた。できればもう一度会って話してみたいものよ」


「何を話すの」


「そうさのう……政治についても聞いておきたいが、やはり一番は『お前は一体何者なのか』と問うてやりたい。或いは奴こそがワシの不安そのものかもしれんでな」


「答えてくれるかな」


「吐かせるさ。そうして、魔物をどうにかした上でワシは最後の天帝となるのじゃ」


「……どうしてさ」


「ワシはもう用済みの役者なのじゃ。今でもそう、別に表に居なくても空元は回る。既にそういう段階に達しており証明もされた。じゃから、ワシで天帝は最後なのじゃ。空元はそこで狸寝入りしているような連中が動かせばいい。大陸にはワシの同類はいないのじゃろう? きっと、いないのは時代に必要とされていないからじゃ。もう神に庇護される時代は終った。空元の民は、神を越えて進まねばならん」


「……それは違うよ夜光。君の同類を僕は知っているもの」


「馬鹿な……居るのか? 大陸にもワシと同じ者が……」


「全部同じではないけれど、君と比べたらまだまだ幼い雛鳥だけど、彼女も君も必要だから望まれて生まれてきたんだ。だから、そんな悲しいことは言わないでよ。君たちは人の願いの集束点だ。それは、実際はただの偶然でしかないのかもしれないけど、望まれているって確かな証明でもあるんだと僕は思うんだ」


 念神という概念に面なる共有幻想。空元の天帝は、神の如き力を持つ支配者。そして子竜が知っているのは恐らく最も新しき救いの御子。とある幻想が、何処にでも居る一人の少女に出口を求めて集束し、その果てに生まれた聖女という名の雛鳥。彼女はこれから運命の番と共に導かれていくことになる。その扉は既にレブレがこじ開けていた。


「おお、おお、そうかえ。ワシは一人ではないのかえ……」


「救いを求める者が居る限り、きっとどこかで生まれているよ。力に気づかずに死んでいく者もきっと多かったんだと思う。でも、君が感じた不吉の気配は、きっと海を隔てた大陸の人々だって感じたんだ。何れ巡り合うときが来るよ。それはきっとそう遠くない。その時は、あの子に色々と教えてあげてよ」


「いいとも。いつでも連れてくればええ。その時は、ワシが責任を持とう」


「お願いだよ夜光。僕には予言の力なんてないけど、でも、僕がこの予言だけは成就させるからね」


「その子の名は、名はなんというのじゃ」


「リリム」


「リリムか。その名、しかと心に刻んでおこう」


「彼女は君のような空元のためだけの神ではないけれど、そういう概念を越えた位置に立っている。きっと、君の言う不吉に対応する者だと僕は思っている。だって、あの子は何故だか分からないけどこの『僕』とさえ繋がっているんだから――」


 異世界ラークの住人であるレブレが繋がるなどというのは、本来であればありえない。ラークとレグレンシアでは遠すぎる。それ以前に共通するべき想念〈幻想〉が無い。聖女という属性はこの際関係が無い。そもそも大陸の想念の集束点にしては嫌にリリムは弱すぎる。ラークの聖女ならもっと手強い。少なくとも、レブレがかつて喰らった聖女とさえ比べることもおこがましいし、既に完成している天帝とは雲泥の差がそこにはある。


(でも、だからこそなんだ)


 命の対価に奇跡を起こす。そうシュルト・レイセン・ハウダーは誤解している。だが、本当はそんなのは関係が無いのだ。そもそもが力の集束点。力など外部から自然と集まってくる。そこに己の力など関係が無い。それができないから代替エネルギーとして自分のそれを使っていることこそがリリムの最大の欠点。その改善策を天帝を視たことでレブレは理解した。そして、彼女の運命には無駄が無いということさえも。偶然か、必然かなどは分からない。ただ、きっと生まれたその日から決まっていたのだ。だからといって、帰って直ぐにそれを教えることはない。まだその時ではないのだ。


 今はまだ、運命の歯車がほとんど回ってさえいない。ならばもう少しだけ、本の少しだけで良かった。ダンジョンで穏やかな日常を楽しむ時間が残っている間ぐらい楽しんでも。


「レブレや。手を出しておくれ」


「手を?」


「こうして、こうじゃ」


 小指を絡め、竜と神が契りを交わす。指きりという名のその願掛け。レブレは不思議そうな顔で見守る。


「あっ……」


「どうした」


「気のせいかも知れないけど、なんだか一瞬夜光と繋がったみたいに視えたんだ。変だな、もう普通になってる。見間違いかな」


「神との約束じゃからな。縁の一つぐらい繋がるのかもしれんのう」


「そっかぁ」


「ただし、破ったら針を千本飲まされる。竜なら簡単そうじゃが、がんばっておくれ」


「ええっ!?」


「ふふっお休みじゃ」


 驚く子竜をそのままに、天帝は意識を手放した。今日はよく眠れそうだった。

















 不死山の朝は早い。惰眠を貪る天帝をそのままに起き出した朔夜などは、日の出と共に起き出して井戸水で禊を行っていた。長信はそれを見て声も掛けずに庭に向かうと、ただただ無心に刀を振るった。


 無手で行う『気増演舞』をレブレ監修の元改造した『気増剣舞』だ。啓示により剣士としての潜在能力を引き出されていた長信は、これにより刀身に剣気を纏わせる方法だけは体得した。まだ剣気を飛ばすまではできないが、最低限のコツは掴んでいた。そして昨日の天帝との一件で実践を経たせいか、内気を体に纏えるようになっていた。


 霊峰としても名高い不死の山。その清涼なる空気は、内気の輝きを纏う長信の感覚を更に研ぎ澄ませる。空元最大のパワースポットであることも関係していたのかもしれない。だがそんなことを知らぬ長信は淡々と刃を振るう。


 汗で張り付く着流しの不快さも気にもせずに淡々と、そして延々と。そうして、刀を鞘に収めた頃に縁側に佇む彼女に気づいた。


「なんだ天帝」


「妙な気配を感じてのう。終わりかえ」


「ふん」


 答えず、しかし長信は腰ダメに構えて刃を抜いた。瞬間、内気の斬撃が飛翔して天帝に飛ぶ。だが、やはり発動した結界によって散らされた。


「やはり、お前を相手にすると気の乗りがいいな」


「ほう、それは気というのか。霊術と似ておるが、より力に偏りが視えるのう。荒々しくも眩い力よ」


「覚えたければレブレにでも頼め。あいつなら口が軽いから教えてくれるだろうよ」


「そうかえ。ならばそのうちに尋ねてみようぞ」


 どっかりと縁側に座り込むと、夜光は再び刀を振りはじめた長信を黙って見続ける。長信はもう気にもしなかった。蘭にさえ見せていない内気の輝きを晒しながらそれを、ただただ続ける。


 戦のための切り札として考えていた内気の力。だが、今となっては長信には少しばかり虚しさが漂っている。大名という夢の揺らぎと、先の先を見据える天帝の昨夜の言葉がどうにも頭から離れない。


 長信が世界を意識したことはまだない。そんなのは天下の先にあるものであり、今の空元の乱世の前では想像さえ難しい先の話し。しかし、頭のどこかでそれが引っかかる。わかっていることはある。戦国の世は一刻も早く終らせること。それだけは間違っては居ないと。思い描いたものとは違うが、しかしそれだけは揺るがない。


「疲れからか剣閃が揺らいでおるぞ。だが、昨日よりは剣気が澄んでおるな。迷いを得て更に研ぎ澄まされたか。若いのう」


「煩いわ。気が散るだろうが」


「くくく、ほれ気も乱れておるぞ」


 舌打ちで返しつつ、長信はそれでも続ける。そんな長信の頑固さを楽しげに眺めながら天帝は言う。


「そうじゃ、昨日お前が知りたがっていたもう一つの選択肢じゃがな」


「言いたいならさっさと言え。俺はただ自分の都合の良い方を選ぶのみよ」


「では言ってやろうか。竜友よ。家を出てワシと手を組め」


「……」


「お前はもう戦国の世の欺瞞を知った。そして、その先も。ならば今よりも先に空元を進める手助けをせい」


「何故俺だ。お前だけでやれるだろう」


「ワシの時代は何れ終らせなければならん。そのためには、人の力で世を回す者たちが必要じゃ。竜友、おぬしは真の意味でその先駆けとなれ」


「空元から実在する神を奪えとでも? はっ、冗談もたいがいにせい。お前の存在が願いならば、それを切り捨てるということは空元を切り捨てろというようなものよ。俺にはお前が斬れん。繋がりとやら、他の連中のものではなく自分の物は切れても他が斬れん。きっと何度試しても同じだ。ならば、お前は神のまま進めんといかんのだ。逃げ出すなよ現神。己の天命から」


 甚だ嫌いではあるが、もし仮にそれが天命というものであるならばその業からは天帝が逃げ出すことなど許されるはずもない。長信にもそれは分かる。


「空元にお前が必要なのはその力が証明した。癪だがそれが真実。ならば、お前に許されるのは楽隠居ぐらいよ。だがジジイやババアが楽隠居をすることが許されるのは、やるべきことを成した後だ。それぐらいはやんごとなきお前でも分かるだろうが」


「神に依存したまま進めれば何も変わらんと思うがのう」


「違うな。お前は君臨せぬままにただ見守り、自分たちで統治させればいいだけよ。言うなれば、親のように子の行く末をただ見守ればいい。それができる体勢を作らなければならんのだ」


「ほう……それは今の幕府と何が違うのじゃ」


「自分の足で民を立たせよ。その上で見守れ。今の体制も何もかもを時代錯誤にしてしまえ。既知の価値観で成せぬなら、新しき空元を創造しろ。賢人とやらの予言が本当かどうかなどその時になって見なければ分からん。だが、既に証拠は見ただろうが。俺がその証拠よ!」


 繋がりから自らの意思で脱却した個人がある。神を望まぬ代わりに、神にさえ偉そうに物申す至上初の空元人。竜友の長信は言う。


「俺はきっと特別ではない。ただの大名家の次男坊よ。うつけもの呼ばわりされる青二才だ。しかしお前が空元に必要だということだけは理解した。だから言ってやる。お前は新しい概念を創造し、構築し、時代を進めろ。新たな時代をしっかりと迎えられるように誘え。そのためならまぁ、少しばかり手を貸してやってもいい」


「くくく、吹きおるな。嗚呼、じゃが若造にここまで言われると年寄りとしては重い腰を上げんわけにもいかんか」


「おうとも。不死山で完全な神になるのはその後にしてしまえ。その時が来たら俺がお前をこの手で担いでこの糞高いこの山の火口に放り投げてやるわ!」


 刀を突きつけ、ニヤリと笑う。そのふてぶてしい態度には天帝としても笑いが絶えない。声を出して笑いながら、天帝は頷いた。


「ふははは! 良かろう、楽しみにておるぞ竜友!」


「覚悟しておけ。俺から天下覇道を奪うのだ。これから楽ができると思うな!」




















「がおがおおおん!」


「はっ、この気が抜けそうな遠吠えは!? 半兵衛様ぁぁ! 長信様が戻ってきましたよぉぉ!!」


 長信の布団から飛び出した蘭は、レブレの鳴き声を聞くや否や勝手知ったる主君の部屋を飛び出した。桃色の着物姿で駆けて行く彼女の声を聞き、羅楽 半兵衛もまた声を張り上げて部下を集める。


「ええい。今日こそは長信様の性根をたたきの直すのじゃ。者共我に続けい!」


「「「はっ!」」」


 威勢の良い声で答え、配下の者たちもまた続々と庭に集結していく。それを遠くから眺めるのは、いつも馬鹿騒ぎを堪能している女中たちである。戦支度以外でこれほどまでに城を騒然とさせるのは空元広しといえど長信だけだ。場内でもよく話しの種になることから、手の空いた者が物見に出かける始末である。


 最近ではどれだけ長信と仲の良い竜に近づけるかで競う者も出てきており、最悪暴れだしたときに戦う覚悟を持たねばならない男衆との間で酷い温度差が出きていた。それもそのはずである。何せ、長信の妹君たる市姫様が竜に興味を示されてお近くに寄ろうとするからである。


「もう兄上ばかり狡いです。わたくしもレブレに乗せて貰いとうございます!」


「姫様危のうございますよ」


「嗚呼、そんなはしたない……」


 紅色の艶やかな着物の裾を軽く持ち、小走りで市姫様が参戦なされる。揺れる黒髪を追って女官たちが微笑ましい姿に頬を緩めながら追走。好奇心と忠誠心を方便に後を追う。市姫は昨日は偶々当主の視察に同行しており、レブレと長信が空の彼方に消えたことを知って大層頬を膨らませていた。


「ワハハハ! 出迎えご苦労!」


 庭に着地し、ゆっくりと体勢を低くした竜から長信が慣れた様子で飛び降りる。途端、レブレを中心に逃がさぬとばかりに包囲網を形成する半兵衛の部下。それを掻き分けて半兵衛と蘭。そして市姫と女官たちが長信の元へと向かっていく。


「長信様!」


「むっ? どうした半兵衛。そんな血相を変えおって。まさか、親父でも死んだか」


「なんと、戻って早々縁起でもないことを言いなさる!?」


 どこか呆れ顔で、しかし顔を真っ赤にしながら半兵衛は詰め寄ろうとする。と、そこへ長信の元へ参じようとした蘭を押しのけて市姫様が参上した。


「兄上はズルうございます。私もレブレと遊びたいですのに」


「なんじゃ市。もう戻っておったのか。悪かったな許せ」


 頬を膨らませる妹を宥めるように頭に手をやると、長信は真横に手を伸ばし最後に寄ってきたくのいちの頬を摘む。


「おい、護衛の癖にここに居るとはどういう了見だ蘭。俺を追って樹海を越えるぐらいの気概を見せんか」


「む、無茶くひゃ言わないで下ひゃいよ若ぁ」


「たわけ。俺がどこにいようとも影ながら護衛するのが真実の忍者よ。その点お前はなんだ。乳ばかりでかくなりおってからに。どうせ部屋で惰眠でも貪っておったのじゃろうが」 


「うぐっ」


 図星である。だから、正直に蘭は言った。


「ついでに長信様のおやつも頂いておきました。ごちそうさまです若!」


 ペロリと舌を出しながらウィンクを決める。長信は笑って頬を引っ張っていた手を無言で振り上げ、勢いよく振り下ろす。


「あいたー!」


 途端、いつものように蘭が悶絶してうずくまる。


「まったくこいつは……」


 そうこうしている間に市姫様はレブレに向かって近寄っていく。そうして、見上げてすぐに小首を傾げた。


「兄上、お客様が一緒のようですが……」


「おう。今日はここに泊まるそうだ。聞いて驚け、そいつらは天帝と近衛巫女だ。俺は遂に竜だけでなく神をも動かす者になってしまったのだ!」


「「なんですとぉぉ!?」」


「まぁっ」


 説教の機会を伺っていた半兵衛と蘭が眼を見開いてレブレを見上げ、市姫は口元を抑えて驚いてみせる。と、そんな彼らの前に巫女服を着た二人が降りてきた。


「多織田家党首はおるか? 『堺』の件とこやつがワシに斬りかかった件で話しがあるのじゃが」


「ちょっ斬りかかるって長信様!? まさかいくらうつけでもそんな……」


「ついカッとなってな。しかし見ての通りよ。残念ながら斬れんかったわ。ワハハハ」


「わ、笑い事ではございませんぞ。天帝様といえば空元の真の王。そんなお方に斬りかかるなど言語道断でありましょうがっ! 天罰が、天罰が下りますぞぉぉぉ!」


「あー、煩い説教は後にせい」


 唾を飛ばす勢いで詰め寄る半兵衛から目を逸らす長信。顔を真っ赤にさせた半兵衛は頭痛を堪えながら天帝の前に跪き土下座した。


「申し訳ありませぬ。これも全てはこの半兵衛めの教育不行き届き、どうかこの老いぼれの首でお怒りを静めてもらえませぬか!」


「あー、良い良い。そういうのは当主と話すでな。それにこの長信の命をどうこうという話しではないのじゃ。面を上げい」


「は、ははぁ。勿体無きお言葉――」


「ふむ。中々良い家臣を持っておるではないか。のう、竜友や」


「まだ俺の家臣ではないわい。いや、もう俺の家臣にさえ成れんか。ちっ、爺は口煩いが有能だから使ってやろうと思っておったのだがのう」


「それは残念じゃったの」


「まぁ良いわ。お前の元でどこまでやれるか試すというのも面白いかもしれん」


「はっ? 若、それは一体……」


「ええい、話しは親父の前でするわ。半兵衛、親父を呼んで来い。先に天帝を大広間に案内しておくぞ」


「は、はぁ。ええい、者共持ち場に戻れい。それと客人の寝床を大至急用意せよ」


 半兵衛の言葉にざわめいていた部下たちが散っていく。


「あの、兄上……」


「大丈夫じゃ市。お前は何も心配せずとも良い。おうレブレ。しばらく市と遊んでやってくれぬか。どうせ、今日も暇じゃろう」


「このままでかい」


「どっちでも良いぞ」


「りょうかーい」


 人に変身したレブレは眼を丸くさせて驚いている市姫のところに向かう。それを見届けると、すぐに天帝に目配せする。


「それで、どうするつもりだ天帝」


「どうもこうもせんわい。先ずはここ。その次は堺の一件を片付ける。その後で各地の大名共に話しを聞こうと思っておる。必要なら力も見せるし、順に巡って最後に京の島の将軍に会う」


「ふん。大名連中は皆曲者ぞ」


「問題なかろう。お前ほどのうつけはおらんはずじゃ。無論、居たとしてもお前たちの得意な分野でワシがねじ伏せてやれば事足りる。そういうところは、お前さんらは潔いからのう」


「はっ、違いない」


 笑いながら、夜光と朔夜を城内へと案内するべく歩き出す長信。だが、ふと立ち止まって後ろを振り返る。


「おい何を呆けておるのだ蘭。さっさと着いて来い。これから忙しくなるぞ。お前にも長く付き合ってもらうから覚悟しておけい」


「は、はい! なんだかよく分かりませんが地獄の底までお供しますっ」


 天帝たちに恐縮しながら、それでも長信の後ろに着くとくのいち少女は長信の後を追った。その気配に気分を良くしながら、長信は堂々と庭を歩く。その足取りはやはり力強く、それでいて確かな覇気に満ちていた。


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