1…一期二会?-Part/α3
一転して大人しくなったヒバリは、兄さんが持ち込んだ銀色のスーツケースをガタン、と開き、中から雑誌のようなものを取り出して、ソファで読み始めた。タイトルを見る限りで見ると、旅行雑誌のようだ。
「旅行雑誌って面白いの?」
私がふと気になって尋ねると、ヒバリはこちらに笑顔を向けて、
「面白いっすよー。卓上旅行って言うんすかね、いろんな名所の写真とか、隠れた料理の名店とか見るのが好きなんすよ」
「へぇ」
「従妹さんも読むっすか? あと10冊くらいあるっすけど」
ヒバリはどさっ、とスーツケースの中から本当に10冊くらいの旅行雑誌を取り出した。
「こんなに……」
「全部タダっすから、良い時代っすよねー。適材適所って奴っす」
「いや、雑誌がタダなのは適所じゃないんじゃ……」
苦笑しながらも、私は適当に1冊の雑誌を手に取った。
そこには東京・埼玉などの関東地方の旅行情報が記されていた。テーマパーク然り、料亭然り、はたまた電気街然り……。
「あれ?」
と、私の目にあるページが目に止まった。
「ねえ、兄さん。ここ、前に行ったところだよね?」
「んー?」
兄さんが顔を覗き込む。私はそのページを改めて見た。
それは東京ならではというべきか、最新技術を駆使したプラネタリウムを展示している施設の情報だった。前に私が東京に行った時、兄さんと叔母さんに連れて行ってもらったところだ。
「ああー、懐かしいな。星が凄くはしゃいでたの覚えてるなあ」
「今になってみれば恥ずかしいけど……でも、綺麗だったなあ、ここ」
まあ、やっぱり生で見たほうが綺麗だけどね。それでも綺麗には違いないので、私は素直にそう言った。
兄さんはははっ、と笑って、
「星は好きだからなー、天体観測とかそういうのさ。名前に偽りなしってか」
「そういえば……」
雑誌から目を離し、ヒバリも私に尋ねた。
「従妹さん、『星』ってキレイな名前っすよね」
「でしょ? 自分でも結構気に入ってるんだ。こんな髪の毛の色ともマッチしてるじゃん」
小さい頃からとやかく言われていた金髪だけど、そういうところは気に入っていた。まさしく星、って感じだし、名前のおかげで天体観測が好きになったというのも1つだ。
すると、ふと兄さんが私を見て、
「いいよなあ、星は」
と呟いた。
「綺麗な名前もらえてさ……」
「そーいや、『氷室』って、変な名前だよなー」
エルトが私の隣に移動しながら、サラッと失礼な事を言った。兄さんは笑顔のまま冗談を言うように、
「エルトもそう思う?」
「思うなーっ」
うんうん、と頷き合う2人。
そういえば、と私は思う。『氷室』という名前は、結構珍しいと思う。あまり考えたことなかったけど、いい機会だし聞いてみようかな。
「兄さんの名前って、なんか由来あるの?」
「もちろんあるさ」
兄さんは両手を組みながら、
「なあ星。氷室京介って知ってるか?」
「氷室京介って……ミュージシャンの?」
「そう、ミュージシャンの」
はぁ、と溜息をついて兄さんは続けた。
「母さんがさ……その氷室京介の大ファンでさ。息子に『氷室』って名前を付けるくらいには大ファンなんだ」
「……」
なんだろう、凄くリアクションがしづらい。
「それは、こう……」
「まあ、それなりに珍しい名前だし……学校とかじゃ、覚えてもらいやすかったかな」
そう言って、兄さんは開き直ったように笑った。
「ホラ、料理人だけに冷凍庫っぽい名前だしさ」
「冷凍庫っぽい名前って……」
まあ、確かにそうだけどさ。
ちなみに氷室という言葉の本来の意味は、氷を貯蔵しておくための倉庫やスペースの事だ。確かに冷凍庫?
でも、私は思う。兄さんは明るいし優しいし、冷凍庫みたいな冷たいイメージは全くない。冷凍庫みたい、なんていう肩書きは、私の周りでは桐也の方が似合うだろう。
そういやさ、と兄さんは話の舳先を変えた。
「エルトやヒバリって、なんか名前に由来ってあるのか?」
『?』
2人の天使はそろって首をかしげる。
そういえば、と私は考える。天使、なんて現実離れした要因からだろうか、彼女たちの名前の意味や由来というのは全く気に留めていなかった。
改めて考えると、ヒバリはまあ分かるような気がするけど――エルト、という名前には意味が全く感じられない。
「どうなの、2人とも」
私は相変わらず顔を見合わせあって首をかしげている天使たちに声をかけた。エルトは「んー」という音に濁音をつけて唸りながら、
「わっかんねー……なー」
「自分も、分かんないっすねえ」
ヒバリもそう言って続けた。
「自分はヒバリなんて名前っすけど、よく考えたら意味なんて知らないっす。灯台もと暗しっす」
「おお、使い方が正しい」
兄さんは喜ぶ……というより驚愕したような表情になって、
「ヒバリもそれだけ混乱してるってことか」
「いやいやいやいや。それっておかしくない? 逆じゃない、普通」
混乱しているから、ことわざの使い方が正しい。それっておかしくないかな。
兄さんは私の顔を見て、
「だって、ヒバリは普通じゃないからな」
「……それもそっか」
「だろー?」
「だねー」
私達が笑いあっていると、ふとエルトが言った。
「なあ星ー。お前も考えてくれよー、ウチの名前の意味」
「えー……エルト、でしょ? なんだろ……」
エルト。えると。なんだろう……L、to?
いやいや、さすがに無いか。天使なんだし、もっと重要な意味があってもいいんじゃなかろうか。しかしその重要な意味が思い浮かばないのも事実。
「……兄さん、どう思う?」
「んー」
従兄に助けを求めると、兄さんは腕を組んでしばし考えた後、
「エルト……エルトなあ。なんだろうな……」
と呟いた。
「ヒバリ、お前はどう思う?」
「んー、自分はエルトの『エル』の部分が大事だと思うっす」
「というと?」
エルト自信も興味しんしんで聴き入る中、ヒバリは口を開いた。
「elって言うのは、ヘブライで『人』とかそういう意味だったと思うっすよ」
「ひと……いや、でもエルトは天使じゃん。人じゃないじゃん」
「じゃあ従妹さんだって『星』って言う名前なのに人間っす。星じゃないっす。おかしいと思わないっすか?」
「う……そりゃそうだけど」
思い切ってそう言われるとなあ。
すると、エルトは笑みを顔にたたえながら、
「まー、ウチの名前の意味なんて、小さい事じゃんかっ」
「そうかなぁ……」
今までの思考を全否定されたような気がして、私はがっくりと肩を落とす。
すると、「だってさー」とエルトは口を開いた。
「ウチはエルトで、ヒバリはヒバリで、星は星で、氷室は氷室で、それでいーじゃんか」
『……』
無邪気な表情でエルトはそう言った。
私はふと考えた。確かに、名前ってすごく重要かもしれない。けど――
名前とその人の性格や内面が一致してるかと言われれば、そうでもないだろう。そこまでこだわって詮索して、その人の本質を見なかったら本末転倒(使い方あってるよね?)だろう。
「だから、名前なんか深く考えなくてもいいんじゃねーかなっ!」
「全国の母親を否定したね、今……」
前言撤回。名前が本質じゃないけれど、名前をないがしろにしていいということじゃないだろうに……。
そのままいひひっ、と笑うエルトを見て、兄さんが私に話しかけてきた。
「毎日、こんな感じなのか?」
「うん、まあ」
「そっか」
半分息のような声で兄さんは呟いて、
「星、元気になったよな」
「そう? 前まで元気じゃなかったっけ」
「元気だったけどさ――なんかこう、雰囲気が明るくなった感じ。髪、短くしたからかな」
「ああ……そっか。前に合った時は、伸ばしてたからね」
実は私、中学に入るまで髪を伸ばしていた。今のエルトくらい、腰のあたりまでは伸びていたと思う。運動会の時なんかに、桐也によく結ってもらっていたのがいい思い出だ。
1人暮らしを始める時に、気分を一新しようと思ってバッサリ切ったんだけど――明るくなった、という言葉を鑑みるに、良い方向に働いてくれたようだ。
「切ってよかったな、髪」
何気なしに呟くと、兄さんはいきなり笑いだした。あははっ、と明るい声で。
「氷室さん? どうしたっすか?」
ヒバリが山びこさせるみたいに右手を口に添えながらそう問いかけると、兄さんはまだ少し笑いながら、
「いや、俺の友達がな――まあ、髪の長い奴なんだけど」
「うん」
私は相槌を打って、兄さんが続ける言葉を聞いた。
「そいつはさ、髪を結んだり、頭を触られたりするのが大嫌いでさ。髪切らないのか? って言ったら、『ふざけるな! 私に死ねというのか!』って、1時間位怒られた」
「うへぇ……それだけで?」
「ひどい奴だろ? しばらく会ってないんだけど……少しは角が取れてるといいなぁ」
最後の方になって、兄さんは少しだけ目を細めてそう言った。
「その人って、どんな人なの?」
私が尋ねてみると、兄さんは「そうだなぁ……」と天井を見上げながら、
「どんな……どんな奴なんだろう。強気な時もあれば、泣き虫な時もあって……」
微妙な表情を浮かべて悩みながら、兄さんは続けた。
「一言で言うと――綺麗、だったかな」
「大雑把だね……」
「そんくらい掴みどころがないってことだよ」
少しムスッとしながら兄さんは言った。来年で成人なのに、こういう子供っぽいところは変わらない。母さんと同じで年甲斐のないこと。
すると、エルトがうずうず、といった感じで言った。
「星ー。ウチ、暇だよー」
「暇だよーって……なんか家事の手伝いでもしてくれればいいのに。それこそ、ご飯作るとかさ」
ちょうど調理師のお手伝いさんもいることなんだし、教わったりするのはいい機会だろうに。
私はそう思いながら溜息をつくと、兄さんが笑いながら言った。
「まあまあ。エルト、暇なら俺が料理教えてやるよ」
「ホントかー?」
何気なさそうなエルトの返事に、兄さんは頷いた。
「星、食材とかちょっと使っちゃっていいか?」
「あ、うん。どうぞ」
「おっけー。エルト、こっち来てくれ」
兄さんが手招きしてキッチンへ入っていく。エルトは「へーいっ」と明るめに返事をしながら、兄さんについて行った。
「氷室さーん。自分は何をすればいいっすかー?」
取り残されたヒバリが尋ねると、兄さんはシンクで水を流しながら、
「ヒバリは星の手伝いしててくれ。一応、お手伝いさんだからな」
「いや、お手伝いさんは兄さんだけじゃ――」
「星、なんか手伝う事があったらヒバリに遠慮なく言いつけてくれなー」
無理矢理に話を纏めて、兄さんはエルトに料理の指南を始めた。
私とヒバリは10秒間固まったのち、
「じゃあヒバリ。洗濯物干すの、手伝ってくれない?」
「いいっすよー」
明るく返事をして、ヒバリはすい~っ、と浮かびあがり、私の後ろからついてくる。
キッチンから「おりゃーっ!」という、何か場違いな掛け声が聞こえてくるのは、気のせいだと信じたい。
という訳で。
私と従兄と、それぞれの守護天使との生活が始まった。