親友とあたし4
しばらく冷やしていると、痛みも腫れもひいてきた。
田中先生はあたしの頬を見て、詳しく訳を訊こうとはしてこなかった。
先生なりに気を使ってくれているのだということはわかる。保冷剤で冷やすのをやめる頃には、凍っていた中身も溶けてしまっていた。
それを先生に言って、手渡した。
「あ、よかった。だいぶ、腫れがましになってきたわね」
「保冷剤、ありがとうございました。もう、いいですよね?」
先生は肯きながら、また、熱が出ないように気をつけてと言ってきた。
あたしはそれに、はいと答えて、鞄を持って、廊下に出た。
教室に戻ると、ホームルームはもう、終わっていた。
鈴木さんがあたしに気が付いたらしく、こちらへとやってくる。
「あ、樋口さん。朝方、騒ぎがあったと聞いたんだけど」
短く言われただけで、あたしは美佐との喧嘩の事だと、すぐにぴんときた。
「…ああ、確かにあったけど。それがどうかした?」
何でもない顔で問い返すと、鈴木さんは小声でこう、ささやいてきた。
「…なんか、樋口さん、あの鈴木美佐と喧嘩したらしいってクラス中、その噂で持ちきりだよ。でね、あの子今ね、生徒指導室にいるらしいんだ」
あたしはそれをきいて、驚いた。
「美佐が生徒指導室に?それ、本当なの?」
すると、鈴木さんは肯いてきた。
「そうだよ。樋口さんのほっぺた、腫れていたから、佐藤先生が怪しんで、問いつめたんだって。そしたら、あの子、自分がやったって、答えたらしいよ。で、今は指導室で先生が反省文を書かせているって」
それくらいで済んでよかったと、あたしはほっとした。
鈴木さんはあたしを見て、呆れたような表情をしてみせた。 「自分が殴られたってのに、人の心配している場合じゃないよ。あの子、今回の事でこりていたら、良いけど。もし、逆恨みでもされていたら、またやられるかもしれないじゃん?」
あたしは水を頭からかけられた心地になる。
けど、鈴木さんの言うことは正論だ。
美佐が少しは今回の事を後悔していればいいけど。
していなければ、また、あたしに当たる可能性はある。
美佐はそれくらい、宮原の事を好きだったのだと思い知らされた、といってもいいかもしれない。
「そうだね。あたし、もう少し、気をつけることにする」
「その方が良いって。でも、宮原を取れば、親友を無くすことになるし。親友を取ったら、宮原を無くすことになるわけだから。樋口さんも大変だね」
そういった後、鈴木さんは席へと戻っていったのであった。
六時限目も終わり、下校の時間になった。
約束の時刻は午後四時半頃。
二人とも、帰宅部だから、ちょうどいいとこの時間帯に決めた。
今日のお弁当タイムは宮原とあたしの二人だけだった。
美佐は教室で一人だけで食べていたのが未だに、引っかかっている。
屋上で二人っきりだったけど、宮原は手を出してこなかった。
『鈴木がいないと、調子狂う。やっぱり、いた方がいいみたいだな』
そんなことをふとした時に言っていた。 気まずかったのは仕方がない。
頭が混乱しきっていて、整理できていないから、よけいに複雑だった。
一人で考え込んでいると、がらりと教室の戸が開く音がしたので、振り返る。
宮原かと思って、声をかけようとした。 「…まだ、いたんだ。とっくに帰ったと思ってたよ」
ため息をついて、立っていたのは美佐だった。
あたしは朝方の記憶がフラッシュバックして、足下がふらつく。
「美佐。あたしの事、まだ、怒ってるの?裏切ったから?」
かすれた声で問いかけたら、美佐は笑い出した。
だが、笑い方はバカにするようなもので、明るい感じではない。
「…裏切った、ね。あんたが宮原と別れてくれるんなら、許してあげてもいいよ。でも、つき合い続けるんだったら、友達やめるから。その代わり、いじめたりはしないからさ」
笑うのをやめると、美佐は悲しそうな顔をした。
あたしは美佐が失恋したから、辛そうなのだとやっと、わかった。
鈍すぎる自分を笑いたくなった。
美佐が怒るのも当たり前だ。
宮原の事をあたしよりずっと前から、好きだったのだから。その時間は長いものだ。
「…ごめん。宮原とは別れられない。まだ、つき合い始めて、三日も経っていないし。いきなり、言ったって、宮原を混乱させるだけだよ」
「そう、わかった。じゃあ、友達解消だね。絶交とはいわないでおいてあげる。さよなら」
冷たい表情で美佐は鞄を手に取ると、教室を出て行った。
親友を取れば、彼氏を失い、彼氏を取れば、親友が失われる。
鈴木さんが言っていた事が頭の中で響く。
あたしはこぼれる涙を抑えることができなかった。
声も出さずに泣き出したが、すぐに、また、戸が開けられた。
美佐かと思っていたら、涙は一時的に引っ込んだ。
「あれ、可奈。今、鈴木が出て行ったのを見たんだけど」
入ってきたのは、宮原だった。
ちなみに、メルアドと電話番号は交換してある。
けど、宮原はあたしの様子がおかしいのに気づいたらしい。 すぐに近づいてきた。
「どうした、可奈?何かあったのか?」
真剣な顔で問いかけられ、また、ぼろぼろと涙が出てきた。今度はしゃくりあげながら、泣いていると、そっと、抱きしめられた。
仲が良かった友人から、「友達解消」を言い渡されて、あたしはただ、悲しむしかなかった。
けど、いつまでも泣いて、じめじめしていられない。
「可奈、悪いな。鈴木からはその。告白されて、知っていたんだ。俺を好きだったってことは。でも、つき合えないと言って、フったからな」
ため息をつきながら、意外な事を話されて、あたしは驚きのせいで宮原をまじまじと見つめた。
涙は一気に引っ込んだ。
「…美佐が告ってきたって。それ、本当なの?」
「その、朝方に可奈がひっぱたかれた後でだよ。いきなり、泣きながら、ずっと、好きだったの。て言われてさ。可奈じゃなく、あたしにしたらいいよとも。けど、俺は可奈の方がいいとはっきりと断った。そしたら、鈴木、ショックを受けたみたいで魂が抜けたような顔してたな」
苦々しいものを含ませた声で宮原は説明してくれた。
それによると、美佐は宮原にふられた後、おとなしくなって、駆けつけた佐藤先生に生徒指導室に連れて行かれたらしい。
あたしの右頬をそっと、なでながら、宮原は最後にごめんと謝ってきた。
「いいよ。宮原や美佐は悪くない。あたしがはっきりと早めに返事をしていたら、こんなことにはなっていなかった」
「だが、それは違う。俺が可奈の気持ちを考えずに、勝手に告ったりしたからというのもある」
あたしたちは二人して、落ち込みながらも不思議と安心もしていた。
また、一緒に帰ることになった。
辛いこともあるけれど、宮原は側にいるからと言ってくれた。
あたしはそれを信じてみようと思った。 素直にうれしかったというのもある。
「可奈。来年も再来年も一緒にいような。俺、熱まで出して、自分のこと意識してくれる女の子がいるとは思わなかった。だから、可奈の事は手放せないというか」手を恋人繋ぎというやり方で握りながら、恥ずかしい事を言ってくれる。
「あたしだって、熱まで出して、意識しているっていう自覚はなかったけど。でもまあ、一緒にいようと言ってくれたのはうれしいから。受け取ってはおくよ」
顔が熱くなるのをこらえながら、何とか、答えてみせた。
美佐がこの場面を見たら、激怒するだろうな。
ふと、そんな思いがよぎる。
けれど、額に柔らかな感触があって、あたしの考えは中断せざるを得なかった。キスされたのだと気づいた時には、宮原は熱っぽいまなざしをあたしに向けていた。
射抜くような真剣な目で見つめられたかと思うと、唇に柔らかな温かいものが軽く当たる。
ついばむようなキスに体が熱くなる。
宮原は笑うと、背中をこちらに向けて、ひらひらと手を振りながら、去っていった。
余韻に浸りながら、あたしはそれを見送った。




