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プロローグ

 運命、という言葉がある。

 それは偶然の幸運だったり、予想だにしないハプニングだったり、あるいは誰かとの出会いだったり。人によって思い描く「運命」というのは、まったく同じということはないだろう。

 私が問題にしているのはそこではなく、それを信じるか否か。ということだ。


 はっきり言って、私は運命とか、天命とか、そういったものは全く信じていない。

 なぜ、と聞かれても分からない。ただ、むりくりに理由を挙げるとしたら……そう、運命なんてものに頼らなくても、私は十分に幸福だからだろう。

 16年生きてきたって、自分と生涯付き合えるような男の人には巡り合わないし、100万円を偶然拾ったりなんかしない。

 それでも、私は十分に思う。

 ああ、私の人生は……少なくとも今は、十分、「しあわせ」の部類に入るものだって。


  ○


(せい)~」

 朝起きると、ソファに寝っ転がってテレビを見ていた少女が開口一番に私の名を呼んで、

「腹減った~」

「自分で何か作ったらいいのに。昨日、スーパーで買い溜めしてきたじゃん」

 寝癖を簡単に整えながら、台所の冷蔵庫を開ける。卵、納豆、野菜室には今が旬の夏野菜がそこそこ。炊飯器はあと数十分で炊き上がりのタイマーを鳴らすのを心待ちにしている。

「今日は何食べたい?」

「なんでもいい! 星が作ってくれんなら、なんでも美味いからなーっ」

「はいはい」

 鍋に水を入れてコンロにかける。

「簡単でいいや。どうせ朝だし」


 ご飯、お味噌汁、青椒肉絲。簡単だけど、それなりの量だ。たった三十分弱でこれくらい出来るんだから、安いもの。時は金なりというけれど、私はその点億万長者にでもなった気分だ。

「んぐんぐ、んむむ」

「食べながらしゃべらない」

「んんむ~」

 しっかりと咀嚼して飲み込んでから、

「うまい!」

「ありがと」

 しばらく慣れていないから、作った料理に美味しいと言ってもらえるのは、今や私にとって毎日のささやかな幸福だ。素直にうれしい。

「星と一緒で良かった! ウチはしあわせもんだな~」

 そんな風に無邪気な言葉をかけられると、なんだか照れ臭かった。

「早く食べちゃいなよ? 皿洗いぐらいやってね」

「わかってるよーっ」

 へへ、と笑いながら箸を握ってご飯を口に運び、肉とピーマンを一緒に頬張る。

 私も同じようにして青椒肉絲を一口。

「む……今日はちょっと味が薄かったかな」

「そーか? そんなことねーと思うけど」

「そうかなぁ。うん……気にしすぎかなぁ」

 お味噌汁をすする。豆腐とわかめと、それから茄子。

「うん」

 おおむね、満足な出来だった。

 テレビのニュースはちょうど、海外サッカーについてをキャスターが語っている場面に差し掛かっていた。

「うっわ、リヴァプールまた負けたんだ。最近弱いなぁ」

 特に興味があるわけじゃないけれど、つい目に留まってしまう。高校野球を見ているときと同じ心理かも知れない。自分の土地のチームをなんとなく応援してしまう。特に興味があるわけじゃないけれど。

 人間とはともかく、そうやって何かしら、連帯感を得たい動物なのだろう。一緒になって何かをしてる、そういう感覚が欲しい。社会的欲求という奴だろうか、学校でもなんでも人間は群れたがる。

「星ー」

「ん、な、なに?」

 いきなり名前を呼ぶので慌てて考え事を放棄すると、米粒一つ残っていない、空の茶碗を差し出して満面の笑みを浮かべる少女がいた。

「『おかわり』!」

「はいはい」


 朝食を済ませたら、学生はおとなしく学校に行かないといけない。白いブレザーを引っ張り出して袖を通し、スカートをはく。時刻は午前七時。まだまだ余裕の時間だ。

 台所では洗い物をせっせと頑張る居候の姿がある。最初は皿を割りそうになったり、いや、実際に割ったこともあったけれど、今じゃすっかりこなれたものだ。エプロンをかけて泡まみれの手で汚れを落としていく姿は、――まだまだぎこちないけれど、それでも手際はだいぶ良くなってきた。娘の成長を見ているような気分になる。

 鞄の中に教科書を突っ込んで、充電器につなぎっぱなしだったスマートフォンの充電は満タン。

「おっと、忘れちゃいけないや」

 部屋の奥、卓袱台の上にひっそりと置いてあった金色のブレスレットを左手の手首に嵌めた。薄く光っていて、赤いラインが一筋走っている。何の変哲もないアクセサリーのようだけど、私にとっては大事なモノだ。

「よっし! 星ー、洗い物終わった!」

「ご苦労様。準備して」

「はーい」

 エプロンを外しながら彼女はパジャマ姿になると、奥の部屋に引っ込んでそれを脱いだ。そしてクローゼットにしまってあった紺色のブレザーを引っ張り出し、乱暴に袖を通してスカートをはく。赤いネクタイは適当に締めて、鎖骨の浮かんだ白い肌が朝日に眩しい。

「ちゃんと着ないとみったぐないよ」

「だって暑いんだもんよ。それに、誰に見られるわけでもないしな!」

 へへん、と彼女は薄い胸を張った。ブレザーの前のボタンもかけず、ルーズなその姿は何ともだらしがないけれど、不思議と似合っているから強く咎められない。

「行こうぜー! ガッコ、ガッコ」

「はいはい……っと、待った。寝癖ついてるよ」

「うぇえ、いいよー。面倒くさい!」

「だ~め。女の子なんだからちゃんとしなさい、これくらい」

「うう~」

 不服そうな顔をしながらも、ちゃんとこちらに背を向けてくれる。

「お利口さん」

 頭を軽く撫でてやるとくすぐったそうに笑う。指で軽く梳いてやると、ハネた髪の毛はあっさりと真っ直ぐになる。相変わらずさらさらで、絹のような触り心地だ。

 なんどかそうして梳いてやると、すっかり元通りだ。

「これで良し」

「うっし!」

 ガッツポーズして、彼女は文字通り飛び跳ねるようにして玄関まで向かった。

「行ってきます!」

「行ってきます」

 無人の部屋に挨拶して、ふたりで部屋を出た。鍵をしっかりかけて、アパートの四階から階段を降りる。朝から中々重労働だ。降りるだけなんだけど。

 まだ若いのに、現代人は楽がしたくてしょうがない。エレベーターが無いから、しょうがないんだけど。

 ふと隣を見ると、同居人は朝の風に長い髪をなびかせながら、ルンルンと鼻歌なんて口ずさんじゃって、

「エルトはいいなぁ」

 思わず声が漏れた。

「私も歩かなくていいようになりたい」

「へへーん。やるか?」

「だめ。万が一見つかったら、大変でしょ」


 同居人はいろいろと変わっている。

 紺色のブレザーに紅いネクタイ、靴下は短く茶色のローファを足先につけて、真っ赤な髪の毛は真っ直ぐに膝くらいまで伸びていて揺らめく炎のよう。足先は地面から数十センチほど浮かんでいて、風に漂うようにして移動している。

「あっちいなー」

 胸元をはたはたと仰ぎながら、エルトは額の汗をぬぐった。

「星、クーラーつけようぜ」

「どこにあるのさ」

 私がせっせと歩いているのに、こいつときたら。

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