トラブルとあたし4
あたしは教室で和人を待っていた。
何でも、担任の先生にプリント作成で手伝ってほしいと言われてしまったので、先に帰っていていいと、田中からの伝言だった。
わざわざ、友人に伝言を頼むなんて、彼も人使いが荒い。
(…それにしたって、遅いな。プリント、うちのクラスの分だけだから、もう終わっているはずなのに)イライラしつつも、ねばり強く、待っていた。
だけど、引き戸ががらりと開けられて、静寂は打ち破られた。
「…あれ、樋口じゃん。一人だけで、何やってんの?」
あたしが振り返ってみると、佇んでいたのは田中だった。
少し、伸ばし気味の前髪がいかにも、うっとうしくて、もさい奴だ。
「和、宮原を待ってるんだけど。田中こそ、帰ってたはずじゃないの?」
あたしが問い返すと、田中はへらりと笑ってみせる。
「いやあ、俺、こう見えて、厚生委員やっててさ。それで遅くなったんだ。宮原を健気に待ってたなんて、意外と樋口も女の子なんだな」
軽口でそんなこと、言われても全然、うれしくない。
「あんたに女の子と言われても、うれしくない。せめて、宮原に言われたら、少しはうれしいんだけど」嫌みたらしく、いってやれば、田中はそれはないよと弱気なことを返してくる。 けれど、田中は何を思ったか、あたしに一歩ずつ、近づいてきた。
「樋口ってさ、今まで、宮原以外は彼氏がいなかったんだよな。だったら、俺ともつき合ってみない?」まるで、町中でナンパしてくる兄ちゃんみたいな誘い方をしてくる。
顔はへらへらと笑いながら、気がついたら、あたしのすぐ近くまで、来ていた。 「…いっておくけど、あたし、和人以外は興味ないから。田中には悪いけど、断らせてもらう」
はっきり言っても、田中は笑みを崩さない。
あたしは立ち上がり、一歩ずつ、後ろに下がった。
逃げるためだったけど、田中はそれすら、面白がりながら、詰めてくる。
「樋口、俺に断るっていっても無理だよ。宮原の悔しがる姿が見たいんだよな。いつも、殴られてるし」理由はそれかい、と言ってやりたくなった。
あたしは悔しくなって、そのまま、歩き出そうとした。
けれど、強い力で手首を掴まれた。
「どこへ行くつもりだ?」
低い声で告げられて、しまったと思った時にはすでに、遅かった。
「…いたっ。離して!」
「離したりはしないよ。これから、俺といいことしようか」
そのまま、顎を掴まれて、上を向かされる。
田中の顔が近づいてきて、あたしは睨みつけてやった。
すると、面白そうに笑われた。
それに気を取られていたら、唇に柔らかい、けれど、冷たいものが触れた。
あたしが驚きに目を見開いていると、田中はそっと、唇を離した。
「…目を閉じないなんて、可愛げがないな。応じてくれても、いいのに」
舌打ちしながら、あたしをじっと、見据えてくる。
「可愛げがなくって、結構。あんたなんかに可愛い所を見せてたまるか」
わざと、嫌みたらしく、言ってやった。すると、田中は冷たい笑みを浮かべる。 「へえ、言うね。でも、そんな憎まれ口叩いていられるのも今の内だよ?」
「何をいってるの?あたしは、浮気はしたくないの。あんた、手を出した事が宮原にばれたら、倍返しされるよ」
売り言葉に買い言葉の応酬に、田中はため息をついた。
「別に、宮原にばれたってかまわないよ。実は鈴木美佐に「お金あげるから、宮原と樋口可奈を別れさせてくれ」て、頼まれたんだよね。まあ、俺も樋口の事、気に入らなかったし。だから、のったんだ」
あたしはその話を聞いて、美佐にも怒りを感じた。
何て、自分勝手な事をするんだろう。
お金で人のことを買収して、別れさせようとするなんて。
これは話し合った方が良さそうだ。
美佐とはけじめをつけないといけない。そう、思ったのであった。
田中に、またキスをされそうになったので、あたしは奴の顎を思いっきり、頭突きしてやった。
「いたっ!」
素っ頓狂な悲鳴を上げた隙を狙って、あたしは鞄を持つと、引き戸の辺りまで、走った。
「そもそも、無理矢理しようとしたあんたが悪いんだからね!反撃されたからって、恨みっこなしだよ」そう言いながら、あたしは廊下に出た。まだ、痛む頭をさすりながら、階段まで急いだ。
すると、ぱたぱたっと、駆け上がってくる足音がする。
薄暗い中、茶色の髪で和人だとわかった。
あたしが大きく、息を吐き出すと、向こうもわかったらしく、声をかけてくる。 「あれ、可奈!教室で待ってたんじゃなかった?」
「…ごめん。和人がなかなか、帰ってこないから、気になって」近くまで、上がってきた和人の腕を掴んでいた。
「どうした?何か、あったのか」
驚く和人にあたしはしがみついていた。 腕にしがみつきながら、泣いてしまう。 「その、田中に。無理矢理、キス、されて。美佐があたしたちを別れさせてほしいって、頼んできたって、言ってた」
しゃくりあげながらも、説明をすると、和人はあたしの背中を撫でてきた。
「…そんなことがあったのか。美佐が、ね。ごめん、遅くなって。恐かっただろうに」
心底、後悔したような口調によけいに、涙が出てきてしまったのだった。
夕方になって、あたしは和人と二人で帰っていた。
和人は後で、田中を締め上げて、美佐の事を聞き出してみると言っていた。
あたしが無理矢理、キスされた事を和人は何でもない顔で聞いていた。
けど、内心では、怒り狂っているんだろうなと思う。
普段、にこやかに笑っている事が多いから、感情が読みとりにくくはあるんだけど。
「…和人はさ、あたしとつき合うようになってから、同じクラスの友達から、意地悪されてない?」
心配になって尋ねてみると、和人は少し、不思議そうな顔をしていた。
「いきなり、どうした。可奈のほうがひどいことされたのに、俺の心配までするの?」
「だって、あたしとつき合わなかったら、和人も嫌な目をみなくてすんだのに。あたしは和人にとって、疫病神と一緒なのかと思えてさ」
そこまで言ってしまってから、我ながら、暗いこと口にしてるなと、思った。
すると、和人はしかめっ面をしていた。 まずいこと、言っちゃったかなと焦っていると、ため息をつかれた。
「…可奈が疫病神なわけないだろ。里絵からさ、美佐が妙な動きしているみたいだから、気をつけろと言われて。けど、軽く考えてた俺がバカだった。今度からは、俺がいない時、里絵に一緒にいてくれるように頼んどく」
前髪を片手でくしゃりと掴みながら、そう言ったのであった。
「里絵さんに頼むの?そんなことを頼んだら、気を悪くしないかな?」
あたしが心配していると、頭をぽんっと、叩かれた。
「可奈は気にしすぎ。里絵さ、俺が可奈を好きなの、ずっと、前から気づいてたんだ。けど、なかなか、告白しないもんだから、イライラしてたみたいで。時には押すくらいでないと相手に逃げられても知らないからて、言われたことがあったな。背中を思いっきり、叩かれたけど」
あれは痛かったなとぼやく和人に、あたしは笑っていた。
和人の話によると、里絵さんにも彼氏がいるらしく、背が高くて、強面の人だそう。
その彼氏は剣道部に所属しているそうで、喧嘩は強いらしい。
和人も里絵さんと彼氏のおかげで、不良から、声をかけられる回数が減ったとか。
あたしはすごい人を友達に持っている和人に歓心した。
「…喧嘩強い人を友達に持っているのって、なにげにすごいね。あたし、女友達しかいなかったからな。しかも、こんな形で裏切られるとは思わなかったし」
「その彼氏、島村さんていってさ。一級上の先輩なんだ。目つきは悪いけど、性格はいい人だよ」
へえと言うと、和人は満面の笑顔で島村先輩が剣道で、全国大会まで進んだ腕前の持ち主だと、語ってみせたのだった。
家の近くまで来ると、あたしは一人で帰ろうとした。
けれど、和人がそれをよしとしなかった。
「待って、家まで送るよ。一人だけだと、危ないから」
仕方ないので、言われた通りにする。
家の門の前まで来て、やっと、離れてくれた。
「和人、心配しすぎだよ」
「心配しすぎがちょうどいいくらいだよ。可奈が一人でいると、危なっかしくて、見ていられない」
真剣な顔で言われると、ぐうの音も出ない。
和人はあたしが玄関に入るのを見届けると、背中を向けて、片手をひらひらと振りながら、帰っていった。
「あら、お帰り。今日も宮原君と一緒に帰ってきたの?」
「…うん。そうだけど」
あたしが肯くと、母さんはうっとりとした顔でこう言った。 「うらやましいわね。毎日、送り迎えしてもらえるなんて。そんな良い男の子を捕まえてくるとは、我が娘ながら、やるわあ」
「母さん、それよりも、話したいことがあるんだけど」
あたしが話を遮ると、母さんは不満そうにしながらも聞いてくれる。
今週の土曜日に家に来てもいいと和人が言っていたと伝えたのであった。




