1…一期二会?-Part/α1
夏休み初日の朝。
私は自然な習慣なのか、普段と同じ時間に起きた。
そして、窓の方へ視線を向けると――
「うっへぇ……」
それはもう、じりじりじりじり、と音が聞こえる位の暑さと光量。すぐ向こう側の景色が、陽炎で揺らいで見える。夏休みに入ったから、という感覚的な暑さだけでは証明できそうにないようだ。
それでも、我が守護天使様は日課をきちんと守っていた。
エルトはいつの間にか、普段着の紺ブレザーに身を包んで、ベランダに裸足のまま出ていた。そして、両手を組んで、太陽に向かって静かに祈っているようなポーズ。
「……すごいなあ、エルトは」
私は開け放たれた窓から除くエルトの背中に小さく呟いて、ソファに座りこんでTVの電源をつけた。
昔、母さんに教えてもらった事がある。
プラシーボ効果という言葉がある。例えば風邪をひいている人に、風邪薬ですよーと言って袋に入った小麦粉を服用させると、本物の風邪薬と同じ効能が出るそうだ。つまり、人の感覚というのは『思い込み』に左右されやすいらしい。
それとこれとどういう関係があるかというと。
『暑い暑い』と思っているから『暑く』なるらしい。つまりは『暑くない、涼しい』と強く念じていると、体感温度は下がるということだ。
これで冷房代節約しちゃいなさい、と教わった私は、とりあえずTVのニュースを見ながら、
「涼しい涼しい涼しい涼しい……」
と連呼しているのだった。
「涼しい涼しい涼しい涼しい涼しい涼しい涼しい涼しい涼しい……」
TVでは毎朝恒例となった天気予報が流れている。今日の最高気温は32度らしい。
「涼しい涼しい涼しい涼しい涼しい涼しい涼しい涼しい涼しい涼しい涼しい涼しい涼しい涼しい涼しい涼しい涼しい涼しい――あー!」
やめた。虚しすぎる。こんなんで真夏日覆せるか。あと口が疲れた。
うだーっとソファに大きく背を預けると、横にぽすんっ、と誰かが座る音がした。
「星……あっちーなー」
毎朝の日課・太陽へのお祈りを終えた私の守護天使、エルトがぐでーん、という雰囲気をまとわせて座りこんだ。やっぱり暑かったのか、顔は紅潮し、体のあちこちに汗がにじんでいる。
ふーっ、とエルトは大きく息を吐いて、
「あっちーなー」
「そうだねー……」
「あー、あっちーよなー。ホントにあっちーなー」
「そうだねー……って、なしなし」
涼しい涼しいと連呼するのが疲れても、暑い暑いと言って暑さを増進させるのは勘弁して欲しい。
「今日から三条家では『暑い』は禁止用語。言っちゃだめ」
「えええー! なんだよそれーっ」
エルトはむーっ、と頬を膨らませて、
「暑いから暑いって言って、なんか悪いのかよー」
「暑い暑いって聞いてると、余計に暑くなるんだよう……」
ただでさえ北欧人の血が入ってるのに、これ以上は流石にこたえる。私は熱中症で倒れるんじゃないかな、という覚悟を決めつつ、キッチンへ向かう。
とりあえずご飯作らないと。冷たいやつ。
○
冷たい日本食――
要は冷やし中華だ。朝から食べるのは少しどうかと思ったけど、今日1日分のエネルギーをつけるのにはピッタリだ。
「そういやさー」
ズルズルと中華麺をすするエルトが口を開く。きちんと口の中の物を飲み込んでから喋るのが地味に偉い。
「昨日言ってた『おてつだいさん』って、結局来るんだろー?」
「ああ……そうだね」
私も冷たい麺つゆの入ったガラスの器を持ちながら、やや不安になって頷いた。
「結局、誰なんだろーなー。まだ知らねーんだろー?」
「うん……本当に、誰なんだろうね」
むーん、と唸りながらエルトはズルズルと中華麺をすする。
ちなみにこの中華麺は自家製だったりする。実はコツさえ掴んでしまえば簡単なのだ。
それにしても、暑くならないうちにと思ってたくさん作っておいてよかったと、本当に思う。心から思う。
「エルト、おかわりならたくさんあるからね」
「おーうっ」
元気に返事をして、もぐもぐと麺を咀嚼しながらエルトはTVに目を向ける。
私も自然に目がTVに行く。TVを見ながらのんびりと朝食を食べる――これこそ夏休みって感じ。普段はそんな余裕、あんまり取れないしね。
ニュースでは、前年度に比べて平均気温が再び上がっている、という旨の事を話している。
「年々暑くなるんだなあ……」
私は小さく呟いて、そう言えば小さい頃の夏休みはこんなに暑くなかったなぁ、とぼんやり考える。
このまま地球温暖化が進んだら、私が20歳位の頃には、まともに外に出ることすら敵わなくなってしまっているんじゃないだろうか。そうなると、私はどうやって暮らしていけばいいのだろう。保冷材でも大量に買い込むかな。
すると、エルトが口の中の中華麺を律儀に飲みこんでから、
「『おてつだいさん』、いい奴だったらいいなー」
と言って、いひひっ、と笑った。
「星の友達が増えれば、ウチだって楽しいぜーっ」
「そ、そう?」
「そうだっ」
なんか最後だけちょっとムキになってエルトは頷いた。
「ウチから見てても、星には知り合い少ない方だと思うからなー」
「エルト、口開けて待ってようか。麺つゆの原液をたっぷり注ぎ込んでやるぅっ」
「おわあーっ、やめ、やめろよーっ」
わあわあ、ぎゃあぎゃあ。近所迷惑も顧みず、私とエルトの部屋の中での攻防戦。
「ちっきしょー……星がやる気なら、ウチだって容赦しねーぜーっ」
およそ四角形をしている部屋。私が陣取っている隅の、ちょうど反対側の角に陣取っているエルトが身構える。右手をすうっ、と目の前あたりにかざすと――ぽうっ、と赤い光の球が、彼女の掌のあたりで浮かんでいる。
それはすうーっ……と形を広げていき、ぱんっ。と光がはじけた頃には、
エルトの右手に、両刃の剣が握られていた。
銀光りする、長さ1メートル弱位の流線形の刃。その刃には赤い十字架のマークがあしらわれ、まるで教会の儀礼用のような、『武器らしさ』のないものになっている。
しかし、エルトが持っているのは、紛れもない凶器だ。
聖装、という、守護天使が使う武器のようなものだ。ラミラミが槍を持っているように、アリィが拳銃を持っているように、イロウが鎌を持っているように――エルトの場合は剣、という事だ。
「おらーっ、星。大人しく降参しやがれーっ」
エルトは威嚇のつもりか、姿勢を低くして、呼応するように低い声でそう言い放つ。
かたや剣、かたや麺つゆ(原液)を得物に、熾烈な睨みあいが始まる。
『……』
緊張が走る。夏の暑さなんて忘れてしまうほど、冷たい空気が流れている。
そこで、私は――
先手を打つように、エルトに向かって言い放った。
「やめようか」
「そだなー」
お互いに得物をおろし、10秒後には座り合って自家製の中華麺をすすっていた。
「暑い時にやることじゃないね」
「おー。ウチも気付いた」
「やっぱりケンカは良くないね。こんな日には特に」
「そだなーっ。でも……」
と、エルトはそこでいったん言葉を切り、しっかりした目つきでこう言った。
「もし星に悪いことする奴がいたら、ウチはこんな日でも容赦しねーぜっ」
「……」
そう言ったエルトの目は、恐ろしくもあり――それ以上に、頼もしくもあり。
微妙に現実離れした言葉に、私は答えた。
「頼んだよ、エルト」
「おうっ」
何度か繰り返した問答を今日も交わし、私達が食事に戻ろうとすると、
ぴーんぽーん、ぴーんぽーん……と、チャイムの音。
『!』
私達はほぼ同時に、玄関の方へ視線を向けた。
私は反射的に時計を見る。時刻は7時30分。新聞の勧誘や、回覧板が来るにしては、やや早い時間だろう。
という事は、どういうことか?
「お、お手伝いさん、かな……」
「マジかーっ?」
エルトが好奇心にあふれた表情で、腰を浮かせている。
私はそれを見て、エルトの肩を素早くつかみながら、
「ちょっと待ってなさい」
「ええー! 何でだよー、ケチー」
「ケチじゃない。だって、エルトが出たら、お手伝いさんが驚くかもしれないでしょ? ここっでは私は、1人暮らしってことになってるんだから」
「むー」
不機嫌ながらも、エルトは再び座りなおしてずるずるずる! と中華麺をすすってくれているようだ。若干音が荒っぽいのはきっと気のせいだろう。
私は玄関の扉のあたりまで行ってから、「はーい」と返事をした。
「今開けまーす……」
と、言いつつも。内心では、かなり緊張していた。
なんせ一晩中考え通しても分からなかったのだ。いったい誰なのか気になっても仕方ないだろう、三条星、16歳。これで新聞の勧誘とかだったら、もう笑うしかない。エルトに思い切り甘えてやる。
そんな風に思考を巡らせつつ――
私は、ドアのロックを解除して、ゆっくりと、実にゆっくりとドアを開けた。
そこに立っていたのは、2人の男女だった。
男の人の方は、背が高くて、白い半袖のカッターシャツに黒いスーツのズボンをはいた、見たまんま社会人、って感じの人だった。黒いつやのある髪と中性的にも見える顔立ちは、眉目秀麗、という言葉が良く似合っていた。傍らには銀色のスーツケースが置かれていて、長旅でもしてきたような大荷物だ。
女の人の方は、私より少し低い位の背丈をしていて、ワンピースを身に着けた明るそうな感じの人だった。髪は濃い緑色で、何故か赤いハチマキを巻いていて、後頭部で結んだ余りが背中まで垂れていた。どこか余裕を持ったその微笑みは大人っぽい感じがするけれど、原河さんや昴と比べれば、まだ子供っぽい感じの人だった。
私はその2人のうち、男の人の方を見て、ホッと溜息をついた。
「兄さんかぁ。ビックリした……」
「ハハ、悪い悪い。普通に教えたんじゃつまんないからな」
そう言って、男の人は笑った。
「まあともあれ――久しぶりだな、星。元気にしてたか?」
そう爽やかに挨拶する男の人。彼の名前は、神原氷室。
私の従兄弟だ。