プロローグ「あのひのゆめ」-Part/-4
「はぁ……」
私は布団から起き上がると、大きく溜息をついた。
今日は珍しく夢を見なかった。あるいは見ても覚えていないだけかもしれないが、どちらにしろ今はそういった記憶がないので見ていないも同然だろう。
しかし、ここ最近ずっと見続けていた夢なので、はた、とそれを見なくなると、心に一抹の不安が残る。
「……あー」
髪を手で梳きながら、私は首をかしげるように曲げた。こきん、という音が鳴り、寝違えていたような感覚が消える。
「私らしくない。いちいち、私らしくないな」
今の私は、非常に不愉快な気分だ。自分に対して、非常に不愉快な気分だ。
私は横の布団ですうすう、と寝息を立てている守護天使に一瞥をくれてから、散歩でもして眠気を覚まそうと考え、扉へと歩を進める。現在時刻は午前5時。外の空気はまだ冷えている頃だろうが、夏場にとってはちょうどいい頃合いだろう。
覚醒しきらない頭でぼんやりとそんな事を考えて、私は部屋から外へつながる扉を開く。
瞬間、バァン! という音とともに、頭に重たい衝撃がのしかかった。
「っ……」
かしゃん、くわんくわんくわん……と、私の隣でなにかが床に落ちて静止する音が聞こえた。
私は重度の立ちくらみのような頭を働かせて、その物体を見た。
「……なんだコレは」
それは直径50㎝ほどの、銀色の金ダライだった。水あかのような白い汚れがところどころに付着していて、誰かが使用していたという生活感を醸し出している。
上を見上げると、あからさまにつりさげていたな、と丸見えのロープが。いつのコントだ。
「おい」
私は未だ布団で横になっている守護天使様に声を投げた。
「次はもっとレベルの高いのを用意しておけよ。必ず突破してやる」
「……」
横になったままの布団が、かさ、とかすかに衣擦れの音を発した。
○
しばらく母屋をうろつく。
現在は夏の旅行シーズンとあって、ちらほらと旅館の方には泊まりの客も増えてきている。私もたまに手伝いに駆り出されたりする事はあるが、それも忙しい時の話。今はそこまで忙しい時期でもないので、私はこうして高校生らしい夏休みを謳歌している。
そんな訳で母屋をうろつく。と言っても、あるのはお母様の部屋と、私の部屋(と、銘打った居間)と、小さな部屋がいくつかだ。とりたてて面白いものがある訳でもない。
「暇だな」
歩きながら、私は呟いた。
今日はどこかに散歩でも行くか、とぼんやりと考える。
ちょうどこの間見つけた、雰囲気の良い喫茶店がある。店主もなかなかに面白い奴で、たまに話をしにふらっと立ち寄る事もしばしばあった。
しかしまあ、こんな朝早くから開いている訳もない。
私ははぁ、と溜息をつき、
「なにか面白い事の1つでもないものか……」
木の板の張られた縁側をすとすとと裸足で歩く。すると、
「……ん」
ふと、立ち止まった。
そこは縁側の一部分だ。ちょうど家の外側を向いているような配置になっている、言いかえれば死角となりうるところだ。眼前には池があり、小さい頃から泳いでいる鯉が、今日も休むことなく身体をしなやかに動かしている。
そこは、夢の中で『私』がいつも座っていた場所だ。
「……」
私はゆっくりと、そこに座りこんだ。
あの日以来座っていなかったこの場所は、なんだか懐かしいような寂しいような、まるで廃校になった母校に立ち寄ったような感じがした。
理由は明快だ。
あの頃は毎日座っていたこの場所も、1人で座ることはめったになかったからだ。
「物哀しいな」
常に彼のいた隣の空間を、自然と開けて座ってしまう。時が経っても、そんな些細な行動さえ、彼との時間が基盤になっている。
いなくなった人に引きずられている自分が、無性に情けなかった。
「無責任な奴だ」
私は空に吐くように呟いた。
「人の人生を左右しておいて、帰ってこないとは何事だろうな」
視線はどこまでも、上に。
それでも――涙は、こぼれてきてしまう。
「……早く、帰ってこいよ……」
どうしようもない願いだ、と思った。
私はあえて上を向いたままで、どこかにいる彼に告げた。
「……私は、待っているんだからな。こんなに人を泣かせて、殴るじゃ済まさないからな……」
自分の視界が細くなる。
それは泣いていたためか――それとも、笑っていたからか。
静かに流れる涙で、視界は細く歪んでいた。
明後日は、8月1日だ。
後輩やら同窓生やらの集まる、大掛かりなお泊まり会のようなものだ。
せめてその時くらいは、笑って過ごしたい。
「見てろよ――私は1人でだって、笑えるんだ」
もう泣き虫とは、言わせたくないな。
しばらく間が空いてしまいましたが、プロローグです。
なんかあっさりした内容です。夢でもないです。
てか、もう誰だか分かりますよね、この人w
あえて言いませんがね。
次回から、今度こそ新章突入です。