3…爆弾は手にくっついて離れません。-Part2
かんかんかんかん、と踏切のような擬音が嫌でも聞こえそうな夏の日の昼下がり。
「うわあ~……結局来ちゃったなあ、学校」
私はつい朝方に見たばかりの景色を見上げて、ほとほと溜息をついた。状況として変わってることとすれば、服装だけだ。
「ホラ、さっさと御琴を探そうぜー」
「う、うん……」
持ち前の強引さで私をぐいぐいと引っ張るエルトに引きずられるように、朝は開いていなかった玄関から校舎へと入っていく。
「原河さん、帰ってないといいけどなあ……」
○
休みの日の校舎は味気ない。
雰囲気として、味気ない。しん、と静まり返っていて、見慣れた校舎でもなんだか全く道順を知らない迷路みたいに思えてくる。ついこの間テストが終わった為か、補習を受けている生徒などはいないみたいだ。
しかしまあ、原河さんは何が楽しくて土曜日までこんなところに来るんだろう。しかも制服で。学校行事の手伝いでもするんだろうか……いや、あの人はそういうのしなさそうだしなあ。
そんな事をぼんやりのやりと考えつつ、白い校舎を天使と練り歩く。
「どこだろう……?」
「んまー、そのうち見つかんだろー」
「そんなお気楽な……」
はあ、と今日何回目だろうと疑問に思う溜息。
私もこんなポジティヴシンキンガーだったら、もっと人生楽しくやれてて、友達も増えてたのかなあ。桐也の言うとおりだ。いつからこんなふうに育っちゃったんだろう。
その時だった。
かさ、と、後ろで何かの音がした――よう、な気がした。
「?」
私は振り返る。
真っ直ぐに続く白い廊下には、誰もいなかったし、何もなかった。紙切れ1つ落ちていない。
「……気のせいかなあ」
あーあ。とうとう幻聴まで聞こえるようになっちゃってるよ。覚醒剤服用者じゃあるまいし、せめて平常な感覚を取り戻したい。
と、思ったのが間違いだと、すぐに気付いた。
「星? どしたー?」
エルトが不思議そうに私に尋ねる。
「なんか変なもんでもあるのか? ウチには見えねーけど、どうかしたのかー?」
「あ、ううん。なんでもないから」
正直に返事をして、私は思った。
感覚がどうとかじゃなくて、世界がおかしくなってるんだもんね。そりゃ、平常じゃない世界で、平常な感覚を保てという方が無理じゃないか。あーあ、すばらしきこのせかい。それに気付いた私って、実は凄いんじゃない?
なーん、て。
私は謙虚に生きるのだ。とりたてて野望がある訳じゃないし、やりたいことだってない。働かずに家事をして過ごしていけるという進路だってあるんだし、この辺は女の子の特権だよね。
「つっまんねーなー」
そんな事を考えていると、エルトは私の思考を読んでかそんな事を呟いた。
「星はさー。貪欲さってもんが足りねーよなー」
「いいじゃん子供じゃないんだし。私は謙虚に生きると決めているのです」
「ウチはそんなのつまんねーと思うぜー」
何度も何度もつまらないつまらないと連呼されると、さすがにイラっとくる。
「天使は基本的に歳もとらねーし、寿命もねーからわかんねーけどさー。人間の人生は1度きりなんだから、やるだけやった方がいいんじゃねーかー?」
「む……まあそうだけどさ」
そのやりたいことがないんだよね。だから困ってるんだけども。
はぁーあ。進路希望、どうしようかな。
いっそ調理師とかになってもいいかもしれない。折角の得意分野、伸ばして活かしてもいいんじゃなかろうか。
そんな折、再びあの感覚が。
「ん?」
立ち止まって、振り返る。
まただ。なんかこう、かさ、とか、ぱた、とか、そんな感じの音がした。
「……星。なんかいんのか?」
エルトも2回目となると警戒心が働くのか、真剣な声と表情でそう言った。
「なんかいんなら、ウチがどうにかするか?」
「いや……多分、気のせいだから。大丈夫だよ」
ふーん、とエルトはあっさりと意識を途切れさせ、
「じゃ、ほっとくかーっ」
と言った。
きっと私は私服で学校を歩いているせいで、人目が気になったりしてるんだろう。そんなふうに考えて、この時は特に気にしないことにした。
「なー星。本当に大丈夫なのかよー?」
「あはは、大丈夫だよ。それに何かあったら、エルトがどうにかしてくれるでしょ?」
「へっへーん。よく分かってるじゃんか」
腕を組んで、えっへん、という感じでふんぞり返るエルトに、私は思わず吹き出してしまった。面白かったのが半分と、頼もしかったのが半分。
そんな感じで校舎内を適当に歩いていると、
「あれ?」
と、1つの教室が目に入った。
1年1組――要は、私や結弦、桐也のいるクラスの教室だ。
普通の高校にしては大きい、大学なみの広さのある教室。机は1人1人が座るものではなく、これもまた大学のように大きな弓なりの1つの机に、4~5人が座るような形で授業を受ける。そんな教室も、もう3ヶ月もお世話になっており、すっかり見慣れた景色になりつつある。
そんな見慣れた教室は、休日だけあって無人のはずだ。
無人であるべきなのに――
その教室には、1人の女の子がいた。
「お? 誰だあれ」
「原河さんじゃないみたいだけど……」
私達は前側の教室の入り口から、その女の子を見ていた。
肩までかかるくらいの黒い髪を、頭の左側で銀のヘアピンでまとめている。何故か白いブレザー、要するに制服を身に着けていた。
その女の子は、私達の様子に気づかない様子で、黒板に白いチョークで何かを書いていた。
「……?」
私はその様子を、扉の陰でじっとのぞくように見ていた。
その女の子は、チョークで黒板にかっかっ、と、何か幾何学的な模様を書きなぐっていた。何が面白いのか、白い顔に微笑をたたえ、それでいて碧色の瞳には、何か真剣な眼差しが感じてとれる。
「なんだろう、あの模様……」
「なにがしてーんだろーなー」
小声でひそひそと語り合う私達。無音の広い教室には、かっ、かっ、とチョークの音と――女の子のものだろうか、鼻歌のような音も響いていた。
どこかで聞いたことがある歌だなあ……。小さい頃に聞いたとかじゃなくて、何か凄く有名な歌。最近も聞いたことがあるような気がする。
「この歌……あー、何だっけ……」
「? 歌?」
エルトは不思議そうに首をかしげる。私はそれにうん、と頷きながら、
「何だっけ……曲の名前が思い出せない。なんだったっけなあ……」
「こそこそしなくてもいいよ?」
急に、声をかけられた。
他でもない、教室の中の女の子からだ。彼女は黒板に落書きを残しながら、そうはっきりと言った。あまりにはっきりと、まるで宝くじで1等が当たりました、といきなり名指しされた時みたいに、驚くようなこともなかった。出来なかった。
「そこに隠れてないでさ。お話し、しようよ」
ダメ押しのように言うので、私はなんだか申し訳ない気持ちになりながら、おずおずといった感じで教室に入って行った。後ろからは、エルトが浮かんでついてくるような気配もあった。
その女の子はチョークを走らせながら、
「あなたは、三条星さん?」
と、いきなり語りかけてきた。
私は前にも似たようなことがあったような……と感じながら、
「う、うん。そうだけど……」
「やっぱり?」
くすっ、と高い声で笑いながら、
「うわさ通り、美人なんだねえ」
「そ、そう……かな?」
むーっ、とエルトがむくれるような雰囲気を感じた。でも、今は一般人の前、スルースルー。
女の子はようやくチョークをかたん、と置きながら、
「『スターゲイザー』」
「ん?」
「さっきの曲。『スターゲイザー』だよ」
「……ああっ。そうか……スピッツの?」
うん、と目を細めて笑うその人は、なんだかとても大人っぽく見えた。でも、原河さんとは違って、まだ可愛い、という形容詞の似合うような、妙な雰囲気があった。
その人は私に再び笑いかけ、
「自己紹介してなかったね」
黒板を見て頷きながら言った。
「私、昴。秋雨昴。よろしくね、星」
「は、はぁ……よろしくお願いします。えと……」
「昴、でいいよ」
そう言って、三度笑う。
私はなんだか変な人だなあ、と思いつつ、エルトの様子をうかがってみた。
きっと変なふうに警戒してるんじゃないかな、とか思っていたんだけど、意外にもエルトは大人しく、ふーん、といった感じの表情で昴を眺めていた。
昴は黒板に向けていた身体を、扉の近くに立っている私に向け直して、
「素敵な洋服だね」
と微笑んだ。でも、笑っているのは、目だけだった。口元には笑みがない。
でも、全く不気味には思わなかった。むしろ、目だけでここまで綺麗に笑えるんだなあ、と驚嘆していた。
私はそんな不思議な雰囲気に戸惑いを覚えながらも、
「そうかな」
とだけ言った。
「全部、安物なんだけど」
「じゃあ、中身が良いんだね」
「そんなエルトみたいなことを言われても……」
言いかけて……というか言って、しまったと思った。
もしこのままで『えるとって何?』なんて返されたら、私はなんとリアクションしたらいいんだろうか。まさか私の守護天使の名前です、とは口が日本刀で斬り裂かれても言えない。
エルトはエルトで、特に興味を持っていないのか、「ん?」といった感じの表情で昴を眺めていた。昴は昴で、瞳だけを細めて笑いながら、
「へぇ」
と、思わせぶりに呟いた。呟いた、というよりは、心の底から楽しい時にはこうやって声が出るのかな、という感じだった。
昴はその鋭い瞳で私を見ながら、
「素敵な名前だね、エルトって」
と呟いたのちに、
「ねえ、キミ、エルトって言うんだ? ……可愛いね」
単純に誰かをほめるように、そう短く言った。
他ならぬ、私の隣の守護天使――『普通の人』には見えない、エルトに。