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声で割れる帝国—帝都蜂起から琉球独立へ—  作者: ろーむ
第一章 帝都蜂起

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決裁

二〇一五年六月七日


朝の庁舎は、夜より冷たい。冷たいのに、胃の奥だけが熱い。徹夜明けの煙草の苦味が舌に残っていて、コーヒーを流し込んでも落ちない。

机の上の報告書の束が、やけに重く見えた。紙が重いんじゃない。紙の先にある決裁が重い。


「……歌川、昨日の分、まとめたか」


野中警部補が係長席から顔だけこちらに向けた。髪を掻く癖がいつもより荒い。焦りじゃない。苛立ちだ。上が動かない時の苛立ち。


「はい。正木は私邸入り二三一〇。出は〇四四五。接触者なし。寄り道なし。綺麗すぎます」


「綺麗すぎるのは、準備があるってことだ」


野中は報告書の端を指でトントン叩いた。


「で、次は?」


来た。

次は、尾行じゃない。尾行の先だ。


「……私邸の中です。最低でも“環境音”(盗聴)。通信傍受までは言いません。まずは“耳”を作りたい」


俺が言うと、野中の目がわずかに細くなった。

その目は賛成でも反対でもない。“どこまで覚悟があるか”を測る目だ。


「分かって言ってるか。軍の私邸だぞ。下手を打てば、庁内じゃ済まない」


「だからです」


俺は言った。


「庁内で済むうちに、庁内でやる。軍が動いてからじゃ遅い」


野中は短く息を吐き、椅子の背にもたれた。


「課長が嫌う。政治になる。薩摩(上層部)が嫌う。長州(陸軍)が怒る。——で、うちが板挟みになる」


警察の論理は、現場だけで完結しない。

現場が欲しいのは証拠だ。上が欲しいのは“落とし所”だ。


俺は一拍置いて言った。


「落とし所は後で作れます。証拠は後じゃ作れない」


野中が苦い顔で笑った。


「……言うようになったな。公安の癖か」


「癖です。生き残る癖です」


沈黙が落ちた。

沈黙は、決裁の前触れだ。


「よし」


野中が立ち上がった。


「俺が課長に持っていく。お前は“手続き案”を書け。やりたいじゃなく、やれる形で書け。

——それと、Sを動かす。中からも一回当てる。外だけじゃ、いつか外される」


S。協力者。

警察はいつも二本足で歩く。一本は表の手続き。もう一本は裏の線。どっちかが折れれば転ぶ。




二〇一五年六月七日 午前十時三十分 課長室前


廊下の空気が変わる。課長室の前は、いつだって少しだけ酸素が薄い。

扉の向こうで、電話の声が聞こえた。相手は内務省本省の誰かだろう。語尾が硬い。


野中が扉をノックする。返事。入る。

俺は廊下で待った。待つしかない。現場の人間が決裁を待つ姿は、妙に滑稽だ。


数分後、扉が開き、野中が出てきた。顔色が変わっていない。変わっていないのが嫌な時もある。


「……どうでした」


「通らん」


野中が即答した。


「今の段階で“耳”(盗聴)は政治だとさ。証拠能力の話もしてた。軍の私邸に触れると、薩摩(上層部)が火傷する、とも」


薩摩(上層部)が……」


「そうだ。うちの上は、陸軍を嫌ってても“喧嘩”は嫌う。喧嘩は政治になる。政治になると責任が要る。責任は誰も欲しがらん」


野中は紙束を指で弾いた。


「ただし、代替案が出た。——“耳”(盗聴)じゃない。“形”を増やせ」


「形?」


「出入りの“手続き”だ。誰が、いつ、どこから入るか。誰が連絡役か。車両、運転手、門の癖。

……それと、S稼働は許可。中から当てろ」


俺は息を吐いた。

耳は作れない。だが、線は作れる。線が作れれば、いつか耳も作れる。


「Sは誰を?」


「高橋私邸の出入り業者に一本、使えるのがいる。——ただし、現場は“無理をさせるな”。無理をさせると、相手は怯えて口が軽くなる」


野中の声が一段低くなる。


「歌川。警察の論理は“取れる時に取る”じゃない。“取れる形を作ってから取る”だ。焦るな」


焦るな。

焦るなという言葉ほど、焦りを増やす言葉はない。




二〇一五年六月七日 午後九時五十五分 千住・高橋私邸周辺


覆面の車内は蒸し風呂だ。窓は開けられない。エアコンは回せない。

俺たちは路地に沈み、灯りを消した。


正木の車が来る。

いつも通り、迷いなく。

そしていつも通り、門が開き、入る。閉まる。


「K4からマル本(対策本部)。正木、私邸入。二一五八。以上」


『本部了解。K4現場継続。K2は遊撃』


「了解」


無線の静けさが、胃を痛くする。


その時、俺のスマホが短く震えた。

Sからの暗号めいた一行だけのメッセージ。


「門番、今日“別の車”を通した。正規通行証。だが運転手が違う」


別の車。運転手が違う。

それは、目撃されたくない車の動かし方だ。


俺は相棒に小声で言った。


「今夜、何かある。……私邸の“中”じゃない。出入りだ。通行証の線だ」


相棒が息を飲む。


「どうする」


「形を取る」


俺は目を細め、門の前を凝視した。


十分ほどして、門が再び開いた。

黒いセダン。帝都の一般車に見えるが、ライトの点け方が妙に丁寧だ。

運転手は帽子を深くかぶり、顔が見えない。


「……あれか」


俺が呟いた瞬間、助手席の相棒が言った。


「班長、正木の車はまだ中だ。なのに、別の車が出るのは……」


「普通じゃない。普通じゃないのが今夜だ」


セダンが路地へ出る。速度は遅い。尾行を誘う速度だ。

だが俺は、あえて追わなかった。


追えば“線”になる。

追わなければ“線”が残る。

今日は線を残す日だ。


セダンが角を曲がって消えた時、門の内側から人影が一つ外へ出て、道路の反対側の街灯の陰に立った。

私服。背丈。立ち方。……警察でも陸軍でもない。


俺の背中に、嫌な汗が流れた。

“見ている”。

私邸を見ているのは俺たちだけじゃない。


その影が、ほんの一瞬だけ視線をこちらへ向けた。

目が合った、気がした。

そして、影は何事もなかったように消えた。


「……今の、何だ」


相棒が呟く。


俺は答えなかった。答えられなかった。

答えが、嫌な方向にしか転がらないからだ。


その直後、私邸の門がもう一度開いた。

今度は正木の車が出てきた。


正木は、窓を少し下げ、煙草を吸っていた。

そして——わざとらしいほど自然に、懐から懐中時計を取り出し、時間を確認した。


暗闇の中でも、チェーンの銀が光る。

“見せる”仕草だ。


(……気づいてる)


俺は確信した。

正木は俺たちを知っている。

そして、知った上で泳いでいる。いや、泳がせている。


尾行の勝負じゃない。

これは、正統を巡る“前哨戦”だ。


俺は無線を握り、短く報告した。


「K4よりマル本(対策本部)。正木、私邸出。〇〇一二。特異事項——あり」


『本部、特異事項内容送れ』


俺は一拍置き、言った。


「……正木は、こちらを知っている可能性が高い」


無線の向こうが、少しだけ静かになった。



お読みいただき、ありがとうございます! 今後の帝都の物語の展開を楽しみにしていただければ嬉しいです。 作品の応援(ブックマーク、評価、レビュー、感想、シェア)は、物語を描き続ける上での大きな力となります。ぜひ、今後ともよろしくお願いいたします。

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