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幕話「英雄召喚」


――西の大山脈・結界外儀式場。


 浪々と紡がれる重苦しい声がある。

 それは意味さえも理解できない祝詞のようでありながら、その実確かな意味を持った未知の言語で紡がれていた。大陸のそれとも、空元の言語とも違うそれが満月の光に解けるように響いては消えて行く。それは、誰も知らないはずの秘中の儀であり、関係者の間では召喚魔法と呼ばれている代物であった。


 中央大陸とも呼ばれるここレムリング大陸においては、対魔物における荒唐無稽な対処方法として、または飛躍的に自らの力を高めるための切り札として目されているものである。


「ここまでは問題無し、か」


 銀剣のハイドラーは周囲に護衛として配置された冒険者たちと共にそれを眺めながら呟いた。


 身を覆う白銀の全身鎧に、腰に佩いたミスリル製の家宝の長剣。貴族が金に物を言わせた装備にしては儀礼的な要素を一切省いたその姿は、成金趣味などという感慨よりも質実剛健な印象を見る者に与えるだろう。それらは仲間には頼もしさを、敵には威圧感をもたらす象徴でもあった。


 事実、戦場でその姿を見た者たちが彼の姿に希望を抱く。卓越した剣技に指揮能力。そして、絶えず自身が先頭に立つその姿は一種のカリスマを発揮した。かつては大山脈の最前線で絶望的な撤退戦が行われた時もそうだった。それは今この瞬間も同じである。危険な山脈でも任務をこなす仲間たちの士気は、彼によって保たれていた。


「ハイドラーよぉ。このまま何もなければいいな」


 黙々と見守っていた休憩中のベテランの冒険者が話しかけてきた。彼は低い声で「ああ」とだけ頷き、すぐに視線を儀式へと戻す。


 バノス宰相の息の掛かった男が、足元に描かれた魔法陣の中心でただひたすらに呪を紡ぐ。不思議なことに、初めての儀式だというのに熟練を思わせる気配がある。異常ではあるが、それ以前に魔物が襲ってこないことこそがハイドラーにとっては真の異常だった。


 周囲に焚かれた篝火は、夜行性の種も少なくない魔物にとっては誘蛾灯にもなりかねない。だというのに襲撃がない。いいや、そればかりではない。昼間でさえも大山脈の結界、その至近距離で儀式を執り行っているというのに襲撃も何も無いのである。


 拍子抜けするほどに工程が消化されていく。冒険者たちもこの事実は不気味だった。いつも以上に気を張り詰めているのが彼には分かる。ハイドラー自身もそうだったのだ。兜に隠された相貌は引き締められ、戦場に立っているかのような凄みがあった。とはいえ、それでも期待と不安が存在してはいたが。


 この儀式を執り行う意味を思い、それを実行する栄誉に身を震わせる。武者震いのような震えが、刻一刻と彼の鍛え上げた肉体を襲う。そうして、彼は己が夢想する未来に想いを馳せた。


 帝都の眼前にある防衛線を押し上げ、魔物に蹂躙された領地へと凱旋し、奴らのテリトリーを山脈まで押し戻す。それはきっと短絡的で単純な未来図だっただろう。けれどそれが望むべき未来の姿である以上、ハイドラーは期待することをやめられなかった。


(四人の英雄と轡を並べて魔物を屠る。そして帝国に今一度隆盛の華を――)


 大山脈、古城、帝都城、レイデン。都合四つのパワースポットで同時に開始される今回の召喚魔法。成功すれば、グリーズ帝国は四人もの英雄を手に入れられる。戦いに身を置く者としては心が躍らないわけがない。


「……来る」


「ハイドラー?」


 なんとはなしに直感した事実がある。空気が変わったのを無意識の内にも理解した彼は、ミスリルソードに手を沿えた。その彼の眼前で、魔法陣に真上から荘厳な光が落ち来た。


「おいおいおい!」


 直立するかのような光の柱。夜の闇を切り裂き、昼間の如き輝きが周囲を焼く。このときばかりは、冒険者たちは皆目を凝らすように光の向こうを凝視するしかない。まるで滝のように降り注ぐ光の水。膨大な力のその向こうに、ついに人影が落ちて来た。今度こそ見守る冒険者はおろかハイドラーまでどよめきの声を上げる。


 だが、召喚された者たちを見たハイドラーはすぐに剣を抜いた。抜かざるを得なかった。


 現れたのは二人。血塗に塗れ、穴だらけの奇妙な布切れを纏った金髪の美女と、やはりこちらも返り血を浴びた白衣を身に纏った黒髪の男だ。対峙したままの二人は、一瞬周囲を睥睨した。だが、直ぐに動いた。先に動いたのは二十台前後の美女だ。


「HIGYAAA!」


 たおやかな唇から、想像もできないほどの獣染みた咆哮が上がる。その、余りにも常軌を逸した甲高い叫び声に冒険者は愚かハイドラーでさえ顔を顰めた。瞬間、美女の体が地面を蹴った。足元に刻まれた魔法陣が抉れ、土が舞い上がる。果たして、一体どれほどの脚力だったのか? 誰もが唖然とする中で対峙していた男が両手に持った引き金の付いた筒状の物体――アサルトライフルの引き金を引く。


 銃口から生じたマズルフラッシュの光を追うように、紫煙と共に甲高い銃声が鳴り響く。女の体が目にも止まらぬほどに加速。その後を銃弾がやや遅れて飛来した。流れ弾が周囲の木々に穴を開け、地面への流れ弾が土を僅かに弾けさせる。


「馬鹿野郎、さっさと逃げろ!」


 儀礼用の剣を持っていた召喚者の男が、いきなり無精髭の男に怒鳴られて我に返る。既に、女が目の前に迫っていた。再び盛大な爆音と共に地面が抉られる。不自然に舞い上がる土煙のその向こう、召喚者の男の悲鳴が木霊する。その後に、あまり聞いたこともないような肉を打つ打撃音とクチャクチャと響く咀嚼音が上がった。


「ちぃぃ、どこの誰だか知らないが逃げろてめぇら!」


 無精髭の男が土煙の向こうに発砲する。ばら撒かれた銃弾が命中したのか、再び女の咆哮が上がった。土煙が収まる。その向こう、倒れた男の首筋に噛み付いたまま女が振り返った。篝火の中、爛々と輝く瞳は背筋が凍るほどに深い青。狂気の宿ったその目は、もはや人間のそれではない。


「あの女……ひ、人を食ってやがる!?」


 首筋の肉が口で毟り取られ、腹部に右手を突っ込まれたまま男が血を噴出している。女の顔が首からの血に染まるも躊躇しない。彼女は男に喰らい続ける。血臭が山風に乗って鼻にこびりつく。それによって未知の恐怖が冒険者たちの間に広がって行く。ハイドラーだとてそうだった。


(は、話が違う! 召喚魔法とは英雄を呼び出すものではなかったのか!?)


 望んだ理想と結果のギャップが、彼らの視線に恐怖とも驚愕とも似た表情を喚起する。皆が指示を求めて視線を向けてくるその中で、やはりハイドラーも例外ではなく、剣を抜いたままの姿で驚愕を余儀なくされていた。


「さっさと失せろ! あの化け物に食われて死にてぇのか!」


 ハイドラーに背を向け、男が三度銃撃を叩き込む。着弾の衝撃によって女の体が食われた男ともどもその体を踊らせる。踊るのは着弾のワルツ。見ている冒険者たちには理解できない。銃などこの世界には存在しないのだ。しかし、明らかにオーバーキルだとは直感していた。だが、それでも無精髭の男は執拗に銃撃。弾切れになるまでそれを続けた。


「ちっ――」


 鬱陶しげにマガジンを入れ替えながら、油断無く白衣の男が予備弾倉と入れ替えて行く。その間に血臭に混じった硝煙の香りが辺りに広がって行く。一瞬の停滞。死臭をまるで香水で隠してしまうように匂いが塗り替えられたことで、ハイドラーがようやく我に返る。だが――、


「――やっぱ、この程度じゃ駄目か」


 見れば、硝煙に紛れて撃たれてボロボロになった二人の体から白煙が上がっていた。


「う、動いた!?」


 悲鳴交じりの声で冒険者の一人が言う。それからすぐにのそりと、女と召喚者の男が起き上がる。


「くたばれ、ヴァンパイア・クイーン!」


 銃撃が再開される。瞬間、女が男を盾にして背後から喰らいつく。銃声に紛れて再び奏でられる咀嚼音。白衣の男の顔が、見る見る険しくなっていく。


「おい、逃げないなら油と火種を寄越せ!」


 背後を振り返って怒鳴る。その声に、今度こそハイドラーは方針を決めた。


「ぜ、全員ファイアを詠唱!」


 腹の底から響くほどの声を返しながら、白衣の男へと近づいて行く。その間にハイドラーは人一人を火達磨にする程度の火力の魔法を用意させる。


「確認する。あの女の姿をした化け物は火に弱いんだな」


「もしくは太陽の光だ」


「太陽? ちっ、まだ夜は当分は明けないぞ。止むをえん。全員、順次放て!」


 都合八人の冒険者たちが一斉に掌を向け炎を放つ。銃撃に混じる炎の洗礼。吹き荒れる熱波が、否が応でもハイドラーに汗を噴出させる。果たして、それが熱の熱さだったのか底知れぬ恐怖が生み出したものだったのかは分からない。ただただ目を凝らし、炎に消えた夜闇の向こうを警戒する。


「……火炎放射機もなしに手から火だと? なんなんだお前ら」


 銃撃を止め、訝しみながら白衣の男がハイドラーに尋ねる。


「我々はグリーズ帝国の依頼を受けた冒険者だ。英雄を召喚する魔法を行使するためにここに居た」


「魔法? だから俺とあの化け物が地下の研究所じゃなくて屋外に居るって? はっ、笑えないジョークだな。頭が可笑しくなっちまいそうだ」


 吐き捨てながら、男は忌々しそうに炎の向こう側を睨む。問答をするよりもまず男にはやらなければならないことがあったのだ。視界の向こうを遮っていた炎はもう無かった。変わりに存在したのは、火達磨に包まれもがいている男が一人だけ。そこにはもう、居るはずの女はいない。


「どうなってやがる。あいつに逃げるなんて知能があるわけがないんだが――」


 燃える男は白煙を上げながら、しかし徐々に動きを止めていった。ようやく完全に動きを止めた頃には、あたりは完全に静まり返っている。


「――おい、この近くに人里はあるか」


「この周辺にはもうないが……」


「なら餓死するか俺たちを狙いに来るか、だな」


 大きく息を吐き、白衣の男が鼻を鳴らす。血の匂いに肉の焼けた匂いに硝煙の匂い。顔を顰めるには十分な環境の中で、ただその顔には安堵があった。


「おいハイドラー、どうするよ」


 ベテランの冒険者がどうするか尋ねてきた。仲間たちは皆ハイドラーの指示を待っていた。召喚は成功した。彼らに与えられた仕事は、後は召喚された英雄を連れ帰るだけである。しかしあの化け物のような女を放置しても良いのか皆が迷っていた。


「少し待ってくれ。まずは状況を理解したい。あの女と、そして貴方のことを教えてくれないか」


 それが、自分に言っていることだと理解していた白衣の男は仏頂面を浮かべながら肩を竦める。だが拒否しているわけではない。彼自身も困惑してはいたのだ。とにもかくにも話し合いに応じるしかなかった。


「オーケー。その代わりそっちのことも教えろよミスターアーマー。俺はタンジェント・クラシマ。しがない研究員さ――」










――中継都市レイデン・貧民街儀式場。


「いよいよか……」


 その商人の男は、ゴクリと唾を飲み込みながら儀式の様子を伺っていた。一年前、あのロリコン男の情報を売って以来落ち目だったその男にとって、国から受けたこの依頼の完遂は返り咲くためのチャンスだった。


 店は取り上げられ、今では売れそうにない不動産関係の仕事を回された。任されたのは貧民街区域の物件。スラムといえば土地代が安い反面治安が悪い。かつては大物貴族の別荘にも利用されたというその屋敷も、気を抜けば浮浪者が勝手に住み着くわ、建物は古いは庭の手入れもされていないはでとにかく売れそうになかった。


 だが、どいういうわけか国から購入したいという話しが舞い込んできた。彼は絶対にこの依頼を成功させようと交渉し、何やら極秘の案件であるらしいということを突き止めた。金の匂いを嗅ぎつけた彼は、担当官に賄賂を贈り内容を聞きだした。それがまさか召喚魔法のための土地確保のためだったとは彼もさすがに予想もしていなかった。彼自身は精々、お忍びで別荘でも買おうという貴族の道楽だと思っていたのだ。


 貴族ならば見得を張るために金の糸目はつけない。儲け話かと思えば一転して胡散臭い話しになったが、それはそれで他国に情報を売れると考えて是非見学させて欲しいと頼み込んだ。それなりに金はかかったが、担当官から兵士の振りをすることを条件に見学することを許された。


 今は、担当官と共に召喚の儀式を執り行っている男を見守っているところだ。現地の兵士も多く、レイデンで集められた兵士たちが欠伸交じりで仕事が終るのを待っていた。


(これでもし儀式が失敗に終ったら……なんてな)


 もしそうなったら、賄賂の代金が無駄になる。成功してもらわなければ困ると、内心では祈りながら商人の男は注視する。果たして、彼の祈りが通じたのか夜空の向こうから光の柱が落ちてきた。


「おおっ!」


「せ、成功ですか」


「――OOONN!」


 商人の男の耳に、あまり耳にしたことのない鳥の鳴き声のようなものが聞こえた。どうやら担当官や兵士たちにも聞こえたらしく、皆が夜空の中で鳴いただろう鳥を探していた。しかし、どこを探してもそんな鳥の姿はない。商人の男が空耳かと、首を傾げたその瞬間、儀式を行っていた召喚者が突然に発火した。


「ぎゃぁぁぁぁぁ!!」


 叫び声と同時に、男が地面を転がる。だが火は消えない。魔法で水を兵士たちがかけようと詠唱を始めた瞬間、光の向こうからそれが顔を出した。


「KYUOONN!」


 叫びと同時に、発火した召喚者に近寄った者全員が同じ末路を辿った。同時に、離れた位置で見守っていた商人の肌を、熱波が撫でた。


「な、ななななんなんだあの馬鹿でかい鳥は……」


「体中が燃えている!? それでいて生きて……まさか、魔物――」


「失敗か! ええい、始末しろ!」


 担当官が大声で呻く。護衛の兵士たちは恐怖に引きつった顔をしながらも、反射的に剣を抜いた。魔物と戦うのではなく、あくまでも兵士としての職務を不真面目にこなしてきた彼らにとっては、その巨大な怪鳥というのは恐ろしいほどの化け物だった。怪鳥がゆっくりと周囲を睥睨する。その視線が、兵たちの恐怖を煽り全身を振るわせる。そんな中、一人の男が何もしないままで居ることに耐えかねたかのような表情をしていた。


「う、うぉぉぉぉ!!」


 男は、恐怖から逃れるために叫びながら突っ込んだ。それに釣られて、他の兵士たちも数人が同時に飛び出して行く。だが、商人の男は見た。一番先に切りかかった男が羽ばたきの熱風から生じた炎の風を受けて火達磨になったのを。


「ぐ、ぐわぁぁ!?」


「け、剣は駄目だ。魔法だ! 魔法を放て!」


 火達磨になった男が地面を転がりながら同僚に消火される。全身に負った火傷が酷すぎるせいか、男は立ち上がることができずに運ばれていく。その周りでは魔法による攻撃が開始されてはいたが、魔力障壁で全てが弾かれた。ただの魔物ならそれで魔力障壁の輝きが鈍って行くが、この魔物はまったくそんな様子が見られない。商人もさすがにその様子には息を呑んだ。


「駄目だ。全然効果がない」


「障壁が桁違いだ!」


「まさか討伐指定級クラスじゃねぇだろうな!?」


 兵士たちの奮闘を嘲笑うかのように、鳥が羽ばたく。ただそれだけで熱風を孕んだ空気が周囲を焼いた。急遽儀式場として用意されたせいで、それ以外の場所はおざなりになっていた周囲の草木が発火。手入れがされていない庭に火の手が広がっていく。紅鳥が羽ばたいた際に広がった燃えるような紅い羽が、まるで火の粉のようだった。


「KYUOONN!」


 結局、人間には興味がないのかその怪鳥は夜空の彼方へと消えていく。東の空へ悠々と飛翔して行くその姿を、商人はただ見ていることしかできなかった。


「ちくしょう。これじゃあ、儲け話にさえならねぇよ」


 地面に残された大きな羽を手に取って、商人は賄賂のせいで寒くなった懐を思いため息を吐いた。そうして、酒でも飲んで寝ようと考えたとき、ふと当たり前のことに気づいて背筋を凍らせた。もし、あの空に解き放たれた化け物がどこかの街を襲い始めてしまったら、その責任は一体何処の誰が取るのだろうか、と。









――見捨てられし古城・庭園跡儀式場。


「あら、あらあらあら?」


 光の中から、ふらりと現れた女性が不思議そうな顔で首を傾げた。その際、プラチナブランドの長髪が風に揺れる。どこかおっとりとした性格なのか、状況を理解できていないにしても間延びしているように周囲の騎士には見えていた。


 歳は二十代前後だろうか。野暮ったい白の修道服に隠された肢体はグラマラスであり、助平な騎士の一部が目じりがかすかに緩ませる。だが、一つ不可解なことがあるとすればその女が布にくるまれた奇妙な槍を持っているということだろう。


 長さにして二メートルはあっただろうか。大仰な布にくるまれて先端から中程まではほとんど見れない。しかし、布のふくらみからして嫌に重量感があるようにも見える。


 シスターの女性が周囲を睥睨する。一人一人を確認するように。そうして最後に彼女は儀式を行っていた召喚者の女官を振り返る。既に召喚の光は消え、篝火と月光が光源だ。儀式用の剣を持っていたその女官は、慌てたように剣を鞘に治めると膝を折った。


「始めまして、そしてようこそグリーズ帝国へ」


「ええ、始めまして」


 槍を持つ女性がたおやかに笑う声がした。慈愛の篭ったその柔らかな声色に女官がゆっくりと顔を上げる。彼女の仕事は、召喚することだけではなかった。召喚し、事情を説明し、許しを請うと共に協力を要請するのが仕事なのだ。


「貴方、大変良くないものを憑けてございますね。あら……今はお互い同じですか。よりにもよって、まぁ、この私を? 笑えませんね。ええ、笑えませんとも――」


「えっ」


 与えられた重責を全うしようとした女官の顔が凍りつく。それはシスターが無造作に布を解き放ち、眼前にその白く光る槍を突きつけてきたからでもあったし、その槍に付属している白骨の余りの異形さ故にでもあった。


 まるで槍を抱きしめ、絡みつくような造詣だ。大きさから言えば幼い子供の骨だろう。しかし、その骨はどこもかしこも鋭く刃のように削られており、全身が刃のようになっている。どういう意図でこんな悪趣味な装飾を施しているのかが、女官には分からない。製作者はもとより、所持者であるこの目の前の修道女の感性を疑ってしまう程に。


「た、助け――」


 騎士たちが止めに入ろうとなにやら叫んでいる。だが、そこで彼女の意識は闇に落ちた。


「Oまe、オMaエも――」


 女官が片言で何かを紡ぐよりも先に、白い光が周囲を染めた。それを恐れるかのように、彼女の持つ儀礼用の剣が跳ね上がる。鞘から一瞬で抜き放たれたそれが目も眩むような速度で光る槍を跳ね除ける。槍を持つ修道女は、その様にたおやかな笑みを消して後ろに飛んだ。修道女は魔法陣の上から脱出。騎士たちの囲みさえも越えて着地した。尋常ではない脚力だ。騎士たちはそれを見て、言葉さえ出ない。


「オマエも同ジカ、アノ女ノ、同ルイカァァァァ!」


 女官が騎士たちの間を駆け抜ける。騎士の誰もがそれを止められなかった。展開されている魔力障壁のせいだ。女官は剣を突き出す。修道女はそれを避けようとして、不意に動きを止めさせられた。


「やはりこれは『オブゼッション』? ならば――」


 呟きの直ぐ後に、槍の輝きが一際大きく闇夜に広がる。それと同時に、光に照らされる二人の体から黒い靄のよう何かが放出され、光の中へと解け消えたのを騎士たちは見た。途端に女官が体勢を崩し倒れうようにしてシスターに突っ込んだ。彼女は豊満なバストで女官の体を受け止めると気を失った女官をゆっくりと地面に横たえ、その額に手を当て言葉を紡ぐ。


「$%&%&……AA……ああ……なるほど……」


 騎士たちがゆっくりと近づいて行く。剣を構えたままなのは、相変わらずシスターが白い光を纏い、槍を握っているからだろう。結局、リーダー格の男が声を掛けることにする。


「まずは話しがしたいのだが、どうだろう。こちらには敵意はない」


「であれば、先に剣を仕舞って見せるのが道理ではないでしょうか。騎士ピエール」


「な、何故俺の名前を……」


 いきなり名前で呼ばれたせいで、ピエールが目を剥く。恐怖は当たり前のようにある。得体の知れない相手への恐怖だ。彼には彼女にあった記憶など無いのだ。


「彼女から必要そうな知識を頂きましたので」


「頂いた? そちらの世界の魔法……か」


「そういうことです」


 シスターの女性が、女官から離れる。ピエールは剣を鞘に収めると女官へと近づき、その無事を確かめて安堵する。だが、その眼前に突きつけられる槍があった。騎士たちが色めき立つが、それを彼は手を上げて制する。


「……どういうことだ」


「それはこちらの台詞です。単刀直入に言いますが、私を今すぐ元の世界へと返しなさい」


「断れば?」


「代償を支払っていただきます」


 単純明快な望みを前に、騎士はただ首を横に振るう。


「知識を得たというならば答えは分かるだろう」


「分かった上で聞いていると理解して頂きたい。私は、今、とてもとても怒っているのですよ。さぁ、その偉そうな口で私の希望を粉砕し、憎悪と殺意を抱かせなさい。さすれば、私は私の信仰する神に誓って貴方たちから相応のモノを簒奪しましょう」


 返答は、槍の動きも合わさっていた。槍の切っ先が喉に触れ、ピエールがその冷たさに体を微かに振るわせる。見上げるシスターの顔には、慈愛などもはや無い。先ほどの冷淡な声色に含まれた明確な怒りを静める方法など、彼にはないのだ。


「貴方たちはどうしようもない無能です。自分たちでどうにもできないからと縋りついて責任も取らない。迷える子羊にさえ劣るゴミ以下の存在。これならばまだ邪教徒共や不死者の方が躊躇さえ抱かずに滅殺すできる分ゴミよりマシです」


 ピエールは沈黙したまま答えない。答えられない。どれだけ詰られようとも、部下がいきり立とうとも抑え、謝罪の言葉を口にするしかない。


「……申し訳ない」


「謝れとは言っていません。私が求めているのは贖いです」


「……」


「なるほど、贖罪という文化さえ無いのですね。困りました。文化レベルが低すぎてお話しになりません。もはや人類でさえないのでしょう。まだ未開人の方が誠意というものをよく知っていますが、それも無いとは……なるほど。言葉を手に入れた畜生に過ぎないのですね? ならば、しょうがないことです」


 独白のような毒舌で納得すると、シスターは槍を退けた。彼女はそのままピエールを無視して庭園を闊歩する。もはや、その目には回りの騎士たちさえ映っては居ないようだった。槍に巻いていた布を拾うと、厳重に槍に巻きつけはじめる。他の騎士たちがどれだけ声をかけても、もはや彼女は反応することさえなかった。


「隊長、どうするんですか」


「どうもこうもない。とにかく、どうにかして帝都に招くしかない」


「ああ! 言ってる側からあの女、出て行こうとしてますよ!」


 部下が頭を抱えながら古城を後にしようとしているシスターを指差す。別の騎士が立ち塞がるも、布でくるまれた異形の槍を叩き込まれ吹き飛んでいた。偶々払いやすい位置に居たからとはいえ、あんまりな光景だ。


「なんて力だ」


 英雄としての素質だけ見れば、十分に期待できる。しかし、そうはならないだろう確信がピエールの頭を悩ませる。


 向こうには救う気などまずない。そして、送り返す方法が無いことも分かってしまっている。従う道理もなければ義理さえもない。加えて彼らを攻撃したくてうずうずしているのはその態度から見ても明らかだ。逆鱗に触れれば吹き飛んだ部下の二の舞になるだろう。だが、彼にも騎士として職務に忠実であるべきだという自負があった。


「移動の準備をしろ! とにかく、見失うわけにもいかん!」












――帝都ゼルドルバッハ・帝都城中庭儀式場。


 召喚の儀式用魔法陣に降り立った光の滝のその向こう、黒い影が現れる。篝火と同時に明りの魔法が照らす庭園の中、バノス宰相とロスベル辺境伯は顔を見合わせた。


「おお、成功ですな!」


「――まだだ。まだそうと決まったわけではない」


 興奮したまま声を弾ませる辺境伯とは逆に、宰相はジッと目を凝らした。

 周囲には最悪の事態を想定して兵士を配置している。辺境伯で魔物との戦いに明け暮れてきた兵士の一部と、バノスの私兵の混成部隊だ。それらは何があっても問題ない程度には構えていた。とはいえ、相手は異界の存在である。バノスは例え同じ人間の姿をした相手だったとしても、その力が未知数であることを考えて警戒を解けなかった。


「……」


 目を凝らしながら、薄れて行く召喚の光を睨みつけるようして様子を探る。兵たちのざわめきさえ、今は彼にとってはどうでも良かった。そうして、ようやく露になった正体を見て少しばかり失望の感情を感じた。


「黒髪の……少年か――」


 体の線は細く、お世辞でも強そうには見えない。武器の類を身につけている風でもなく、手にしているのは見慣れない鞄だけ。だが、宰相が最も期待を裏切られたと思ったのは彼が見せた態度だった。その少年からは、まったく覇気が感じられないのだ。


 言い換えればそれは、自信だ。武官だろうと文官だろうと関係なく持っているそれが、彼には酷く希薄なのだ。確かに、いきなり召喚されて周囲を武装している兵士たちに囲まれていれば怯えるものかもしれない。だが、バノスが求めたのは英雄だ。だからこそ冷静に周囲を見定めるでもなく、顔を青ざめさせたまま一言も発しないその少年には失望の念しか抱けなかった。


「アレは外れだな」


「はっ?」


「辺境伯、すまんが彼は任せても良いか」


「それは構いませんが……話しも聞かないのですか」


「私は召喚した者への影響を調べようと思っている。それに戦士かどうか見定める大役は君に任せたい。頼めるかな」


「了解しました」


 とってつけたような言葉で押し付けると、宰相は部下を使って召喚を行った文官の状態を確認させる。近づいて様子を見ていた宰相だったが、特に異常などは見受けられない。だが、それは見た目だけだった。


「何も覚えていないと、そう言うのだな?」


「は、はい。私は何故こんな場所に居るのでしょうか」


 嘘を言っている風ではない。その困惑振りを確認したバノスは、懐に仕舞っておいた羊皮紙を取り出す。それは、バノスが召喚方法を事前に彼に書かせた写しだった。


「そこに書いてある内容については?」


「……いえ、これはなんですか」


「そうか。もうよい。今日は自室で休め。おい、誰か送ってやれ」


「では自分が――」


 兵士の一人が名乗り出て、文官の男を送って行く。バノスは噂どおりの事態を前に、動じることなく涼しげな顔で後始末をさせる。と、気にもしていなかったロスベル辺境伯の方から少年の悲鳴が聞こえ、すぐに止んだ。


「どうした」


「いえ、それがどうも辺境伯が実力を試すために手合わせをしたようで……」


「その結果がアレかね」


「……そのようです」


 召喚された少年が白目を剥いたまま仰向けに倒れて気絶していた。その拍子に失禁でもしたのか、兵士の一部が嘲笑している。見立てどおりの結果に、失望を通り越して興味さえ失ったバノス。彼はロスベル辺境伯に少年の処遇を押し付けて帝都城へと向かうべく踵を返す。


(残り三つか。当たりを一つでも引けられれば良いが……これはいよいよ腹を括る必要があるな。だが、山脈の結界のおかげで昨年よりも力を蓄えることには成功している。ならば、この泥仕合を制した方が帝国を制することにな――)


「――アAあaァァァaa!!」


 それは、突然の出来事だった。庭園を揺るがすような咆哮が背後から上がった。当たり前のように最悪の事態を想定していたバノスは、思考を中断して振り返る。その目に飛び込んできたのは、倒れたままだった少年が纏った暗黒の光だった。


 それは夜の闇よりも尚暗く、光源である篝火と魔法の明りさえ部分的に薄っすらと遮っている。まるで光にさえ照らし出せぬのではないかと思わせるような底無しの闇。宰相はそれを見た瞬間、相手が弱者を装っていた強者である可能性を考慮していなかったことに気づいた。


「――KOレは……ノ……う……ほだ。調子ニ乗るなヨ。三下ドモがぁァa!!」


 起き上がった少年の雰囲気に、それまでは無かった覇気がある。知らず知らずのうちに自らが一歩後退したという事実に愕然とした。


 それは、彼だけが感じたものではなかった。戦える兵士たちが、当たり前のように自らの武器に手を掛けていたのだ。武勇に優れるロスベル辺境伯でさえ例外ではない。だが、彼は他の者たちと少しだけ違っていた。他の者が得体の知れない威圧感と恐怖を感じて構えていたのは確かに辺境伯も同じだ。けれど彼だけは、それ以外に高揚と歓喜の感情も得ていた。


「この私を三下と呼ぶか。その意気やよし! さぁ、剣を拾え少年。私にその禍々しき力を見せてみよ。召喚されし異界の英雄よ!」


「ヒハッ――」


 闇を纏った少年が、地面に打ち捨てられたままだった剣を拾う。同時に、見守っていた兵士たちは無言で二人の周囲から遠ざかった。


 薄ら寒い空気が庭園の一角を席巻した。少年が口元を吊り上げる。構えるということはなく、右手で握った長剣の剣先がただただ地面に向いている。対して、辺境伯は右手一本で握った長剣を肩の後ろに構えている。


 誰がどう見ても一瞬即発の空気。その余りに生々しい殺意の迸りの中、宰相はそれを止めるために声を喉から絞り出そうとした。


「ま――」


「アAあaァァァaa!!」


 咆哮を合図に、少年が飛び出した。纏った闇が、夜闇の中で加速した体を隠す。光源の光を反射させながら二筋の銀光が飛来する。少年の駆け抜けながらのなぎ払い。それに対して、押さえ込むように振り下ろされた辺境伯の剣があった。


 宰相に理解できたのはそこまでだ。一度だけ、甲高い音が鳴った。次の瞬間、放物線を越えて舞う塊が二つある。一つは、砕かれた辺境伯が好んで使っているミスリルソードの砕けた刀身。そしてもう一つは、血を撒き散らしながら明後日の方向へと飛んだ辺境伯の上半身だ。


「う、うわぁぁぁ!?」


 運悪くそれにぶつかった兵士が、血に塗れながら恐慌に帰す。人々の視線が少年に向けられる。そんな中、辺境伯の下半身がバランスを保てずに後ろに倒れる。静寂が庭園に戻り、次の瞬間には決壊した。初めに上がったのは辺境伯の部下である兵士たちの怒号だ。憎悪に燃える彼らは、獲物を抜いて少年に殺到した。


「おのれ閣下の仇取らせてもらうぞ!」


「絶対に生かして帰すな!」


 宰相はまたしてもそれを止められなかった。少年が剣を振るう。腕が飛び、首が飛び、胴が飛ぶ。何気ない一振りで容易く鍛え上げられてきたはずの兵士たちが返り討ちにあっていくのはまさしく悪夢のようであり、当たり前のように庭園に死が満ち満ちていく。西の大山脈の魔物たちと戦って生き残ってきた辺境伯の屈強な兵士たち。彼らが屍となって庭園を穢しつくすのに結局は十分も掛からなかった。


「なんという、なんということだ……」


 血の匂いに混じる死臭が鼻につく。宰相に出来たのは、ただ見届けることだけだ。鉛のように重い両足はガクガクと震え、己の自重を支えることだけで精一杯でまるで動こうとしない。


 宰相の部下たちも大半がそうだった。一部は既に逃げ出したがそれができなかった者たちはそれぞれ涙し、失禁し、全身から滝のように流れくる冷や汗の不快さを嫌というほど味わった。


「フヒヒ――」


 そんな中、少年の黒瞳が宰相に向けられた。宰相は、たったそれだけで尻餅をついた。彼は恥も外聞もなく、背を向けて少しでも遠ざかろうと努力した。その這うような動きには当たり前のように速度はない。だが、それでも彼はそれを続けた。もはや、彼は少年と言葉が交わせるとは思えなかったのだ。


(アレは、アレは人間の形をした悪魔だ。そうに違いない!)


 ザッザッと歩く音が忍び寄る。振り返ることが、宰相には出来ない。やがて、そんな彼の前に回りこむように黒い影が立ちふさがった。見上げれば、そこにはズボンを濡らした少年が居た。吊り上げられた唇は嬉しそうに歪み、見下ろす黒瞳はどこか優しい。悪意と善意が混ざり合ったような混沌とした表情。そこに含まれる善意にかけ、縋るような思いで宰相が言葉を紡ごうとする。


「た、助け――」


「A-、アー、aー、あ? 聞こえないなぁ。バノス宰相閣下――」


 言葉を探るように発声された言語が、最後には流暢な大陸語へと変化する。紡がれた言葉の意味を宰相の脳が理解した瞬間、無造作に振り上げられた足が彼の頭部を蹴り砕く。容赦など、そこには無い。帝国の大半を手中に収めた男にしては、呆気ない最後だった。


「しっかし、駄目だなこの体。貧弱過ぎてお話しにならない。なんだ、今までで最弱だぜこれは。直ぐに死にそうなせいで、思わず端末を伸ばしちまったじゃないか。まぁ、逆にどこまでやれるか楽しみではあるか。後は……精神の弱さからくるマイナスの感情を味わう楽しみぐらいだな。フヒヒ。おいおい、いい加減現実を直視しろって。でないとほら、続きするぜぇ続き。獲物は一杯居るんだからな。ギャハハハハ――」


 少年が笑う。それはまるで、誰かに語りかけるようだった。少年は靴裏に付着した生暖かいモノを蹴り飛ばすと、腰を抜かしたまま残っている兵士たちに向かって歩いて行く。彼らも、事ここにいたっては自らの末路を理解した。生存本能が、遂に恐怖を超越した。恥も外聞もなく悲鳴をあげ逃げる者、宰相のように這うように逃げる者、自棄になって少年に突撃する者に分かれて動き始める。


「えーと、こうか? いや、こうだったかな。上玉の講義なんざ聞いちゃいなかったし、よく覚えちゃいないんだが……そうそう、ヒャハハ、こうだったこうだった!」


 少年が誰かを真似て左手の指を鳴らす。すると、彼の足元の影が一気に庭園に広がった。影沼の魔法だ。たったそれだけで、兵士たちが足を取られ動きを止める。そこへ、剣を片手に少年が歩き、平等に死を振舞って行く。


「止めろ、止めてくれ――いやだね、止めないし。っておお、ようやく起きたか――だ、誰なんだお前。俺の体を勝手に――いやいや、これはもう俺の体だよ。高校二年生のカンナヅキ・アキヒコ君――な、なんで俺の名を――分かるよ。分かるさ。この体はもう俺様のものだっていっただろう。記憶も、思いも、全部、ぜーんぶ俺様のものだ。こういうのお前のいた世界の言葉では……なるほど、憑依トリップ? 成り代わり? 驚いた。魔法も無い世界出身の癖に定義する言葉があるんだな」


 それらは思春期の日の妄想。或いは、娯楽のために生み出された一ジャンル。味わえるならば味わってみたいとアキヒコは思っていたこともあった。しかし、今そこにある現実はアキヒコにとって夢想したそれとはあまりにも乖離しすぎている。


――そのジャンルの名は異世界トリップ系。数々の亜種を生み出した玉石混合のファンタジーだった。


 だがこれは明らかに前提条件が違っていた。それらは全て、トリップした主人公こそが主人公になるある種のサクセスストーリー<成功譚>。


 アキヒコにはその前提の違いがよく分かった。知りたくなくても分かってしまった。今の自分のポジションは、ただ存在を奪われて、プロローグを過ぎれば誰の記憶にも留まらない脇役以下の舞台装置でしかないのだと。


 それは本来憑依系のジャンルならお約束といえばそうなのかもしれない。だが、異世界にトリップした自分自身の体に憑依され、しかも奪われるなんてことを自分自身の体でやられたらもうどうしようもなかった。


「おしまいだ。なんだよこれ。違うだろ、全然ちげーだろよぉ! ――えーと、何々異世界召喚もののお約束はチートと神様転生とハーレム? いやいや、ないない。どんだけご都合なんですかぁ、アキヒコ君。君はぁ魔力も希薄だし、インドアだから体力もない。面は自分でも自信ないぐらい平凡人だろう。フヒヒ。なんだお前本当にただの凡人じゃないか。当たり前のように『選ばれる』なんてまずねーよ。そうでなくても『俺TUEEEE』ができるためにさ、力が付与されるような魔法なんて召喚に掛けてなかったし……あ、皆無でもないのか。言語チートって奴だな。思念波を放射してテレパスする奴。会話してるみたいに錯覚する奴ね。アレだけはあったな。最強の通訳としては生きていけるかもしれないな。俺の場合はちょっと思念が強すぎてよく聞こえないらしいが、まぁせっかくの機会だ。おいおい慣れていくさね」


 それはまるで、自分自身との語らいのようだった。死んで行く兵士たちにとっては、一層気味が悪い会話をしながら、少年の体が無意味に死を量産した。轟く絶叫に、止むことのない悲鳴。それに触発されるように、場内から他の兵士や騎士たちが姿を現す。だが、結果は変わらない。彼らの末路はただの一つしか残されていない。


「そうだ。ハーレムなんざやらないが、アキヒコ君のために素敵なヒロインを用意しよう。フヒヒ――」


 アキヒコの視界の中で、闇色の光が点る。足元から照る光は広がり、彼を取り囲もうとしている兵士たちを飲み込んで行く。すると、ただそれだけで兵士たちが苦悶の表情を浮かべて膝を着き、しばらくして胸の辺りを掻き毟ったかと思えば恐ろしい形相を浮かべて絶命した。


「な、なにを――召喚さ。といっても、リンクしてる奴を呼ぶだけで異界から呼ぶわけじゃあないぞ。お前がこっそり恋していたクラス女子をピンポイントで呼ぶなんて、さすがに俺でもできないからな。あ、そっちの方が良かった? ――じょ、冗談じゃない! 止めてくれ、マジでそれでは止めてくれよ!? ――ヒヒヒ、分かってる。分かってるよシャイボーイ。まだそんな器用な真似はできないからしないさ。だから呼ぶのは別の奴さ。さぁ、来いよ――」


 手に持った剣を地面に突き立てる。それに意味があるかなんて、地球人である少年には分からない。ただ、それでも彼に分かった事がある。それは、きっとこれから碌でもないことになるだろうという確信だ。


 少年の眼前に闇が集束する。纏った光とはまた別の光が、集束し実体を形成。一人の女を形作る。それは、穴がいくつも開いた薄い手術衣を身に纏った血まみれの美女だった。


「ひ、ひぃぃっ!――おいおい、失礼だぞアキヒコ君。ちょっと口元から血を滴らせてるぐらいで悲鳴を上げるなんてなぁ。フヒヒ。これだから童貞は困る。見てくれでしか人を判断できないなんて、人生経験が足りない証拠だぜ。なぁ、お前もそう思うだろクイーン」


 クイーンと呼ばれた女は、それには答えず跳躍。咆哮を上げながら少年に飛び掛る。呆気ないほど簡単に、体が地面を転がっていた。アキヒコが気づいたときには、血なまぐさい息を吐きながら、女が大口を開けていた。体を動かせない彼に抵抗はできない。恐怖に引きつった精神が、一瞬だけ体を操る何者かの束縛を超えて視界に涙を滲ませる。だが出来たのはそこまでだ。


「SYAaa――」


「うわぁぁ!?」


 喰われると、そうアキヒコは思った。それがエロい意味の比喩でもなんでもなく、純粋な事実であると確信した以上は、絶望の感情しか思い描くことができなかった。正に肉食系女子だ。そんな存在に生きながら喰われる恐怖など、少年は一度も人生の中で味わったことなどない。


「おっと、そこまでそこまで。いいな。やはりいい。或いは、お前は最弱にして最高の器なのかもしれんね。その恐怖だけはとても美味だ――あ、ああ……嗚呼ァァァ!?」


 喰らいつく寸前で動きを止めた女の嫌に歯並びの良い白い歯から、唾液交じりの血が首筋をぬらす。女はアキヒコの目の前で静止していた。少年の体が、彼の意思に反して彼女の頭を撫でる。美しい金髪を梳き、まるで恋人のように背中を抱きしめる。その柔らかな肢体の感触に、嫌に熱い体温が伝わってくる。そのまま恐慌にきたしていたアキヒコの精神はもはや耐え切れなかった。


「あ、意識落ちやがった。せっかく病弱で美人なヒロインを登場させてやったのになんだこれ。スキンシップもできないとかさすが童貞。フヒヒヒ。いや、この場合お楽しみは取っといたって奴か? それとも仲良くなってからじゃなきゃ嫌だって? まぁいいや。おいクイーン。とりあえず城の奴を食っていいぞ。ただし、全員食い残して兵隊だ。いいな? よし、行けっ――」


「HGYAAA――」


 女が咆哮を上げ、少年から離れると一目散に手近な死体に喰らいついた。本人には意思など無い。初めから彼女には本能しかもはや存在していないのだ。それでも少年の命令に従ったのは、その体の支配権が既に召喚者とリンクしているからに他ならない。クチャクチャと肉と臓腑を咀嚼する音を聞きながら、アキヒコの体を操っている何者かは魔法のような何かを紡ぐ。


 地面の上に寝そべったまま戯れに城の周囲に結界が張られる。それは、西の大山脈に張られたそれと同じだった。もう誰も、この城の中からは逃れられない。


(さぁて、これからどうするか。敵は二人。そう、今の所はたったの二人だ。あの女たちは確実に殺さなきゃならない。俺様の恐怖牧場にはああいう分かりやすい希望は必要ないからな。だが――)


 彼としても、それなりの人生(?)の中であんな非常識な存在に出会ったことはこれまでなかった。器を破壊するでなく、純粋に開放する。それはつまり彼の力を超える力でもなければ成り立たない現象なのだ。だから研究してみたいという欲求もまた殺意と同じく持ち合わせていた。


「まずは見つけたら延々と追い回し、消耗させて捕らえる。勿論、その間に威力偵察も行ってあの力を丸裸にしていくわけだ。さっさと捕らえて吐かせてもいいが……チビの方は歴代最優の器候補が守ってやがるからなぁ。やはり先に狙うなら単独の奴か。んー、しかし考えるってのは面倒だ。別に無駄を楽しんで悪いわけでもねーし、あの程度ならホッといたほうが退屈しのぎになっていいかもしれない。俺は別に効率廚でもねぇしなぁ。んー、んー、ん?」


 死体だった一つに目をつけ、彼は横たえた身を起こす。そうして、クイーンに命令してその男を食らわせ感染させて復元させた。飛び散った脳漿も、割れた頭蓋も、まるでそんな事実など無かったかのように白煙を上げながら元通りになっていく。強いて違うところを上げるならば、服に飛び散った血の跡と顔色の悪さぐらいだ。もはや彼がついさっきまで死んでいたなどとは誰も思うまい。


 その凄まじいまでの再生速度は、確かにとある世界において架空存在であったヴァンパイア<吸血鬼>の名を与えられるに相応しいものだった。


「宰相閣下がここにある。そしてここは帝国とかいう国の中枢。そう、そう、そうだ。いいことを思いついた。こいつらにやらせよう。いいね、どうせなら構図もそのまま利用して久しぶりに人VS人ってのもおもしれぇ。無敵兵士を量産して世界征服でもいいかもなぁ。行き当たりばったり死と恐怖を振りまいて味わえるわけだ。――あれ? これって結局アキヒコや奴の知識にあるチート憑依物になるのか? 存在しないはずのBURYOKUでISEKAIをZYUURINN? うはっ、テンプレ乙。つか、俺様外は久しぶりだからって独り言多すぎてキモすなぁ――」


 「フヒヒ、フヒヒ」と手に入れた知識を覚えたてよろしく楽しげに使って見せながら、少年は再び地面に寝転がって目を閉じた。


「そういや、こういう陳腐なのあいつ好きだったなぁ。なら、また会えるかなぁお前に。なぁドリームメイカー――」


 城内から夜闇に轟く絶叫と悲鳴。それらが織り成すアンサンブルを心地良さそうに聴きながら、彼はそれだけを呟いて今度こそ寝ることにする。


――この日、帝都城はたった一戦力の前に陥落した。


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