1…拾った女の子は、非日常式爆弾でした。-Part/ε3
それにしても、と僕はあらためて彼女の事をまじまじとみた。
天使、か。確かにこの子の容姿とか、可愛いところとかを形容するには、それなりに合った言葉かもしれない。しかし、目の前にいるクライという変わった名前の女の子は、どこからどう見ても普通の女の子だ。
「あ、あの……そ、そんなにジロジロ、見ないでほしいです」
「ああ。ゴメンね。ただ、いきなり君が天使だって言われて、信じろって言われてもね……」
「やっぱり、難しいですか?」
少し諦めの表情を浮かべながら、クライは尋ねかけてきた。僕はそれに、うん、と素直にうなずいた。
「じゃあ、証拠をみせますね」
するとクライは一転、楽しげな声で歌うようにそう言うと、僕に向き直ってトントン、と革靴でアスファルトの地面を叩いた。きょろきょろ、と周囲を見渡し、
「……誰も、いませんよね。よし」
そんなことを確認しながら、とんっ、と軽く地面を蹴って――浮かび上がる。
そして、そのまま浮遊し始めた。
「どうですか?」
クライは両手を広げ、にっこりと笑って。
「天使かどうかはともかく……これで、人間じゃないって、信じてくれますか?」
妙な事を自慢しながら、彼女はこちらへ微笑んだ。
僕はその様子に半分驚き、半分楽しみながら、
「うん、信じるよ」
「本当ですか?」
ぱあっ、と彼女の表情が一気に輝いた。まるで天使みたいだな、と思った。実際にそうなんだろうけど、そう思うと天使の微笑みを実際に見ることのできる僕は、かなり幸運なんじゃないだろうか。
そんな事を考えていると、クライがふと話しかけてきた。
「あの、私、海吏くんの……海吏くん? でいいですか?」
「うん、構わないよ」
「分かりました。それで、海吏くんの守護天使としてここに来たわけなんですけど……その、これからあなたの家にお邪魔してもいいですか?」
「ん、別にいいよ?」
知らない子を家に上げるのは少し気後れするけど、なんだかこの子は僕の守護天使とかいうものらしい。少なからず僕にも関係があるだろう。そんな子をこのまま夜中の町に置いて行くのは、人として、教師としてちょっといけないと思った。
クライはそんな僕の様子に「ありがとうございます」と浮かんだままで優秀な社長秘書みたいに丁寧にお礼を言った。なんだか妙にかしこまったその態度に、僕は少し吹き出してしまった。
「じゃあ、今から家に案内するから。ついてきて」
○
駅の前には、20階建ての大きなマンションがある。僕の部屋はその大きなマンションの16階のうちの一部屋だ。
「わあ……大きいですね。よく崩れないなあ……」
「そりゃ崩れたら大変だよ」
好奇心なのか、マンションの外観を見上げながらそんな物騒な事を呟くクライ。彼女の瞳は、なにか不思議なものを見たように光を帯びている。僕はそんな天使を横に、入り口の自動ドアへ向かった。
暗証番号を入力し、赤い絨毯で囲まれた大きなロビーを通り過ぎ、エレベーターへと乗り込んで「16」のボタンを押す。軽く重力を受けながら、それでもあっという間に16階に着いたエレベーターを降り、廊下を少し進んだところにある部屋の鍵を開けて、中へと入る。
部屋の中は高級マンションに似つかわしくない、廊下を中心にリビング、クローゼット、和室、寝室などの簡素な部屋しかない。その分リビングは広めで、眺める夜景はとても綺麗だ。
「凄いですね……きれい……」
クライはその夜景を見ながら、キラキラと目を輝かせている。僕はソファに座りこみながら、少し休もうと深く腰を落ちつけた。
「お茶とか飲む? コーヒーとかもあるけど」
「あ……じゃあ、紅茶とかあればいただきたいです」
「紅茶ね。分かったよ」
ありがとうございます、と恭しくお礼を言う彼女をテーブルに座らせ、淹れた紅茶を差し出す。まだ熱湯であるそのお茶を冷ましもせずに口に運んで軽く飲み込む。
「熱くないの?」
「熱いですよ? でも紅茶ってこうやって飲むものだって教わりました」
平然とそんな事を言ってのける。天使と言うのは、いろいろと変わってるもんだなあ。
そして熱そうなそぶりは全く見せないままで紅茶を飲み終えたクライは、僕に向き直ってこう言った。
「とりあえず、私はあなたの守護天使として、しばらくここに住まわせてもらいたいんですけど……」
「ここに?……うーん、構わないけど、僕は料理とかあんまりできないし、あまりいい暮らしはできないと思うよ?」
そう。僕はあんまり料理が出来ない。たまに遊びに来る妹に作ってもらう事はあるけど、それ以外はだいたいコンビニの食べ物とか、インスタントなものが多い。正直言って、身体に悪い。
それでもいい? とクライに尋ねると、彼女はにっこりと笑って、
「構いませんよ。私、食べ物にはあんまりこだわりませんし、それに……」
と、少しだけうつむいて、
「海吏くんと一緒なら、それでいいです」
「そう……かな。そう言ってもらえると嬉しいけど」
少し照れながら返すと、クライもそう感じたのか顔を赤くしている。なんだかお見合いみたいだな、と感じた。
「でも、この家には面白いものなんてないよ?」
なんとか空気を変えようとそんな事を言ってみた。良く考えたらそんなこと言ったら居心地悪くしちゃうかな、と後で気付いた。もうちょっと配慮しないと。
しかしクライは特に気にしていないらしく、きょとん、と瞳を丸くして、
「あの、勉強ができれば……」
「勉強?」
出てきた答えは、ちょっと意外なものだった。
「私、勉強が好きなんです」
「……ああ、そういえば本屋でも参考書読んでたっけ」
「はいっ。あの、海吏くんは先生だって聞いてたので……たくさん本を読んで、勉強がたくさんできればそれで……あの、ワガママですいません……」
しゅん、と肩を小さくする彼女に、僕は笑いながら、
「大丈夫だよ。僕も1人暮らしって暇だったし、好きにして構わないよ。困ったこととか聞きたいことは、なんでも聞いてね」
「は、はい。ありがとうございます!」
あわてて座ったまま、頭を思いっきり下げてガン! とテーブルに頭突き。おでこをさすって「いったあい……」と涙目になるクライは、やっぱり年相応の……見た目より幼い感じに見えた。天使と言うのは、見た目で判断してはいけないようだ。
そういえば年はいくつなんだろう、という疑問も浮かんだけど、さすがに失礼かなと思って聞くのはやめておいた。
「さて、今日は夜遅いし、もう寝ようかな……」
ソファから立ち上がって背伸びをし、白衣を椅子にかける。取り合えずシャワーでも浴びてこようかな、と思ったところで気付いた。
僕がシャワー浴びてる間は、クライは1人だ。きっと暇だろうな、と思い、僕はリビングの隅っこの方にあるプラスチックの引き出しの中から、一冊の本を取り出した。中学レベルの数学の参考書だ。
「ねえ、これやってみて?」
「え、いいんですか?」
「いいよ、全然。もしそれが終わったらあそこの引き出しにたくさん問題集が入ってるから、どんどん使っちゃって」
「あ、ありがとうございます!」
するとクライは、着ていた制服の懐からシャーペンと消しゴム、定規、コンパス、などなどを取り出し、キラキラと目を……、
「ふふふ……どんな問題なんだろう……?」
……いや、ギラギラと輝かせていた。あれは、狩人の目だ。鷹へ向かって銃を構え、一瞬の隙を狙うような、目だ。
「……変わった子だなあ」
呟いて、静かに数学の問題集へ溺れていくクライを見ながら、僕は洗面所の扉を閉めた。
○
7月8日。
「終わるの早いね……殆んど寝てないんじゃない?」
午前4時。少し余っていた仕事を片付けようと起きた僕に、クライは白紙の1つもない問題集を差し出した。
「面白かったです!」
「そりゃいいけど、寝ないと体に悪いよ?」
「だって、寝てるって何もしてないのと同じじゃないですか」
「……そりゃそうだけど」
「でしょ? だったら、好きな事に使っている方が、時間としてよっぽど有意義です」
一見正しいようで全く的外れな事を言いながら、クライは笑った。
「でも、分からないところも多かったので……今度、教えてくださいね」
「う~ん、わかる範囲でね」
僕は、そんな彼女の様子を見て――
これから楽しい生活になりそうだな、と思った。
なんだか仕事が増えたような気分になりながらも、僕は割と乗り気でいた。
教師の性、かな。生徒に頼られると、やっぱり断れないね。