青天の霹靂
しばしの間、過去話にお付き合いください。
「だん……ッ旦那様ァ!!」
ラウテル侯爵家当主の執務室に、血相を変えたシモンが駆け込んでくる。先代の頃からラウテル家に仕える、初老の家令だ。物腰は穏やか、冷静かつ有能——そんな彼が取り乱すなど何事か。エルンストは驚きに目を瞬き、顔を上げた。
「なんだ、どうした」
シモンをこんな風に取り乱させる存在なんて、ずいぶん昔に家を出た姉くらいのものだろうに。そう考えながら問いかけるエルンストに、シモンは口をわななかせ、ひっくり返った声で懸命に言葉を絞り出す。
「おお、シ、シルフィアお嬢様がお、お戻りになられました、その、おおッ大きな腹を抱えて……ッ」
「ハア!??!?」
エルンストは椅子を蹴倒すような勢いで立ち上がり、血相を変えて執務室から飛び出した。
ひとまず応接間に通した、と現状を聞きながら、エルンストは足早に廊下を進む。主従は揃って混乱し、似たような真っ青な顔色をしていた。
「姉上ッ!!!」
使用人がうやうやしく扉を開けるのを待っていられるわけがない。自らの手で勢いよく扉を開き、エルンストは姉の顔を見ようと応接間に踏み込んだ。
ソファーに腰掛ける人はいない。何故、と視線を落とせば、シルフィアは床に這いつくばり、エルンストに向かって頭を下げていた。
「すまない……」
「あね、姉上何を」
「自分には育てられないと分かっていたのに身ごもってしまった。流そうと思ったがどうしてもできなかった。どうかここで引き取ってほしい」
「お止めください姉上! ひとまず座って話を」
「しかし、私にはこうして頭を下げることしか……!」
「腹に! 障るでしょうが!!」
エルンストは思い切り姉を叱りつける。その体勢は腹の子によくない……! とにかく今、それだけが確実に分かることだった。
床に頭を擦り付けていたシルフィアは、「はい……」と小さくこたえて立ち上がり、大柄な体を縮こめてしょんぼりとソファーに腰掛ける。
「それで、相手は誰です。まずは父親が責任を取るのが筋でしょう」
エルンストは向かいにどっかりと腰掛け、シルフィアを問いただす。尋問が終わるまで茶など出すものか、とシルフィアを睨みつけ、深々と眉間に皺を寄せた。
「それは……その…………」
「言えない相手なのですか? ……まさか」
息を呑み、エルンストは言葉を詰まらせた。一度きつく目を瞑り息を整えた後、重々しく剣呑な空気を纏いシルフィアを見据え、底冷えするような声を出す。
「……もう一度聞きますが姉上、相手はどこのどいつです」
「ちっ違うぞ! 納得ずくのことだ!!」
殺気だ。今にも狩りに出そうな雰囲気がエルンストから漂っている。シルフィアは慌てて大声を上げた。
「その、色恋沙汰ではないんだ。人命救助のようなもので——死なせるには惜しいと思う相手を、この世に留める方法が他に思いつかなくてだな、その、相手はこの子の存在を知らない」
目を泳がせながら必死に弁明するシルフィアに、エルンストは深々と、それはもう深々とため息を吐いた。
「全くあなたと言う人はいつもいつも……」
眉間を揉み、滾々と説教したい気持ちをひとまず抑え、エルンストは再びため息を吐いて気持ちを切り替える。詳しくはないが、胎教とか、そういったものに怒鳴り声や剣呑な会話はよくないだろう。エルンストはそう思い、努めて平静を心がけてシルフィアに問いかけた。
「ずいぶん大きな腹に思えますが、いつ頃生まれる予定です」
「十月十日だろう。来週くらいだと思うぞ」
「あなたは!!! 馬鹿か!!!!」
胸を張ってこたえたシルフィアに、エルンストは今度こそ大雷を落とした。
§
屋敷は騒然となった。大慌てで産婆を手配し、赤子のための部屋を整える。お産の準備にかかり切りになっている間によからぬ噂が社交界を駆け巡ったが、その対応にまで気を配る余裕はなかった。
準備が間に合うかどうか瀬戸際の緊迫した日々を経て、シルフィアは本当に、ものの数日で産気づいた。エルンストは「なぜもっと早く来なかった」と怒り、シモンは「間に合わず道中で産気づいたらどうするおつもりだったのです」と泣いた。
何の経過診察も受けていない妊婦の初産だ。しかし母体の頑強な野生力ゆえか、奇跡のように危険のない、母子ともに健やかなお産を終える。
その日、ラウテル家にふわふわの金の巻き毛をもつ可愛らしい女の子が産まれた――








