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第六話「英雄捜索」


 一夜が明け、半日が過ぎた。

 魔物たちの大侵攻を退けたドルフシュテインの街では、その勝利を祝うかのようにどこもかしこも賑わっていた。平日の昼間でもかなり賑やかではあったが、今日という日は街全体が浮ついているような気さえ感じられる。


(無理も無い……か)


 昼間から同じくその空気を共有していた若い男は思った。冒険者らしく剣で武装しているその茶髪の青年の胸中を埋めるのは、南門の上で見た不可解な出来事である。


「ロンドの奴だったようにも見えたが……結局、なんだったんだかなぁ」


 カウンター席で一人呟くようにジョッキを煽る。金の大切さを骨身に染みて知っているその男は、安酒のエールを水のように飲み干すと行き着けのマスターに追加を注文。頬杖をついたまま、周囲の会話に耳を傾ける。


 冒険者ギルドの支部が近くにあることもあってか、この酒場兼宿屋には当たり前のように荒くれ者で賑わっている。昨日の今日ということもあって、冒険者の義務として戦いに身を投じた彼らは昨夜の興奮が冷め遣らぬといった様子で盛り上がっている。


 男は基本的にはソロである。必要があればパーティーも組むが、組むということに積極的ではない。とはいえ、儲け話でもあれば話しは別だ。臨機応変に組むし、仕事で得た連帯感を楽しめる程度には社交的であった。顔見知りにでも話しかければ、同じように盛り上がることもできただろう。しかし、彼はそんな気分ではなかった。


「なぁ、聞いたか。昨日の竜騎士の話し」


「いやいや、それよりは北門を抜けようとしてた召喚された餓鬼の話しだろ」


「遠くに見えた巨人の話しはいいのかよ」


 今現在、ドルフシュテインでまことしやかに噂されている話しが三つある。人伝に広がっている胡散臭い話しだった。


 一つは竜騎士の話し。公爵の屋敷を旋回し、庭に下りたかと思えば主と合流したその竜はメイドを舐め、死体を置いていったという。その後には魔物に攻撃を加えたという話しもある。まずもって妙である。竜は魔物と同じだ。それが人に従えられ、魔物を襲うというのは彼にとっては考えられない。


 二つ目は彼としても興味津々だ。なんでも公爵に召喚された英雄であり、魔物が危険を感じて集中的に襲おうとするほどであるとか。昨夜の魔物の奇妙な行動を考えれば、それは信じてもいいかもしれないとは思った。だが、これを信じたくは無い。自分の目で見たからこそ余計に。その餓鬼の鞭の一振りで魔物が死んだ。馬鹿げている。そんなことがあるわけがない。魔力障壁はどうしたんだと声を大にして突っ込みたいぐらいには。


 そして三つ目。それも彼は見た。魔物が死んだかと思えば現れ、南西に移動していった暗黒のシルエット。人のようにも見え、山にも見えた恐るべき何か。これも途中で光の柱の向こうに消えたようだったが、今でも彼は信じられない。アレが魔物であったなら、人間など踏み潰されて終わりだ。アレを認めるということは、その後に続く絶望さえも認めるということ。当然まともな神経があれば許容できるはずもない。


 冒険者としての彼は昨夜の一連の不可解を一刻も早く忘れたいと思っていた。そうでもしなければ頭が可笑しくなりそうだった。金儲けに目が無い連中は、魔物の死体から素材を手に入れるべく動いている。もっとも、つい先ほどまでは街の外に出られないように公爵の命令があったようだが、今はもう解除されている。魔物の取りこぼしがないか街中を兵士たちが巡回して安全を確かめるという名目ではあったが、それならそれで騒ぎがあるはずだ。妙な厄介ごとの気配がするせいで、彼としては外に出歩こうという気にもなれない。結果としてケインは昨夜のことを考えながら、聞こえてくる噂話を肴に一人飲んだ暮れているわけである。


「ケインは稼ぎに行かないのかい」


「兵士たちも素材回収と死体処理に出たんだ。どうせ大物はもう無理だろ。そうでなくても俺は今パーティーも何も組んでないんだぜ。一人で行ったところで回収できる数なんざ高が知れてるよ」


「相変わらず一匹狼というか、熱意に欠けてるな」


 マスターは苦笑しながらエールの入ったジョッキを置いた。ケインと呼ばれた茶髪の男は、無愛想にも「ほっとけ」とだけ返してエールを煽る。その間、中年のマスターは追加の注文が無いのでグラスを磨き始める。だが、一拍置いただけで再びケインに声を掛けた。


「不機嫌そうだな」


「ここが襲われた。帝都をほっぽらかして、だ。そのせいでどうしても嫌な予感が拭えねぇ。昨日からずっとそうだ。大体、昨日の勝利は変なんだよ」


 魔物対策に用意されていた外壁は有効に機能した。外壁は主要都市に、賢人の広めた技術や魔法を使ってここ百年の間に建造された防衛施設。基本的に人間は平地では戦わない。まともにぶつからないように戦うための、いわば苦肉の策であり延命策。偶々昨日は異例なまでの速度で決着がついたが、本当ならあのまま数日程戦闘が続いても可笑しくは無かった。それにアレだけの数の魔物が周辺に潜んでいたというのも彼には気に掛かっていた。それだけ国中に広がっていたということか、それともどこからともなく現れたのか。気にすればするほどにケインは気が滅入ってくる。


「山脈直下のロスベルの砦なんて、戦いが一週間続いたこともあった。魔力が続く限り魔法撃って、侵入してきた奴らを袋叩き。なのに、昨日のありゃなんだ。戦闘時間が短すぎだ」


「奇跡でも起こったと思えばいいじゃないか」


「そういうの、はっきりしねぇと気持ち悪いんだよな」


「そんなもんかね。私は場末の酒場のマスターだから、さっさと終ってくれてホッとしているがね」


「俺の場合は直接命に関わってくるのさ。だからナーバスにもなる」


「ふぅん。ならお前さん以外にも似たような顔付きの奴らが居るのもそのせいか」


「素直に喜びたいって気持ちはあるんだぜ。だがどうしても……な」


 愚痴るように言って、エールを煽る。空気を読めない馬鹿だと思われようとも、ケインは素直に騒ぎに迎合することはできそうにもなかった。冒険者は臆病な奴の方が長生きできる。それは実地で嫌というほど学んでいる事実。だから気にしないという選択肢は彼にとってはありえない。


「ふむ……お? これまた妙な客が来たな」


「なんだよ。貴族様が高級ホテルとでも間違えてこんな安宿に来やがったか?」


「ケイン、安さに不満があるならお前だけ値上げしてやろうか」


「冗談。マスターの値段設定は最高さ」


 振り返り、ケインは店の入り口に目をやる。すると、そこには武装した見目麗しいメイドが不機嫌そうに突っ立っていた。誰かを探しているようで、テーブルを見渡している。その目が不意にカウンター席に居るケインを見つけた。ケインは「げっ」と呟いてそ知らぬ顔でマスターの方に向き直るとジョッキに手をかけて煽る。


「なんだ、知り合いか」


「マスター、俺はただの飲んだ暮れだから間違っても紹介するなよ」


「そいつは無茶な相談だぞ」


「なんでだよ」


「こういうことだからだ」


 足音をさせずに忍び寄ってきた女が、隣の席に着席しながら言った。握ったジョッキが、力なくカウンター席に降下。中の氷に涼しげな音を奏でさせる。


「うげっ。まさかと思ったが俺に用かよレイリー」


「久しぶりだな。セクハランク『A』の冒険者」


「ケイン、お前……」


 マスターがドン引きした目でケインを見る。ケインはその目を一睨みするも、反論はしない。それが役々マスターの疑惑を呼んだ。


「どうした。また偶然にかこつけて触ったりしないのか」


「煩い。根も葉もない流言を流すな同性愛者」


「世の中には二種類の男が居る。存在することを許容できる程度には世の中に必要な男と、まったく許容できないセクハラ男だ。私は、その中でも後者は絶滅するべきだと常々思っている。喜べ、私はまだお前をどちらに区分するかで迷っているぞ」


「喜べるか。俺は可愛げが無い女こそ消えるべきだと思ってるんだよ。つーか、男嫌いならとっととどっかいけっての。こっちはお前に用はないんだよ」


「お前には無くても私にはあるのだ。仕事をくれてやるから泣いて喜べ」


「……マスター、こいつ絶対に頼み方が可笑しいよな」


 誰がセクハラ男扱いするような女の依頼を受けるというのか。ケインは当たり前のように仲間を求める目でマスターを見る。けれどマスターは取り合わない。


「さてな。美しい薔薇に少々の棘があっても遠目に見るだけなら目の保養になる。棘が私に刺さらない間は中立でいさせて貰うよ」


「甘いって。こいつは男には毒しか吐かないんだ」


「それで、依頼内容だが」


「まだ受けるって返事してないだろ」


「これは公爵様からの指名依頼だ」


「おっさんからだと?」


 レンドール公爵はケインの住んでいた孤児院の最大の出資者であった男だ。レイデンにあった孤児院の、そこに居た園長の顔見知りであり、友人でもあった。だが、もう孤児院は潰れた。増えていく税金と孤児。公爵の援助だけでは限界があった。だが、それでも潰れる前になんとか孤児たちの居場所だけは彼のおかげで確保できた。そのうちの何人かは公爵のところで職を得た。彼の弟――ロンドもそうだった。二人に血の繋がりなどはなかったが、孤児院の中では特に仲が良かった。


「また国絡みか」


「当たらずとも遠からずだ。とはいえ今度の依頼は別にお前ではなくてもいい。だが、私がお前を推薦したのには訳がある」


「どうやら公爵閣下にはどうやら碌な人材がいないようだな」


「かもしれんな。夜の戦いで信頼できる手駒を、ロンドを失った。この損失は大きい」


「……おい、お前今なんつった」


「ロンドは死んだ。任務を最後まで全うして亡くなったそうだ。亡骸もある。こちらで墓を手配するつもりだが、どうする、今ならあいつが死ぬ原因となった男にも会えるぞ。尋問中だからすぐにとはいかんがな」


 メイドは、ただただ淡々と言った。ケインは頭の中が真っ白になりそうだったが、ジョッキを掴んで残りのエールを一気に飲み干す。そうして、据わった目でレイリーのすまし顔を見た。


 気に食わないと、正直に言うことは彼には簡単だった。この鉄面皮を、それこそ泣き顔に変えてやりたいとさえ思う程に。だが、安酒が回った頭でもそんな短絡的な八つ当たりに逃げることを彼の精神は良しとしなかった。


 ジョッキをカウンターに叩き付け不機嫌そうに席を立つ。そうして、レイリーの胸倉を掴み上げると無理やり立たせて問うた。


「おいメイド。その馬鹿は俺がぶっ殺していいんだろうな」


「それを決めるのは公爵様だ。だが、奴ら処刑を免れんだろうな。どうするケイン。こちらは時間が惜しい。お前が断るなら別の人間を探すが」


 その意地の悪い言葉を前に彼は舌打ちする。公爵だけならまだ素直に手を貸すのも吝かではないが、このメイドが関わると碌なことが無い。きっと、受ければ当たり前のように面倒な目に会わされる。だが――、


「やっぱり、お前は見てくれだけの女だな。絶対にモテないだろお前」


「結構なことだ。男の評価など私はどうでもいい」


「相変わらず可愛げがないな。おいマスター。代金はレンドール公爵にツケといてくれ」


「おいおい、いいのかいお嬢さん」


「かまわんさ。どうせこいつの報酬から払うだけだ」


 すまし顔で答えたメイドに、マスターは苦笑して頷いた。











 ロンドの亡骸との対面を終えたケインは、公爵と合流した。昨日の今日で処理するべき案件も多かった公爵ではあったが、そこは執事のアデルたちの精力的な働きによって支えられた。


 その、何かを振り払うかのように働き続けようとしている彼の姿を見て、問い詰めてやろうと思っていたケインは逆に心配になった。公爵自身も妻を失ったというのだ。傷を舐めおうという気は無かったが、鬱屈した感情を振り払うためにも勤めて明るく言った。


「久しぶりだなおっさん。酷い顔だぜ」


「君はそうでもなさそうだな」


「あんな安らかな寝顔を見せられちゃ……な」


 やりきったという顔で死んでいたのである。詰ることも、馬鹿にすることも、怒鳴ってやることもケインには出来なかった。ただ、彼に言えたのは「がんばったんだな」という一言だけだった。


 冒険者であったケインにとって、死とはそれほど遠いものではない。ロンドは冒険者ではなかったが兵士だ。兵士と死は切っても切り離せるものではない。心のどこかで、彼の理性的な部分がそれを理解させていた。ならば、悔いなく死ねたらしいことを認めてやることだけがせめてもの慰めだった。


「それで、だ。大体の話しはレイリーに聞いたが……そっちはどうだったんだ」


「北門の連中は私の命令だと騙されただけのようだ。根本的に作戦を妨害したヤンクという男は最後まで吐かなかった。罪人は後で晒し首だ。すまんがそれで怒りを納めてくれないか」


「そうかい。俺が止めを刺してやろうと思ってたんだが……そういうことならしょうがないか」


「すまんな」


「いいさ。それなら俺への依頼の話しをしよう。何をすればいい」


「ロンドが守った少女と、その仲間たちを勧誘するために君の力を貸して欲しい。私の目が曇っていなければ、彼らはこの帝国の最後の希望になる。いや、もしかしたらそれ以上なのかもしれないが、な」


「希望ねぇ……何故俺なんだよ」


 ケインからすれば、戸惑いの方が大きい。何故なら知り合いでもなんでもないのだ。交渉するにしても力になれるとは思えない。そもそも、ケインはまだロンドが守った少女がどうして帝国の希望になるのかさえ分からないのだ。


 そこで、彼は公爵から夜の戦いの更に詳しい顛末を聞いた。酒場で聞いた情報よりも精度が高いその情報の中には、ケインがまだ聞いていなかった男の話しまであった。


「銀髪の……魔法使い?」


「ああ。その男は腕に少女を抱きながら、群がる魔物の中を闊歩して行ったそうだ。その後で竜と合流し、空へと消えたと報告を受けている。本命はこの男と竜騎士だ」


「信じられねーな。どんな与太話だよ」


「私だってそう思う。特に山のように大きな黒い巨人などがその際たるものだ。しかし部下の報告が確かなら足跡が残っているのだそうだ。信じないわけにも行くまい」


「で、宰相の方は訳の分からん力を持つ奴を最悪四人は手中に納めたと」


「可能性の話しだよ。情報はまだ届いていないが、裏が取れればすぐに開戦になるだろう。こちらが襲われたという情報も直に漏れるしな。既に東側の諸侯には手紙を出している」


「へぇぇ」


 遂に来たかと思う反面、ケインは当たり前の疑問を口にする。


「魔物の方はどうするんだ」


「来ないと踏んだ。こちらが襲撃されたわけだから間があるはずだ。短期決戦で終らせることができれば問題ない。ある意味では今回の襲撃で大侵攻の憂いが消えたとも言えるな。皮肉な話しではあるが」


「勝算は?」


「君次第だよ。それが出来て七割割形有利だと想定している」


 兵力差ではまだ有利とはいえ、召喚されし英雄の有無でそれらは変わる可能性がある。一騎当千の英雄など、現実に存在されたらたまったものではないが、居ると仮定して戦いに望むべきだった。その場合は悲惨な戦いになるだろうが、其れを踏まえても最悪バノス宰相の首を取れればいい。


 東側の柱としてのレンドールが居るように、西側と中央の柱としてバノスが居る。バノスの代わりが出来る人間にレンドールは心当たりが無い。成り代わる者が出てきてもその力が高が知れているのだから、一枚岩など遠い話し。それならやりようはある。


 望むのは短期決戦での決着。だが、長期戦に入るならば東西の物資の流入を断てば良い。魔物の数が少ない東側は帝国にとっての食料庫。これを寸断すれば先に音を上げるのは相手だ。それが分かっているから、ここ一年の宰相の切り崩し工作はそういう方面に集中していたことは調べがついている。それでも魔物対策にと吸い上げてきた備蓄があるだろうが、裏で妨害し続けてきたおかげで心もとないはずだった。純粋な政争ならば遅れはとっても、戦争を絡めるならばレンドールは負ける気はない。だから、問題はそれ以外の要素。つまりは全てを台無しにする存在しないはずの英雄<ヒーロー>の有無なのだ。


「責任重大だな。だが、もう一回聞くぞ。なんで俺なんだ。ロンドの兄貴分だからって、そいつらが折れる保障なんてないだろ。召喚したのはこっちなんだからな」


「教会事件の時に君も会っているはずだ。覚えていないかね、情報源の少女のことを」


「あー、そういや公爵のお気に入りが居たっけな。あのちんまいのか」


「そう言うな。立派なレディだよ彼女は。鞭捌きも一流だ」


「心底どうでもいいが、了解だ。知らない奴よりはマシか」


「すまんな」


「いいっていいって。あんたに非情さが足りないから、そこの馬鹿メイドが念を押したってだけだろ。嫌われるのはそいつの役目。好かれるのはあんた。役割分担結構なことだ。宰相と前皇帝みたいな関係だな」


「奴と一緒にされるのは気に食わないな。訂正を要求するぞセクハランク」


 隅に控えていたレイリーが言うも、ケインは無視して尋ねる。


「それでおっさん。俺はどこに行けばいい?」


「およそ一年前から竜が住み着いたという北西の山――『シュルドレイク山』だ」












 レンドール公爵の依頼を受けたケインは、すぐさま旅に出る準備を進めた。とはいっても、ほとんどレンドールが用意したというので自前で用意するモノは余り無かった。だが、彼をして予想外のことがあった。一度宿を引き払った彼は、屋敷に戻るや否や旅支度を整えた武装メイドと遭遇したのだ。


「よし、いくぞ」


「待て、おい待てよレイリー。まさかお前まで来るつもりかよっ」


「当然だ。お前のような粗野な冒険者だけを送って何か粗相があっては本末転倒だ。こちらの本気を思い知らせるためにも私が同行するのが筋なのだ」


 その言い様に、あからさまに顔を顰めるケインだったが見送りに出てきたレンドールは取り合わない。


「君には期待しているよ。色々とね」


「おっさん、期待するのは仕事の完遂だけにしろってんだ」


 何をどう期待しているのかは想像さえしたくなかったが、ケインはもう諦めた。一応は自分でも用意された荷物を点検し、装備に問題がないことを確かめると馬に乗り込み出発した。


 北門を抜ければ、すぐに兵士や冒険者たちが一心不乱に魔物の死体処理をしている様が目に入ってくる。放っておくと疫病の原因にもなりかねない。使えそうな部分は素材として流用するとして、残りは黒い巨人の足跡に投げ捨て、後で燃やすのだ。また、人足を集めるために冒険者ギルドにも依頼が舞い込んでいたし、一般人も日雇いで使うように労働者を募っていた。戦いの後の戦後処理。手を抜く訳にもいかない。


「やっぱ、信じられねぇ。これ全部その連中がやったなんてな」


 併走するレイリーも実際には見ていなかったのだろう。ケインの目からみても驚いているように見えた。けれど鋭く細められた目はともかく、口元には隠しきれない笑みがある。いや、隠すつもりもないのだろう。


「私はこれができる魔法使いなど一人しか知らない。俄然期待したくなるぞ」


「大昔の賢人でも現れたってのか」


「いや、リングルベルの方だ」


「……ああ、あの噂の永久名誉顧問か」


「でなければ、魔法淑女隊だな。しかし、アレは軍としての評価だ。個人で魔物を圧倒した魔法使いはまだシュルト・レイセン・ハウダーしかいないはずだ」


「勇者やら、聖女やら、ほんと噂だけなら凄まじいんだがねぇ。確かに魔法使いなら顧問ぐらいか」


 召喚されし英雄たちの荒唐無稽な噂話。大陸を賑わすそれらは、その目で確かめない限りは所詮はケインにとって妄言に過ぎない。


 英雄だから召喚されるのか、召喚されて英雄に祭り上げられただけの偶像なのか。ただの噂にしてはそれらは余りにも常人からかけ離れたものばかり。信じるよりも先に失笑したくなってくる。正直に言えばケインは馬鹿げているとさえ思う。だが、その馬鹿げた相手を探し出さなければならない。しかもこちらは実在するらしい英雄だ。


 酒の入った頭のせいで、レンドール公爵に騙されたのではないかとさえ考えてしまう。けれどそうではないのだ。その証拠は彼に併走する武装メイドである。


 しがない冒険者でしかないケインにとっては、お高貴な方々の行動に一々ケチをつけるつもりこそないが、懐疑的なのは当然だった。ただ、そうなるとあの大量にある魔物の死体に説明が付かない。正気を保つために否定したいが、それがそう簡単にできない以上は会って確かめるしかない。


 結局、ケインにできることは仕事を完遂する過程において確かめることだけ。シュルドレイク山には依頼で行ったこともあるし、レンドール公爵は彼にとって借りのある貴族にして、どこか甘っちょろいおっさんだ。あまり偉そうにしないところが彼は気に入っている。よく知りもしない中央の宰相などと比べれば組するに値した。


 戦争になれば、なんとなくケインは公爵たちの居る東側に着いただろう。そうと思えるのはやはり、公爵の親しみやすさだろうか。単純な人柄と、対抗馬の宰相が積み重ねてきた行動の差異が東側に住む者たちの腹を決める。結局はただそれだけのことなのだ。どれだけの悪事を積み重ね、不正を横行させ、治安を悪化させたか。それらはダイレクトに生活に影響してくるのが下々だ。結果として大多数の庶民にとっては宰相は嫌われていた。それらは彼のあからさまな工作の結果である。だが、庶民に嫌われてはいてもそれを支配する階級での人気は半々だ。それは当然だったのだろう。そうなるように立ち回っているのだから。


 手足をどうにかするよりも、手っ取り早く頭を抑える。支配階級らしいやり口であるが、ケインには煩わしいだけでしかない。どの視点から考えても組するのは論外だった。この先にあるだろう不可避の一戦。それが帝国にとっての転換期になるのは間違いない。そのキーマンがこれから探しに行く英雄。なんだか場違いなほどの大役のせいで、妙に肩が凝ってくる。


(レイリーが入れ込んで居るってのが不気味だが、な。まぁいいさ。精々踊らされないように構えとこう。こいつはおっさんとは違うからな)


 握った手綱をしっかりと握り締め、ケインは馬を駆った。











 二人の旅は順調だった。元々東側は魔物が少ない。それに加えて、魔物の大侵攻のせいで周囲の魔物たちが軒並み消えてしまっている。無論、だからといって警戒を怠るような間抜けではない。ケインは適度に休憩を居れて無理せずに進んだ。


 その度にレイリーのお小言が飛ぶも、「だったら先に行け」とだけ返してだんまりを決め込む。彼にはなんとなく毒づく理由が分かっていた。それは男嫌いなだけではないのだ。


 レイリーは手段を選ばない。だから合理的と言えば良いのか、余裕を持ち過ぎることを嫌う。逆に、ケインは効率を重視しながらもその根底にある生き残ってなんぼだという冒険者としての当たり前の処世術を最優先にする。目的の達成効率を重視し、後はどれだけ時間とコストを下げられるかだけを追求するレイリーとは些か方向性が違う。それはまるで、下っ端と管理職のような視点の違いが生み出す価値観の差だろうか。無論、それはレイリーもわかっている。だから嫌味を言っても一人だけで進むということはしない。


 結局のところ、冒険者としてのケインの腕は認めているということなのだ。特に山や森は見渡しの良い平地とは違う。どこから魔物や危険な動物が襲ってくるかも分からない以上、余裕は必要である。往復するだけなら十日も掛からないが、探索する必要もある。行きに必要以上の無理はできないというだけの話し。


「しっかし、参ったな」


 シュルドレイク山にたどり着いたまでは良かった。だが、ケインが捜索のために期待していた村では竜の住処について知っている者はいなかった。


「魔物の居るような山だぞ。しかも深く入らなくても獲物が居るような自然豊かな地だ。好き好んで危険な竜の巣を探すものか」


「だとしてもだ。せめて飛んでいく方角で絞れると思うだろ」 


 幸い、魔物が現れる前までは奥にも人々の村があった。そのために使われていた道が今でも辛うじて残っていることだけが救いだ。とにかく山を目指して二人は進む。そして、その日の夕方。彼らは天空を舞う緑竜を見た。


「おい、想定した奴よりも倍はでかいぞ」


 大山脈で出てくるといえば、ワイバーンが定番だった。偶に亜種が出てくるが、その時は軍が死ぬ気になって攻撃するしかなかった。大きいというのはただそれだけで脅威なのだ。ケインの額に、当たり前のような冷や汗が伝う。


 竜殺しの称号を求める命知らずは居るものの、ケインはそこまでロマンを追い求めたことはない。当然、ああいうのを相手に戦うのは論外だった。確かに一攫千金ではあるだろう。名声と名誉も手に入る。だが、その代価が己の命では釣り合わない。


 竜は二人には気づいていないようでそのまま森の中へと降りていく。途中、その巨体に脅威を感じた鳥たちが一斉に飛び立っていくのが見えた。


「幸先が良いな。行くぞ、声を掛けて、言葉を返してくれれば奴らの仲間だ」


「……違ってたら?」


「わき目も振らずに逃げるしかない」


 何でもない風にメイドが言うが、正気の沙汰ではない。馬に乗っているとはいえ相手は空を飛ぶのだ。とはいえそれ以外に捜索のヒントはない。竜を目印にするしか手がないのだ。ケインの心情には反するが、やるしかない。


「精々竜違いでないことを祈ってるよ。食われたら化けて出てやるぜ」


「そうして幽霊になって、私を終始視姦するつもりか。さすがAランク」


「あのな、お前はいつまでそのネタを引っ張るんだよ。一応俺は命の恩人だろうが」


「だから全滅対象から外してやっている。辛うじて、だがな」


「辛うじてかよ」


 念を押す意味があるのかケインにも分からないが、すぐさま竜の降下方向へと向かうメイドを追う。一瞬、このまま引き返してやろうかと青年は思ったが、それは冗談にして後に続いた。だが、結局その日に竜と接触することはできなかった。










「ちっ、行動範囲が広すぎる」


「そりゃ相手は飛んでるからな」


 シュルドレイク山の最奥の廃村を拠点に捜索して三日。二人は未だに竜とコンタクトを取ることができなかった。初めはどうにかなると楽観していたレイリーはもとより、ケインもまた肩を竦めるしかなかった。そもそも狩り場が山と森全ての相手だ。廃村の櫓から行動を観察していたが、決まった食事場所というのはなさそうだった。


 また、一日に一回しか狩りに出ない。決まって発見されるのは夕方で、極めつけは森に下りた後に姿が見えないことだろう。帰るときに飛び立つ瞬間さえ見つけられないこともある。なのに、また翌日には山から飛来する。中でも一番頭を抱えたのは空の上でいきなり消えることである。村人がよく分からないと言うわけである。今日もまた森に降りたが、空に上がってくる気配がない。レイリーはそのまま櫓の上で監視を続ける。その下では、ケインが夕食の準備をしていた。


「まったく、久しぶりに不条理を感じたぞ。消えたり消えなかったり、降りたまま空に上がらなかったり、一体なんなんだあの竜は」


「愚痴るなって。これでも成果が無いわけじゃないだろ」


「当たり前だ。足止めされて収穫成しでは目も当てられん」


 なんとか飛んでくる場所に辺りをつけることができた。追いつくことができない竜を追うよりも、動かない巣を探す方が確実である。方針を変え、二人は明日からはそちらの方角へと移動することに決めた。そのためにも今日は森の中で狩った鹿肉で英気を養うつもりだった。


 調理担当はケインだ。ナイフで捌き、肉を取り分けると死骸を魔法で焼き払う。その後に、鉄串を刺して焼く。味付けは用意してきた塩や胡椒を振るだけの簡素なものだが、食べ飽きた干し肉よりはマシである。ついでに森で集めた山菜も廃屋に放置されていたフライパンで炒める。


 辺りに広がる肉の焼ける匂い。即席の石で作ったかまどだが、十分に効力を発揮している。青年はその様に満足しながら料理を続ける。


「ケイン!」


「なんだ。ようやく竜が飛び上がったか」


「そうだ。心なしかこっちに向かってくるように見えるぞ」


「なら肉の焼ける匂いに釣られて来てたりしてな」


「お前もそう思うか。よし、すぐに逃げる準備をしろ」


「へいへい」


 気の無い返事で返しながら、フライパンをそのままに調理を続ける。そうして、焼きたての串を一本取り出すとケインは齧る。一応は周囲に気を配ってはいるが、それだけだ。そもそも、匂いに釣られるのであればここに来る前の村が襲われていても可笑しくない。だから来るわけが無いと考えていた。その可愛らしい鳴き声を聞くまでは。


「がおがおおぉぉん!」


「――は?」


 ケインは絶句した。遠方から、なんとも気が抜けるような咆哮が聞こえてきたのである。同時に、少しずつバッサバッサと翼をはためかす音まで聞こえてくる。次の瞬間、夕暮れの光を浴びながら緑色の鱗を持つ竜が地響きを立てて降りてきた。


(で、でけぇ……)


 見上げるケインの眼前に、逃げる間もなく降り立ったそいつは天に向かって再び吼える。


「がおぉぉぉぉ」


「いや、全然怖くねーから」


 凄んでいるつもりなのだと、なんとなく分かったので反射的にケインは突っ込みを入れてしまった。断じて足が竦んだからではない。そもそも彼が知っている竜なら獲物を前にすれば襲い掛かってくるし、魔力障壁を纏っているはずだ。なのに、眼前の竜からはそれらが無い。


 戦闘態勢に入っていない場合や奇襲する場合は障壁を張っていない事例があることはケインも知っていたが、相手は竜である。そもそも眼前の竜が奇襲するにしても、その巨体が明らかに邪魔になる。魔物の行動など誰にも分からないことではあるが、明らかに変だった。


「むっ、さすがだなAランク。逃げるでなく話しかけるとは。私は思わず、お前を餌にして逃げようかと思ったぞ」


 いつの間にか、メイドはちゃっかり馬に乗って逃げる準備を終えている。ケインはそれを見て関心すると同時に、彼女の言葉を信じなかった自分に気づいた。


(パーティーの言葉を信じないとかやべぇな。あいつのせいで気を抜いた? この俺がか。はっ、笑えねぇな)


 これで死んだら冒険者ランクが泣く。盛大にため息をつくと、ケインは右手に持っていた串を大胆にも突き出す。その間竜は動かず、ジィィッとケインを見下ろしていた。


「おい竜。お前も食うか」


「いいの!」


「……お、おう。つっても、お前の大きさなら腹の足しにもならないだろうが」


「大丈夫さ。へんしーん!」


 ピカッと一瞬だけ竜が全身を光らせる。次の瞬間、瞬きをしたケインの眼前には居たはずの竜に変わって緑の髪の子供が突っ立っていた。ケインは当然のように目を疑った。その少年はかまどに駆け寄ると、遠慮なく串焼きを頬張る。


「もぐもぐ。いやぁ、良い匂いがしたから見に来たんだけど正解だったね」


 「味薄いー」とか言うので、塩を振ってやるとその少年は嬉しそうに平らげる。なんだか毒気を抜かれたケインは、椅子代わりに使っていた石に座り込むと一緒に串焼きを頬張る。なんだか竜を相手にするというよりも、孤児院の弟分たちを相手にしているような気分だった。


「それにしても肝が据わってるね。普通の人間は大抵逃げるか襲い掛かってくるのに」


「お前、俺たちが逃げたら置いてった肉を食うつもりだっただろ」


「うん。いらないなら貰ってたよ。もったいないもんねー」


「ビビって置いてくのといらないのは違うだろ」


 少しだけ呆れながら、男共は肉を喰らう。しばらくしていると、馬に乗ったままのレイリーが恐る恐る近寄ってくる。少年がそれに気づいて目をやると、馬は反転。遠ざかって逃げだそうとする。


「HIHI-NN!!」


「こら逃げるな。どうどう、どうどう」


「んー、馬かぁ。最近全然食べてないけど、アレはアレで美味しそうだよねぇ」  


「その捕食者の目は止めろって。怖がってるだろ」


 涎をたらしそうな勢いで目を輝かせている少年を前に、ケインは言う。


「はーい。その代わり、こっちで我慢してあげるね」


「そうしとけ。で、お前は結局なんなんだ。竜でいいのか?」


「がおがおーん。僕はレブレ。でっかいトカゲじゃないよ。ただの竜だよ」


 心外だという目で言われても、青年にはどうにも確証が持てない。話すと確かに教えられてはいたが、実際にこうして会話するとなると話しは別だ。


「なぁ、お前以外に喋る竜はこの山に居るのか」


「んー、多分いないよ」


「ならお前、あそこのメイドに見覚えがあるか?」


「僕が舐めた人でしょ。僕の食べたい人ランキングに入った人だよ」

 

「ほう、魔物からすれば美味そうなんだなぁあいつ」


「こ、こらぁぁ! 落ち着け、落ち着くんだドナドナァァァ!」


 逃げようとする馬と激しくロデオしているメイドは、ついに耐え切れなくなった。背中から振り落とされ、なんとか器用に受身を取って着地。すると、ドナドナと呼ばれた馬はそのまま主を見捨てて離れていった。向かう先は、ケインが乗っていた馬のすぐ側だ。まるで仲間と一緒だと安心だとでも言うかのような有様である。


「あははは。根性無しだねあの馬」


「くそっ、危うく頭から落ちるところだった」


「おねーさーん。早くこっち来た方がいいよー」


「……げっ。レイリー、後ろだ!」


「何っ――」


 ケインが注意した途端、茂みの中からいきなりブラックウルフが躍り出る。四速歩行による疾走は、瞬く間に彼女へと距離をつめる。顎が開かれ、鋭い牙が露になる。その狙いは獲物の喉だ。一撃で戦闘不能にしようという意思の元、噛み付こうとした狼を前にして、咄嗟にメイドは地面を転がる。初撃を空ぶったブラックウルフが獲物を捕らえそこなった怒りか咆哮を上げる。


「GUOONN!」


「ちっ――」


 山林に響くその咆哮は、遠吠えだ。周囲から次々と仲間が集まってくる。元々狼は群れで狩りをするが、どうやらそれ以外の種族も従えられる個体だったようだ。ここらでは滅多に現れないアイビーフが三頭に、追加のブラックウルフが十頭程増えた。


 レイリーは狼から背を向けないように腰元のサーベルと抜いて両手に構え、少しずつ後ろに下がる。その横へ、長剣を抜いたケインが合流。魔法の詠唱に入る。二人はそのまま少しずつ森から離れ、見通しの良い広場まで後退する。


「ねぇねぇ。手伝いは必要?」


「いいのか」


「うん。美味しそうなのもいるし、お肉貰ったもんね。あ、そうだ。倒した奴は貰ってもいいよね」


「いいぜ好きなだけ食いな。こっちは鹿肉だけで十分だからなっ――」


 左手を掲げ、氷の槍<アイスジャベリン>を形成したケインがリーダー格らしい最初のブラックウルフに発射。それを合図に開戦の幕を上げた。











 氷の槍がブラックウルフの魔力障壁に喰らいつく。人ならば容易く貫通する槍先も、魔力障壁の前には砕け散って敗北した。破片が地面に虚しく落ちる。その直ぐ後に、廃村に再び狼の号令が飛ぶ。


「GUOONN!」


「AONN!」


 咆哮は命令となり、命令は一斉に魔物たちが吐き動き出す。命令の内容などケインは知らない。しかし、一斉に群がろうとする彼らを前に怯まずに次の魔法を準備する。次の魔法はファイア。森から引き離すことができれば山火事の心配もない。


「目標、先頭の奴。ファイア使うから合わせろレイリー」


「うむ」


 左手を突き出し、火炎放射のような炎を放つ。そこへ、レイリーが生活魔法の一つであり、鍛冶師たちが炉に空気を送るのにも使う『コントロールエア』の魔法をあわせる。放たれた火がより燃焼するために空気を与えられて温度を上げる。炎は大きく熱量を上げ、更にレイリーの意思の通りに広範囲に拡散。本来は個を攻撃するための魔法を、威力を落とさずに広範囲攻撃に摩り替える。


「おおー」


 レグレンシアの土着魔法でもある賢人魔法を教わっていたサキ。その隣で通訳のために一緒に聞いていたレブレは、個人攻撃用の魔法しかないと聞いていたために素直にその連携技に驚いた。


 それは、魔法で大群を相手にするために編み出された技法だ。生憎と初めから広範囲攻撃魔法を持つシュルトには関係が無かったために、伝えられていない技の一つである。


 とはいえ、その一撃で簡単に死ぬほどに魔物たちは優しくない。広がった炎に魔力障壁を削られながらも、果敢の突撃を継続する。もう、魔法を放つタイミングはない。それでも、二人は魔法を詠唱を続けながら後退する。


「後は臨機応変だ。いいなレイリー、人間相手じゃないから余裕を持って戦え」


「言われずとも分かっている!」


 互いの間合いギリギリを保ちながら、カバーできる位置のまま二人は後退。そのまま連携しつつ魔物の数を減らそうというのだろう。だが、そんな人間のセオリーなどレブレには関係ない。


「狼はあんまり美味しくなさそうだし、やっぱり狙うべきは牛さんだよね」 


 後退する二人の間をのんきにも歩き、襲い掛かってくるブラックウルフたちさえも無視して歩いた。その余りの無防備な様子に止めるべきかケインたちは迷う。だが、狼たちは迷わない。その獰猛な牙で一斉にレブレに喰らいつく。


「わははー。君たち程度が僕を食べようなんて片腹いたーい」


 両手、両足、更には首まで噛まれているというのに、少年は平然と歩み続ける。狼たちは必死に噛み付いているようだが、まるで歯が立っていない。それどころか、小さな少年の体一つ止められずに引きずられていく。思わず、見ていた二人は詠唱を止めた。


「ケイン。あんなのアリか?」


「ま、まぁ……元が竜……だからな。犬に噛まれた程度なんだろ」


 そういう問題なのか、言っているケインにも自信はない。だが元々の大きさを考え、更には竜の鱗や皮の強度を考えれば納得できないでもなかった。それは腕力に関しても同じだ。


「BUMOOO!」


 そこへ、チャンスと見たのか容赦なく一匹のアイビーフが突撃していく。牛と違って獰猛で、気性の荒いその魔物は、鈍重な質量を持っている。それには鎧と盾で武装した兵士でさえ吹き飛ばすほどの威力がある。


「はーやく来い来い今日の肉!」


「やっぱあいつ竜だわ。食う気満々じゃねーか」


「これが肉食系男子という奴か」


 心配するよりも先に呆れた二人の眼前で、狼にまとわり付かれている少年が牛の突撃を両手で受け止める。衝撃を受け止めた足が、地面にめり込む。レブレの体は当たり前のよにそれ以上の後退を許さない。ガッシリと両手で頭を掴むと、そのまま持ち上げてブリッジを敢行。ほとんどバックドロップの形でアイビーフの体を背後の地面へと叩きつけた。


「「ぶふっ――」」


 アイビーフとレブレの間に挟まれて圧死したウルフが力なく地面に落ちる。だが、きっとそんなことは些細なことに違いない。二人の眼前で宙を舞った巨体は、頭から垂直に地面にめり込んでいる。もはやピクリとも動かない。


「よーし、まず一頭!」


 ブリッジしていた体を起こし、レブレは次のアイビーフへと向かう。今度は二頭同時に突っ込んできたが、やはりこれも気にしない。そのまま片手で一頭ずつ受け止め、そして困った顔で二人に振り返った。


「ねぇねぇ、やっぱり三人で分けた方がいい? この牛はね、結構美味しいんだよ。似ても焼いても生でもイケるよー」


「いや、生はねーって」


「そう? じゃ、遠慮なく潰すね。『発雷』!」


 瞬間、夕方の空から、いきなり落雷がレブレに向かって降り注ぐ。稲光は当然のように少年に喰らいついていた狼と牛にも直撃。魔力障壁を貫通して魔物たちの命を狩る。耳を劈く雷鳴と、目を焼く雷光。思わず左手で目を庇ったケインは、その結果を見て自分がどうしてここに来たのかを理解した。


(おっさんよぉ。認めたくないが、こいつはマジで噂通りの連中みたいだぜ)


 その証拠に魔物は雷に耐え切れずに全滅している。その圧倒的な戦闘能力は確かにレンドールが希望と呼ぶに相応しいものかもしれない。この竜に加えて竜騎士、少女、魔法使いの三人が最低でも居ると推察されているのだ。ベテラン冒険者は思わず天を仰いだ。


「そりゃこんな出鱈目な奴が相手に居たら勝てんわな」


 その懸念を払拭するために味方にする。分かりやすい理由だが、しかしケインは乾いた笑みを浮かべるしかなかった。その役目が偶然にも自分に与えられているという事実のせいで。















 夕食前に転移で帰ってきたレブレは、二人と二頭の客を連れてリリムの家にやってきた。その急な来客に、家主であるミニ女王様はげんなりしていた。とりあえず用意していた食事を済ませ、家の外のテーブルで話し会うことにする。


「こいつがレンドール公爵からの手紙だ。まずは読んでくれ」


 ケインのことは薄っすらと覚えていたリリムは、何故か背後に突っ立っている胡散臭いメイドを気にしながら封を開けて中を見る。


「なるほど。私たちに助けてくれってことね」


「単純に言えばそうなる。相手方に召喚されし英雄が控えているなら、こっちも対抗するための戦力が欲しい。どうだ、助けちゃもらえないか」


「そう言われてもねぇ……」


 リリムはチラリと横に座っているシュルトを盗み見る。そこにあるのは相変わらず何を考えているのかよく分からないポーカーフェイスではない。終始彼は微笑を浮かべるだけで、何も発言しない。リリムには雰囲気でなんとなく機嫌が悪そうに見える。いや、事実そうなのだろう。


 続けてサキに視線を送る。こちらは初めから興味が無さそうな顔でいる。とりあえず話しを聞いているというだけだろう。そもそも彼女は空元の国の人間であり、帝国のために戦う理由が無い。


 今度は食いしん坊子竜を見る。こっちは何故か興味があるのか、リリムが読み終わった手紙を手にとって読んでいる。だが、すぐに腑に落ちない顔をした。


「ねぇねぇ、これ報酬が何にも書いてないよー」


 冒険者なら依頼には報酬の話しがつきものである。生憎と冒険者と呼べるのはシュルトしか居ないわけだが、それでも仕事を頼み込む以上は何らかの誠意があってしかるべきだろう。


「そちらは公爵様に直接交渉して欲しい。大抵の望みを叶える用意があの方にはあるから、敢えて書いていないのだ」


「ふーん。なんでもいいのー?」


「うむ」


「わーい。じゃあお姉さんでもいいんだね」


 無邪気にレブレが尋ねると、ケインとリリムが咳き込んだ。二人とも揃ってどういう意味だと問う。


「だって、お姉さん美味しそうだもん。じゅるり――」


「レブレ、涎出てる」


「おっと、僕としたことがお行儀悪いね」


 サキの言葉に、服の袖でゴシゴシと拭う。


「行儀の問題じゃないっての。こんなの食べたら絶対にお腹壊すわよ」


「こんなのとはなんだこんなのとは。一応答えておくが、報酬として私が出るかは成果次第だ。まぁ、私はリリムになら食べられてもいいがな。ハァ、ハァ――」


「ああもう! 耳元で荒い息を吹きかけるなっての。それと、あんたは私の半径一メートル以内に立つの禁止! このド変態め!」


 変態は流血プレイ好きの男だけで十分なのである。リリムはうんざりした目をケインに向ける。だが、ケインは肩を竦めるだけだ。その間にメイドは何故か今度はサキの後ろに回った。どうやら今度はサキを狙っているようである。名前を聞き出そうと暗躍している。それに呆れながら、リリムはサキの手が腰元の短剣に伸びているのをしっかりと見つけた。それはケインも同じだった。顔を引きつらせながら、抜かれる前に注意する。


「おいレイリー。交渉の邪魔をするんならどっかいけ」


「何を言う。私はくんずほぐれつ彼女たちと友誼を交わそうというだけだぞ。お前がやったらセクハラだが、私ならスキンシップだ」


「それ、絶対にマイナスよ」


「奥ゆかしいのだな」

 

 そういう問題ではないが、話しをぶち壊す意図はないのだろう。迷惑そうなサキから離れ、今度はケインの隣に立つと対面のリリムに目をやる。そして今度は業とらしくシュルトに視線を向けた。


「シュルト・レイセン・ハウダー殿は何か望みはないのか? 既にリングルベル王国でそれ相応の富と名声を得ただろうが、それに劣らぬもの用意することを約束するぞ」


 それを聞いてシュルトの眉が一瞬ピクリと動く。ただし、それは彼が報酬に目が眩んだからではないだろう。サキが額に手を当てて天を仰ぎ、レブレとリリムも「げっ」と思わず呟いた。


「あーあ。知らないって罪だよねぇ」


「本当にね」


 リングルベルでのことは、シュルトにとっては早く忘れたいことでしかない。また、劣らぬものというなら字面だけ追えばタダ働きになる。そんな約束をされて嬉しいわけが無い。無論、彼だとてどういう意味で言っているかは分かっているが、苦虫を噛み潰したような表情を浮かべるだけだ。


「ん? どうかしたか」


「別に変な条件じゃねーと俺も思うが……」


 レイリーとしては好条件のつもりだったのだろう。ケインと二人で当たり前のように困惑する。実際には安月給だけで肝心の報酬が皆無だったという結果を知れば、二人共に呆れるに違いない。シュルトは業とらしく咳払いをすると、空気を変えるためにリリムに問うた。


「君はどうしたい」


「私?」


「そうだ」


「えーと……正直興味はないんだけどね。この前ので色々昔の借りはチャラっていうのが私の正直な気持ちだし」


 召喚されたせいで酷い目にあったばかりだ。これ以上の厄介ごとは彼女だって御免である。


「つまり公爵を見殺しにするわけだな」


「ちょっとメイド、人聞きの悪いこと言わないでよね」


「私は事実を言ったまでだ。実際問題としてだが、英雄抜きで戦えるなら負けることはない。そういう風に調整はできているからな」


「やけに強気じゃない」


「兵数では上回っているからな」


「質はどうなのよ。東側は魔物が少ないでしょ。それって、鍛えられてないってことなんじゃないの」


 西側は大山脈の魔物の脅威のせいで実戦経験には事欠かない。兵の錬度という意味では侮れないと少女は思うのだ。決して宰相に勝って貰いたいと思っているわけではないが、その事実は見過ごせない。


「それは違うぜ嬢ちゃん。確かに西側は実戦経験は多いのは事実だ。だが、東側は出兵命令で兵力を取られてきた。その度に兵を入れ替えるようにして送り、実戦経験を積ませているんだよ。質にそれほど差があるわけじゃねぇ」


「それに魔物との戦いと人同士の戦いは根本的に違う。魔力障壁が無い分、人間は殺しやすいのだ。これなら数が多い我ら公爵側が当たり前のように有利になる」


「野戦では、な」


 シュルトが口を挟む。


「少々の差なら策でどうにかできる。だが相手が防衛側なら兵力はその三倍は欲しい。どうせ公爵側は短期決戦がお望みだろうが、宰相側がそれに応じるかな? それにそこまで兵数の差があるとは思えん。どちらにせよ戦働きをさせるのだろう」


「勿論だ。こちらの犠牲を減らせるなら減らさせていただく。そのために報酬を多くする用意をしているのだから」


「互いの戦力は」


「大よそだが、今は西が十万。東は十三万にはなるかな」


「話しにならん」


 このレベルであれば野戦だろうと城攻めだろうと戦い方次第だ。要するに、どちらであっても手を貸してもらいたいのが本音であるということだ。召喚された者同士にメインでぶつけたいというのは本心だろうが、それ以外も当たり前のように働きを期待している。


 向こうからすれば被害を最小限に抑えるために当然かもしれないが、シュルトからすれば論外だ。そもそもにおいて彼にとってはリリムを表に晒そうというのがまず気にいらない。これは有利だろうと不利だろうと同じことである。


 リリムは英雄として名を上げてはいけない。一度でも組みしたら最後、その後もグリーズ帝国に住む限り当たり前のように助力を乞われ続けるだろう。決してこれっきりでは終らない。そんな未来が見えるようで、シュルトにとってはあらゆる意味で論外だった。また、彼自身が出るのもよくはない。彼が世に出ればリングルベルが絶対に動く。それは彼の望むところではない。シュルトの答えは初めから決まっている。だが――、


「それだけ不利ってこと?」


 リリムが眉根を寄せて尋ねる。心配そうな表情だ。それが余計にシュルトを苛立たせるとも知らずに。


「……イレギュラー戦力を除けば、戦う前の戦いにおいてレンドール公爵側が勝っているという。だが、この程度なら結局は将兵次第だ。単純に公爵が数で有利だから、確かにまともに平地でぶつかりあえば無能が指揮しない限りなんとかなるだろう。城攻めは論外だがな」


「いや、こちらとしては城攻めにしたい」


「……なんだと?」


 攻城戦は守る側が優勢だ。何せ防衛拠点を利用して戦うことができる。ただし、守るだけでは包囲され兵糧攻めにされる可能性があるから援軍を用意する必要がある。中央の宰相と公爵の争いではあるが、この戦いはほとんど東西を巻き込んでの戦いだ。加えて西側は山脈の魔物への防備も必要であるからそう簡単には援軍を出せない。だが、それは宰相側も考えているはずだ。となれば、東の貴族を裏切らせ混乱に乗じて攻めるか、或いは外国に援助を求めるか。当たり前だが取りうるべき手段は無数にある。


 防衛だけに徹するならば普通は時間を稼ぐことはそう不可能ではない。そもそも普通に考えれば城を短時間で落とすのは難しい。魔物のために主要都市には当たり前のように外壁を構えており、中心の帝都城ともなれば更に堀と城門で守られている。ましてや会戦の噂は一年前からあった。宰相側にも当然、勝利のための準備をしていると考えるのが順当だ。当事者ではないシュルトではあったが、結果的に城攻めになるのではなく最初から城攻めを望む理由が分からない。


「ここだけの話しだが、結局のところバノスを討つことがこの戦いの命運を決めるのだよ。ならば城の隠し通路を使って奴を暗殺してしまえばいい。レンドール公爵は王家に伝わっている通路を知っているから、当然そちらの手はずも整えている」


「軍で陽動しておいて、手薄な城を奇襲か。だが、若い皇帝をそれで助け出せるかな。どうせ戦の大義名分はそれだろう」


「いや、アレはどうでもいい」


 戦には大義名分が必要だ。レンドール公爵が最もらしく世に大儀を打ち立てるのであれば、それは皇帝を傀儡にしている宰相へのものになるだろう。その後で、結局若い皇帝をレンドールの傀儡にするか、或いはその皇帝に命じて自分が継承する。そういう筋書きだろうと思っていたシュルトは、少しばかり困惑の表情を浮かべる。


「そもそも、若い皇帝などもはやこの世のどこにもいないのだよ」


「なに?」


「アレはただの影武者なのさ。本物は当の昔に死んでいる」


「入れ替わったのか? しかし――」


 その時、シュルトは少し思い出した。レイデンであの商人が言っていたことを。


――公爵は皇帝陛下の父親の弟に当たる入り婿だ。当然、本来なら皇帝とも仲が良いはずなんだが、今じゃあどんどん悪くなってる。


 当時のシュルトは単純に甘やかす宰相とは違い、公爵が皇帝に苦言を呈するか何かして煙たがられたのだろうと考えていたが、そうではなく初めから違っていたのかもしれない。公爵には影武者だと分かっていたなら、単純に嫌うのは当たり前だ。しかしここで疑問が残る。何故、それを他の貴族が咎めないのか、である。


 皇位継承権というのは基本的には決められた序列通りに推移するはずだ。指名するはずの皇帝がいないのだから、自然と次の序列の者が引き継ぐか選定される。なのに、そういう話しが在ったという噂は聞いたことが無い。まるでそれが当たり前のように替え玉がそのまま受け入れられている。これは異常だ。シュルトにとっては不思議でならない。その答えを、メイドは淡々と口にする。


「前皇帝陛下は息子だけを城から遠ざけ、替え玉を使っていた」


「何故そんな手間のかかることを」


「宰相の野望ぐらいは分かっていたのだろう。当時から彼はそれを隠し切れて居なかった。だから余計なことをされないようにレイデンに匿っていた」


「レイデンに?」


「そう、あの公爵家を監視するために中央の権力が行き届いた街にだ。レンドール公爵はそれを知っていたし、頼まれていたからよく教育のために出入りしていた。だから彼は本物の顔と偽者の区別ができた。だが、バノス宰相はそれを知らなかった。知らずに、彼と唯一生き残って助かった今の皇帝を会わせた。それからだよ。二人の対立が本格化したのは」


 レイデンに居る本物と会うために、皇子以外の家族で視察という名目でレイデンに行っていることを突き止めたバノス宰相は、その際にレイデンの屋敷に賊を放った。本来なら本物の次期皇帝陛下の身柄が必要だったが、皮肉にも本物だと思われている影武者が居る。結果として本物は必要ない。そのまま、舞台の上に上がる前に消してそれでお仕舞い。入れ替わりがここに成立した。


「影武者はいつか己が必要でなくなることが分かっていた。だが、皇帝の息子として何不自由ない生活を送る中でその生活を捨てたくはなくなったのだろう。バノスと手を組んだ。もしかしたらあいつは脅迫されているだけなのかもしれん。だが、バノスに組するならそこで終わりだ。公爵としては守る必要は無い。だから替え玉など気にする必要はないのだよ」


「では、大儀名分は最初から『皇族殺し』か」


「そういうことだ。宣戦布告と同時に公表する手はずになっている。これで何も知らない西側の貴族や兵士どものの士気も下がり、逆に東の貴族の士気は上がる。上手く行けば、兵力差が更に広がり大儀名分も立つ。ならば後は逆賊バノスを討つだけだ」


「証拠は? それを証明する物がなければ誰も信じられんぞ」


「勿論あるさ」


 自信満々に唇を吊り上げて、レイリーは言ってのける。


「ふふふ。死んだはずの前皇帝の娘レイチェル。こいつは下手人の中の一人が殺したと偽って攫った。だがそのレイチェルは偶然にもケインに助けられ生き伸びた。彼女は替え玉ではなく本物であったから、他の諸侯も顔を見れば分かる。白を切るならそれでもいいが、少なくとも公爵側はこれで押し通す。なら後は勝てばいい。なんとしてもな」


 通常ならばこれで片がついたかもしれないが、ここで懸念するべき事態が発生した。英雄の召喚だ。これだけは、レンドール側にはどうしようもなかった。だからせめてもの対策としてあやふやで不確かな召喚魔法を行い、偶然にもリリムを呼んだ。英雄の戦力比は推定で四対一。だが奇しくもこのダンジョンに居るのは四人。


 シュルトを筆頭に、呼ばれたリリム。そして竜であるレブレとそれに乗っていたサキ。この面子は、レンドール公爵にとってはイレギュラー戦力である英雄を押さえつけるための希望なのだ。


「なるほどねー。だから美味しそうなんだねおねーさんは」


「ん?」


 レブレが椅子から立ち上がり、レイリーに近づいて鼻をすんすんと鳴らす。


「やっぱりそうだ。初めはただの貴族令嬢なのかなぁって思ってたけどレイリーがそのお姫様だったんだね」


「むっ。何故分かった」


「竜はお姫様に目がないんだもん。魔法卿が処女を見分けられるように、僕は匂いで判別できるんだもんねっ」


 言うなり、レブレはレイリーの胸に飛び込む。だが、レイリーはそれをひょいっと避けた。途端、子竜がダンジョンの床へとダイブ。そのままでんぐり返しを繰り返して一同から距離を取ると、元のドラゴン姿に変身。


「魔法卿、僕はリリムの方につくからねー。後は適当でよろしくー」


 子竜はのしのしとダンジョンを歩いていくと、避けられたことなど気にせずに寝床の上で丸くなる。どうやら、もう寝るつもりのようだ。たっぷり食べて、たっぷりと寝る。実にフリーダムな子竜である。


「――だそうだリリム。良かったな、一人で公爵の所に行かなくて済みそうだぞ」


「うぇっ? 私まだ行くなんて一言も言ってないわよ」


「そうか。なら公爵を見捨てろ。私は君が行くとしても、公爵とやらのところに行くつもりは無いからな」


「ちょ、ちょっと、シュレイダー?」


 それで話しは終わりだとでもいうかのように、こちらもまた席を立つ。なにやらレブレに用があるのか、家に戻らずにそのまま子竜の方に向かっていった。


「もう、なんなのよ!」


「確かにいつもと様子が違いましたね」


 あの吸血鬼が、リリムが公爵の方に向かってもついていかないと言っているのである。元からこの世界の人間のいざこざにはほとんど関心が無い男ではあるが、リリムが頼むか処女が相手なら親切になる男である。それが、今回はそうではない。その意味が分からず、残された少女二人は揃って不審に思う。


「一人脱落か。最も期待したい男がこれか。金でも名誉でも動かんとなると……女ぐらいか? しょうがない、私が色仕掛けでもしてもみるか。死ぬほど嫌だが」


「やめとけ。いやいややられて嬉しい男なんていないっての。元から興味無さそうにしてただろ。がんばるならリリム嬢ちゃんだ。成功すれば竜の坊主がついてくるんだぜ」


「報酬は私の体らしいがな。まったく、マセた少年だ。やはり男はケダモノしかいないな」


「ケダモノっていうか、あいつは竜でしょ。あんたなんてきっと一口でペロリよ」


「であれば、私一人で満足してくれそうにないのが困るな。あいつはよく食いそうだ」


「食われるのは前提かよおい」


 ケインにとっては公爵がその条件を飲むかどうか疑問である。しかし、履行しないとなれば竜は動かないかもしれない。騙しても暴れられたらそれまでなので、これもまた頭が痛い問題だ。こうなればやはり、直接公爵と交渉してもらうしかない。


(もうおっさんに投げるしかないよな、これ)


 普通の冒険者の仕事はギルドの依頼をこなすことと魔物狩りだ。二度と交渉の依頼など受けないことを彼は固く心に誓った。










「どういうつもりだ」


「何がだい」


「恍けるな。公爵側にリリムが組みするなど百害あって一利無しだ。なのになぜ、その選択が選べるようにした」


「んー、魔法卿と僕とではやっぱり同じものを見ているようで見ていないようだね」


 寝そべったまま、子竜は大あくびをかます。シュルトが言いたいことがレブレに分からない訳はない。心配しているのは結局は二人とも同じである。これは単純に対処方法が違うというだけのことに過ぎない。


「お前は知っているはずだぞ。ラークにおいては、聖女が死んだ原因で一番多いのは人間に因るものだということを」


 吸血鬼や魔王、ドラゴンなどといった外部の敵ではなく、人類種による被害が最も大きいのは有名な話である。聖人や聖女は人類でありながら人類の枠組みを越えた力を持っているある種の突然変異であり、圧倒的少数勢力の一人でしかない。その癖、妬まれ利用される程の力と環境だけは簡単に揃う不運な存在だ。まるでそれが力の代償とでも揶揄される程に。


 巨大な力には義務が生じるなどとも言うが、なんてことはない。結局は周りの都合で利用され排除されるだけの話し。そもそもにおいて、力を行使する義務などどこの誰が課したわけでもないし、課せられるわけもない。全てはその本人の選択に因るはずなのに、自身以外によってそれは安易に捻じ曲げられる。例えばそれは、植え付けらた使命感だったり、情だったりとそれぞれに理由は異なるが、その末路は大抵悲惨である。


 それは力が強大であるが故に、狭い範囲で完結できないからである。一定のコミュニティの範囲内だけで終るのではなく、必ずその存在が拡散する。味方だけではなく敵にもだ。力が強ければ強いほどに広がって、やがては身動きできないほどに立場が雁字搦めにされていく。一時的な勝利など無意味だ。敵は憎悪を記憶する。記憶して報復の対象にする。皆殺しにしても今度はその力に対する恐怖が疑心暗鬼を産む。存在が露出したが最後、後はこの無限に続く排除連鎖に囚われるだけ。そうなればもう世捨て人にでもなるしかない。


「必ず弱い人間があの子に牙を剥く。何故なら、自分より強い者を排除することでしか生存できないと、奴らは頑なに信じているからだ。例え一時的に和解したとしても、それは表面的なものだ。必ずそれは決壊して破綻する。この悪癖を越えられる強き人間など本当に僅かにしかいない。これはどこの世界でも同じことだ」


「だからリリムを公には露出させたくない。表に出そうとする公爵も気にいらない。いやぁ、分かり安い行動理由だねぇ魔法卿」


「あの子を籠の中の鳥にするつもりはない。だが連中は違う。更に大きな籠を用意するだけだ。しかもそれを見世物小屋に置くつもりなのだ。許せるものか」


「言いえて妙だね。有名になるって、そういうことだもんね」


「あの子は私の花嫁だ。私だけの花嫁だ。ならば私が全力で守らなくてどうする。あの子は優しいから、ちょっと困っている知り合いを助ける程度のつもりでいくだろうよ。ロンドとかいう奴の兄が出てきたのも、きっと同情でも引くためだ。だが、その選択は最悪なのだ。あの子の優しい善意が、きっと度し難い程に増幅され悪意となって帰ってくる。ならばそれは絶対に選択させてはならない」


「そうは言うけどさ、もう遅いじゃない。実際もう召喚されて力を見せちゃったんだ。それはきっと宰相側にも伝わってるはずだよ。だから僕は魔法卿の心配はもう手遅れだと思うんだよね」


 あの日、リリムは召喚され力を観衆に見せ付けた。生き残るために、彼女自身の選んだ最善のために。その結果は既に眼前に現れている。レイリーとケインだ。レブレが言うまでもなく、その力を当てにした公爵によって既にリリムを取り巻く環境は変わってしまっている。シュルトにはまるで、それが見えもしない鎖で少女の運命を奈落の底へと引きずり込もうとする悪魔の所業にしか見えなかった。


 自らが助かるためになら、他の誰かを犠牲にすることが許される。カルネアデスの板とはそういうものだ。だが、そんな極限の状況に居なかった者をそこに引きずり込むなどという道理を通されるのは我慢ならない。シュルトにとっては、バノスもレンドールももはや同じだ。リリムを害する存在でしかない以上、どちらも等しく排除するべき対象でしかない。


「認めなよ魔法卿。もう手遅れだってさ」


「私は……お前はリリムの味方だと思っていたのがな」


「味方だよぉ。だから危なくなったら連れ去れる立場を選んだんじゃないか。僕は公爵や帝国の趨勢なんてどうでもいいから命令なんて無視できる。報酬も興味ないわけじゃないけど、知っての通り絶対に欲しいわけじゃあない。魔法卿もそうでしょ? リリムが一人で行っても最終的には危なくなったら助けるつもりだ。目と耳は秘術のせいでいつでも繋げられるんでしょ。だったらほら、近くで見守るつもりの僕と何も変わらないじゃないか」


「最悪、三対一だぞ」


「魔法卿と僕で三対二だ」


「そこに帝都城に結界を張っている奴が加わるかもしれんのだ。安易な選択だと何故思わない!」


 食料の買出しで帝都に赴いた最、帝都城に不自然に張られた結界をシュルトは確認している。それはレブレも同じであり、見立てでは西の大山脈のものと同類だとという結論で共に一致している。奇妙なことに完全に結界で内外が遮断されるのは夜だけで昼間は人が出入りしている。


 ただし、今現在帝都では住民もどこか不安がっている。噂によれば帝都城に光が降り立ち、その後で悲鳴が何度も木霊したというのだ。召喚が行われたことはもはや疑いようもなく、その時に何かがあったことは間違いない。そのせいで結界を警戒し、シュルトたちは当分の間はリリムを帝都ゼルドルバッハへと連れて行くことを控えていた。そこへ今回の話である。


 召喚されたと思わしき存在に当たりを付けられたのはレイデンの不死鳥だけだ。他の存在はまだ発見は愚か噂一つ出ていない。その未知の相手を最低三人はバノスが抑えているともなれば、シュルトとしてはラーク基準で未だに戦力として未熟なリリムを戦線に投入するリスクは避けたい。


「遅かれ早かれ戦うつもりだったじゃない。それが前倒しになるだけだ。どうせなら人間たちに露払いさせようよ。利用されっぱなし、逃げてまた振り出し。その方が論外だよね。手遅れなら手遅れで少しでも状況を有利にするべく立ち回るべきでしょ。そうして、僕たちは公爵とかいう人に借りを作って次の手を打っていく。これが最善だよ」


 理路整然と紡がれる言葉は止まらない。安全を最も重視するせいで消極的なシュルトとは違い、それはどこか積極的でさえあった。攻撃は最大の防御だとでも言わんばかりである。レブレは更に説得を続けた。


「公爵はどんな理由であれ力を欲した。でも、僕と魔法卿の力はこの世界では異端だ。パワーバランスを完全に置き去りにしているからね。それは当然だよね。そもそもこの世界にはこれだけの力が必要とされる理由なんて無かったんだから。でも、その不文律は既に犯されていて、今や大陸中で召喚魔法が行使されて世界の調和が崩れつつある」


 魔物に対抗するための希望。それが召喚された英雄の役割だ。しかしそれが本当に希望なのかどうかを誰もが知らない。何を代償にしているかさえ知らず、都合の良い未来だけを求めて行われている。半信半疑ではあっても、一抹の希望のために行使される。結局、最後に縋れるものは実在しない神ではない。実在する手段<希望>なのだ。召喚はそれを可能にする賭け事になり、存在するはずも無い者たちを無作為に招きは始めている。


「僕は思うんだよ。そろそろ存在しない異世界の力を行使して好き勝手にする連中が出てくるってね。馬鹿な奴はその力を無作為に分け与えるだろうね。それが進むときっと僕たちの世界の二の舞だ。個のスペック差を最低限の質と量で補う戦いにシフトする。そうなる未来が五年、百年、千年先にあるかもしれない。この流れは早く断ち切るべきだ。僕たちよりも強力な力を持つ者が現れたら、そこで詰む。この前の戦いで見た『だらっち』でもう分かっているでしょ。召喚者の支配力は念神クラスさえも簡単に支配できるレベルだって。だったら、召喚した英雄を利用し、人を束ね、魔物を束ねてリリムを狙われたら僕たちはひとたまりも無い。この星のどこに逃げても限界はある。ならこちらもそれ相応に備えるべきだ。この際、少々のリスクには目を瞑るしかないよ。僕たちは時間を費やせば費やすほど不利になるんだからね」


「言いたいことは分からんでもない。だがそれを許容できるほどの忍耐が私にあると思うか」


「理性は壊されても、あの子のために何が最善かを考える知能は生きてるでしょ。人間の問題は今のところ些細なことだよ。召喚者さえ排除すればある程度はどうとでもなる。それに彼らの寿命は短い。悠久の時間が、僕たちをいつか伝説や御伽噺に変えてしまうよ。なら、問題はやっぱり奴の排除だ。そのための最善手として、これは都合が良い一手になりうる」


 何せ、でかい借りになるのだ。それ相応の見返りを求められるのだから、ふんだくってやればいい。向こうにはレブレたちを止めることはできない。できるなら、初めから自分たちだけで決着をつけている。子竜はその弱みを突こうというのだ。


「……いいだろう。そこまで言うならこれ以上は言わん。だが、もしリリムに何か在ったら私は全てを滅ぼすぞ。彼女の喪失にきっと私は耐えられない。私は既にそこまで染め上げられてしまっているのだ。そのことを肝に銘じておけ」


 新調した外套を翻し、吸血鬼はレブレに背を向ける。


「大丈夫さ。あの子は死なないよ。僕が死なせないもんね」


「そう願っている。お前のためにもな――」


 二人の付き合いは短い。この一年で培った信頼も信用も何もかもが、この博打の結果次第で容易く崩壊することになる。言外に釘を刺したのは、シュルト自身が躊躇しないという意思の表れに相違ない。


(危なかったなぁ。影が不自然に動いてたよ今。返答次第では闘る気だったね魔法卿。僕を動けない程度に害しておけば、リリムは一人になる。それだとさすがに躊躇するかもしれない。乱暴だけど効果はあっただろうね。やっぱり、僕たちの中心は彼じゃなくて君だよリリム。でもそれはきっと今だけだ。君はすぐに僕たちだけの存在じゃあなくなっちゃう。これはきっと運命なのさ――)


 そのまま家の中へと消えていく吸血鬼の背中を片目だけあけて見送ったレブレは、大きく息を吐き出し、完全に目を閉じた。シュルトに展望があるように、レブレにだって当たり前のように思い描く未来がある。望むのは良き未来。そのために、そろそろ彼なりに行動するべき時期に差し掛かっている。結局はただそれだけのこと。それを踏まえた上で、啓示の緑竜は今度こそ完全に意識を手放した。


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