正月くらい、黙っていられないのか
正月になると、
我が家では桃鉄をやる。
お年玉とは別に、
ちょっとしたお小遣いチャンスゲーム。
勝った人が少し多め。
負けても、まあ、ゲームだ。
……のはずだった。
子どもたちが保育園のころは、
負けると悔し涙を流すこともあった。
ビンボー神がついて、
お金が減って、
顔がくしゃっと歪む。
そのたびに私は言った。
「大丈夫、ゲームだよ」
「次があるよ」
あのころは、
負けること自体が、まだ難しかった。
今は違う。
長男も、次男も、
成長した。
下の子が高学年になってからは、
勝っても負けても、
ちゃんと“ゲーム”として楽しめている。
それなのに。
最近は、
勝つのはだいたい長男か夫。
私はというと、
なぜかいつもビンボー神がつく。
次男も、よく一緒だ。
「やっぱりな」
「またビンボー神だ」
夫は、軽い調子で言う。
「カードの使い方だよ」
「物件、もっと考えて買わないと」
私は笑う。
次男も笑う。
でもその笑いは、
昔みたいに悔しくない代わりに、少しだけ薄い。
ビンボー神が、
夫のところに移る。
すると、夫は言う。
「俺につくと、悪さしないんだよ」
「不思議だよな」
同じ神なのに、
扱いが違う。
私のときは、
運が悪い。
考えが足りない。
夫のときは、
たまたま。
想定内。
長男は楽しそうだ。
数字が増えるのが、素直に嬉しい年頃。
次男も、前みたいに泣かない。
ちゃんと笑って、画面を見ている。
だから余計に、思う。
いらぬ一言がなければ、
もっと楽しいはずなのに。
誰も傷つかない。
誰も下にならない。
ただ、
サイコロを振って、
進んで、
笑うだけでいいのに。
正月だから、
空気を壊したくない。
だから私は言わない。
「それ、運だよ」
「同じ条件だよ」
代わりに言う。
「まあ、ゲームだしね」
この言葉を、
この家で一番多く使っているのは、
たぶん私だ。
桃鉄が終わる。
「楽しかったね」と言いながら片付ける。
正月は、無事に終わる。
でも私は、
少しだけ疲れている。
子どもたちが成長しても、
変わらないものがあることに。
正月くらい、
黙っていられたらいいのに。
神様じゃなくて、
大人のほうが。




