電波の奪還
二〇一五年八月十五日 午後三時二十分 渋谷・放送会館周辺
「撃つな。——撃ち合いにしたら負けだ」
東京都警察局――いや、いまは内務省警務庁の臨時統制下。現地指揮官・湯川警視正は、焼けたアスファルトの上で、わざとゆっくり息を吐いた。
目の前に見えるのは、放送会館の外壁と、そこへ伸びる道路。
道路の先に、陸軍の装甲車がいる。履帯の音が、言葉より先に圧をかけてくる。
そして、耳には“声”が入っている。
——「非常緊急勅令により、帝都における武装勢力は直ちに行動を停止せよ。陛下の御意思は——」
偽物だ。
読み慣れた官僚の抑揚ではない。読み上げの間が違う。文字を追う目線が聞こえる。
「……最悪の形で電波を握られたな」
湯川が呟くと、隣の警備部員が唇を噛んだ。
「警視正、海軍が到着しました」
視線を向けると、青灰色の装具をつけた一団が、建物の影から滑るように現れた。
兵部省海軍局、陸戦隊。銃を持っているが、構えが“警察”とは違う。撃つための姿勢ではなく、奪うための姿勢だ。
先頭の士官が一歩出た。
「海軍陸戦隊、横須賀より。現地指揮、湯川警視正でよろしいか」
「そうだ。こちらの要求は一つ。——放送を止める。回線を押さえる。建物は極力壊すな」
陸戦隊の士官は即答した。
「了解。火力は絞る。こちらの要求は二つ。——交換機室、送出室、非常電源。そこへ案内してほしい」
湯川は頷き、無線を取る。
「各隊、よく聞け。目標は“建物”じゃない。“部屋”だ。——回線室、送出室、非常電源。そこを押さえたら勝ちだ」
部下の返答が混じる。
「了解」
「了解」
「了解」
返答の中に、微妙に違う声が混じった気がした。
湯川は顔を上げたが、もう視界は動いている。動いているときに“気のせい”は拾えない。
「開始する」
陸戦隊の士官が短く言い、手を上げた。
——同時に、遠方で銃声。
乾いた音が二発。三発。
どこから撃っているのか分からない。狙撃だ。狙撃は意図だ。意図は混乱だ。
「伏せろ!」
警備部が反射で伏せる。陸戦隊は反射で壁に張り付く。
その差が、湯川には妙に腹立たしかった。
「撃ち返すな!」
言いながら、湯川は自分でも分かっている。
撃ち返さなければ、前へ出られない。前へ出られなければ、放送は止まらない。放送が止まらなければ、帝都は“言葉”で負ける。
「——煙幕!」
陸戦隊が白い煙を投げ込む。視界が割れる。
割れた視界の向こうで、装甲車が砲塔を振った。
「……来るぞ!」
湯川は歯を食いしばった。
装甲車が一発でも撃てば、“治安”の顔は剥がれる。だが装甲車が撃たなくても、こちらは死ぬ。
その瞬間、放送会館の裏手で爆発が起きた。派手ではない。壁が崩れるほどではない。だが、確実に“人を動かす”爆発だ。
「裏手、爆発! 侵入だ!」
「……やられた。入口を見せ餌にしたか」
湯川は即断した。
「正面は囮だ。第二突入班、裏へ回せ。陸戦隊、送出室を最優先で取れ。六機は交換機!」
「了解!」
人が動く。
煙の中を走る足音が重なる。
銃声が、今度は近い。
湯川は放送会館の側面の非常扉に手をかけた。鍵は閉まっている。
そこへ陸戦隊員が躊躇なく器具を当て、最小の音で解錠した。
「……警察より静かに壊すのが上手いな」
湯川が吐き捨てると、陸戦隊員は笑わなかった。
「壊すのは簡単だ。壊さずに取るのが難しい」
扉が開く。
暗い廊下。非常灯。焦げた埃の匂い。
そして——スピーカーから、あの偽放送がまだ流れている。
——「……帝都の秩序を回復するため、各勢力は行動停止——」
「止めろ」
湯川が言った。
「止める」
陸戦隊が短く返し、前へ出た。
送出室前。
鉄扉。内側から鍵。
湯川は耳を当てた。中で人が動いている。紙をめくる音。呼吸。複数。
「……読み上げは生放送じゃない。録音か、送出室で直接読んでる」
「なら、切る」
陸戦隊の士官が手で合図し、扉の蝶番に小さな爆薬を当てた。
爆発は短い。破壊は“開く”だけに留まる。
扉が跳ね、煙が吹く。
湯川が踏み込んだ。
中にいたのは、放送局員ではない。
制服が違う。髪型が違う。
そして何より——銃を持っている。
「警察だ!動くな!」
湯川が叫ぶのとほぼ同時に、相手が引き金を引いた。
だが弾は湯川ではなく、天井のスピーカーを撃った。
——ブツン。
音が消えた。
偽放送が、止まった。
その“止め方”が、湯川の背筋を冷たくした。
「放送を止める」のが目的だったのか。
それとも「止まった」こと自体が目的だったのか。
陸戦隊員が相手を取り押さえようとした瞬間、相手は口元へ何かを運んだ。
噛んだ。
泡が出た。
目が虚ろになる。
「……自決薬か」
湯川は舌打ちした。
皇衛派の兵がこんな薬を持つか? 持たない。持てない。
統一戦線。あるいは、それに準ずる工作員。
「送出、切った。次、交換機だ!」
湯川が叫ぶと、廊下の向こうで返答があった。
「交換機室、確保! 回線復旧可能!」
勝った。
だが勝利は、静かすぎた。
戦車も、装甲車も、なぜかここで決戦に来ない。
逃がしたのか。
それとも——“目的を達した”のか。
湯川は無線を取り、軽井沢へ打電した。
「現場、通信確保。偽放送停止。犯人は工作員の疑い、服毒。回線復旧、ただちに正規放送に切替可能」
送信ボタンを押した直後、背後の窓から見える帝都の空が、微かに暗くなった気がした。
雲ではない。煙だ。煙の質が変わった。
「……帝都が、別の場所で燃え始めてる」
湯川は誰にも聞こえない声で言った。
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