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第九話「帝都決戦」


「それにしても本当に異世界というのは驚かせてくれますね」


「なんだ、その筆頭が私だとでも言いたげな眼は」


 屋根の上を跳躍しながら帝都城に向かうマリカは、併走しながら浄化魔法の雨を降らせている吸血鬼に愚痴る。よくよく考えればシュルトもまたマリカの常識の外側にいたのだ。価値観と文化が、だけではない。その存在そのものが不可思議だった。


「吸血鬼が浄化魔法を使うとはどういう了見ですか。いえ、百歩譲ってただの掃除魔法だからかもしれません。しかし光の力であるオーラを纏い行使するのはどうなのですか。下の連中の正体にも驚きましたが、やはり私にとっては貴方が一番不条理な存在です」


 マリカはすっかり忘れていたが、エルネスカの吸血鬼に生命力はない。あるのは豊潤な魔力であり、大気の魔力を活力と不死性に変換して生きるそれのみだ。それに比べればシュルトが余りにも当然のようにオーラを使うので突っ込み忘れていた。


「前も言ったが、私は不死者ではないから不思議ではあるまい。それならば私の世界に居るリッチなどどうなる。奴ら、元が聖職者の場合には光に属する力を吸収する非常識な奴も居るのだぞ」


「なんと。それは不死者の癖に生意気ですね」


 リッチとはスケルトンのような骨だけの存在であるが、生前に術を行使して不死者へと変貌した者である。強大な魔力を持ち、元の理性さえも兼ね備えている場合が多い。それが光に強い場合があるなどというのは、不死者の根底を揺るがすことだ。知らない者にとっては悪夢でしかない。


「理不尽といえば、さっきのハイドラーとか言う奴らの召喚もそうだ」


「確かに、アレは異世界人にとって迷惑極まりない悪行です」


「それはそうなのだが、それではないよ。私はそれなりにこの世界に住んでいるが、一度に複数人同時に召喚したという例をここ以外では聞いたことがないのだ」


「召喚に巻き込まれたというだけの話しでは?」


「かもしれん。だがこの国は異常だ。全員合わせると五人……いや、推定で六人だぞ。今までこんなことは無かった。一国一人がこれまでの基本だったのだ」


「――」


「これは本当に偶然か? これではますます召喚される者が増える。そんなことをして、召喚者に一体何の得があるのだ」


 グリーズ帝国はその先駆けになった。リングルベル王国が召喚を成功させたように、その噂が広がれば真似する国は当然出てくる。今では英雄召喚は魔物対策の上で欠かせない一要素に見られているのだから。


 まるで当たり外れが常のギャンブルだ。しかもそれはもう酒やタバコ、麻薬と同じで容易に捨てきれるものではなくなっている。人面魔獣や不死鳥、そして今回のヴァンパイア・クイーン。都合の良い希望だけではなく、救われるために行われるはずの召喚魔法が遂に外れをも引き寄せ始めた。だというのに、各国が召喚を躊躇するかと考えればシュルトにはまったく自信がない。例外は代償にたどり着いただろうエルフだが、それだとて絶体絶命の窮地に追い込まれればどうなるか。


 無論、真に恐ろしいのはそれだけではない。当たりでさえ危険を内包しているという事実も忘れてはならない。召喚で狙うのは自分たちでは容易に手に負えない状況を覆せる存在だ。それは確かに魔物を圧倒する都合の良い戦力なのかもしれない。しかしこの時点で、何がしかの正常な歯車が歪んでいるようにしかシュルトには思えない。そしてその歪みが正常に成りつつあるのがこの世界『レグレンシア』の実情なのだ。


「手駒が増える……ではいけませんか」


「そして何を成す。叶えるべき目標が伝わってこないから余計に不気味なのだ」


「もしかしたら、根本的に違うのかもしれませんよ。愉快犯だったらどうですか。世の中を滅茶苦茶にしたいだけだとか、自分の所業で右往左往する者たちを遠眼に眺めて神を気取りたいだけ、などという可能性もあるでしょう」


「それは目的があるよりも余計に性質が悪いな」


「ですが、それができるのが人間という種の愚かしさでしょう」


「ふっ。聖職者の言葉とは思えん台詞だ。人間賛歌がお前たちの専売特許だろうに」


「どちらにせよ愚か者と迷える子羊を救ってこその宗教です。無論、救うにしても償いを終えてからの話しではありますが――」


 言いながら、マリカが全身のオーラの輝きを強くする。既に目前には城門が迫っており、その上から外に出ようとするゾンビもどきたちが檻を抜け出そうと飛び降りていた。その下では、城門が何かをぶつけられるような音が断続的に響いている。


「KISYAAA!」


「GUROOO!」


 着地の衝撃で足の骨が砕けたのか、中には蹲って這って進む者が居た。だが白煙を上げながら数秒もすれば何事もなかったかのように立ち上がり、出鱈目に移動を始める。


 既に住民はおろか冒険者も撤退したのか、健常者の姿はそこにはない。そして見下ろす二人の眼前で、遂に地獄の蓋が開いた。


 閂代わりに差し込まれていたナイフが砕ける。その後で、封印していたロープがその後の断続的な衝撃耐え切れずに千切れ飛ぶ。そうして、一人の女が兵隊を引き連れ彼らの前に姿を現した。城門に最も近い家屋の上で止まった二人は、そのプラチナブランドの女を見て視線を交わす。


 朝日を飲み込む闇がある。

 閉ざされていた城門を開け放ち、遂に解き放たれたその女が魔獣の如き咆哮を上げた。一際高く、大きなその叫び声は二人に不快なだけの感慨を抱かせる。それに合わせて周囲のゾンビもどきたちが、まるで歓喜するかの如く唱和する。


 素手で城門をぶち破ったせいか、両腕から白煙を上げるクイーンの華奢な体は動かない。だが、その視線は間違いなくマリカに向けられていた。


「どうやら魔物と同じく君が狙いのようだぞ」


「そのようですね。しかもオブゼッションの気配があります。真実素手だけで門を破ったというわけではないのでしょう。しかもあの闇、城を覆っていた結界と同じ力のようですよ」


「私は本格的にあの力を使う奴とやりあったことはない。慎重に行こう。何か要望はあるか」


 背中から蝙蝠の如き翼を展開。念のため浄化魔法を魔力障壁の上に走らせて問う。


「周囲への被害を抑えるためにも城の中に戦場を移します。貴方は空からバックアップをお願いします。私が引き付けつつ前に出ますので、基本はそれで行きましょう」


「お前への浄化援護は居るか」


「必要ありません。ただし、雑魚は間引いて下さるとやり易いですね」


「分かった。そのつもりで援護する」


「では始めましょう。アクセス――」


 マリカが異形の槍を掲げ意識を繋げる。それによって励起した槍は、オーラの光を更に激しく煌かせながら骨に掘り込まれた魔術文字を明滅させる。搭載されているオーラブースターが、大気中の魔力を取り込みオーラへと強制変換。プール<貯蓄>しながら契約者を戦闘状態へと持っていく。


 輝く燐光はやがて物理的に大気に影響を及ぼす。白い修道服をはためかせながら彼女を戦士へと変えていく。更に光が白骨から槍先へと集束。束ねたオーラを更に伸ばし、二メートルの槍先に大剣の如き巨大な光刃を形成する。


「我は槍<テイン>。闇を貫く光の槍。浄化の刃よ。不浄なる者に安息を――」


 マリカが方術を詠唱しながら跳躍し、更に二度三度と虚空を蹴って空に上がり槍を構える。それを見上げるのは未だに白煙を上げるクイーンだ。


 無言の対峙。


 不気味なままにシスターを見上げるその手が、マリカに向けられる。途端、唱和していた兵隊たちがまるでマリカに釣られるかのようより集まって死者の山を積み上げていく。高さが足りないなら、肉の山を作ろうとでも言うかのようだった。


「させんよ」


 蠢く亡者の山に、空に舞いながらシュルトが浄化魔法を打ち込み土台ごと崩す。亡者の叫びが天を突いた。失敗した組体操のように自らの自重で仲間を押しつぶしながら、それでも止まらずに何度も何度も繰り返す。だがそれも三度目はない。武器を持ったゾンビもどきたちが一斉に投擲の構えを見せたのだ。


「死ねぬ亡者に鉄槌を。穿て神の迅雷――」


 だがマリカが行動を起こす方が早い。


「ストライク・ジャッジメント!」


 虚空を踏みしめたままの体が、捻られたかと思えば虚空で超加速。空を爆砕させるほどの踏み込みでクイーンに突っ込んでいく。その瞬間、眩い光が周囲を照らし残光が光の線を描いた。


「KI――」


 瞬間、確かにシュルトは見た。投擲される武器などものともせず、オーラの槍と化したシスターが立ちはだかるゾンビもどきを弾き飛ばしてクイーン諸共城門の内側へと飛び込んでいったのを。


 突貫に巻き込まれたゾンビもどきの集団に風穴が空いている。その突貫に巻き込まれたゾンビもどきは動かない。ウィルスごと完全に浄化され、死体に返ったようだった。吸血鬼は、オーラで魔法のような効果を出す方術なる技法を興味深く思いながら視線を風穴から更に奥へと移す。


 その奥で一際大きな音が鳴った。同時に何かが崩れるような音と共に、土煙が舞い上がるのが遠目に見える。それを見たシュルトは、どこか呆れるように呟いた。


「戦場を移すとは言ったが、それは自らを囮にして釣るのではなく、力づくで押し込むという意味か。これだからシスターは恐ろしい……」


 シュルトは城門を飛び越え、援護のために後を追った。















「どうなってんだ」


 その瞬間、確かに目に見える範囲で猛威を振るっていた感染者たちの動きが止まった。あの生理的嫌悪を催す咆哮はピタリと止み、彼らは一様にとある場所へと振り仰ぐ。その方角には城があった。あの、地獄の亡者が閉じ込められた古風な城が。


「ジェント、何があったか分かるか」


「いや、俺にも分からねぇ」


 伝令のために東門へと続くストリートへと迂回していた彼らは、一様に足を止め様子を伺う。数秒の停滞。まるで、何者かと交信でもしているかのように佇むクイーンの兵隊たち。それは不気味なまでの静寂を演出する。


「――っ。また動き出したぞ!」


 だが、再び活動を再開する彼らの動きは拍子抜けするようなものだった。これまでと違って彼らは城に向かって移動を開始したのだ。


「奴ら、後退してやがるのか。何故だ。食い物はまだそこらに沢山あるだろう」


 市民の数は兵士のそれを圧倒している。つまりは食料にも感染相手にも事欠かないのだ。この状況で知能が無いはずの彼らが狩りに励まず帰還する理由はない。明らかにただ事ではない。


「日差しが強くなったからってのはないのか」


「いや、それだったら奴らはそのまま動けなくなる」 


 路上で食われた者は感染している。しかし陽光から身を守るためのフードを持っている者か、或いは日陰に居る者以外は満足に動けず呻くだけで終っている。彼らは夜になれば立派な兵隊へと相成るだろう。放置するのは極めて危険であることには変わりはないが、誰もが顔を見合わせるだけで止めを刺すという考えに至らなかった。


「……考えられるとすればクイーンだ。奴に何かあったのかもしれない」


「何かってなんだよジェント」


「それは俺にも分からねぇよ。だが、この機を逃す手はない。……すまん。俺はハイドラーに報告してくる」


「一人で大丈夫か!?」


「大丈夫さっ、奴ら今は食事どころじゃないみたいだ」


 クラシマは元来た道を引き返す。地理には明るくないが、方向音痴なほどではない。ましてや命掛けで抜けた通路だ。クラシマが息を切らしながら駆け抜けていると、数分と掛からずに後ろから仲間の一人が馬に乗って追ってきた。


「ジェント乗れっ。こっちの方が速い」


「おいそれどこから持ってきたんだ」


「適当に宿に繋がれたままになってた奴をかっぱらったんだよ。可哀想だから俺が貰った」


「新しい仲間ってわけだ。背中を借りるぜニューフェイスッ――」


 ニッカリと笑いながら馬を繰る男の後ろに乗ると、二人して冒険者ギルドを目指す。既にほとんどの住人は逃げ出しており、転がっているのは感染したまま動けないモノか焼かれた死体だけが続いていた。


「ちくしょう。酷いもんだ」


「魔物に襲われたのと大して変わらないさ。ロスベル砦の退却戦なんて、もっと酷かった。殿に残った奴らなんてほとんど生き延びちゃ居ない。魔物は日光なんて気にしないからな」


「そうか。この世界は過酷なんだな」


「だが魔力障壁が無い分こいつらの方が組しやすい。厄介さは上だがな。ウィルスだかなんだか知らないが、人間様を舐めるなってんだ」


 強がるその男は、額から落ちる冷や汗を拭うこともせずに手綱を握る。さすがに馬の足は速く、また敵もほとんど邪魔して来ないせいで冒険者ギルドのある南のメインストリートに素早く移動することが出来た。すると、そこでは彼らにとって驚きの光景が広がっていた。


「どうなってんだ……」

 

 ストリートを埋め尽くすほどの集団が南側から北上してくるのである。それも、冒険者だけではなく老若男女問わず帝都の戦えない住民たちまでもがそこに居た。その先頭に立つのは、彼らリーダーであり『銀剣』の異名を持つAランク冒険者。ハイドラーだった。


「避難をやめた? なんだ、どういうつもりだハイドラー」


 集団は魔法を詠唱し、動けないゾンビたちに魔法を放ちながら北上し続けている。その光が何なのかを知らないクラシマは仰天した。光を浴びた兵隊が苦しむようにもがくと、すぐに活動を停止したのである。


「アレは……浄化魔法か? おい、掃除用の奴でなんで奴らが死ぬんだよ」


「掃除用って、アレがか」


 なにやら特殊なファンタジー魔法の登場かとも思ったクラシマは、その生活臭漂う魔法の正体を知って愕然とする。馬から飛び降りると、すぐに情報を求めて駆け寄った。


「おお、朗報だぞジェント。私たちは奴らに対する武器を手に入れたのだ」


「その答えが……その、掃除用の魔法とかって奴なのか」


「そうだ。なんでもウィルスをこれで殺せるらしい。少し前に新しく伝令を出した。この魔法は帝国臣民にとっては知らない者などいない生活必需魔法だ。もはや我らに負けはないぞ!」


 喜ばしい声を上げる彼に、ジェントは素直に喜べず複雑そうな顔で天を仰いだ。仰ぐしかなかった。


(はは、ははは。ファンタジーってなんだ。すげぇな……)


 大人も子供も、もはや関係ない。口々に詠唱しては浄化魔法を放って自分たちの手で都を取り戻していく。


「ざまぁみろ!」


「帝都は俺たちの都だ。化け物に好き勝手させるもんかよっ」


「くらぇぇ」


 少しずつ、奪われた都市が奪還されていく。次第に市民たちの声は大きくなり、襲われるだけだった彼らは続々と終結してくる。兵隊たちが城に向かったことも大きいのだろう。追い立てられる側だった避難民たちは、報復だとでもいうかのように街を綺麗に清掃した。そのボランティア精神を遙かに凌駕する切実な清掃行為は、留まるところを知らなかった。


「そうだ。ハイドラー、奴らは何故か城に向かっていったんだ。すまん、報告が遅れた」


「それなら我々も気づいた。恐らく、クイーンが攻撃されたからだろう。自衛のために戦力を集中したと考えれば納得がいく」


「攻撃……された? どいうことだ。攻める戦力なんてどこにもなかったじゃねぇか」


「この魔法のことを伝えに来た連中が先行した。恐らく彼らだろう」


 被ったままの兜を脱ぎ、端整な顔をさらしたハイドラーは自嘲気味に笑う。旅の疲れと、今回の騒動の疲れもあったのだろう。その顔には滲み出ている疲れと、肩の力が抜けたような表情にはどこか物悲しさが伺える。


「……私は、私は結局何もできなかったな」


「かもしれねぇな」


 ハイドラーの背を鎧越しに叩き、クラシマもまた同じような顔を浮かべる。


「でも俺だって同じさ。結局、向こうでもこっちでも、何もできなかった」


 元の世界でヴァンパイアクイーンと対峙した瞬間、彼はこちらに召喚され彼女を逃した。何も出来なかったというのであれば、彼だってハイドラーと変わらない。


「でもまだだ。まだだぜハイドラー」


「ジェント?」


「まだ途中だ。終ってなんかいない。それにライゼルの仇を取るんだろう。俺たちで取れなくても、せめて最後まで見届けようぜ。でなきゃ、墓の前で報告してやれねぇよ」


「そうだな。はは。私としたことが、戦場で兜を脱ぎ無防備を晒すとは。まだまだ未熟な証拠だ。……終らせよう。そして取り戻そう。奪われたものへの手向けを。帝国のために。私たち自身のために――」


 有耶無耶になっている真実を知り、その上で己の道を見極めなければならない。そうでなければ冒険者の兜を脱ぎ捨てることさえできない。ハイドラーは再び兜をかぶり、ミスリルソードを掲げて民衆の先頭に立つ。


「進め、帝都の民たちよ。化け物などもはや恐れるに足らず! 城に頼れる兵はなく、縋るべき英雄もここにはいない。だがそれでも、ここは帝都の中心だ。私たちの故郷の中心なのだ! ならば皆の力があれば取り戻せる。さぁ、取り戻そう。我らの帝都を!!」


「「「――我らの帝都を!!」」」


 陽光を反射する銀の鎧が、眩しくも不器用に彼の存在を際立たせる。その日、異世界の英雄を求めた青年は、都合の良い英雄という名の幻想の代わりに異世界の友と真実を得た。













「しつこいですねっ!」


 純白に輝く異形の槍が周辺一帯をなぎ払う。白骨から吐き出されたオーラ刃が、周囲を一閃。古城と同じく城壁ごと周囲一帯の戦力を切り刻む。


――広範囲閃滅方術『気刃閃<ブレイドライナー>』。


 シンプルに気の斬撃を周囲に奔らせるだけの術。浄化の刃は容赦なく集まってきたゾンビもどきを両断。ウィルスを駆逐すると同時に、ゾンビもどきたちの体を分断し血の海に沈める。


 短絡的な一撃に崩れ落ちる数百の死体。咽かえるような血の匂いをものともせずマリカはようやくいつものような光景に安堵した。その後に浮かぶのは、慈悲深きたおやかな笑み。戦場に華が咲く。


「Kisyaala!」


 と、そこへゾンビたちの影の中からブランドの女が飛び掛った。ヴァンパイア・クイーン。兵隊たちと同じく魔力も気も感知できない菌祖の吸血鬼。だが、彼女だけは特異な力を纏っていた。その気配が不意打ちをマリカに許さない。


「破っ――」


 オーラを纏った体が、庭園の土を抉る。軸足として残した左足はそのままに、跳ね上げられた右足がクイーンの腹を殴打。砲弾の如き勢いでクイーンの体を吹き飛ばす。人間なら間違いなく上半身ごと爆砕されるほどの脚力。しかし、クイーンは無傷でただ吹き飛ぶのみ。


『お姉ちゃん、やっぱり減衰してもすぐ回復してるからほとんど効いてないよ』


 意識を同調させた異形の槍から、彼女にだけ聞こえる声で妹――マリアルが囁く。限定兵器であり決戦兵器でもあるキヒトシュレインシリーズ。その中でも聖者の骨槍とも呼ばれるマリカの槍には、聖人であった妹の骨がシステムに組み込まれており、骨に残った魔力に染み付いた思念が、魔法科学的処置を経てシステムとリンク。絶えずマリカをバックアップしていた。


 彼らは決戦兵器と同調したユーザーのパートナーにしてエルネスカにおいての人類の希望。不壊にして不浄を払う奇跡代行システムの核であった。


「ですが無意味というわけではないでしょう」


『もう、その大雑把な性格いい加減に直さないとお嫁にいけないよ。もう九十を越えてる癖にぃ』


 彼女は組み込まれた各種センサーからの情報解析はもとより、データベースを参照してアドバイスを行う。だが元妹らしく私生活で苦言を呈することもする。


「……マリアル。余計なことを言う暇があったら早くパワースポットを掌握しなさい」


『またそうやって誤魔化すんだから』


「――どうやらこの世界にも犬が居るようですよ。槍ごと骨である貴女を犬小屋に突っ込めば、随分と楽しそうだとは思いませんか」


『い、犬さんは嫌ぁぁぁ!!』


 忌むべき吸血鬼が恐れる聖人。その中でも最も新しい聖女の亡骸で作られたのが彼女の槍<テイン>。聖人の数が少ないために百本も作れなかったその対不死者用の兵器には、生前に焼き憑いたままの意思がある。マリカが聖女の奇跡を代行できるのもそのためだった。


 遙か古代の聖人たちは相手を選ぶような狭量な人格持ちは少なかった。しかし幼少時に吸血鬼に殺された彼女だけは、肉親であるマリカしか使うことを許さなかった。故に、その槍はマリカ専用の武器であり仕事道具である。


「お前は一体誰と話しているのだ?」


 浄化魔法を空からちまちまと振るっていたシュルトが、理解できずに尋ねた。その何故か頭を心配するような瞳は、妙に優しい。彼女が睨むと、すぐに察したかのように頼んでも居ない浄化魔法をかけてくる。


「どうだ。治ったか」


「……貴方には関係ありません。それより吸血鬼、ゾンビもどきが邪魔です。もっと効率よく浄化しなさいな。見なさい、どれだけ私が浄化してもまた食われては浄化する意味がないではないですか。何故古城で見せたあの影の魔法を使わないのですか。こういうときこそ役に立つ魔法でしょうに」


「君が戦うのに邪魔だろう」


「問題ありません。ですので、とっととお願いします」


「分かった。しかし暴れすぎだな。ここが首都の中心だなんてもう誰も信じないぞ」

 

 帝都の中心部である城が、たった一人暴れただけでボロボロである。第一撃で城の内部まで突っ込んだシスターは、情け容赦なく槍を振るった。おかげで庭園が備えていただろう美しさは無くなり、城も窓ガラスが割れ落ちて落城したような風情をかもし出していた。


 当然、庭園もゾンビもどきが踏み荒らされており見る影も無い。もっとも、既に三度ほど城の中を突き抜けたマリカのせいで、大穴が空いた城の方に普通は意識がいくのだろう。これでは間違いなく後でたどり着いたレンドール公爵派たちが卒倒するに違いない。


「大事の前の小事です。必要な犠牲という奴ですね。嗚呼、戦いはいつも虚しい――」


「……まぁ、私の城ではないからいいが」


 指を弾き、注文どおりに影沼を展開。庭園を足の踏み場も無いほどに影で満たす。そのほとんどが当たり前のように足を取られるなか、クイーンだけは当然のように影の上を疾走してくる。


「手を抜きましたか」


「まさか。奴は沈む前に足を出し、それを両足で繰り返すことで影の上を走っている。偶に人間が使う高等技術『水走り』とか『水上歩行』とかいう理不尽極まりないミラクルスキルだ」


「つまり力技ですか。私のエアステップ<虚空走破>とはまったく次元さえ違いますね。これだから異世界は――」


 どこか諦めのようなため息を吐き出して、マリカは虚空を踏みしめ槍を構える。足から白煙を立ち上らせるクイーンは影の上を跳躍。それにあわせてマリカが骨槍を引いて突き出す。


 自重と勢いに重力の三つが重なり、クイーンから凄まじいまでの轟音が響く。白いオーラと闇色のベールが衝突。接触点で互いのエネルギーを対消滅させていく。だが、それも長くは続かない。


 女王には飛ぶ力などないのだ。重力に負けて庭園に落ちていく。そこへ、槍を巧みに操るマリカが地面につく前に下から槍で殴打。クイーンがバッターに打たれた白球のごとく放物線を描き、彼女はそのまま城門の壁に頭からめり込んだ。


『お姉ちゃーん、やっぱりここを掌握するの無理だよぉ。割り込めないぐらい強固だもん』


「なんとかしなさい」


『無理なものは無理。好みに煩いお姉ちゃんに彼氏ができるぐらいの無理難だーい』


「……吸血鬼からは奪い取れていたではないですか」


『だって、エルネスカの吸血鬼たちは基本大気中の魔力を掌握してたでしょ。世界中が魔力で満ち満ちてたから、奴らだって古風なパワースポットなんかに拘らなかったんだもん。こいつとは大違いだよ。ていうか、掌握してるのクイーンさんじゃなさそうだよ』


「クイーンではない……では召喚者ですか? ならそちらを逆探知しなさい」


『それも無理。試したけどプロテクトガチガチ。下手に干渉するとキヒトシュレインのシステムが乗っ取られるかもしれないよ。ていうか、さっき逆ハック受けそうになったから外部回線を緊急封鎖したんだけど……どうしよっか』


「吸血鬼」


「なんだ、浄化魔法ならすぐにかけられるぞ。それと、持病があるなら隠さずに言え。人に頼ることは恥ではない。今度嫁に言って治させよう。介護が必要なら手配もするぞ。神に縋るのもいいが、人の善意を頼ってみるのもいいと思うぞ」


 ことさら気を使うようなその声色が、妙にシスターの神経を逆撫でする。睨みつけるように視線を向けると、そこには無駄に心配しているような顔があった。


「貴方の性格は……どうやら真性のようですね。悪意がない分余計に性質が悪い」


「失礼な奴だ」


「それより質問です。貴方の方でこのパワースポットは掌握できますか」


「無理だな。既に何者かに掌握されている。恐らくは我々の敵だな」


「その敵から制御権を奪うことは? また一時的な妨害ならどうですか」


「それも無理だ。正直、感嘆するほど完璧に掌握されている。師事したいぐらいだ」


 勉強になる、などと呟くその吸血鬼は「これで新しい魔法が……」などと口走る。状況に対する危機感などはないようで、マリカが白い眼を向けてもケロリとしていた。


 そもそもそれは当然でもあろう。何せクイーンは飛べない。空に居るシュルトにとっては、飛べないクイーンがどれだけ奇声を上げようとも煩いだけで大した脅威ではないのだ。


 とはいえ、倒さないわけにもいかないので逃げることはしない。全てはここが公爵派の最終目標になるからである。バノスがもうゾンビになっているならそれはそれで公爵軍は楽になるが、ここにリリムが来るとなれば話しは別なのだ。


「マリカ。ここを掌握するのは今は諦めろ」


「では私が囮になって離れるので、その後で貴方が掌握するというのはどうでしょう」


 敵が自分を脅威だと考えていることは攻撃の頻度から彼女も理解しているので、その習性を突こうというのだ。理には適っているのだが、シュルトは残念そうに首を横に振るう。


「それは私も考えたが、もう止めた方がいい」


「何故です」


「市民が集まってきている。聞こえないか、あの歓声が」


 戦闘に没頭しすぎていたせいか、耳を澄ませば確かに遠くから人々が近づいてくる歓声が遮断されていた。マリカが意識してみれば、なるほど最悪のタイミングで集まってきていることが理解できた。悲鳴ではなく歓声に変わっていることから考えても、答えは一つしかない。つまりは、帝都住民の反撃である。だが今はとても厄介な話しでしかなかった。


『お姉ちゃん気づいてなかったんだ。だから前しか見えないイノシスターマリカって司祭様たちに呼ばれるんだよ』


「煩いですね」


「煩い? まだそれなりに遠いが……耳がいいな。しかし面倒な相手だ。あの防護膜さえ抜ければ浄化魔法で一撃だと思うのだが……」


 決め手に欠ける状態であった。クイーンの戦闘能力それ自体は二人とも脅威だと思ってはいないが、防御能力というただ一点だけが二人を悩ませていた。


「結局は破壊力の有無ですか」


「シンプルに考えればな。……ふむ。マリカ選手交代だ」


「まだ私はやれますが」


「得意のを試すだけだ。大して効果はないだろうが終れば君で埒を明けるための手を打つ。そのために見極めさせてもらいたい。これは個人戦ではなく共同戦線だろう」


「……いいでしょう。接近戦をしないというのであれば」


「勿論だ。これでも私は魔法戦の方が得意だからな」


 マリカの横に滞空すると、槍を引いた彼女の横でシュルトは左手を弾く。鳴り響く音が、光の矢<ライトアロー>を周囲に生み、次の瞬間弾雨となった。まずはいつもの小手調べの一撃である。


「くっ、吸血鬼の癖に浄化だけでは飽き足らずに光の魔法までも!?」


『お姉ちゃーん。やっぱりこの吸血鬼さんすっごく変だよ。実はコスプレしただけの人間じゃないのかなぁ』


 殺到する光が洗礼となる。めり込んだ体を城門から引抜いたクイーンが、それに気づいて駆け抜ける。影の上を冗談のような理論で走りぬけ、影の波紋を量産。人外の速度で加速した。


――目算で五十メートルオーバー。


 影の上を走ってくるクイーンにとっては、それほど遠い距離ではない。百を越える数の光の矢が次々と喰らいつくも、闇色の光が弾くのに任せてただひたすらに前へと進む。その動きに停滞は無く、迷いもない。


――目算で四十メートル。


 クイーンの狙いはあくまでもマリカ・ルルグランド。弾雨を奇声を上げながらも抜けてくる彼女に対して、シュルトが再び指を鳴らす。瞬間、お得意の影の中からシャドウブレイドが顔を出す。


 影の刃は騎馬を阻むためのパイクのように伸び、疾走する彼女の行く手を阻む。一本、十本と五メートルを越えるような影刃が目標に対して伸びる様はまるで壁を連想させる。


 常人ならば躊躇する。訓練された兵士であろうと、決死だと判断するそれへ突っ込むのは自殺行為。だがあろうことか彼女はそのまま駆けた。次の瞬間、生理的嫌悪をもたらす獣の咆哮とともに影の刃が砕かれた。残骸は影に散り、影に飲まれ新しく再生する。


「お得意の影も効果が無いようですね」


「いや、アレは嫌がらせ以外の意味はない。本命はこっちだ」


 魔力が虚空に陣を刻む。励起した魔力がシュルトの周囲で淡い魔力光を放つ。魔法陣が十個程虚空に浮かび、マリカの前に立ちはだかるように出たシュルトの眼前で回転する。


――目算で三十メートル。


「そろそろいいか」


 迫り来る彼女を見て、三度指が弾かれる。同時に槍衾の先の影が消え、疾走していたクイーンが足を踏み外す。その先にあるのは、ぽっかりと開いた深い穴。滑り落ちる最中の声が、まるで憤怒のような奇声に変わる。


「ほう。埋めるのですか」


「いや、外したら射線が不味いと思ってな。それはこの後で試す」


 影で掘られた穴の中は、まるで上り坂のようになっていた。立方体のようにくりぬかれたその穴の中、底まで落ちるしかなかった彼女は足から白煙を昇らせて一直線に上がる。駆け上がる坂道の先は、出口が徐々に狭くなっていく。最終的には横幅は一メートルもない。つまりは、逃げようが無いほどに狭い。


――目算で十メートル。


 吸血鬼はただ見下ろし、駆け上がってくるクイーンに右手を弾く。


「喰らえ」


 瞬間、お得意のシェルバスターがクイーンへと放たれる。魔法陣から放たれる光が螺旋を描き集束。束ねた魔力を一点に収束し、そのままクイーンの体を問答無用で穴の底まで力づくで押し戻す。そのまま底に埋もれていくその姿を魔眼で確認していたシュルトは、微かに唇の端を吊り上げる。


「たわんだな。となれば――」


 後は必要な威力を推察し、貫くために必要なエネルギーをどうにかして持って来て叩き込めばいい。シェルバスターの光が掻き消える前に、土に埋もれようとするクイーンの端整な顔を眺めながら考察。ふと、予定にしていなかった魔法を行使する。


「マリカ、もう一手撃つが構わんな」


「どうぞお好きに。それでどうにかできるとも思えませんし」


「私もそう思う。だが、時間稼ぎになればそれでいい」


 掻き消える残光の上から、影に収納された土がかぶせられていく。その圧力が、クイーンの奇声を飲み込む中、シュルトが更に駄目押しを行使した。


 埋め立てられていく地面の上に、猛一つ巨大な魔法陣が展開される。半径十メートルほどのそれが、今しがたクイーンが居ただろう直上で明滅する。


「もの皆朽ち行く運命ならば、朽ち果てた風化の先にある者よ。汝を繋ぐのは悠久。さぁ、棺に刻もう。棺は未来まで伝わる証をとなって、愚かなお前を語り継ぐ。永遠の夢に眠れ――石化埋葬呪<ストーン・カーズ>」


 瞬間、魔法陣の下の地面が中心から徐々に変質。直下推定十五メートルの土を全て黒色の石に変えた。


「案外、うまく嵌ったか」


「普通ならこのままでも十分なような気がしますが……」


 マリカが言い終わる前に、ガゴォン――と地面の下から振動が伝わってくる。その拍子に当たり前のように石化したばかりの石がひび割れた。音はなおも断続的に響き、次第に大きくなっていく。


「あまり時間は稼げそうにないな。手間をかけさせる奴だ」


「アレだけのエネルギーを掌握していれば造作も無いことです」


 庭園の小石を一つ拾うと、シュルトはマリカに向かって指で弾く。反射的に受け取ったそれを見た彼女は、何の変哲もない石に込められた微細な魔力の意味を問う。


「それで次の手とやらは? これもその一環ですか」


「勿論だ」


 やはり淡白な表情のまま、頷く吸血鬼は作戦をただ語る。それが、どこか自信満々なように見えるのはきっと付き合いが浅いからではない。そうと理解しながら、シスターはただ頷いた。


「――では、お手並み拝見といきましょうか。お互いに」


「ああ。これは共闘だからな」


 シュルトの紅眼とマリカの翡翠の瞳が外される。それは存外、お互いに挑戦的だっただろうか。それを奇妙な状況だと考えるのはマリカ。彼女にとってはやはり、この状況に対する違和感が拭えない。だが、だからこそここで見せつけておかない理由がなかった。転移でシュルトが消える姿を見送ることもせず、影を操る主が消えたことで自由になったゾンビもどきたちを一瞥。槍を構えながら妹に準備をさせる。


「マリアル、第二までシステムを開放しますのでそのつもりでいなさい」


『ええーっ、私もやるの? 別に手の内は晒さなくてもいいじゃない。楽させてくれるって言うんだからさ』


「見せて牽制しておくべきでしょう。アレは無害なのか有害なのかさっぱり分かりませんからね」


『異世界なんだからほっとけばいいと思うけどなぁ。まっ、ペースを乱されないようにイニシアチブを取りたいっていうんなら手伝うけど。お姉ちゃん、基本体育会系だもんね。さっすがイノシスター!』


「……イノシスターは止めなさいマリアル。私は少しだけ他のおしとやかなシスターたちよりもアクティブなだけです」


「GURO――」


 土の下のクイーンを助け出そうとでも言うのか、それとも単純にマリカを狙っているのか。一斉に集まってくるゾンビたちを、彼女は槍と体を駆使してなぎ倒す。そんな姉の暴れっぷりを観測しながら、マリアルは思った。


『やっぱり、方術使うより先に槍が出てるよ。ほんと、イノシスターだねお姉ちゃん』












 帝都城の入り口を前にして、ハイドラーたちは一旦足止めを食らわされていた。けれどそれは、敗北への兆しではなく、寧ろ勝利のための一手であった。


 人々の詠唱と浄化の光が、城門前にひたすらに集合してくる感染者たちを駆逐する。夥しい数の死体に、仲間を増やそうと齧りつくものたちはその隙に大量の魔法を浴びて仲間と同じく倒れ付す。


 人々の熱は留まるところを知らなかった。抱いた勝利への希望を胸に抱き、ただひたすらに進軍する。南にあるギルド本部からの伝令が、街中に広がった頃には東西、そして北から唯一城に侵入できる入り口がある南に続々と人が終結。同時に、その方角からクイーンの援護のために戻ってきた感染者たちを合流させまいとばかりに人々が浄化する。そんな中、彼らの中にも動きがあった。


「遅かったなダックス」


「悪いなギルド長。待たせたようだ」


 城の中に打って出るには必殺の武器を手に入れたとはいえ一般人では心もとない。ギルド長であるジンブルが、最も伝令が遠い北に向かわせたベテランパーティー。その一つが大剣のダックスのパーティーだった。戻ってきた彼を労うようにジンブルが肩を叩いて迎える。


「よろしくお願いしますダックス殿。貴方と共に戦うのも山脈以来だ」


「ハイドラー。お前、良い顔になったな。やっぱ勝ち戦になったからだな」


「おいおい、積もり話しは後にしようぜお二人さん。どうせ終れば宴会だ」


「違いねぇ」


 口々に上位の冒険者たちがダックスたちに軽口を入れる。それに苦笑しながら、彼らは話を切り上げジンブルに視線を向ける。


「よろしい。これで少なくとも上位ランカーが集まったわけだ」


 そしてそれは、帝都中でもはや戦うべき相手がこの城の中だけだということを暗示していた。ニヒルに笑うジンブルは、ギルド長としての強権を行使し強制依頼を彼らに課す。


「お前らの目的はヴァンパイア・クイーンと呼ばれる化け物の親玉だ。ハイドラーが言うにはこいつはどうも、他の連中とは違って魔力障壁のような物に守られているらしい。恐らくそこらの奴らと違って浄化魔法一発でってわけにはいかないだろう。だが、お前たちなら戦えると私は信じている」


 上位冒険者が全てここに居るわけではないが、それでも古強者から天才肌までそれなりに帝都にはいた。皆、圧倒的不利な状況で魔物と戦ってきた猛者である。当然、最前線での魔物との戦い――つまりは魔法障壁持ちとの戦いには慣れている。その経験は、必ずや討伐の役に立つだろう。


「いいか? 冒険者ってのは生きて帰ってきてなんぼだ。やばくなったら逃げて来い。だがこれは私たちの国が化け物の巣窟になるかどうかの瀬戸際だ。それを踏まえたうえで各自の奮戦に期待する。リーダーは第一交戦者でもあるハイドラーに取らせるが、いいな?」


「「「「「おう」」」」」


「ダックスは若い奴らをサポートだ。勝てなきゃ引き返させろ。無鉄砲な奴らは多いからな。その時はお前が止めろ。こっちは最悪に備えて城門閉める準備をしとく」


「はっ、必要ないぜギルド長」


「この面子なら俺たちはワイバーンだろうとオーガだって狩れるぜ」


「あんたはアタシらに払う分の金を勘定しといてくれれば良いのさ」


「残念だったな。今回はお国の大事だ。報酬はギルド規定どおりなら無しになる。というか、報酬払う国の中枢がまとめて化け物の仲間入りしてるからどうなるかは分からんのが実情だ。俺は儲けが減るから一リズも出したくはないしな」


「「「「「うげっ――」」」」」


 一斉に冒険者たちが顔を顰める。


「ならばせめて皆の宴会代ぐらいは私が出そう」


 ハイドラーが士気を下げた彼らに言う。ジンブルには考えられない士気向上作戦だが、彼らはそれだけでテンションを挙げる。


「さっすがハイドラー!」


「もうお前が皇帝になっちまえよ」


「よっ、貴族様!」


「どこかの守銭奴なギルド長とは大違いだな」


「誰だ、今私のことを言ったやつ! 除名してやるから前に出ろ!」


 だが、当たり前だが誰も名乗り出ない。しかめっ面で冒険者たちの顔を見たジンブルは、しかし口調とは裏腹に眼だけは怒ってはいない。冒険者は当たり前のように死亡率が高い。それを知っているからこそ彼は言うのだ。


「生きて帰って来いよロクデナシどもめ。でないと除名処分もしてやれん。よし、そろそろいいだろう」


 城門前に居た伝令が、ゾンビもどきたちのほとんどが動かないことを確認してやってくる。耳打ちされる情報に頷きながら、ジンブルは彼らを送り出す。


「出番だ。全員、仕事に取り掛かれ!」


「「「「おう!」」」」


 ざわめく民衆が割れ、その中を彼ら上位の冒険者たちが威風堂々と進んでいく。


(かつて、ここまで冒険者が民衆に歓迎されたことがあっただろうか)


 ハイドラーの思いは、他の冒険者たちも同じだった。皆、口々に応援してくる民衆に慣れない愛想笑いを浮かべている。冒険者は魔物と戦うことを生業にする職業だ。それだけなら聞こえはいいが、どうしても力を持っているが故に恐れられているところもあった。戦いで鍛え上げた肉体に、戦闘技能。戦えない一般人にとっては脅威でしかない。


 彼らはあるときは鼻つまみ者として、或いは厄介者として見られることもあった。乱暴を働く者や、犯罪を犯す者も当然いたし、冒険者上がりの盗賊なんてのも生み出した。そこにある温度差を、街で感じない日々は無かったとも言えるかもしれない。それが今はどうだ。まるで英雄のような扱いだ。


「へへ。なんか、調子狂うなぁ」


「アタシらがこんな扱いを受けるなんてねぇ。生きとくもんだよまったく――」


「どうせそれも今日だけさ。だったらそれを楽しもうぜ」


「ですね。でも、なんか嬉しいですねこういうの」


 口々に呟く彼らの先頭を歩くのはハイドラーであり、彼の率いるパーティー。その中で、ただ一人だけ冒険者でない男が居た。


 タンジェント・クラシマ。異世界から召喚された研究者にして、最もクイーンに造詣が深い男。彼はハイドラーの右手を歩きながら、武器のセーフティーを全て解除。その長距離攻撃性能で先制攻撃をするべく、帝都の城門を見据えていた。


「ジェント」


「んあ、なんだ」


「色々とすまなかったな」


 果たして、どれだけの意味が込められた言葉だったのか。前を見ながらただ一言謝罪したハイドラーを、クラシマは詰ることさえせずにその右肩に左手を乗せた。


「気にするなよ。どうせ、後でお前に面倒見てもらうことになるだろ。俺は右も左も分からないんだ。それで全部チャラだ。それとも、お前はまさかその気はないのか」


「まさか。やることが多すぎて、君の世話を焼く暇があるかどうか心配なのさ。もしかしたら、これで私の冒険者家業も終わりかもしれない。城には、父が居たんだ」


「そうか……」


「そうでなかったとしても、私は何れ家督を継ぐだろう。その時は私を手伝ってくれ。それなりの給金で迎えよう」


「そいつはありがい就職先だな。なら、さっさと終らせないとな」


「ああ――」


 ハイドラーがミスリルソードを鞘から抜き、三十人を越える冒険者たちに告げる。


「――全員獲物を抜け。これより化け物を掃討する。 詠唱しながらついて来い!」


「「「「おう!!」」」」


 兵士たちの死体を越えて、ハイドラーが駆け出す。一瞬、焼き尽くされた焼死体に眼を向けた彼は、死体に頷きながら前を見た。本来であれば城に居る皇帝が守り、この国の中枢を守るべき城門。今では化け物を閉じ込める檻となって時間を稼いでくれていた帝都の顔。その門の下を、大勢の冒険者たちを引き連れて彼は再び潜り抜けた。


 背に受ける歓声と期待の声が、その背を押す。そうして、遂に彼らは決戦場に辿り着いた。


「これは――」


 城門内を抜けた彼らが目にしたのは、嫌に損壊している城と庭園。そして今までを更に凌駕する兵士の死体。血臭は死臭に混じり、彼ら冒険者にとって久しぶりに嗅いだ戦場の匂いを思い出させる。


「私は夢を見ているのか」


「いや、俺にも見えるぜ」


 多勢に無勢の中、純白の光を纏って戦う一人の女の姿があった。対峙するのは対照的な闇色を纏う女。奇声を上げ、獣染みた咆哮を挙げる彼らの敵だ。冒険者たちは一様にその姿を見て呆気に取られ、そうしてリーダーに眼をやる。


「フリーランサーの姿が見えないが……劣勢ではないのか。寧ろ押している。なんだあのシスターの馬鹿げた力は。リスティラ教会が呼び出したという聖女でも光臨したのか?」


 振り回す異形の槍に触れる感染者たちが、槍の一振りで次々と吹き飛ばされて動かなくなる。唯一の例外がクイーン。何度弾き飛ばされても驚くべき速度で疾駆し、飛び掛るのを繰り返す。


 もはやそれは、尋常なる戦いには程遠い。一瞬ハイドラーの脳裏に決別したはずの『英雄』なる言葉が過ぎる。しかしそれは都合の良いだけの幻想だともはや彼は知っていた。英雄などどこにもいない。居るのはただ、偶々力を持っていただけの異世界人に過ぎないのだ。彼らの故郷を奪った果てに、役割を押し付ける身勝手な醜悪さは、もういらない。


「ハイドラー。リーダーはお前だ」


「ああ、分かっているダックス殿」


 彼は頷き、指示を出す。


「クイーンは一旦放置する。その代わり、あのシスターを援護しよう。彼女は敵を圧倒している。ならば、邪魔する奴を先に叩いて専念してもらう。然る後、全員で障壁を剥ぎ取る。パーティーごとに散開。化け物を死体に戻せ!」


「よし、行くぞお前ら!」


「「「「おう!」」」」 
















『人が来たよ。精鋭さんなのかな。民衆はついてきてない。先にゾンビもどきの相手をしてる。一人銃撃ってる場違いな人が居るけど……邪魔する気は今のところ無いみたい』


「邪魔しないなら今はそれで構いません。どれ、少しだけ位置取りを変えますか」


 槍を掲げ、真横に振るう。丁度飛び込んできたクイーンの横腹を叩き、強引に城の方角へと弾き飛ばす。もはや技術云々ではない。戦っているというよりも単純に腕力で吹き飛ばしているだけだったが、それでも彼女は疲弊することない。


 魔力を気に変換する槍が、エネルギーをダイレクトに補給。活力に変換する。また、キヒトシュレインとの契約により彼女は既に人間を越えている。そう。彼女の大敵である不死者と同じように、もはやその身は純粋な人ではなくなっていたのだ。


「そろそろ来ると思うのですが反応は?」


『前のデータからするともうちょっと掛かりそうだけど……あっ、来たよお姉ちゃん。凄いよ。生身で着弾時間制御したみたい』


「術式で連動効果でも持たせたのでしょう。多芸そうですからね。それで数は」


『宣言どおり三発きっかり。あ、転移反応確認。見過ごす気はやっぱり無さそうだね』


「私が彼でも確実に確認します。戦力確認は互いに必須です」


 空の上、翼を広げたまま滞空している吸血鬼の姿がある。後は任せるとでも言いたげな顔だ。傍観を決め込んでいる彼にマリカが視線を向けると、吸血鬼はただ頷いた。


「ふっ。上等です吸血鬼。マリアル――」


『――ユーザー認証確認。キリングドールシステム開放。五秒後に着弾来るよ』


 聞くなり、地面に向かってマリカが槍を叩きつける。土に刺さった槍先から漏れ出る光が、今現在溜め込んでいたオーラの半分を開放。周囲一帯に解き放ち、強制的にウィルスを消し飛ばす。


 白光は止まらない。冒険者たちさえも透過し、城門にまで迫る勢いで拡散。おかげで冒険者たちは戦闘を中断し、発生源であるマリカを見た。光は物理的な風を生み、戦場に満ちた死臭さえも浄化して空気を運ぶ。


「これは……奇跡か」


 死体がただの一人を除いて止まる。誰かの呟きが、光に解けて消えていく。押し黙る空気の中で、更に空から天罰の如き光が三つ落ちてきた。それらは大地に降り注ぐや否や無音で破裂。破壊力を一切生じさせないまま拡散して消えていく。


 それはシュルトが、古城、レイデン、そして西の大山脈のパワースポットから漏れ出した魔力を、攻撃ではなく散布するために撃ち放ったただの大魔力の塊であった。


「さぁ、喰らいなさいキヒトシュレイン――」


『オーラブースターフル稼働――』


 白骨に刻まれた魔法文字が、メテオシスターズを上回る魔力の塊を急速吸収。シュルトによって運ばれてきたパワースポット三つ分の魔力を気へと変換し、手に入れた莫大な量のオーラを制御下に置く。


 そこへ、兵隊を失った最後の一人が白に染まらぬ黒で挑みにかかった。それを捉えたマリアルは、姉の了解を取らずにただ“動く”。


 槍を抱きしめていた白骨が、両手を伸ばし、逆立ちのような姿になった。かと思えば、タイミングを合わせてクイーンに向かって右足の小さな踵を振り下ろす。


 刃のように鋭角に刻み込まれた骨とクイーンの闇がぶつかり、マリカの眼前で対消滅。火花をまぶしく散らす。


『やった、効果あり!』


 目に見えて歪曲した闇。それが急速に修復されるよりも先に、地面から槍を抜いたマリカが横に回り込み、歪曲した闇に向かって連続で突きかる。


 抉るような槍が、突きの連打となって光の線を幾筋も虚空に残す。今までと違い、腕力で吹き飛ばすのではなく一撃に載せられた大量のオーラがクイーンの闇を削っていく。その果てに、マリカとマリアルは再びそれが降りてくる瞬間を目撃した。 


「GU……ガ……シNi乗るナぁぁぁ!!」


 奇声ではなく言語のように響く声がある。闇が両手に集束し、密度を変える。禍々しいほどに空気中の光を飲み込むそれが、マリカの振るう槍先を弾く。次の瞬間、今までと打って変わった速度でクイーンが踏み込む。


「HUひヒィ――」


 飛来する拳が、防御に回された槍と衝突。今までに無いほどの轟音を生んだ。咄嗟に槍で受け止めるも、マリカの足が衝撃で庭園の土に僅かに沈む。だがそれだけだ。


「なるほど。器の性能で出力が制限されるのですね」


 意識接続した槍の観測データに目をやるまでもなく、マリカは察した。それには応えず、降りてきた――憑依した敵がただ笑う。その様は品がなく、嫌に腹立たしい感慨を与えてくる。不快にして野卑。人の神経を逆撫でするだけの瞳が、爛々と輝く。


「フヒヒ――」


『うわっ、キモッ――』


 そこへ、横から小さな影が踊りかかる。刃のように削り込まれた白骨が、全身にオーラの刃を形勢し切りかる。瞬間、密度を両手に集束していた体から、幾重にも鮮血が飛び散った。その受けた斬撃後からすぐに上がる白煙が、確かに防御膜を超えたことを周知する。


『どんどんいくよ!』


 不死者を狩るための人形兵器は止まらない。マリオネットのような不可思議な動きでクイーンを翻弄。徐々に加速しながら、エアステップを交えて三次元的機動で目まぐるしく周囲を飛び交う。その度に、裂傷の数は減るどころか瞬く間に増えていく。


 攻撃と同時に離脱するその白い影。その、全身凶器の刃で武装した白骨に気を取られた敵はそのせいで一瞬マリカを見失った。


「あらあら。余所見をするのはどうかと思いますよ」


「げっ」


 背後に回ったマリカがブレイドダンスにに加わった。骨の斬撃に混じって槍が飛来。たまらず避ければ、その硬直を狙って今度はマリアルが攻撃する。システムで繋がる二人の連携に隙はなく、全て互いをカバーし補完しあうように回っていく。それは不死者を殺し斬るまで終らない。


 兵器であるマリアルと、人外の力を得たシスター。二人はその活動エネルギーを失うまで止まる理由もない。そしてそのためのエネルギーはシュルトが既に補給した。


 骨の刃が骨肉を切り裂き、槍が骨ごと肉を抉る。その度にクイーンの体を蝕むウイルスが浄化処理されていく。目まぐるしい蹂躙劇。それは二分と続かなかった。


「ちっ、もうガタがきやがったか」


 クイーンから白煙が上がらなくなり、急激にその体の動きが悪くなる。度重なる攻撃と再生が、彼女から活力を奪い取っているのだ。それが、元は人間をベースとする者の限界でもあった。その目が周囲の死体を捉え、動き出そうとするが二人はそれを見逃さない。


「マリアルッ――」


『うん――』


 二人を無視して死体に喰らいつこうとするクイーンに先回りしたマリアルが、跳躍した彼女の眼前に回りこみ掌打を放つ。オーラが掌で炸裂し、クイーンを力づくで後ろに飛ばす。飢えた口から怨嗟の咆哮が上るも、マリアルが更にそこに左拳を振りぬく。そこから放たれる光がビームのように追撃。クイーンに着地を許さない。その後ろには、身を捻りオーラの一際大きな刃を槍先に形成したマリカが居た。


「これで終わりです。光の神よ。我らが敵に救済を――」


 地面が爆砕する。同時に光の槍<テイン>と化したマリカがクイーンの無防備な背中へと槍を突き出す。消耗した闇はもう、それを防げなかった。


「――バニシング・ジャッジメント!」


 光が前後から衝突する。

 マリアルの放つ浄化の光とマリカの突進。二人の放つオーラが接触。反応しながら膨れ上がった。その瞬間、庭園に白い太陽が生まれた。


 二重の光に押しつぶされるクイーンの体が、まるで砂糖が紅茶に溶けるかのように少しずつ光の中に解けていく。やがて光は、クイーンを構成する存在そのもの全てを焼き尽くして消えた。後に残った物は何も無い。塵一つ残さずにウィルスの母体は消失した。













「見事な技だな。些か力技過ぎる気もしたが」


 豊富なオーラを用いて、それを代価に跡形も無く消し飛ばす。シンプルなだけに防ぎ難い。どうしてもオーラ量に破壊力が比例するという欠点があるが、それを抜きにしても威力は大きい。シュルトの内気魔法にはない決戦技法だ。マリアルを槍に固定した彼女は、封印の布を巻きつけながら答える。


「ああするのが確実でしょう。それより、貴方にも敵が降りる瞬間が見えましたか」


「微かにだがな。どうにも、結界といいこの敵は視づらい」


「少なくともそれ相応のオーラさえ獲得できれば対処できることは判明しました。で、何をしているのです」


 感嘆しながらも、忙しなく指で印を切っていたシュルトは隠すつもりもないので答える。


「またここに結界を張られても面倒だからパワースポットを封印している。必要なときだけ開放しよう」


「そうでしたか。確かに封印は必要です。しかしよく山脈の魔力を使えましたね。奴の結界があったのでしょう」


「あのハイドラーとかいう貴族冒険者たちが使うために開放していたのだろう。一部だけだが、利用することができた。気づかれて危うく結界に閉じ込められかけたがな」


「それはそれは。ご苦労様です」


 肩を竦めるシュルトは、そこで駆け寄ってくる冒険者たちに視線を向ける。釣られて見たマリカは、その目に宿る好奇の視線にも同時に気づいた。根掘り葉掘り聞きたそうにしているのは、火を見るよりも明らかである。


「吸血鬼、そろそろ帰りましょう。サキがお腹を空かせているかもしれません」


「ふむ。もうそんな時間か」


 太陽の位置は高く、眩しいほどに輝いている。シュルトはそれを確認すると頷いておもむろに手を差し出す。


「これからよろしく頼むシスターマリカ」


「ええ。次は貴方の全力を是非見せて下さい。吸血鬼シュレイダー」


 にこやかに応じるマリカに頷くと、シュルトは握手を交わしたまま転移した。城の修繕費を請求されるという最悪の事態をただ恐れて。















 帝都を揺るがす化け物は居なくなった。その事実を前に勝利に沸く帝都の人々は、街を取り戻した余韻から冷める間もなく死体処理に負われていた。国の中枢に勤めていた者や、兵士や騎士たち。その被害は余りにも多すぎて、ハイドラーやジンブルは目が回るような忙しさだった。


 ジンブルは冒険者たちを強制依頼という名目で扱き使い、ハイドラーは貴族として出来うる限り状況の収拾に努めていた。そんな中、クラシマはハイドラーパーティーの仲間の冒険者たちに混じって死体処理の手伝いをした。ただ、不自由なことはあった。いきなり言葉が理解できなくなってしまったのだ。


 それでも黙々と作業した彼は、ハイドラーたちに誘われるままに飲み屋に運ばれていった。ギルド長であるジンブルが知っているのはそこまでだ。彼は日課の収支報告書を確認する気力も無いままに酒の瓶を掴むと、窓辺で賑やかな街並みを見下ろして一人執務室で酒を煽る。なんとなく、飲みたい気分だった。


「やることが山済みで大変だ。やれやれだな。私は政治家ではないのだがな」


「しょうがなかろう。その政治家が根こそぎ消えたのだからな」


「ごほっ――」


 いきなり、いないはずの人物に声をかけられた彼は窓に高い酒を拭きつけながら振り返る。するとそこには、神出鬼没なフリーランサーが居た。


「ごほっごほっ。あー、君。ノックぐらいしたらどうだ」


「したが気づかなかったみたいでな」


「……そうか。そいつは悪かった」


 瓶とグラスを机に置き、向かってくるシュルトをそのままに椅子に座る。そうして、一先ず彼の方から切り出した。


「依頼ご苦労。色々とやらかしてくれたようだな」


「良い仕事だっただろう」


「ああ。それはもうな。被害総額を考えると目も当てられない程だ」


「それは見解の相違だな。逆に考えるべきだ。あの程度で済んで良かったとな。正直、私だけなら帝都ごと吹き飛ばすぐらいしか手が無かった」


「……それは冗談かね」


「純然たる事実だが」


「ははっ」


 酔いが醒めるとはこのことだった。ほろ酔い気分を味わいたかった彼は苦笑いだけを晒してグラスを傾ける。しばしの静寂。外から響く人々の勝利の宴だけが、室内に聞こえてくる。


「ルアンダや孤児たちは大丈夫か」


「ああ。手配するのはそれほど難しくはない。帝都の安全が報酬だと思えば安い報酬だ。で、それを聞きに来たのかフリーランサー」


「いや、それはついでだ」


「ふむ?」


 それ以外に尋ねてくる理由が分からず、ジンブルは首を傾げた。だが、シュルトの瞳が妙に真剣なことから何とはなしに察した。


「――そうか。バノスの行方かね」


「よく分かったな」


「君が言っていたことだろう。嫁が公爵についたとな」


「なるほど」


「恐らくはリオラスカ砦だ」


 レイデンと帝都の中間に位置する砦だ。まだ魔物が居ない時代に建造された、帝都守護砦の一つ。現在では公爵軍を抑える最大の牽制地となっている場所だ。公爵軍が攻めてきたとして、まずはレイデン。そしてその次がそのリオラスカ砦になる。ならばそれほど可笑しい場所ではない。


「ハイドラー卿が城の中で報告書を発見し、見つけたらしい。奴ら、化け物の癖に仕事は真面目に取り組んでいたようだ」


「滑稽な話しだな」


 擬態のためにか、ゾンビもどきが書類仕事をしていたわけである。そこから導きだされる結論は、シュルトにとっては末恐ろしいものではあった。とはいえ、もう種は割れており、致命的な対処方法も確立されている。問題があるとすれば、それは最後の一人だ。シュルトにとっては、そちらの方が気に掛かる。


「その書類には召喚された者についての記録か何かが残されていたか」


「いや、そういうのは見つかってなさそうだったな」


 残す必要さえなかったということか、それとも初めから秘匿するつもりで文書に残してはいないのか。判断は現状ではできない。


「ただ、君にとっては最悪だろうが既に諸侯たちへ召集令が秘密裏に出されいるらしい。帝都では噂になっていないが、もしかしたら秘密裏に兵が送られているのかもしれんな」


「そしてゾンビもどきにされ、化け物と人の戦いになる……か」


 公爵側の目算はこれで崩れるだろう。そもそも、相手はウィルスに感染している兵隊の可能性が出てきた。その時点で彼らが想定している人対人の構図から逸脱している。


「公爵には一応対処法を伝えるために文を出した。懸念事項があるとすれば、やはり召喚された者だな。私が把握しているのはジェントと炎の鳥だけだ」


「炎の鳥なら私が偶然だが始末した。そのジェントと言う男は何者だ」


「クイーンと同時に呼ばれたただの研究者だそうだ。彼は民間人、そして奴は化け物。英雄など最初からいなかったのだろうな」


「仮に居たとしても元英雄だけだろう。英雄といきなり呼ぶほうがどうかしている」


「だな。今頃、彼はハイドラー卿たちと飲んでるだろう。どういうわけか、君たちの戦いを見ている最中に言葉が喋れなくなったそうだ。魔法は使えない男だが、博識だと聞いている。彼が面倒を見ることにはなっているから、問題なく生きてはいけるだろう」


「私はその人物に興味はないが、伝えてやれ。言葉はおそらく召喚されたときに付加された魔法が解除されただけだ。元々は異世界人なのだろう? 普通に考えれば異なる言語同士で意思疎通などできるはずがない。だがこちらの言葉を教えれば会話ぐらいはできるようになるはずだ、とな」


「分かった。彼にはそう伝えておこう。君は……リオラスカ砦にいくのか?」


「その必要があると判断すればな」


 それだけ言うと、シュルトは外套を翻して部屋を出た。残ったジンブルはグラスに残った酒を飲み干し、街に繰り出すことにした。


「そうだ。ハイドラー卿にたかるか。彼のことを教えてやらねばならんし、一緒に居るはずのダックスにも八つ当たりしてやりたいし……な」


 当分、間違いなく忙しくなる。そしてそれに公爵決起の話しが混じって帝都を揺るがすだろうジンブルはその前に今のうちに酒を飲みだめしておきたかった。


 内乱か、或いは化け物退治になるのかはまだ分からない。だが一戦が生じるのは確実だと彼にも分かる。身代わり皇帝の姿はバノスと同じく城にも、死体の中からも見つかっては居ない。ならば、どちらにせよ公爵派が勝ち、せめて先代皇帝のような真っ当な統治が戻ってくればいい。そう願いながらジンブルは思った。どうやって後輩たちと美味い酒を飲もうか、と。


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