1…一期二会?-Part/β1
夏休み初日。の、朝。私はいつもより少し遅い時間に目が覚めた。
「……あっづい」
私は申し訳程度に体にかけていた布団を投げるように横合いに引っぺがす。寝巻として着ていた上下のスウェットは、汗でびっしょりと濡れていた。
エアコンのない、寝室を兼ねた和室は風通しこそいいけれど、その入ってくる風が熱風なのだから、もう効果が発揮されない。1000ライフポイント、お支払い。効果封じだけに。
私はけだるい体に指令を発し、とりあえず障子をあけた。からから、という音とともに窓に付いている障子を開けると、熱を発し続ける太陽から降り注ぐ、爽やかな夏の日差し。光を浴びただけで体が熱くなるけど、その代わりと言わんばかりに眠りたがる頭を一瞬で覚醒させてくれる。
ついでに窓を開け、虫よけと日差しよけを兼ねたすだれで窓を覆う。
「蚊取り線香、どこやったけ……」
頭をぐしぐしと掻きながら、私は取り合えず和室らしい襖をあけた。
親切な事に、開けてすぐ手の届くところに緑のうずまき――蚊取り線香は置いてあった。ご丁寧に金属製の台までセットでついている。
ちょっとだけ嬉しい気分になりながら、私は台の上に緑色の鳴門海峡を乗っけて、窓際に常備しておいたマッチ棒で火をつけた。しばらくすると灼熱の小さい光がともり、白い煙を昇らせ始める。
私はそれを見て、なんだか平和だなぁ、と感じた。
「あー……お線香って、いつの時代もいい香りだよね~……」
私は1人で呟いて立ちあがり、とりあえず居間に行こうかな、と寝室を出た。
居間に出ると、座布団に腰を落ち着けてTVを見ている人影があった。
長いウェーブのかかった金髪、小柄な体格と綺麗な碧色の瞳。まだ活動モードではないとアピールするつもりか、普段は纏めている髪はおろしている。
私は小さなその人影に向かって、明るく挨拶した。
「おはよー、ラミぃ。早起きだねぇ」
「んっふふー」
鼻歌を歌うようにラミぃは私の返事に答えた。
「結弦んがれいと・げっとあっぷ・あーりぃ、なのだよー」
「あはは、ごめんごめん。今日から学校がしばらくないと思うとね……」
「その心意気、よろしくなきしにたまわらんのだよー」
相変わらずの無邪気すぎるくらい無邪気な笑みを浮かべ、
「いつ何時、いつの時代もあをによしー。私達とて、万がわん、の事態にせっとっげっと・ごう、してえたまわりきなのだよー。結弦んも気を抜いては、いかんともしがたい」
「……そ、そうだね。気をつけるよ」
うむうむ、と頷くラミぃ。
私は暑さなんかすっかり忘れ、ラミぃの横にポツンと置いてある座布団に腰を下ろした。
○
私こと水嶋結弦は、少し前から居候同然に一緒に暮らしている私の守護天使・ラミラミと一緒に、夏休みの始まりをまったりと過ごしていた。
成績は中の下くらいで、幸いにも補習はなく、特に部活に入っている訳でもない私は、つまりは。
「暇だね」
「その一方通行なりけりねぇ」
私はTVのニュースを適当に見ながら、そんなことを言った。
ラミぃはラミぃで、大人しくニュースを見ている。ぴーん、と伸ばした膝がゆらゆらと貧乏ゆすりされ、何を思ってか鼻歌なんかを口ずさんでいた。頭をリズムに合わせて揺らすたび、金色の髪がゆらゆらと波打つのが綺麗だった。
私はふと気になって、ラミぃに尋ねてみた。
「何だっけ、その曲」
「んー?」
ふふん、と子供っぽく笑って、ラミぃは言った。
「よく覚えたてまつりはしなきなのだけど、まい・めもりぃ、にこびりつきけるのだよ」
「ふーむ……」
私は気になった。私もあまり覚えていないけど、どこか聞き覚えのあるメロディだ。何だっけ……?
考え込んでいると、急にラミぃが「あっひゃっひゃっ」といつも通りに笑いだした。
「結弦ん、そこまで真に受けた剣にならずともよかれの日輪、のー・くえすちょん、なのだよー。あっひゃっひゃ」
「……そ、そうかな」
「そうだねぇ。うん、その通り!」
ビシィ! と私に人差し指を向けて、ラミぃはやけに自信満々で告げた。
「結弦んに、考え事象はあてはまらなきかてごりぃ、なのたまわりー。さればこそ、結弦んはいつもの通行、だらーっとしていればよかれによかれ、そのまんまぐっど・じょびんぐ、だよぉ」
「ええー。ラミぃにとっての結弦さんは、そんなイメージなのかい?」
若干呆れつつ私が言うと、ラミぃは再び「あっひゃっひゃ!」と元気いっぱい笑った。
私はそんなラミぃの様子を見て、少し溜息をついた。
「……ラミぃの考えている事は、相変わらず分からないねえ」
そんな風に呟きつつ、私は再びTVに視線を向けた。
夏休みだけあってか、渋滞情報のニュースをやっている。聞いたことも無いような名前の高速道路が画面に映され、20㎞の渋滞が出来ていると報道されている。画面には一方の道路に、様々な色の車がすらーっ、と止まっているのを見た。
「うっわ……大変だなあ、渋滞」
「車がどんと・きゃん・らんにんぐ、だねぇ? おかしいんじゃないかねえ? どうなのかねえ?」
「どうなんだろうね……トイレとかどうするんだろ」
そんな風に言ってみるも、車を持っている訳でもない私には無縁の話。
そういえば……最近、父さんも母さんも帰ってこないし。遠くへ旅行に行く、っていう事があんまりないなぁ。
「たまには遠くへ行ってみたいねぇ」
そう呟くと、隣からラミぃが「んー?」と顔をぐいっと私に寄せ、
「結弦んは遠くへふらいんぐ、して、何かやりたし事にもえあらせられるのかい?」
「んー、結弦さんがやりたい事ねぇ」
私は少し考え込み、それから、
「やっぱり東京に行きたいね」
「とー・きょー?」
「コミケにも行ってみたいし、アニメイト本店とか、とらのあなとか……やっぱり都会の方が手に入りやすいしね」
通信販売もやってるんだろうけど、面倒くさがりなうえに小遣いの乏しい1人暮らしな私。送料とかいちいち払うのももったいないし、と、ネットショッピングには手を出していない。自分の手で選んでみたいのも1つの理由。
「その時になったら、ラミぃも一緒に来るかい?」
「おふ・こーす、だよぉ」
何か意味があるのか、大きくバンザイしながらラミぃは笑顔で答えた。
こんな暑さの中でも元気でいられるんだから、天使は凄い。汗一つかいていない。
「暑くないのかい?」
「んっふふー」
私が尋ねると、ラミぃは意味深に笑って、
「地平線の彼方までほってぃんぐ、たりとも、結弦んと一緒なら元気いっぱいなのだよー」
「……可愛い事言うじゃないかぁ」
にこにこと微笑むラミぃのほっぺたを私が右手の人差し指でつんつん、と突っついてやると、ラミぃは「きゃははっ」とくすぐったそうに笑う。
「結弦ん、結弦んー。ちょ、ちょっとやめ……きゃはははっ」
「むー、このこのぉ。つんつん」
「あっひゃはは、やめ、やめ……きゃはは」
バタバタと抵抗するラミぃ。
ふと見ると、目尻に若干涙が浮かんでいるのが分かった。流石にやりすぎちゃったかな、と私は指を離してあげた。
するとラミぃは「むー」と笑顔のまま怒っているような雰囲気を見せ、
「次は私の番にあらせ、結弦んにイタズラするから覚悟をでぃさいど、だよぉ~」
「あっはは、ごめんようラミぃや。勘弁してよ」
私達はそんなやり取りののち、しばし笑いあっていた。
ああ、平和だなぁ。私は思った。
物騒な事件に巻き込まれる訳じゃなく、かと言って退屈すぎる訳でもなく――日々、充実してるなあ。……勉学も充実させようね、なんて言っちゃ、めっ。
ふと、TVの画面の左上に表示されている時計を見た。午前8時30分。
「ラミぃ、そろそろご飯にしようか」
「いえーすっ!」
元気に返事をするラミぃ。
でもごめんよ、ラミぃや。結弦さんには料理スキルがかけらも無いから、またカップ麺なんだよね……。たまには手作りの料理も食べさせてあげたい。
星を通い妻に雇おうかな。そんな事を考えながらキッチンへ(カップ麺を取りに)行こうとすると、
ぴーんぽーん。と、チャイムの音がした。
「?」
誰だろう。こんな朝早く……いや、そこまで早い訳じゃないか。新聞の勧誘とかかな?
そう思いつつ、私はキッチンへ向かおうとしていた脚を玄関へと方向転換し、「はーい、今開けまーす」と返事をした。
鍵を開け、扉を開く。
そこには2人の女の人がいた。
1人は私と同じ色をした茶色っぽいロングヘアの人だった。癖っ毛なのも私と一緒で、セットしているのかどうなのか軽くウェーブがかかっている。背は御琴先輩と同じか、それよりも高いか。やや細い体を、黒い女性用のスーツで包んでいる。細い眼には柔らかい笑みがたたえられていて、とても大人っぽい感じの人だった。
もう1人はその人より頭1つくらい背の低い人だった。髪はなぜか白い。真っ直ぐな白髪を、やや高めにツインテールに結っている。こちらも黒い女性用のスーツを着込んでいた。瞳の色は澄んだ水色で、つん、とした攻撃的な色が見て取れる。
私が扉を開けて数秒後――
背の高いほうの女の人が、口を開いた。
「ただいま、ゆうちゃん。元気だったかしら?」
にこっ、と微笑む彼女は、そんな挨拶をした。
私は何も言えずに、それに対して曖昧に頷いた。
この人は、私もよ~っく知っている人だ。名前は、水嶋青嵐。
言わずもがな、私の姉だ。